第二章:『試練』-②


 

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「ふ、ふ、ふッ!」


 僕の一日は素振りから始まる。

 より速く、より鋭くを意識して短剣を振るう。

 片手持ち、両手持ち、順手持ち、逆手持ち、振り下ろし、振り上げ、横薙ぎ。その素振りに型はない。


『剣を振るう際にはを意識すること』


 師匠の教えが頭の中で再生される。


『相手の動きに合わせて、瞬時にどれだけより多くの手数を繰り出せるか。そのために素振りは欠かせないものだよ。どんな動きにでも対応できるよう、素振りの中であらゆる動きを身体に染み込ませておくこと』


 そう言って、最初に師匠は素振りの手本を見せてくれた。僕は目に焼き付いたその剣をなぞるようにして毎朝短剣を振るっている。

 体捌き、腕捌き、脚捌き、剣捌き。全てを意識し、動きを研ぎ澄ましていく。

 精霊たちはそんな僕を褒めるように、毎日少しずつ【祝福ファンファーレ】を送ってくれていた。それはアンクレットの【精霊結晶】を介して僕の体内へと蓄積されていっている。


「朝ごはんの支度ができましたよ」

「あ、はいっ、今行きます!」


 宿の女将さんから声をかけられたことで、僕は素振りに区切りをつけることにした。剣を収めて、急いで庭を後にする。

 ここは『鈴の宿』という名の宿屋。【氷霊】のギルドが経営している宿だ。

 この都に来てから既に約半月。僕はこの宿を拠点として活動していた。


 ちなみに、【氷霊】のギルドの一員なら半額で利用できるこの宿を、僕は【氷霊】のギルドの一員でもなんでもないのにタダで利用させてもらっている。『【じん】ベルシェリア・セントレスタの弟子』という肩書きがあるためだ。

 ……うん。なんだか申し訳ない気もするけど、ここで意地を張ってもどうにもならない。

 僕にできるのは、このモヤモヤとした気持ちも活力に変えて修行を頑張ることだけ。


「それにしても、そんなのよく食べられるねえ。それも毎日」


 料理を前にする僕に向かって女将さんが言う。

 獣の肝。女将さんが口にした「そんなの」とは、これを指しているのだと思う。


「あ、あはは」


 下手くそな笑みを返すだけに留めるが、本当は「僕だって食べたくないです」と叫んで逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。


『修行を始めるにあたって、アイルには二つの制約を課すね』


 にっこり笑う師匠の顔と共に、その口から告げられた数日前の言葉が脳裏に蘇る。

 まず、一つ目の制約 ──歩いてはいけない。移動は常に全力疾走で行うこと。

 常に全力疾走。これは、常に「速さ」や「速力」といったものを意識するため。

 そして、二つ目の制約 ──毎日毎食、普通の食事に加えて獣の肝を摂取すること。

 獣の肝を摂取する。これは、僕の身体に筋肉の土台を作るため。なんでも、今の僕には健全な筋肉が全くといっていいほどついていないらしいのだ。

 今の状態の筋肉に過度な負荷を与え続けてしまうと、体格が歪な形になってしまいかねない。そういうわけで、この制約を課されることになった。


「う……っ」


プーンと生臭い臭いを放つソレを前にして、眉根を寄せる。

 

