第一章 ハッピーエンドから始まるラブコメ その1

「なんだったんだ、あの夢は…………?」

 正真正銘、目を覚ました俺を待ち受けていたのは、戸惑いと驚きに怪訝だった。

 焦点の定まらない寝ぼけ眼のまま、頭をひねる。あれは一体、なんだったんだ?

 ここはベッドの上。ぼやけた視界に見えるのは勉強机に漫画やゲームが雑多に並んだ棚。よく見慣れた自分の部屋の風景がいつものように広がっている。

 そんな俺の手には、ゴーグル型の機械装置──VRキットが握られていた。ついさっき、寝起きに外したばかりの。

「ひとまず状況を整理してみるか……」

 俺は自分自身に言い聞かせるように頷く。

 昨日の夜、買ったばかりの「ドリームトラベラーズ」を起動させて眠りについた俺。

 ドリームトラベラーズとは、通称「ドリトラ」の名で親しまれている、今話題のVRアプリケーション。寝ている間に、VR装置が脳波を刺激し、アプリ内で予め設定した希望する夢の世界へと誘ってくれるという、色々な意味で夢の詰まったアプリだった。

 使用方法は至って簡単。まずはファンタジー・アクションなどの大まかなジャンルの中から一つ選ぶ。次にテーマ、例えばアクションならガンアクションや、カーチェイス、カンフーバトルなどなど、アクションでもどんな内容が希望なのかを設定。この二つだけでも作動準備は十分なのだが、「最終決戦」「因縁の対決」と百種類以上用意された特定のシーンをオプションで選択出来るようにもなっていた。ちなみにこのテーマやシーンは後のアプデで更に追加されていくらしい。

 ようは見たい夢の内容を決めて、VRキットを付けたまま寝るだけ。後はアプリから流れてくる心地よいヒーリングミュージックがお望みの夢の世界へと誘ってくれる。

 ドリトラは発売当初から話題を呼び、普段VRゲームなんかをしない層からの購入も殺到。それに伴ってデバイス本体も品薄になり、転売ヤーによる買い占めも横行したとか。

 俺みたいに平凡でパッとしないモブキャラみたいな人生送ってるやつでも、一気に主役で輝ける世界があるとなればそりゃあ売れるわな。文字通りの現実逃避ってやつ。

 とまぁ、そんな事前情報に実際に買った友達からの口コミもあり、昨日遂にドリトラデビューした俺だったのだが──あんな夢を見たのは思いもよらない事態だった。


 何故なら俺が昨夜ドリトラで設定したのは、

 ジャンル:ファンタジー テーマ:異世界転生チート無双

 だったのだから。


 そう、俺のようなお年頃の男だったらきっと誰もが憧れるような、魔法なり剣術なりを駆使して、立ちはだかるモンスターをばったばったとなぎ払っていく血湧き肉躍る気分爽快なシチュエーション。

 なのに、実際に俺が見た夢といえば、設定をまるで無視した、異世界の異の字もない、現実世界でのごくありふれた夫婦のいちゃラブシーンだった。何故意図した夢に飛べなかったのかさっぱり謎だ。何らかのバグだったりするのか?

「つーか、そもそも本当にあれは夢だったのか? 冷静に考えて変、だったよな。だって夢にしちゃ、味覚とか嗅覚とかやけにリアルすぎた気がするし……」

 たとえアプリのエラーか何かで全く別の内容が適用されていたとしても、そもそもあそこまで鮮明に感覚を体感出来るなんて仕様はなかったはずだ。それも、飲んだことのないビールを「苦い」と感じられる、そんな明確さを。

 他にも疑問を掘り起こせば湯水の如く出てくるけど──ま、なにはともあれ。

「……準備して学校に行くかぁ。このままここで考え込んでたら、確実に遅刻コースどころか、一限は軽く終わってそうな勢いだし」


                   〇


「──そういえば海翔、初ドリトラはどうだったんだ?」

 学校での昼休み。

 進級しても変わることなく教室内で俺の机を中心に繰り広げられていたたわいもない雑談の中で、友達のまつながこうすけがふとそう聞いてきた。

 康助は爽やかイケメンで、運動神経抜群な根っからのスポーツマン。所属するテニス部では入部当初からレギュラーに抜擢されていて、二年にあがった今では次期部長候補と噂されている。そんな勝ち組スペックの康助が、よくて中の下程度な俺と好んで一年の頃からつるんでいるのは、正直俺自身も不思議だけど……ま、ウマが合うのは間違いない。

