第一章『猫と鼠と協力関係』その2

つむぐ、俺を助けてくれないか?」

 そばで観戦していた僕の肩がポンと叩かれた。

 ……ん?

「ぼ、ぼぼ、僕!?」

「おう。俺の親友ならきっとこの状況をどうにかできるはずだぜ」

「えぇ!? む、むむ、無理だよぉ……」

「頼む! こんな時に頼れるのはお前しかいないんだ!」

 両手を合わせて頭を下げるたくくん。

 大事な友達のそんな姿を見たら、断るなんてとてもできなかった。

「う、うん。わ、わかったよ」

「っ! い、良いのか!」

 たくくんの言葉に頷くと、僕は恐る恐るさくらみやさんの前へ。

「ま、まさかチューくんがみゃーちゃんの相手をするのか!?」

「それはいくらなんでも無謀すぎるだろ!!」

「チューくん、死ぬなよ~」

 後ろからは復活した男子生徒たちが既に諦めたような声を出していた。

 ちょ、ちょっとは応援とか欲しいよぉ……。

くん、私に何か言いたいことでも?」

「っ! あ、あの……そ、その……」

 さくらみやさんの無機質な瞳に見下ろされて、一瞬で全身が総毛立つ。

 こ、恐いよぉ……逃げ出したいよぉ……。

 で、でも、たくくんにお願いされたんだから……な、何か役に立たなくちゃ。

 そうしてさくらみやさんの方に向き直ると──ギロリ。

「ず、ずみませんでじだぁぁぁぁぁ!」

 僕は目に涙をいっぱい溜めながら、全力で土下座した。

 やっぱり僕には無理ですぅぅぅぅ。ごめんなさいぃぃぃぃ。

「やっぱチューくんじゃ無理かぁ」

「まあ予想通りだったな~」

「鼠が猫に勝てるわけなかったかぁ……」

 男子生徒たちは次々とそんな言葉を口にする。

 うぅ……そ、そこまで言わなくても……。

「た、たくくん。ご、ごめんなさい」

「謝んなくていいんだよ。頑張ってくれてサンキューな」

 たくくんの下に戻ると、頭をわしゃわしゃと撫でられた。

 他の人と違って、たくくんが優しくて泣きそうだよぉ……。

 こうしてようやく本日の戦争も終わった。

 結果は、ひめ軍の勝利。

 というか、今まで王生いくるみ軍は一度も勝ったことがない。

 理由は簡単で、いつもさくらみやさんにコテンパンにされるから。


「さすがみゃーちゃんね!」

「みゃーちゃんさえいれば、負ける気がしないです!」

「みゃーちゃん! サイコーよ!」


「やっぱみゃーちゃんには勝てなかったかぁ」

たくのスペックもすげーけど、みゃーちゃんはもっとやべぇからな」

「それな。高嶺の花とかいう領域すら超えてるもんな」


 勝利の女神の下に、続々と集まる女子生徒たち。

 一方、その女神を遠い目で見る男子生徒たち。

 さくらみやさんは圧倒的なルックスに加え、模擬テストは一年生の頃から常に全国一位。体力テストも常に全国一位。さらには料理や裁縫も完璧だ。

 そんな彼女だから、学年中の男子生徒たちから信頼の厚いたくくんでも、彼女には一度も勝てたことがない。

 戦いが終わりタイミング良く予鈴が鳴ると、教室にいる全員がそれぞれ自分の席へと戻っていく。

「た、たくくん。だ、大丈夫……?」

 僕も自分の席に戻ると、隣で溜息を吐いていたたくくんに声を掛けた。

「なんだよつむぐ、まだ気にしてんのか? 『水着喫茶』ができなくなったくらいどうってことねーって!」

「えっ……た、たしかにたくくんはひめさんの水着姿を見たが──ぐふっ!?」

 喋っている途中、頬を鷲掴みされた。

「バ、バカ野郎! こんなところで余計なこと言うんじゃねぇ!」

「ぼ、ぼふぇんなひゃいごめんなさい……」

 謝ると、たくくんは手を離してくれた。

「そ、そうじゃなくて、そ、その……またひめさんと……」

「なんだよそっちかよ! そんなもんいつものことだろ? 大丈夫だって!」

「で、でも……」

「ったく、俺の親友は心配性だなぁ。けどありがとな! お礼に熱いキッスを送るぜ!」