獣の肝というものは本来なら捨てられてしまうものだ。味に少し問題があるから。……いや、はっきり言おう。耐えられないほど不味いから。


 しかし、筋肉をつける上で獣の肝よりも優れている食物は存在しない。筋肉の土台を作るための食物として、獣の肝以上に適したものはない。……師匠はそう言っていた。

 だから僕は毎回吐きそうになりながらも、残さずにちゃんと平らげているのだ。いつかこの肝が、鋼のような筋肉に変わってくれると信じて。


「うぷ、じゃあいってきます!」


 朝食を平らげた後、僕は宿から飛び出した。

そして精霊樹の庭への近道である路地裏を駆け抜ける。

 散乱するゴミ、倒れる酔っ払い、横切る猫。進路上の障害物を躱しながら僕は加速していく。もしかすると、これも鍛錬の一つと言っても良いのかもしれない。


「ごひゃくろくっ、ごひゃくなな、っ」


 ──五〇八。頭の中でそう数えるのと同時に僕は精霊樹の庭へと足を踏み入れた。

 五〇八秒、新記録だ。それも前回より一〇秒も速い。


「はあっ、はあっ、やった」


 周囲に生まれた微量の【祝福ファンファーレ】を受け取りながら、僕は庭園の中を駆けていく。

 そして精霊樹を視界に捉えると同時に、気を引き締めた。


 木の葉斬りの試練開始からはや一〇日。正直に言うと……僕はかなり苦戦している。

 最初は順調だった。一日一枚ずつ、確実に斬れるようになっていっていた。

 しかし、訓練を始めて八日目。僕は壁にぶち当たることになる。

 何度挑戦しても八枚目を斬ることができなかったのだ。翌日、九日目も結果は同じ。

 七枚目と八枚目の間に壁があった。どうしても七枚という記録を上回ることができない。今、僕はその壁の前で足踏みをしている。

 どうしよう。どうすれば。そんな焦燥にまみれた思いを胸に迎えた今日。

 立ち止まった僕は、様々な考えを巡らせながら精霊樹を仰ぐ。


「 ──来ましたか」


 そして、その幹の陰に先客がいることに気が付いた。

 視界のどこにあっても一瞬で目を引かれてしまうような純白の髪。穢れを知らない天使のような空気を纏った少女。

 見紛うはずもない。僕の姉弟子 ──シティさんだ。


「っ……」

『今なら、本当に心から言えます。コレは【じん】の弟子に相応しくない』


 先日、目の前の少女から浴びせられた言葉を思い出してしまい、身体が強張る。

 何も言えずにいる僕を見て首を傾かしげると、シティさんは眉根を寄せながら開口した。


「なんですか」

「……え、あ、いや」


 詰め寄ろうとするシティさんに、尻込みする僕。

 凸凹の両者の間に気まずい空気が流れる。

 僕の態度が気に入らなかったのか、シティさんの顔が段々と不快の色に染まっていく。

 その表情を見てビクッと肩を震わせた僕は、相手の機嫌をこれ以上損ねないようにと下手くそな笑みを浮かべた。


「ッッッ」


 直後。歯が食い込んだシティさんの唇から、ツと血が流れる。


「だからッ、仮にも【じん】の弟子を名乗っているのなら、そんな情けない顔……ッ!」


 怒りの感情を孕んだ少女の声とともに、腰に差してある短剣の柄が握られる。

 そしてシティさんは感情のままに剣を抜き放とうとし ──


「っ」


 ハッという顔で動きを止めた。


「……すみません」

「あ、いや……は、い」


 僕は肋骨の内側を叩いてくる心臓の音を聞きながら返事をする。

 彼我の間に流れる沈黙。どちらも口を開こうとせず、ただただ立ち尽くすのみ。

 しかしその静かな数秒は、僕たち二人を冷静にさせた。混乱していた僕も、頭に血が上っていたシティさんも、大きく息を吸って頭を冷やすことができた。


「……師匠から聞きましたよね、わたしについて」


 しばらくして、先に沈黙を破ったのはシティさんだった。


「え、あ……はい」


 僕はできるだけ動揺を抑えながら頷きを返す。

 聞いた。覚えている。まるで昨日のことのように思い出せる。

 それは、期待に殺された一つの才能についての話。期待という鎖に縛り付けられている少女の話。


「滑稽な話だと思ったでしょう? あれだけアナタを下に見て端役扱いしていたわたしが、期待なんてものに怯える程度の弱い存在だったと知って」

「い、いえ」

「……本当は『【じん】の弟子でいるための条件』について語る資格なんて、わたしにもないんですよ。わたし自身が、こんな出来損ないなので」


 絞り出すようにしてそう零すシティさんの姿は、ひどく弱々しく見えた。それに、少しでも触れてしまえば崩れ去ってしまいそうになるほど幼い。

 これが、新しい時代の先頭という役目を背負わされた少女の本当の姿。【《白はく姫き》】なんていう立派な冠を頭に乗せられた主役の佇まい。


 僕はそんな彼女を見て……同情しそうになった。

 慰めの言葉を口にしそうになった。

 だけど ──それでは僕も、彼女を縛る鎖の一つになるだけだ。

 師匠が僕に望んだのはそんな役割じゃない。それじゃあ、きっと駄目なんだ。


「だから、今日は謝りに来たんです。この前、偉そうにアナタを否定するようなことを何度も口にしたことを」


 震える声で言うシティさんの前で、思い出す。


  ──キミたちは正反対で、凸凹だ。

  ──きっとお互い、他の誰とよりも素直にぶつかり合える。

  ──あの娘この隣に居るべきなのはアイルちゃんなんだよ。

  ──アイルちゃんしか、いないんだ。


 あの日、あの時。師匠が言っていた言葉を思い出す。


「っ」


 そうだ。報いるんだ。師匠の期待に応えるんだ。

 僕は自分にそう誓った。なら、今ここで僕がしなければならないこと。それは ──ただ黙っていることじゃ、ないだろう?


