ダミアンに連れて行かれた先は、目抜き通りから少し離れたところにあるカフェだった。
木製の家具と白い壁で統一された店内は落ち着いた見た目と裏腹に活気があり、商談や議論をしている人たちで昼からにぎわっている。
ダミアンはここの常連なのか、あちこちで知り合いに呼び止められている。その都度、彼は私のことを紹介して奥へ進み、最後にニヤリと笑って言った。
「お嬢ちゃん、あいつだ。奥の席で本を読んでる奴。おーい、レナード! 元気してたか?」
ダミアンに大声で呼びかけられ、青年が顔を上げる。その瞬間、青年の整った顔が凍りついた。私も一緒になって息を吞む。
嘘でしょう? まさかこんなところで会うなんて……。
「なんだ? 二人とも顔見知りだったのか?」
異変に気づいたダミアンが不思議そうに聞いてくる。実際には顔見知りどころの話じゃない。レナードと呼ばれた青年は、この国の第一王子にして従兄のレナルドその人だったのだ。
「悪いな、ダミアン。おまえが珍しく女を連れてるから驚いちゃってさ。こんな美人とどこで知り合ったんだよ?」
先に衝撃から立ち直ったレナルドがいたずらっぽく笑う。
え、何これ? 人違い? こんな砕けた話し方をするレナルド、見たことないんだけど。
私はますます混乱したが、ダミアンにとってはいつものことだったのか、彼は上機嫌でレナルドの肩をたたきながら話を続けた。
「今度、売れ残りの魚を使って瓶詰めを作ることになったって話しただろ? そのきっかけをくれたのが彼女──ヴィオラだったんだよ」
「へー。あんた、ヴィオラって言うんだ。いい名前だね。俺はダミアンの友人で、レナードって言うんだ。名前を覚えてもらえたら、嬉しいな」
レナルドが席を立ち、笑顔で手を差し出してくる。何も知らない第三者が見たら、彼が私を口説いているように感じたかもしれない。現に、ダミアンも「おや?」という顔をしている。
しかし、レナルドの真意を知っている私は背筋が冷たくなった。彼は念を押しているのだ。自分は偽名を使い、身分を隠しているのだから、決してダミアンに正体をバラすなよ、と。
ここは逃げるか? いや、ダミアンの手前できない。なら、私の取る道は一つしかない。
私は覚悟を決め、差し出された手に自分の手を重ねて微笑んだ。
「はじめまして、レナード。どうぞよろしく」
「こちらこそよろしく、ヴィオラ」
レナルドが手の甲に口づけを落とす。上目遣いに私を見上げる仕草はひどく色っぽいが、そこに甘さは微塵も感じられない。これは、私たちの共犯関係が成立した証の口づけ。私には、彼と共に最後までこの場を演じきるという選択肢だけが残されたのだ。
こうなったら、仕方ない。私もよそ行きの笑顔を装備して、レナルドに話しかけた。
「ダミアンから聞いていた通り、気さくで素敵な方ね。あなた、誰に対してもこうなの?」
「いいや、俺は気になる女性に対してしか、こういう態度を取らないよ。君みたいに美しくて高貴な女性がダミアンの仕事のパートナーだなんて、妬けるな」
訳すと、「君のことが信用ならないから、警戒しているんだ。君みたいに平民を毛嫌いしている王女が、どうしてダミアンと一緒にいる?」ってところかしら?
もちろん、この翻訳はダミアンにだけ通じていない。
「おいおい、二人して何いい雰囲気になってんだよ? 俺の存在も忘れないでくれよ」
「悪いな、ダミアン。気になる女性を紹介されたら、彼女のことをより深く知りたいと願うのは自然の流れだろう?」
ダミアンがヒューッと口笛を吹く。これはどう見ても誤解されてるよね?
レナルドの芝居に乗ったはいいけれど、あとのフォローが大変そうだ。今からでも遅くない。やっぱり「お花を摘みに」とでも言って、この場から逃げた方がいいかと思った、その矢先、レナルドが私のために椅子を引いてくれた。
「いつまでも立たせていて、すまない。どうぞこちらへ」
ずいぶん紳士的な仕草だけど、本心では私を逃がしたくないだけだよね?
