第三章 笑顔と信頼はプライスレス①

 前世のおくを思い出してから、四ヶ月が過ぎようとしていた。

 その日の夕方も、私は治療院から帰るなり王宮の図書館に向かった。周りに人がいないのをいいことに、いつもの席にじんって持ってきたノートを開く。私はため息をこぼした。

 このノートには、前世の記憶と今世で私が経験したことがメモしてある。それらを何度見比べても、やっぱりわからない。今、一番好感度の高いこうりやくキャラはだれなんだろう?

 たぶんラルスはちがう。彼のアナリーに対する思いは忠誠心のようだし、ぶっちゃけ最近は彼より私の方がアナリーといちゃついている。だってアナリー、かわいいんだもん。

 じゃあレナルドかと思いきや、それも違う。彼は光のおとを探すべく、教会へ通って乙女候補たちに面談までしたらしいけど、そこにアナリーはいないんだよね。

 ゲーム中では、下町を散策中にしたレナルドの手当をアナリーがすることで、二人は出会うはず。しかし、そういった話はまだ誰からも聞いていない。

 残る攻略キャラは第二王子のリアムだけど、やっぱりこれも違うんじゃないかな?

 リアムは自分の部屋に引きもってばかりいて、同じ王宮住まいの私ですらあまり会うことがないんだもの。当然だけど、アナリーと出会わなければ、何も始まらない。

 このままアナリーが誰ともれんあいせずにぶんてんとなるとう会イベントをむかえたら、どうなるんだろう? 攻略キャラが決まらなくても、私は殺されちゃうの? そんなのいやだ!

 ノートをにらみながら、思わず頭をかきむしった。その時だった。図書館の奥の方で、ドサドサッと雪崩なだれを打って本の落ちる音がした。え、誰? というか今の音、だいじよう

「あの、すごい音がしましたけど、平気ですか?……って、リアム?」

 秘密のノートをかかえ、化学のたなのぞきに行った私はおどろきに目をみはった。

 本棚の上の方にある本を取ろうとして、失敗したのだろう。ゆかに落ちた大量の本に囲まれ、なみだになったリアムがダークブロンドの頭を押さえている。

「リアム、大丈夫? 怪我してない?」

 リアムがハッとして振り返る。長いまえがみの下から覗く顔は驚きに満ち、やがて今の失敗を見られてずかしくなったのか赤くなり、最後に私の顔を見て真っ青になった。

「ご、ごめんなさい。僕……」

「もしよければ、本の片付けを手伝うわよ」

「いえ! 大丈夫です!」

 リアムが勢いよく立ち上がる。彼はさっきの失敗が嘘のようにびんな動作で落ちていた本を拾い集めると、私に向かってぺこりと頭を下げた。

「僕はこれで……その、失礼します!」

 リアムはそのれいただしいあいさつと裏腹に、だつのような勢いで図書館を飛び出して行った。

 何もそこまで恐がらなくたっていいのに……。まぁ、今までの私の言動を思えば、リアムがそうなるのも仕方ないか。前世を思い出す前の私は他の多くの貴族たちと同じように、「リアムは王族にふさわしくない」と、彼のかげぐちばかりたたいていたからね。

 次にリアムに会うのはいつになるだろう? 今度は少しでもつうに話せたらいいんだけど。

 私はため息をみ込み、席に戻った。ノートに書いたリアムのこうもくこうしんし、今後のめつ対策に思いをせる。そうこうしているうちに、夜はだんだんとけていった。


    ◆◆◆◆◆◆◆


「お姉様、お顔の色がすぐれませんが、大丈夫ですか?」

 アナリーが心配そうに話しかけてきたのは、翌日の治療院でのことだった。

 いけない。仕事中なのに、うっかり船をぎそうになっていた。

「昨日は調べ物をしていたせいで、るのが遅くなっちゃって。あ、カルテの整理は終わったから安心して。今週はのどの痛みをうつたえるかんじやさんが多かったわね。かんそうしてるからかしら?」

 私は説明しながら、患者さんのデータをグラフや表にまとめたノートをアナリーにわたした。

 アナリーが最新のページにざっと目を通し、かんたんいきらす。

「いつもありがとうございます。お姉様がこうやって患者さんのデータをまとめてくださるおかげで、薬草の在庫管理や準備もすごく楽になったんですよ」

「そう? 役に立てたのなら、嬉しいわ。私もあなたを過労でたおれさせたくないからね」

 私がさらりと答えた、そのしゆんかん、アナリーが不満そうにくちびるをとがらせた。

「その言葉、そのままお姉様にお返しします。おいそがしいのはわかりますが、どうかすいみん時間はしっかり確保なさってください。いくら私が元気でも、お姉様が倒れては困ります」

「うっ……うん、そうだよね。ごめん」

 アナリーの言う通りだ。せっかくりよう院もどうに乗ってきたのに、ここで私がダウンするわけにはいかない。私が今夜は早く寝ようと思っていると、アナリーがフフッと笑った。

「おつかれのお姉様に、今日はいいものがあります。少々こちらでお待ちください」

 急にどうしたんだろう? アナリーがいたずらっ子のように目をかがやかせながら、奥に引っ込んでいく。やがてもどってきた彼女の手を見た瞬間、私は顔が引きつるのを感じた。

 もしかして私、アナリーへの愛情をためされているのかな? 彼女が持ってきたグラスはふちきわまで青緑のねっとりとした毒々しい液体で満たされていたのだ。

「最近お疲れのようでしたので、ろう回復に効く薬草をブレンドしてみました」

 アナリーが善意百パーセントのキラキラした目で見上げてくる。いや、待って。薬草にしても、この乾いた牧草のようなにおいはヤバくない? 飲んで平気なの?

