クラスの大嫌いな女子と結婚することになった。

第二章『新生活』(1)

 返事の期限が訪れた。

 放課後、迎えの車が学校に来て、さいあかてんりゆうの屋敷に連れ去られた。

 ごうしやな掛け軸の飾られた書斎で、天竜とに向き合って正座する。朱音は死地に赴く兵士の表情をしている。

「二人とも、心は決まったか?」

 天竜が問いかける。

「「はい」」

 うなずく二人。

「では、聞こうか。お前たちはどのような人生を選ぶ。愚者の道か、賢者の道か」

「俺は……」「私は……」

 才人と朱音は深く息を吸った。

「「結婚します」」

 同時に答える声は、身が引き締まるほど高く響き渡った。

「いいのか?」

 自分が了承してもあかが断る可能性が高いと考えていた──少しそれを期待していた──さいは、驚いて朱音を見やった。

「し、仕方ないでしょ……。結婚でもなんでもしてやるわよ! でも好きとかそういうのじゃないから! 全然違うから!」

 朱音は唇をみ、耳まで赤くして震える。

「素晴らしい!」

「おめでとう、朱音。これでおばあちゃんも安心だわ」

 てんりゆうは戦国武将のように膝を打ち、はハンカチで涙を拭いている。

「じゃあ、そういうことで。大学を卒業したら、入籍や式の準備を進める」

 才人が立ち上がると、天竜が笑った。

「なにを言っているんだ? 結婚なら、今すぐするに決まっているだろう。お前たちの新居もとっくに準備している」

「なにを言っているんだ……?」

 才人は耳を疑った。



「ちょっと待ってー! 出してー! ゆるしてー!」

 朱音がリムジンの窓を無我夢中でたたく。

「諦めなさい、朱音。せっかくの可愛かわいい手が傷ついてしまうわ」

 千代が朱音の手を握ってなだめた。

 朱音と才人は天竜のボディガードたちに連行され、新居に向かうリムジンに押し込められていた。扉はロックされていて、びくともしない。

 向かいの席にふんぞり返っている天竜を、才人はにらむ。

「せめて家に一度帰してくれ。学生かばんしか持ってきていないんだ」

「逃げようとしても無意味だ。荷物は既に新居へ送らせている」

「いつの間に……」

「お前たちが学校に行っているあいだにだ。若い時間は有限なのだから、善は急がねばならん」

 千代が優しく微笑ほほえむ。

「学生さんは忙しいだろうから、婚姻届も代わりに出しておいたわ」

「おばあちゃんのバカああああああっ!」

 朱音は膝に突っ伏した。

 ──俺はもう、コイツと夫婦なのか……?

 現実感の薄い状況に、才人は困惑する。恋愛も告白もデートも、なにもかもすっ飛ばした入籍なのだ。心の準備などしようがない。

 しばらくしてあかがむっくりと起き上がり、スマートフォンで動画サイトを開いた。表示された猫の動画を、死んだような瞳で眺める。

「ああ……猫は可愛かわいいわ……もふもふで、ふさふさだわ……世界のすべては猫に満ちているわ……この世界には人間なんていない、猫だけだわ……」

「現実逃避はやめろ」

 気持ちはよく分かるが、さいかなしくなった。

「現実逃避じゃないわ……ほら、私の膝で猫が寝ているじゃない……起こさないように静かにしないと……ふふっ」

「猫はどこにもいないぞ。正気に戻れ」

 説得に耳も貸さず、朱音はスマートフォンと見つめ合ってブツブツとつぶやいている。若くして終身刑をらった人間はこうなるのかもしれない。

 ──くそ、見てられん。俺だけでもしっかりしないと……。

 才人はスマートフォンで戦略シミュレーションゲームを起動してプレイを始めた。目の前の現実とは無関係なことに頭を使っていると、心が安らぐのを感じた。

 リムジンがまったのは、真新しい住宅の前だった。

 鮮やかな空色の屋根、クリーム色の壁。

 二階建てで駐車場もあり、花盛りの庭木が植えられている。

 車を降りた才人と朱音は、学生かばんを握り締めて家を見上げる。

「む、無駄にいい家ね……」

「これ、まさか……」

 才人が視線をやると、てんりゆうが満足げにうなずいた。

「新築だ。お前たちの愛の巣として建てた」

「俺たちが結婚を断っていたらどうするつもりだったんだ」

「なにがなんでもませていたさ。どんな手段を使っても、な」

「くっ……」

 才人は奥歯をめる。

 祖父に良いように扱われているのが業腹だが、今は従うのみ。自分が実権を握ったらさっさと会社から祖父を追放する、と心に決める。

「とっても素敵な家なのよ~。天竜さんと間取りを話し合ったの。私たちがあなたらと同じ年で二人暮らしを始めたら、どんなところに住みたかったかと想像してね」

 が上機嫌で扉を開ける。

 玄関に入ると、新品の木材の香りが流れてきた。

 才人たちは祖父母に連れられ、廊下を突き当たりまで進む。

 そこは、カウンターを挟んでオープンキッチンとつながったリビングだった。

 広々としたフローリングに分厚いじゆうたんが敷かれ、座り心地の良さそうなソファが置かれている。ずっしりと高級感のあるテーブルの向こうには、大型テレビ。立体音響スピーカーも完備されている。