「なぁ、ヴィオラ。君はどこに住んでるんだ? ダミアンと知り合ったきっかけは?」
えーと……一歩間違えたらアウトみたいな、この事情聴取は何? さすがに恐いんだけど。
私は引きつりそうな口元を気合いで抑えながら、こっそり深呼吸をして答えた。
「ダミアンとは、その……彼が治療院に来た時に知り合ったの」
「治療院? そういえば、下町の方で聖女様が貧者のための治療院を開いたって聞いたけど、まさかそれのことを言っているのか?」
「ええ、まぁ……」
レナルドはまだアナリーと出会ってすらいない。今の段階で治療院のことをどこまで話していいものか……。悩んでうつむく私を見て、なぜかダミアンがクックッと笑った。
「いつも大胆不敵なお嬢ちゃんも、レナードの前じゃ年頃の娘らしく恥じらうんだなー」
ちょっと! 誤解を招くような言い方しないでよ! レナルドの視線が恐いじゃない!
私の焦燥なんて、ダミアンには通じない。彼は私の肩を後ろから豪快にたたいて言った。
「このお嬢ちゃんはな、見かけによらず、すごいんだぜ! 俺の手下が治療院に『場所代を払え』と迫ったことに激怒して、俺の本拠地まで乗り込んできたんだから!」
「彼女が? 本当か?」
レナルドが目を丸くする。私は肩身の狭さを感じて、胃が痛くなった。
ダミアンは私が止める間もなく、瓶詰め勝負の件まで、手振り身振りを交えながら生き生きと語った。彼が話すと、なんだか途方もない武勇伝に聞こえるんだけど……!
「へー。ヴィオラは見かけによらず、剛毅な性格をしてるんだね」
「だよなー。俺もお嬢ちゃんの活躍には感心するのを通り越して笑っちまったぜ」
悪かったわね! 私もあの時は必死だったのよ!……と大声で抗議できたら、どれほどスッキリするだろう。レナルドの前で、そんなことはできないけど。
悶々とする私とダミアンを見比べ、レナルドがふと真顔になった。
「あんたたちの関係はだいたいわかったよ。それで、今日は俺に何を頼みに来たんだ? 俺を訪ねてきたってのは、つまりそういうことなんだろう?」
「さすがレナード、話が早くて助かる。実は今、俺たちは瓶詰めの納品先を探していてさ。おまえ、軍につてはないか?」
「……軍?」
「ああ、長期保存の利く瓶詰めは行軍の携行食にピッタリだし、籠城に備えての保存もできていいって、お嬢ちゃんが言ってたんだ。な?」
「へー、ヴィオラが軍とのつながりを求めていると」
こちらを見るレナードの目に不穏な光がよぎる。彼が警戒するのも当然だ。
私だって、前世を思い出す前の自分が軍と手を組んだら……と想像するだけで恐くなる。現に、ゲームの中のヴィオレッタ王女は軍を使って王位簒奪を成功させてるわけだし。
「安心しな、レナード。軍の関係者を紹介してもらったところで、そいつとお嬢ちゃんの仲を取り持ちはしないから。それ以前に、お嬢ちゃんは普通の男の手に余るだろう」
ダミアン、あなたは変な勘違いをして、余計な気を回さなくていいから!