「あーそれなんだけどさー」

「どうせ、むっつりな海翔のことだから、お前が日頃カノジョにしたいと言ってるような、小悪魔ギャルっ娘や清楚系クーデレっ娘達とのいちゃラブハーレムとかそんな感じにしたんだろ? どうだ、夢の中のお前の嫁達は可愛かったか?」

「甘いな親友。俺が選んだのはいちゃラブハーレムではなく、異世界転生チート無双だよ」

「は、それ女の子にちやほやされたいって意味じゃ同じようなもんだろ。で、どうだった?」

「それがさー、バグなんか俺の操作ミスなのかわかんないけど。条件セットしていざ寝てみたら、なんか普通に年取った俺が嫁さんっぽい人と居間でお酒飲んでるだけなファンタジーの欠片もない平凡な夢でさー。まぁたしかに嫁さんに関してはギャル感満載だけど旦那にはデレデレの、正にザ・俺の理想って感じの金髪小悪魔系美人嫁だったから許すけど」

 俺は掻い摘まんで夢のことを説明した。

「ふーんバグねぇ。ま、ドリトラが見せてくれる夢には個人差があって、本人がこれまで経験してきたことや、持ってるイメージなんかに大きく影響されるから、全く同じシーンに設定しても、誰かと同一シチュの夢を見ることはほぼないってのは有名な話だけど」

 康助の言うとおりだった。例えば、日本が誇る人気RPGと言われてドラクエを挙げる人がいれば、ファイナルファンタジーを思い浮かべる人もいるだろうし、他の作品を連想する人だっているはず。ドリトラはあくまでもそういった潜在意識を夢へ繋げる補助器具にすぎないのだ。

「でも、ファンタジーを選んだのに日常的な夢を見たって、そんなあからさまにおかしい話は聞いたことないな。俺自身、使っててそんなバグは一度も起きたことないしさ。操作ミスなんじゃないか。それか海翔のことだし、設定完了ボタン押す前に寝ちゃったとか?」

 その線は──ぶっちゃけ、あんまり否定出来ねぇ。

「なぁ、ともはるはどう思う?」

 自分だけでは判断に困るといった様子の康助が、この場にいたもう一人の友達、国田知春に話題を振った。

「うーん、僕も康助君と同じ意見かなぁ」

 やや低めの身長に眼鏡をかけていて内気な性格の知春は、康助とは真逆な根っからの文化系。学力の成績は学年で五本指に入るほど優秀で、一年の時に康助と一緒にテスト勉強を見てくれるよう頼み込んだのを機に仲良くなった経緯があったりする。

「僕自身はドリトラ使ったことないからあれだけど。でも、ファンタジーを選択して見たのが日常風景でしたって、そんなカレー注文したのにラーメンが出てきたみたいなお門違いすぎる現象、あの人気ぶりからして、もしそんな不具合があったとすれば今頃絶対にネットで誰かしらが騒いでると思うけどなぁ。でも、そういう報告は一切ないんだよね? だったらやっぱり、アプリの問題ではなく康助君がミスしたって可能性が大きそう」

「なるほどなー。知春が言うなら、きっとそうなんだろうなー」

「おいおい、先に言ったのは知春じゃなく俺の方だろ」

「けどなぁ、単なる夢にしては妙なリアル感があったつーか……味覚とか嗅覚とかがやけにはっきりしててさ。ほら、それってやっぱ、ドリトラの仕様によるものなんじゃ──」

「おいおい、それこそありえないだろ。第一、夢で食った物の味とかそこまで細かく覚えてるかよ」

 康助が呆れ顔で肩をすくめる。そうは言っても俺は未だに覚えているのだ。あの、ちょっぴし幸せの詰まった、初めて口にしたビールの苦みを。

「つーか海翔がドリトラデビューしたことでいよいよ俺達の中でドリトラを持ってないのは知春だけになったな。本当に買わなくていいのか? 知春が好きなギャルゲーのあんなことやこんなことも、ドリトラなら画面の域を通り越して実際に体験出来たりするのにさ」