「お姉様、薬草は苦手でしたか? なんか表情が険しくなっていらっしゃるような……」

「え、そんなことないわよ? わーい、ありがとう。さつそくいただくわね」

 アナリーが私のために作ってくれたものをむげにあつかえないでしょう。良薬は口に苦しと言うし、多少はまんして……うっ、何これ! もったりとしてあおくさく、まずさにすきがないだと!?

 ちらっとアナリーの様子をうかがうと、彼女は聖女のように清いがおで私を見守っている。

 リバースだけは絶対にダメだ。アナリーを悲しませてしまう。ここはえるんだ、自分!

 私は足をん張っておうちになり、胸を張ってこしに手を当てた。頭の中にあるイメージは温泉牛乳の一気飲み。この勢いで最後まで飲みきってみせる!

 私が固く決意した、まさにその時、後ろで治療院のとびらの開く音がした。

「こんにちは……って、おじようちゃん!? 何してんだ!?」

「ヴィオラ様? その格好はいったい……」

 ラルスがダミアンを連れて来たようだが、今の私に構っているゆうはない。

 最後の一てきまで飲み干した私はちからき、近くのにドサッと倒れ込むように座った。その手からカランと音を立ててグラスが転がり落ちる。ラルスはその音でわれに返ったらしい。

「アナリー様! まさかあの薬草ジュースをヴィオラ様に飲ませたのですか?」

「え、ええ。疲労回復にいいと思って」

「ダメじゃないですか! あれはたんれんを積んだでもそつとうするほどのまずさなんですよ!」

 私はなんてものを飲まされたんだろう。道理で死ぬほどまずいはずだ。

 かすかに目を開けると、ダミアンがこちらを見下ろしながらニヤニヤ笑ってるのが見えた。

「大の男が気絶するほどまずい薬を仁王立ちで一気飲みかぁ。ただもんじゃないと思っていたが、れするほどの男前だねぇ」

「お姉様、ごめんなさい。私はこういう仕事をしているせいか、薬草に対する味覚が人とずれているのかもしれません」

 アナリーがしゅんとかたを落とす。私は見ていられず、残った力を総動員して微笑ほほえんだ。

「アナリーは私のためを思って行動してくれたんだから、気にしないで。今回のことは、私の舌がなんじやくすぎただけの話よ」

「お姉様……! 本当にごめんなさい!」

 アナリーがきついてくる。その背中を「よしよし」となでていると、ラルスが新しいグラスを私の前に差し出してきた。

「もしよければ、お口直しにどうぞ」

「ありがとう、ラルス。……はー、甘くておいしい。これはなんのジュースなの?」

「……ただの水ですが」

「え?」

 こうちよくする私を見て、ダミアンがゲラゲラと大声で笑い、ラルスとアナリーがしようする。

 は、恥ずかしい! 水のおいしさが傷ついた心と舌にわたったとはいえ、まさかジュースとちがえるなんて……!

「おかわり、いりますか?」

 ラルスに聞かれ、私は首を横にった。気まずすぎて、残りの水も飲めやしない。無言でグラスを見つめる私を、ダミアンがばくしようしながら見ていたことはきっと一生忘れないわ。


「それでダミアン、今日はなんの用? まさか私をからかいに来ただけじゃないでしょう?」

 一息ついて落ち着いた私は治療院の外に椅子を出し、ダミアンと並んで座った。

「そうイライラすんなって。そんなに目をつり上げてちゃ、せっかくの美人が台無しだぜ」

「残念ながら、この悪役顔は生まれつきよ」

「それもそうか。悪い、悪い」

 この男は……! 一度なぐってもいいかしら?

