第一章 ハッピーエンドから始まるラブコメ その2

                  〇〇〇


「ふぃー。今日もお疲れさんでしたー」

「お、おう。乾杯」

「ん。かんぱーい」

 陽気に笑ってビール缶を打ち付けてきた金髪の女性に、俺は戸惑いを押し殺して応じる。

「ぷはー。ああ、今日も酒がうまい!」

 ぐびぐびとビールを呷った彼女が満足そうな声を上げた。変に不審がられるのはよくないと思った俺は、今日は自分から缶を開けて飲んでみる。うっ、やっぱビールって苦いや。

 つーか、いよいよもって、マジで意味わかんねぇ。

 何だよ。こんなことって、ありえるのかよ。

 ドリトラのバグ抜きにしても、同じ夢の続きを連続で見ることってありえないよなぁ!?

 彼女が真横にいる手前、叫びたい気持ちをぐっと我慢して胸中で盛大に叫ぶ。

 誤動作や起動忘れについて自信が持てずにいた昨日とは違い、今日の俺は確実にドリトラを正常に起動させていた。それも、きちんと念入りに三回チェックして。

 その結果がこれだということは、この奇っ怪な夢を見る条件の一つにドリトラが関係しているとみて間違いないと思う。このアプリを使用するまでは、人生で一度もこんな不思議現象に遭遇したことはなかったんだし。

 ちなみに今日の俺のドリトラでの設定は──

 ジャンル:SF テーマ:宇宙戦争 シーン:襲撃戦

 と、シーンまでこと細かに設定して昨日よりも具体的な条件付けをしたはずなのに──一ミリも掠ってないってどういうことぉ!?

 ほんと、わけがわからなかった。

 とは言いつつも俺の中では、これまでのここでの体験、それから学校で聞いた夜空きらり引退騒動の件をふまえて、一応、自分なりの仮説が立ちつつあったりする。


 ひょっとすると俺の意識は、この理想の夢を体験させるアプリ、ドリトラを通じて、どういうわけかただの夢ではなく、夢の代わりにガチの未来世界を体験しているのじゃないか──って。


 そんな口にしたら周りから大笑いされそうなことを、今の俺はわりと本気で思っている。

 だって、それなら夢でも五感がはっきりとしてるのにも説明がついちゃうだろ。そもそも夢などではなく、ここが遠い未来であり、れっきとした現実世界だとするなら。

 と、なれば……。

 やっぱ俺の隣でルンルン気分でお酒を飲んでいるこのやんちゃギャル風なのに綺麗で甘えん坊な金髪の女性は、紛れもなく俺の将来のお嫁さんってことになるんだよな? そうなっちゃうんだよな! やばっ、人生の勝ち組じゃん俺!!

 心に羽が生えて飛んでいきそうな有頂天気分。もうワクワクが止まらない。だけど俺、こんな美人と一体高校のいつに知り合って、どのタイミングでこんな甘々な関係になるんだろ? 気になる。カノジョいない歴=年齢の俺にとって、そのしょうもない記録がどこで幕を閉じてくれるのか無性に気になる。

 ……上手いこと、そういう方向性の会話にもっていけやしないかな。

「……なぁ?」

「ん、どったの?」

「その、知り合いから恋愛相談的なものを受けちゃってさ。是非女性側というか、学生の時からモテモテだったお前の意見も聞けたらなぁ──と」

 よし、わりと自然な導入になったんじゃないか。普通に考えて、こんな美人がモテてないわけがないしな。年上のお姉さんにタメ口で話すのはちょっとドキドキしたけど、今の俺が旦那である以上、こんな感じの距離感で合ってるよな?

 緊張と期待を混在させながら彼女の返答を待つ。

 すると、やんちゃ嫁は何故だか冗談でしょとばかりに吹き出して。

「ぷっ──あはは。もーカイ君ってば、あたしをいじるつもりなら、最低限筋の通ったものにして欲しいんですけどー。モテモテなあたしとかもう解釈違いってレベルじゃないし」

 え、そんな大笑いするほど不自然な発言だった……? あ、もしや冴えないお前に恋愛相談しにくる人がいるわけないだろとか、そんなやつ?

「そんなあからさますぎるとつっかかる気にもなれないってか、当時のあたしのどこにモテモテの要素があったか、同じ高校通ってたあんたの立場から逆に教えて欲しいんですがー。ま、さ、か、覚えてないとか言わないよねぇ」

 は? 嘘だろ。こんなモデルやっててもおかしくない程の美人が、昔は男から見向きもされてなかったとかありえないだろ。謙遜してるだけじゃないのか。

 ──って、んん、同じ高校ぉ!? ようするに現代での彼女は俺と同じ高校、ふた学院の生徒ってことだよな。そうは言っても、俺はあの高校でやんちゃ嫁にあたりそうな人に、現状では全く以て覚えがない。こんな超絶美人、たとえ学年が違おうが学校で一度でも目にしてたら絶対に忘れられない自信があるのに……いるのは間違いないんだよな?