 一応補足しておくと、康助が示唆してるのは、女騎士や獣人族とのファンタジーちっくな恋愛とか、幼馴染みが毎朝起こしてくれるとか、お兄ちゃん大好き妹にアタックされるなどラブコメの王道シチュエーションだ。間違っても自主規制が入る事柄ではないし、そもそもドリトラが全年齢向けである以上は、過激すぎる設定は出来ないようになっている。……まぁ、有志が作った裏MODは存在するとか、しないとか。

「はぁー。僕さー、康助君に散々言ってきたよね。エルフもケモ耳っ娘も、夢で出てきた時点で二次元ではなく三次元だって。そんなの心から楽しめるわけないでしょ」

 深いため息をついた知春が、冷めた表情で吐き捨てる。普段は温和で小動物並に無害なオーラを出してる癖して、ことリアルな女性の話になると、お前誰だよといったレベルに態度が辛辣になるのが、未だ戸惑う部分だ。詳しくは聞いてないけど、知春は昔、女関係で色々とあって以来、根っからの三次元アンチになってしまったとか。

「あ、そうそう。その夢の中でやってたニュースでさー。なんとあのアイドルの夜空きらりが離婚を発表しててさぁ、おまけにその結婚とアイドル引退を発表したのがなんと今日四月九日だって言ってたんだぜ。ウケるよな。もしマジなら、これは知春がこの前言っていた──」

『何が令和最強の清純派アイドルだよ。アイドルなんて自己顕示欲マックスな女の子が、本気で男の子への免疫が全くないと思ってるわけなの? 断言する、あの子絶対裏で男作ってるし。そう遠くない未来に週刊誌にすっぱ抜かれるから』

 知春が以前そんなことを口にしてたのをふと思い出した俺は、一笑い咲かせてやろうと面白おかしく言葉を放とうとする。

 と、そんな時だった。

「──おいおいマジかよ。アイドルの夜空きらりがマネージャーとの結婚&引退を発表だとよ!」

 俺の言葉が、不意に教室で上がった仰天混じりの大声によって掻き消された。

「へ……?」

 その声の主は、クラスの中心グループに所属するお調子者の男子生徒、だった。

 スマホに目を釘付けにされたまま唖然となっている彼に、クラス中の目が一斉に向けられる。どうやらその情報源はスマホのニュース通知だったらしく、次々と他のクラスメイト達もそのビッグニュースを目にし、やがてクラス全体がアイドルの話題で持ちきりになっていった。

 純粋なファンとしてショックを受ける者。楽しそうに憶測を交じえ尾ひれをつけて話す者。やっぱり思った通りだと頷く知春。

 そんな中、俺、香坂海翔にあったのは、思わず顎が外れてしまいそうなほどのメガトン級な驚愕で──嘘だろおい……いやいや偶然、だよな……?

 夢で流れていたニュースと、現実の話題がリンクしてるなんて。それも、日付や内容がまんま同じとか……。

 まさか俺が見たのは単なる夢ではなく、本当に未来の世界の話で、あれはいわゆる未来予知だったとか。そんな超常現象的なことがガチで起こったとでも──

 おいおいそんなわけあるかよ。つーか高校生にもなってそんな妄想はやばいだろ俺。

 自分の豊かな想像力に内心で苦笑する。ただ……仮に、だぞ。もし仮にそうだとしたら。

 俺は自分の理想を具現化したようなあのやんちゃっぽい金髪美人な人と、将来実際に結婚するってことだろ。それも、この高校生のうちに知り合うなんて……。

 はは、流石にそこまで願ったり叶ったりなうまい話はありえない……よな?

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