 私の視線がきつくなったことを察したのか、ダミアンが笑いを引っ込める。

じようだんはこのくらいにしておいて、今日はびんめのことで相談に来たんだ」

「何? 大量生産を始める前の試作段階で、何か問題が生じたの?」

「いや、問題は納入先の方だ。思ったほど瓶詰めの注文が取れてなくて、困ってる」

「え……」

 ダミアンの答えを私は心底意外に感じた。瓶詰めのように便利で保存のく商品があったら、絶対にヒットすると思ったのに。

「売れない原因に心当たりは? 具体的にはどういう人たちに営業をかけて、どういった理由でこうにゆうを断られることが多かったの?」

「うちとつき合いのあるビストロを中心に声をかけたんだ。だが、『普通に魚屋で魚が売られてるのに、なんでわざわざ瓶詰めの魚を買う必要があるんだ』と鹿にされたらしい」

「それは完全にターゲティングを間違えたわね」

「ターゲ……って、なんだ?」

 いけない。つい前世の専門用語を使ってしまった。そりゃあ、わからないわよね。

「えーと……ダミアンは、魚を瓶詰めにして売ることの最大の利点はなんだと思う?」

「そりゃあ、長持ちさせられることだろう?」

 めずらしく自信なげに答えるダミアンを見て、私は「そうね」とうなずいた。

「じゃあ次に、そういった保存食を必要としているのはどういう人たちだと思う?」

身体からだが悪くて、日々の買い物にも不自由してるやつとか……あ! しんせんぎよかいるいを入手しづらい内陸部の人間なんてどうだ? 王都で人気の魚だって宣伝すれば、きっと売れるぞ」

「その案、すごくいいわね。ただ、私はそれ以上にもっと大口のきやくがいると思うの」

「そりゃあ、だれだい?」

「軍よ」

 ダミアンが息を吞む。その目が「本気か?」とたずねている。私は確信を持ってうなずいた。

 瓶詰めのように保存の利く食料は行軍や訓練時のけいこうにピッタリだ。さらに魚のせつしゆによって栄養バランスを改善できるし、城やとりでめられた時にはろうじよう食にもなりえる。

 ゆいいつの難点は、瓶詰めは重く割れる可能性があることだ。この点はガラス瓶の強化・軽量化やかんづめの開発によって改善が見込める。だから、十分に商機はあると思ったんだけど。

 私の説明を聞いたダミアンは、あごをなでながら「なるほどなぁ」とうなった。

「お嬢ちゃんの戦略はわかったよ。で、俺たちの瓶詰めをどうやって軍に売り込むんだ?」

「ダミアンに軍関係の知り合いは」

「いるように見えるか? どちらかと言やぁ、俺たちは軍にけむたがられる存在だぜ」

 意味もなく胸を張るダミアンを前にして、私は頭をかかえた。

 顔の広いダミアンのことだから、軍に知り合いの一人もいるだろうと思い込んでいた。だけど冷静に考えてみれば、彼みたいなぞくタイプの人間と軍人のあいしようがいいはずない。

 一国の王女である私は一応軍につてがある。しかし、最近の私は貴族たちの間で「ヴィオレッタ様、国王試験のプレッシャーに耐えられずにご乱心」だの、「真面目まじめに勉強する振りをして、裏でいんぼうを画策している」だのと好き放題に言われている。

 そんな私が軍に声をかけたら、どうなるか。ありもしない陰謀を疑われたあげく、王位さんだつのゲームシナリオにとつにゆうしてしまうかもしれない。そういう身をほろぼしかねないリスクはできる限りけたい。でも、瓶詰めは売り込みたいし……どうしよう?

 なやむ私の耳に、その時、ダミアンがぼそっとつぶやく声が聞こえた。

「ひょっとして、あいつなら軍につてがあるんじゃないか?」

「誰? それってどういう人? 王都の商人?」

 とっさに食いついた私の反応が意外だったのか、ダミアンは軽く目をみはり、苦笑した。

「俺の知り合いに、ちょっとおもしろい奴がいてさ。うわさではだんしやく家の次男だか三男だって話だが、とにかく顔の広い奴だから、軍に知り合いの一人や二人いてもおかしくねぇ」

「相手は貴族なのに、仲が良さそうね」

 ひんの格差にいきどおっているダミアンのことだから、てっきり「おうこう貴族は全員滅びろ」くらいに考えていると思っていたのに。

 ダミアンにも私の疑問が伝わったのか、彼はちょっと照れくさそうに笑って答えた。

「あいつは特別さ。貴族のぼつちゃんのくせに気さくで、俺たちともよく馬鹿話をしてくれる。そうと決まりゃ、善は急げだ。今日は水曜日だから、いつものカフェにいるはずだ」

「ちょっと待って! まさか私もいつしよに行くの?」

「何言ってんだ? こういう時、言い出しっぺが一緒に来ないでどうする?」

 うっ、ごもっとも。ただくつはわかっても、私には同行したくない事情があった。男爵家の人なら私の顔を知ってるかもしれない。ダミアンの前で、私が王女だとバレたらどうしよう?

「相手は貴族でも本当にいい奴だから安心しなって。ただ、奴はかなりの美形だから、おじようちゃんはうっかり惚れないように気をつけな」

 ダミアンがちやっ気たっぷりに笑って、私の肩をたたく。これは何があっても私を彼に引き合わせる気だ。ここで過度なきよぜつを示せば、逆にあやしまれるかもしれない。

 私は仕方なくダミアンと並んでりよう院をあとにした。今の私にできるのは、いのることだけだった。その男爵家の人が、私を見てもヴィオレッタ王女だと気づきませんように、と。

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