プロローグ 剣と魔法のファンタジー
大陸暦一五九九年、
地下魔王城逆天守、玉座の間。
その一閃を以て、アルネスに存在するとある一つの物語が終焉を迎える。
流麗であった。
勇者がその手に持つ白銀の剣から放たれた斬撃は、一条の光となって大気を切り、
ヒトと魔族の生存競争、
戦場と化した魔王城の玉座の間は、一瞬の轟音の後に静寂に包まれた。
禍々しくも荘厳な玉座の間は、先の戦闘で柱は折れ、真紅の絨毯はぼろ布となり、玉座は粉々に砕け散っている。
相対するは二つの影。
此方、青の外套の下に白銀の軽装鎧を纏い、眩い輝きを放つ銀の
彼方、捩くれた二本の角を戴く竜の頭蓋を頭部とし、闇が滲んだかのような漆黒の片刃剣、
天を穿つような二本の角は今や片方が半ばから折れ、竜の頭蓋も大きな切創と何条もの罅が走っている。
異形がその顎を開き、霊素を震わせた。
「見事だ、勇者よ」
儼乎たる声音で、臓腑に響くような低い声が玉座の間に響き渡る。
魔王はその手に持つ魔剣を取り落し、剣は黒い霞となって散っていく。
勇者によって体を両断され、致命の一撃を受けた魔王は、その巨大な異形の身体の末端から枯れ葉のように崩れていき、闇色の外套の中から長い黒髪の男が姿を現し、投げ出されるように地に膝をつく。
それは、異形と化していた魔王の本来の姿であった。
「よくぞ……よくぞ定命の身で余を討ち倒した……その強さ、そして何よりもその勇気を余は称えよう」
魔王は己を打ち倒した勇者に、心からの惜しみない賞賛の言葉を投げかける。
「そう、か」
勇者は目を閉じ、魔王の言葉を噛み締めるように聞き入っていた。
「君も強かった……本当に……」
「……」
魔王も、勇者の言葉に沈黙で返す。
互いに憎むべき仇敵であり、最大の宿敵であり、唾棄すべき怨敵であり、自らの正義に対する滅ぼすべき悪である。
しかし戦いの果て、両者の心の中はとても晴れやかであった。戦いを通じて、怒りや憎しみといった感情の外の境地へと達していた。
「何故負けた」
魔王は勇者に問い掛ける。
「余は、何故負けた……何故、貴様は勝てたのだ……」
魔王は不死の魔族だ。
例え手足がもがれようとも再生し、心臓や頭が潰れようとも死ぬ事はない。生命の理から逸脱したモノ――
魂が存在する限り生き続ける死を超克した存在。
だが彼は今、終焉の時を迎えようとしている。
幾度も聖剣から受けたダメージは、魔王の魂を枯渇させた。肉体の死ではなく、魂の滅び。それこそが魔王の終焉であった。
身体はもうほとんど動かす事ができず、魂の残り火も後わずか。ただ塵へと帰り、滅びゆく運命である。
「軍略も、軍勢も、そして余も……何もかも全て、ちっぽけで儚い定命より勝っていた……何一つ、劣っているものなどなかった……負けるはずなどなかった……だが余は、余達は負け、貴様が勝った。何故だ? 教えてくれ、勇者よ」
魔王の問い掛けに、勇者は答える。
「……命だ」
「命……?」
「僕達には命がある。君達にとってはちっぽけで儚くて、弱く短い命かもしれない。無限の命を持つ君達の方が優れているのかもしれない」
だけど、と勇者は続ける。
「だからこそ、弱く儚い僕たちは必死に生き足掻く、弱いからこそ強くあろうとする。だから、僕は……僕達はそこに命の輝きを見出したから、勝てたんだよ。きっと」
「……ふざけるな。そんなくだらないものに、余が負けたなどと……」
「別にふざけてなんていないよ」
「命の輝き……認められん、そんなものは……」
勇者の言葉は悠久の時を生きてきた不死にとって、理解できないものであった。あるいはそれは、遥か昔に持ち合わせ、そして忘れてしまったものなのだろう。
「それでも僕たちが勝った。これはヒトの持つ光の勝利なんだと、僕はそう信じている」
「………………心せよ勇者よ。ヒトの光が在る所には闇もまた存在する。そして闇が在る限り余は何度でも光の前に現れよう、世は不死の王ではなく不滅の王なのだから」
「ならば、僕は何度でも闇に立ち向かうよ」
そう迷いなく言葉にした勇者の瞳には、希望の光が満ちていた。
「さらばだ、我が最大の怨敵――勇者グラム」
「さらばだ、我が最悪の宿敵――魔王ベルトール」
勇者は聖剣を振り上げる。
そして、魔王ベルトールの頭を勇者グラムは斬り落とした。
魔王の眼に僅かに宿っていた光が霧散し、その体も黒い砂のように散っていき、やがて虚空へと溶けるように消えていく。
その様子を、勇者は己の目に焼き付けるように見つめていた。
「……帰ろう、皆の場所へ」
剣を杖代わりにして疲れ切った体を起こし、勇者は希望に満ちた明日へと歩みだす。
――終幕。
なれど世界は続いていく。