真面目な場面だというのに、私はがっくりテーブルにつっ伏しそうになった。こんなことになるなら、私が直接軍に声をかけた方がまだマシだったかもしれない。
レナルドはしばらくの間、気疲れしている私と愉快そうにしているダミアンを見比べ、悩んでいたようだったが、最後に何か吹っ切れたような表情で口を開いた。
「事情はわかった。ダミアン、あんたに軍の関係者を紹介することは構わない。だが、それ以前の話として、俺なんかよりヴィオラの方がよっぽど軍に顔が利くんじゃないのか?」
……そうきたか。腹の探り合いは、やっぱりまだ終わっていないらしい。
「何を言ってるんだ、レナード? 俺やお嬢ちゃんのような庶民に、軍人の知り合いなんているわけないだろう?」
何も知らないダミアンが困った顔で肩をすくめる。レナルドは動じることなく、テーブルに身を乗り出し、密談のように彼の耳元で話しかけた。
「いいか、ダミアン? あんたは本当にヴィオラが普通の女だと思ってるのか? 普通の庶民の女が瓶詰めの開発を一ヶ月足らずで成功させるなんて、どう考えてもおかしいだろう?」
「……そりゃまぁ、お嬢ちゃんは驚くほど優秀だけど」
「ヴィオラ、君の真の目的はなんだ? 瓶詰めの売り先として、純粋に軍人を紹介してもらいたいだけなのか? ここは正直に話してくれよ。なぁ、ダミアンだって気になるだろう?」
レナルドが私の方を意味ありげに見る。ああ、そういうことか、と私は納得した。
レナルドは、私に対する不信感をダミアンに植え付けることで、彼が私に近づくのを止めたいんだろう。でも、私だって今ここでダミアンに疑われるわけにはいかないのよ。せっかく軌道に乗りそうな瓶詰めの販売計画を潰されちゃかなわないわ。
レナルドもダミアンも真剣な面持ちで私の答えを待っている。私はスヴェンを真似た微笑で本心を隠しながら、ゆっくりと口を開いた。
「レナードが言うように、確かに私は普通の庶民の女性とはちょっと違うわね。ありがたいことに、私は十分な教育を受けさせてもらったから。だけど、瓶詰めの販売でダミアンを騙すつもりなんてこれっぽっちもないわ。そこのところは誤解しないでほしいの」
「その根拠は?」
「瓶詰めのもうけを独占するつもりなら、そもそも最初からダミアン抜きで工場の建設計画を立てたし、一割の特許料で満足なんてしないでしょう? 違う?」
「……そっか、それもそうだな」
ちょっと、ダミアン! その顔はレナルドに扇動されて少し疑ってたでしょ!
あからさまにホッとした顔つきになるダミアンを見て、私はムッとした。けれど、今はそういう細かいことにいちいち構っている場合じゃない。
「ダミアンも考えてみてよ。そもそも軍に知り合いがいたら、私が他人に紹介を頼むと思う?」
「思わないな。お嬢ちゃんは見るからに自分からグイグイ行くタイプだもんな」
「そうでしょう? わかってくれたのなら、嬉しいわ」
よし、これでダミアンの方は大丈夫だろう。
レナルドの様子を窺うと、彼は誘導に失敗したことを悔しがっているのか、口の端を不満そうに曲げている。そんな彼を見て、ダミアンがまた愉快そうに笑い出した。
「俺がお嬢ちゃんの性格をよく理解してるからって妬くなよ、レナード。なんなら、おまえも瓶詰め計画に一枚噛むか? そうしたら、いつでも好きな時にお嬢ちゃんに会えるぜ」
「……それも悪くないな」
は? 何この流れ! 二人のやりとりに、私はギョッとしたなんてものじゃない。
レナルドが瓶詰めの販売計画に加わったら、私は彼に始終監視されてしまう。そんなことになったら、ゲームのシナリオにどんな影響が出ることか!
でも私と一緒の時間が増えるということは、レナルドに今の私をたくさん見てもらえるってことでもあるのよね。そうしたら、私が改心したことも伝わるかも。
いやいや、変な期待はよそう。相手はあのレナルドだもの。今までみたいに無視されるだけよ。だけど、もし本当にチャンスがあるのなら……。
「俺も瓶詰めの販売に携わるのであれば、軍の紹介は考えておく。それでいいか?」
「ああ。頼むぜ」
「ちょっと待って! まだ話は決まってないのに!」
我に返った私が叫ぶ。その発言を無視して、レナルドが席を立った。その顔はいかなる反論も許さない、絶対零度の微笑に覆われている。え、ちょっと……。
レナルドは戸惑う私の手を取り、ひどく芝居がかった仕草で口づけを落として言った。
「しばしのお別れです、姫。またお目にかかれる日を楽しみにしています」
うーわー、いくら顔がよくても、こんな性悪の王子様には二度とお目にかかりたくないわ。……と思っても、そんなわけにはいかないのは百も承知している。
レナルドは最後まで私に流し目という名の警告を与えて、カフェを去って行った。それを見たダミアンが「いやー、春が来たなー」などと余計なことを言っていたので、私はその足を思い切り踏んづけてやった。それが、今の私にできるせめてもの腹いせだったから。
今ここでダミアンの誤解を解くわけにはいかない。そんなことをしたら、私とレナルドの身分まで話さなくてはならなくなってしまう。
本当のことを打ち明けられないもどかしさと今後の不安との間で板挟みになり、どっと疲れた私は目の前のテーブルに力なくつっ伏した。