「えぇ!? そ、それはちょっと……」

「冗談に決まってんだろ! 本気にすんなって!」

 たくくんはニカッと歯を見せるけど、ちょっと無理をしているように見えた。

 一方、戦いに勝利したひめさんを見てみると、彼女もどこか落ち込んでいる様子。

 その証拠に、抱いているウサギのぬいぐるみの耳がしゅんと傾いている。

 一見、気が強そうな彼女だけど、実はものすごい寂しがり屋なんだ。

 寂しさや不安が募っていくと、そのたびに特別製のウサ耳が徐々に下へ傾いていく。

 クラスの中でこのことを知っているのは、ひめさんの専属メイドのさくらみやさんと訳アリの僕だけだ。

 なお、彼女の心理状況でウサ耳が傾くこの現象は『ぴょんメーター』と呼ばれている。

『ぴょんメーター』は三段階あって、いまは二段階目。

 最終段階になると、ウサ耳がぬいぐるみの頭にぴったりとくっつくらしい。


「けど、たくひめって本当に仲悪いよな」

「一年生の時からずっと喧嘩ばっかしてるしな」

「どんだけ互いのこと嫌ってんだよ」


 クラスメイトたちのそんな会話が聞こえる。

 ──でも、それは正しくはなかった。

 実は一年生の最初の頃は、たくくんとひめさんは仲が良かったんだ。

 いつも二人で楽しそうに喋っていた。

 それなのに、ある日を境に急に口を利かなくなって、いつの間にか今朝みたいに何かと言い争いをするようになっちゃったんだ……。

「っ!」

 不意に僕のスマホが振動した。

 画面を見てみると、そこには『さくらみやさん』の文字。

 一瞬、鼓動が跳ね上がった。

 一週間前、さくらみやさんにたくくんの恋を叶える協力をお願いしたものの、あれからまだ返事は貰えていない。

 代わりに貰えたものは、彼女の連絡先と昨日突然メールで送られてきた『ぴょんメーター』のことについてのみ。

 それだけにさっきさくらみやさんの前に立った時は緊張とちょっぴり恐怖に加えて、微妙な気まずさがあった。

 ごくり、と生唾を飲み込む。

 恐る恐るメールを開くと、住所と時間が書かれていた。

『放課後、ここに来てください。あの件について話し合いましょう』

 ……これってやっと返事を貰えるってこと……だよね?

 た、たくくん! 僕、頑張るからね!

 も、もし断られても、土下座してでも協力を勝ち取ってみせるから!

 たくくんのためだったら、何百回だって土下座できるし!

「どうした、つむぐ? ……あっ、さては俺に惚れたな?」

「えぇ!? ち、違うよぉ……」


◆◆◆


 たくくんと初めて出会ったのは、小学二年生の頃。

 当時からビビりで引っ込み思案だった僕は友達が一人もいなかった。

 でも、みんながグラウンドで遊んでいるところをじっと眺めていることしかできなかった僕に、たくくんが声を掛けてくれたんだ。


 ──友達になろうぜ、って。


 このことがきっかけで僕はたくくんと友達になれて、他にもたくさん……とまではいかなかったけど、友達ができて楽しい学校生活が送れたんだ。

 それから僕はたくくんと同じ中学へ行って、いまはこうして同じ高校に通っている。

 中学でも高校でもたくくんには何度も助けられた。

 修学旅行の班決めの時は一人であたふたしている僕をたくくんが同じ班に誘ってくれたし、高校入学直後にクラスで自己紹介した時は緊張していた僕の代わりにたくくんが僕を紹介して教室を笑いに包んでくれた。

 きっとたくくんがいなかったら、僕は今でもずっと独りぼっちで過ごしていたと思う。

 僕は思っていた。

 いつかたくくんに恩返しをしたいなって。

 そうして高校に入学して一カ月が経った頃。

 たくくんがひめさんのことが好きだって知ったんだ。

 この時、僕は誓った。

 何がなんでもたくくんの恋を叶えるんだって。

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