お試しで喚ばれてから、一週間後。
ミコは王都から、太古の森に一番近い西部の街ブランスターに移ることになった。
これみよがしなほど豪奢な馬車に乗り込み、王都キングストレゾールから延びる街道を西へ進むこと三日――
「―― 目的地までもう間もなくです、聖女さま」
言ったのは、同乗していたデューイである。
「すみません、フォスレターさん。お仕事で忙しいのに、同行してもらって」
「とんでもありません。むしろお詫びしなければならないのは私の方です」
常に紳士然として礼儀正しいデューイはどうやら、主君の召喚やその後の取引について気が咎めているようで、ミコにとても親切に接してくれていた。
「フォスレターさんは王太子殿下の臣下ですから、仕方がないですよ」
「お気遣い痛み入ります。……殿下は少々強引で尊大なところもありますが、体調不良の国王陛下に代わってご立派に政を行い、国力の充実に努めていらっしゃる方なのです」
(王さま、体調が悪いんだ)
言われてみれば、王宮の中でミコが一方的に見かけていたアンセルムはいつも誰かと話をしていて、たしかに忙しそうだった。
―― 「二カ月だ。二カ月で守り主を説得しろ」
ミコの脳内をよぎったのは、取引に応じたあと、去り際にアンセルムが遠慮会釈もなく言い放った台詞。
承諾してから期限を追加するという狡い手を使っておきながら、アンセルムの表情は憎たらしいほどぴくりともしていなかった。
(……無理かな)
デューイのフォローがあっても、人生を急変させたばかりか無茶ぶりまでしてきた相手を好意的に見られるほど、ミコは人間ができていない。
(フォスレターさんはいい人だと思っているんだけど……)
デューイは由緒正しい名門侯爵家の御曹司らしいが、ミコの下宿先の手配に加えて、出発までの間は生活に必要な知識を教えてくれるなど、すごく面|
倒見がいい。
「聖女さま、どうやら到着したようです」
デューイに言われて、ミコは窓から外を見る。緑一色だった景色が、洒落たガス灯の配された広い通りに変わっていた。
「下宿先の家主さんは昔、文官の要職を務められていたんですよね?」
「王立図書館の館長でした。奥さまも王宮での伺候経験があるお方です」
デューイは「ご夫妻には聖女さまの能力についてすでに告知済みです」と述べる。
「それに、『異世界から召喚された聖女』であることや、その旨について口外ご法度だということもご夫妻にはお伝えしてあります。お二人とも口は堅いのでご安心ください」
「ありがとうございます。ではフォスレターさんも念のため、外で『聖女さま』呼びはやめてくださいね」
「心得ております」
ミコが念押しするには理由があった。
王宮でアンセルムは堂々と「聖女殿」と呼びかけるし、デューイも「聖女さま」呼び。
輝かしい血統の両者から大層に呼ばれる少女は物珍しい能力を有している、という話はすぐに王宮を駆け巡った。おまけにミコが召喚時に着ていた、こちらの世界にはない高校指定の制服姿を見かけていた人間の目撃談も加わり……
『あの少女は異世界から来た聖女らしい』と、王宮ではすっかり噂になっているのだ。
(外でまで、好奇のまなざしに晒されるのは勘弁だもの)
「到着でございます」
外にいる馭者が言った。扉が開かれるとデューイが先に馬車を降りて、ミコを下車させてくれる。
そこは大通りから一本奥に入った、落ち着いた風情の路地だ。
馬車が止まっている、木とレンガを用いた瀟洒な洋館の玄関先には、本のようなものが描かれた木製の看板がかかっていた。
「こちらがフクマルさまの下宿先です」
デューイは約束どおり、聖女さま呼びを封印してくれている。
(あの看板、本屋さんをしているのかな?)
「いらっしゃい。遠いところをようこそ」
玄関から出てきたのは、明るい灰色の口髭と顎髭が見事な御仁だった。
丸眼鏡の下にはやわらかなセピアの双眸。見るからにおっとりした風貌で、白いポンポン付きの三角帽子をかぶって、白い袋を担いでいたらサンタクロースと勘違いしそうだ。
「ご無沙汰しております、ハイアット卿。このたびのご協力、感謝に堪えません」
「そう畏まらんでくれ。儂は今やただのしがない本屋のおじいさんじゃからな」
「それはあまりにご謙遜がすぎます。―― フクマルさま、こちらが王立図書館元館長であられるタディアス・ハイアットさまです」
「会えて光栄じゃ、可愛らしいお嬢さん」
タディアスの丸眼鏡の奥にある目元のシワが深くなる。
「初めまして。ミコ・フクマルと申します」
「―― うふふ、素直で明るい、鈴の転がるようなお声だこと」
割って入ってきたのは、やわらかい女性の声だった。
タディアスの隣に寄り添うのは、落ち着いた緑の瞳と薄いピンク色の髪を持つ、﨟たけた貴婦人だ。齢五十は超えていそうだが、柔和な笑みをたたえたおもては美しい。
「ご無沙汰しております。フクマルさま、こちらはハイアット卿夫人、モニカさまです」
「ごきげんよう」
モニカから香るさりげない甘い香りに包まれて、ミコはぽうっとなる。
「王宮の使者の方が、こんなに愛くるしいお嬢さんで嬉しいわ。ねえ、あなた」
「そうじゃな」
おしどり夫婦からの歓待にミコは胸を撫で下ろした。
二人ともとても優しそうで、聖女に対する変なよそよそしさも、へりくだる様子もない。
むしろ、視線が孫を見るように穏やかだ。
(おじいちゃん、おばあちゃんって呼びたい……)
「馬車での移動で疲れたでしょう。二人とも中へどうぞ」
モニカの誘いをデューイは「申し訳ありません」と断る。
「せっかくですが、私はお暇させていだだきます。四日後、カタリアーナ王国の王妃殿下が来訪なさる予定でして。指示は出してありますが、最終確認は私の役目ですから」
「嫁がれた、国王陛下の実の妹君か。それは万事抜かりなく準備を整えねばのう」
(知らなかった)
ミコには驚きと一緒に、多忙の最中に王都から離れさせてしまった心苦しさが募る。
「すみません、フォスレターさん。わたし、全然事情を知らなくて」
「私がお話ししていなかったのですから、あなたさまになんら非はありませんよ」
ミコに慈父のようなまなざしを向けていたデューイは、再びタディアスたちの前で居住まいを正す。
「では、私はこれで失礼致します。くれぐれも、お役目に臨まれますフクマルさまのことをよろしくお願い申し上げます」
そう挨拶したデューイは、馬車でなく馬装した馬で颯爽とハイアット邸をあとにする。
ミコは改めて二人に一礼した。
「本日からお世話になります、ハイアットさま」
「名前でかまわないわ。私たちも、ミコちゃんと呼んでもいいかしら?」
「もちろんです!」
ミコが即答すると、モニカは上品に微笑み、タディアスは破顔する。
「じゃあ、何はともあれまずはみんなで軽食にしましょうか」
「そうじゃな」
タディアスとモニカがミコを笑顔で手招く。
下宿先でうまく馴染めるだろうか、という不安は多少なりともあった。それが杞憂に終わったことに、ミコは密かにほっとする。
(あとは、本題の『守り主』との交渉か……)
仰いだ雲のない青空に、ミコはうまくいくことをただ切実に願った。