第一章 姫と古の魔女 その2
「話はあとにしてくれ」
真面目な様子で告げたエイトはナイフを抜きながら振り返り、岩片を持って殴りかかってきた小鬼を斬り捨てる。
「これでよし、と」
再びエイトは少女の方を見て、
「ほら、起きろ」
「あ、ありがとう。一応、感謝しておくわ」
照れたように頬を染めながらも、差し出されたエイトの手を掴んで立ち上がった少女は、パンパンと両手で身体をはたくようにして土埃を払いながら、着衣を整えている。
立ち去るならば、今だろう。
「そんじゃ、俺はこれで――」
「ちょっと待ちなさい。わたしはラングバード王国第一王女、リリシア・ラングバードよ……あなたは?」
「俺は名乗るほどのもんじゃ――って、お姫様!?」
驚いたように叫んだエイトは、第一王女と名乗った少女のつま先から頭のてっぺんまでを、舐めるようにじっくりと見上げていく。
すらりとした脚をはじめとして、かなりスタイルはいいし、身に着けている衣装もやはり高価そうなものだ。かなりの美人だし、いかにも姫騎士という感じだが、まさか本当に王女だったなんて――。
「なに疑り深そうに見てるのよ」
「逆だよ。確かにお姫様っぽいなって思って見てたんだ」
「ぽいじゃなくて、本当にお姫様なんだけど。それで、あなたの名前は?」
「だから俺は名乗るほどでもないというか、あなた様のような高貴な方とは全く身分が違うというか、本来ならば喋ることすらも許されない下々の者なので、これにて失礼――」
そのまま壁に沿って蟹歩きをして、再びエイトはその場から立ち去ろうとしたのだが、
「だから、待ちなさいって言ってるでしょう」
と低い声で釘を刺されて、腕を掴まれてしまった。
ギロリと睨み付けられもして、
「あなたが今、背中に隠しているものは何かしら?」
「え? そんなものは何もないけど……? ははっ」
「誤魔化そうとするなら、こうよ」
「ひっ!?」
手が離れたかと思えば、エイトの顔のすぐ隣を、ひゅんっと細い剣が通り過ぎていって、勢いよく壁に突き刺さった。
(あ、相変わらず、疾ぇ……)
レイピアによる高速の突きだ。
それは脅しに他ならない。
「気付いてないとでも思った? 背中に隠してる地図を返しなさい。でないと、次は身体のどこかを貫かせてもらうわ」
逃げられる気もしないし、刺されるのだって嫌だ。
なにより命が一番大事。
命がなければ宝だって何も意味をなさないと、エイトはベルトの背中側に挟んでいた地図を、諦めてリリシアに差し出した。
「決して盗もうとしたわけじゃなくてさ、偶然、拾ったっていうか……ははっ」
「ははっ、じゃないわよ……嘘吐き」
笑って誤魔化そうとするエイトの手から地図を奪い取るようにして、リリシアは腰のベルトに差し直した。
「これでよし、と」
満足げな表情を見せたあとのこと。
リリシアは再びエイトに視線を向けて、
「で、あなたの名前は?」
「……エイトだよ」
逃げられないと諦めて、エイトは答えた。
「エイト? ファミリーネームは? どこに住んでるのかしら?」
「ファミリーネーム? そんなものはねぇよ。住んでるのはジンバラの森だ」
「ジンバラの森ってことは、グルシア帝国領土ね。それで姓がないなら、三級市民ってことでいいのかしら」
姓があるわけでも、帝国に認められているわけでもない。
ただ帝国領土内で暮らしている階級が一番低い存在。差別もされ、厳しい生活を余儀なくされている。それがエイトたち、三級市民である。
「だからこそ冒険者としてお宝探しをして、一発逆転の人生を狙ってるんだよ」
「なにが冒険者よ。わたしにしたことは、ただのコソ泥そのものじゃない」
あまりに的確なツッコミだった。
言い返すことも出来ない。
「そもそも帝国の三級市民ごときがラングバード王国の王族の持ち物を盗もうとするなんて、言語道断。死刑よ! 死刑! しかもわたしのお胸を揉むだなんて、この場で斬り捨てられて当然なんだから!」
「お胸はただの事故だろっ! ラングバード王国のお姫様は、事故を理由に俺を殺すようなやつなのか? そうじゃないよなっ」
「事故でもなんでも、口答えする前に、まず頭を下げて謝りなさいよっ。お姫様のお胸を揉んで、申し訳ありませんでしたって」
「そうしたら、許してくれるのか?」
「三級市民の血でわたしの手を汚すなんてしたくないもの。恩情を与えましょう。でも、条件付きよ」
条件とはなんだろうと疑問に思うエイトにビッと人差し指を向けて、リリシアは宣言した。
「わたしの奴隷になりなさい」
「は?」
「聞こえてなかったの? わたしの奴隷になって、お宝探しに付き合いなさいって言っているのだけど」
何を言ってるんだコイツ、と唖然とし、眉を顰めるエイトに対して、真剣そのものの態度で説明を続けていくリリシア。
ならばと、エイトは問い返す。
「報酬はいくらくれるんだ?」
「報酬? どうして奴隷がご主人様に報酬を要求するのよ」
「それがなきゃ、明日の飯にありつけねぇだろうが。俺だけじゃなくて、メロディの生活もかかってるんだ」
「メロディ? 誰なのよ、それは」
「あっ」
しまった。
思わず名前を出してしまった。
仕方がないのでエイトは答える。
「……俺の妹だよ」
「妹!? あなた、妹がいるの!?」
いきなり前のめりになって接近してきたリリシアに、がしっと両肩を掴まれてしまった。想像していなかった反応だ。
「なんなんだよ、いったい!?」
「わたし一人っ子だから、妹って憧れの存在なの! いいわよね、妹!」
目が血走った様子で言葉を続けるリリシアを見て、エイトははぁ、と深くため息をついた。
「なによ、その態度は」
「何一つ不自由なく育ったお姫様とは違って、いろいろと大変なこともあるってことだ。俺たちには親もいないし、メロディは実の妹ってわけでもないしな」
「なによそれ。もしかして人さらい? ロリコンなのかしら?」
「そんなんじゃねえよ! 人聞き悪いこと言うな」
別段、話をする気もなかったのだが、こうなっては仕方がない。
ヘンな誤解をされたままっていうのもなんだしと、エイトは自分の身の上話をリリシアにしていくことになった。
自分が捨て子だったこと。
冒険者と名乗る盗賊のおっさんに拾われ、後に自分の娘だといって連れてきたメロディと共に育てられたこと。
そして二年ほど前におっさんが旅に出て、そのまま帰って来なくなったことなどだ。