「むしろー、本当に高校時代モテモテだったカイ君にお聞きしたいんですけどー。あんなに色んな女の子から迫られてたのに、あたし一人で恋愛経験終わらせちゃったこと、実は後悔してたりしませんかー?」

「何だよその棘の籠もった言い方。は、俺がモテたとか、それこそ冗談言うなら──」

「出った。鈍感カイ君の悪い嘆き癖。この無自覚女泣かせ」

 嘆き癖って。あのなぁ、現に十六歳の香坂海翔は告白されるどころか、女っ気が一欠片もない灰色の青春をまっしぐらに突き進んでて──まてよ。もしかしていたりするのか? 俺に密かに好意を抱いているけど、なかなか想いを打ち明けられないでいる──そんなラブコメ漫画でしかなさそうな激アツ展開がリアルに存在するとでも──

「ねぇ」

 自分の世界に没入し始めていたところを、やんちゃ嫁に服を引っ張られて連れ戻される。

「ん、どうした?」

「どうしたじゃないでしょ。さっきの質問の答えがまだなんだけどー」

「質問? ああ、後悔がどうとかってやつか。──そんなの、してるわけないだろ」

 それは過程をすっ飛ばして結果だけを体験している今の俺でも、はっきりと言葉に出来る想い。だってこの身体を通して感じられる彼女と接している時の幸福感は、紛れもなく本物だったから。きっとこの世界の俺は、円満で幸せな結婚生活を送ってるんだろうな。

「ふ、ふーん。なら、いいんだけど」

 頬を赤らめ照れくさそうにぷいっと顔を背けた嫁が、満足げにえへへと口許をだらしなくさせる。そんな様子の彼女を見ていると、何だか無性にからかいたくなってしまった。

「そういうお前こそ、どうなんだよ。本当はもっといい男捕まえられたんじゃないかって、後悔してたりも──」

「するわけないじゃん。ばーか」

 そう即答した彼女の顔は若干怒ってるようにも映った。

「いい? あんたと出会ってなかったら今のあたしは存在しないつーか、むしろあの時カイ君と関わらなかった場合を一ミリたりとも想像したくないくらいには、あんたにぞっこんつーか。平凡で無機質だったあたしの学校生活を、ぱぁーっと色鮮やかに一変させてくれた、とっても大きな存在だもん。あの頃からあたしは、カイ君以外の男に全く興味を持てなくなったんだから、こうして責任取ってもらうことにしたんですー」

 べーっと舌を出したやんちゃ嫁が、俺の膝にぐでんと寝そべり、とっても嬉しそうにはにかむ。釣られるように自然と笑みが浮かび、心が温かな気持ちで満たされていく。この身体中から湧いてくる愛おしい感覚は、はたして俺自身の感情なのか、それともこの身体の本当の持ち主、未来の俺によるものなのか。

「そりゃあ大儀だったな高校時代の俺。こんな素敵な嫁さん候補を捕まえてたなんて」

「そうそう、感謝しとき。あの頃のカイ君はきらきら輝いていて、ほんと格好良かったんだから。ありゃ惚れるなって方が無理あるわ」

「へー、じゃあ今の俺は?」

「……大好きに決まってんじゃん。言わせんなし」

 か細い声でそう言って、かぁっと顔を赤らめ目を逸らす。か、かわいすぎるだろ俺の嫁!

「あ、あんたはどうなわけよ?」

「もちろん、好きだよ。愛してる」

 自分のことだからよくわかる。彼女の好きな旦那さんはここで恥ずかしさに負けて本心をはぐらかすような、ヘタレじゃないと。

「……そ。なら、いいけど」

 平然を装おうとしつつも、彼女の顔は参ったとばかりに真っ赤に染め上げられていた。どうやらうちの嫁はやんちゃで勝ち気そうな見た目に反して、意外にも押しには弱いらしい。

 というか、めちゃくちゃ今更な話だけど──このくそかわいいやんちゃ嫁の名前、何て言うんだろう? どうにか知ることが出来ないのかな?

 名前さえわかれば、俺は明日にでも高校時代の彼女と出会うことが出来るわけだろ。たとえ絡むのはもっと先の出来事だったとしても、どんな子なのか是非一目見に行きたい。こんないちゃラブなやり取りしてたらさ、気になっちゃうじゃんやっぱ。

 ただ……冷静に考えて自分の嫁に「君の名は──」なんて尋ねるのは不自然極まりない行動だよな。いきなり自分の旦那が名前を聞いてくるなんて、不気味以外の何ものでもないし。うーん、今みたいに会話の流れで自然と聞き出したり出来ないかなぁ。

 どうしたもんかと、頭を悩ませていると、不意に頬をちょんちょんとつっつかれる。

「ねぇ……」

「ん?」

 反射的に顔を向けると、そこには不満げな顔のやんちゃ嫁がいて、

「あ、あのさぁ……ここまで盛り上がっておいて、シないとか言わないよね……? ほ、ほら、完全に今、そういう空気だったじゃん……」

 頬をうっすらと紅潮させたやんちゃ嫁がもじもじとしおらしげに指先をくつっける。

「へ?」

「昨日もそんな雰囲気だったのに何でかお預けくらって、ぶっちゃけ寂しかったつーか」

 緊張と羞恥を孕んだ艶やかな色っぽい目で、何かを求めるように熱い眼差しを向けてくるやんちゃ嫁。

「あたしはもう、完全にスイッチ入っちゃってんだけど……」

 思わず唾を飲んだ。これ、そういうことだよな。その……夫婦の営みをご所望的な……。

 俺、今日で童貞を卒業しちゃうのか!?

 いや、そもそもこの身体は既に童貞じゃないんだっけ。

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