「この前は、すみませ ──」

「いいですっ!」


 頭を下げようとしていたシティさんの声に被せるようにして、僕は叫んだ。


「……はい?」

「謝らなくて、いいですっ!」


 シティさんのきょとんとした顔に向かって、再び叫ぶ。


「代わりに、僕も言いたいことをハッキリ言わせてもらいます、っ」


 思い切ってそう口にすると、僕はシティさんの反応を待つことなく大きく息を吸った。

 これから口にしようとしている「らしくない言葉」に、心臓が早鐘を鳴らし始める。

 言うぞ。言うんだ。言う、言う、言う、言う……言え!


「 ──シティさんは自意識過剰すぎるんですよっ!」

「なっ」


 想像もしていなかったであろう僕の返答に、シティさんは目をあらん限り見開いた。

 かまいやしない。僕は自分を奮い立たせて、続ける。


「人に期待されすぎて全力が発揮できなくなった? そんなっ、なに自分に酔っちゃってるんですか! 自分が滑稽? 僕なんて見てくださいよ。人から向けられるのは期待なんてものとは程遠い視線や言葉だけですから! だぁ ───────っれも僕になんか期待しちゃいない! それでも主役のようになりたいという一心だけで生きてるんですよ。こうやって頑張ってるんですよっ!」


 最初こそ何か反論したそうに顔を赤くしていたシティさんだが、僕が言葉を紡いでいくにつれて真剣な顔になっていった。

 だから、僕は「ごめんなさい」と「届け」を心の中で交互に繰り返しながら続ける。


「それに比べてシティさんの主役への憧れって、期待なんかに潰されてしまう程度のものだったんですか?」


 その言葉に、シティさんはピクリとその眉を震わせた。

 好き勝手言う僕に、「何も知らないアナタに何が分かるんだ」って返す権利くらい、シティさんにはある。しかし、シティさんはそれを口に出さない。口を噤んだまま。

 そんなシティさんに向かって、僕は更に追い打ちをかけるべく口を開く。

 これまでで一番の量の空気を吸い込んで、叫ぶ。


「そうやって余計なことばかり考えて立ち止まっているようなら ──僕がっ、ベルお姉さんごとその期待を全部掻かっ攫さらってやりますからっ! 今に見ていてくださいよ!」


 息を荒くしながら、僕は全てを言い切った。

 酷いことを言ってしまっただろうか。不快な思いにさせてしまったかもしれない。

 僕は顔を上げずに、シティさんの返答を待った。

 そして ──


「アイル」


 耳に届いたのは、僕の名を呼ぶ声だった。

 初めて呼ばれた名前。僕は驚いて、顔を勢い良く上げる。

 するとそこにあったのは、精霊すらも一瞬で恋に落ちてしまいそうなほど魅力的で可愛らしいシティさんの笑顔だった。控えめで、淑やかな笑顔。

 僕は息の仕方すら忘れてその顔に見入ってしまう。

 そんな僕を見て、シティさんは言った。


「ありがとうございます」

「っ」

「わたしも、負けません」


  ──ようやく僕は、目の前の姉弟子から弟弟子と認められたのではないか。競い合う相手として認められたのではないか。

 目の前にあるシティさんの顔を見て、言葉を聞いて、僕はそう思った。


「一〇〇日」

「え?」

「わたしが師匠の弟子になってから【《白姫はくき》】の称号を手にするまでに要した時間です」


 純粋な笑顔から一転して悪戯っぽい笑みを浮かべるシティさんは、僕の目の前に手を差し伸べながら言う。


「一〇〇日で、わたしと競えるくらい強くなってみせてください」

「……ひゃくにち」

「はい。そして、一〇〇日後のアイルには ──わたしと決闘をしてもらいます」

「へ?」


 け、決闘?


「ここは《剣の都》……剣を用いての決闘が合法的に認められている場所です。成長したアナタがその実力を示す手段として、これ以上に最適なものはありませんから」

「そ、そうですかね……」

「はい。それに ──なんだかこういうのって、敵手ライバル同士って感じがしていいでしょう?」

「っ」


 敵手。ハッキリとそう口にしたシティさんを見て、僕は目を瞠る。

 胸に灯る熱い炎。高鳴る鼓動。ピンと伸びる背骨。そして震える口を開いて、


「はいっ!」


 これまでで一番大きな声で、そう返した。


してますよ」

「 ──」


 それは、僕がベルお姉さん以外から初めて受け取った期待の言葉だった。

 その相手は、よりにもよって誰からも期待されている少女。

 一つの期待。一つの重み。僕はそれをしっかりと噛み締めながら、シティさんの目を真っ直ぐに見返した。


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