「わあ……」

 あかは目を輝かせた。

「なにちょっとテンション上がってるんだ」

「あ、上がってないわよ! 地獄のどん底よ! 一人でここに住めたら最高だったけど! あんたと一緒じゃ素敵なお部屋が台無しだわ!」

「ああ、そうかい。こっちこそ夢のシングルライフを楽しみたかったよ!」

 額を突き合わせて火花を散らすさいと朱音。

 それを眺め、てんりゆうはニヤニヤしている。なにが面白いのかまったく分からないのでやめてほしいと思う才人である。

 学生かばんはリビングに置いて、祖父母のお宅紹介に同行する。

「ここが風呂だ」

 天竜が開いたドアの先には、個人の家とは思えないほど見事な浴室があった。湯船は床と一体型になっていて、なめらかな表面に噴射口が並んでいる。

「やけに広いな……」

 才人が驚くと、天竜が親指を立てた。

「二人で入るなら、このくらい広くないと困るだろう?」

「ふ、二人でっ!?」

 肩を跳ねさせる朱音。

 壁のスイッチを、千代が楽しげに切り替える。

「ここを押すと、泡が出てきて泡風呂にもなるのよ~。こっちは、明かりの色を赤から順番に変えてくれるわ。お勧めは雰囲気たっぷりの紫ね」

「雰囲気なんて要らないわ! 二人で入るなんて絶対あり得ないし!」

 朱音は真っ赤な顔で手を振り回す。

「俺も風呂は一人派なんだ……」

 才人も顔が熱くなる。

 老人の暴走する妄想に付き合わされる若者の身にもなってほしい。青春を取り戻したいなら祖父たちだけでやれと言いたいが、実際にやりまくった上で孫まで巻き込んでいるから始末に負えない。

 天竜が腕組みして告げる。

「せっかく若いもんが二人暮らしするのに、一人で風呂に入るのは愚の骨頂。体を洗い合ったり、髪を洗い合ったり、子作りしたりと、使い方はいくらでもあるだろう」

「こ、こぢゅくり……」

 もはやあかれつが回っていない。羞恥心で限界の様子だ。

 次にさいたちが案内されたのは、二階の寝室だった。

 据え付けのしようしやなベッドに、時計が組み込まれている。窓はゆったりとしたカーテンでさえぎられ、壁際にドリンク用の小型冷蔵庫とウォーターサーバーが置かれている。

 そこまでは良い寝室なのだが……問題は寝室が他に見当たらなかったことだ。

 才人は嫌な予感がした。

「あの……ベッドが一つしかないように見えるんですけど……」

 朱音がおびえながら指摘した。

 てんりゆうが大きくうなずく。

「無論、二人で一つだ。夫婦なのだから当然だろう」

「無理です!」

「無理だろうとなんだろうと従ってもらう。ソファや床を使うのは禁止。夜は必ず二人で寝ること。これが結婚に付随する最優先の条件だ」

「そんなぁ……」

 容赦ない言葉に朱音が震える。

 がヘッドボードのスイッチを押してみせる。

「これ、普通のベッドじゃないのよ。ボタン一つで回転するし、鏡も出てくる。夫婦の夜を盛り上げる曲だって、好きなものを選べるわ」

「そんな機能要らない!」

「大切なことよ。才人さんと二人の共同作業、しっかり頑張ってね」

「共同作業ってなによー!」

 祖母に手を握られて言い聞かせられる朱音は、窓をぶち破って逃走しそうな勢いだ。

 至れり尽くせりすぎて、才人も引いてしまう。他の女子ならともかく、朱音相手にそういうことをするなんて想像もできない。

 その後も、愛の天使と化した老人たちによるお宅紹介は延々と続いた。

 設計へのこだわりたるやすさまじく、相思相愛の新婚夫婦なら涙を流して喜んだだろう。しかし残念ながら、才人と朱音は相思相愛どころか犬猿の仲だ。愛を増進させるギミックの数々を用意されてもぞっとするだけだ。

 一通りチュートリアルが終わった後、老人たちが引き上げる時間となった。

 来るときに使ったリムジンはなくなっており、代わりに天竜ご愛用のオープンカーがまっている。屋敷の運転手が移動させたのだろう。

 オープンカーに乗り込みながら、千代がにっこりと微笑ほほえむ。

「後は若い人たちだけでごゆっくり」

「待って! おばあちゃん! 置いてかないで! 見捨てないでー!」

 すがりつく孫をがし、ぺいっと道に放り捨てる。

「諦めなさいって言っているでしょう。往生際が悪いわよ」

 優しげな表情はどこへやら、悪鬼羅刹の形相。全身から闇のオーラが漂っている。

 てんりゆうがオープンカーの運転席に乗り、ハンドルを握った。は暮れているのにサングラスをつけ、片足をどっかりと車体に上げる。

 ドゥンドゥンと大音量の演歌を鳴らし、老人たちがオープンカーで走り去っていく。

「ああぁぁぁぁぁぁ……」

 あかは言葉にならない悲鳴を漏らし、地べたにいつくばって手を伸ばした。その手は決して祖母に届かない。これぞ世界の理不尽である。

 永遠に外にいるわけにもいかないので、さいと朱音は新居に入った。

 玄関のドアが閉じるなり、朱音は壁際に後じさる。

「す、するの……?」

 大きな瞳を見開き、涙ぐんで才人を見上げる。

「は……? なにをだ?」

「するんでしょ……? 私が泣いてもわめいても構わず、自分の欲望のままにするんでしょ!? 学校にも行けないぐらい一晩中!」

「だからなんの話だ!」

「しらばっくれないで! え、えっちなことに決まってるじゃない! さっきから私の全身をめるように眺めているの、気づいていないとでも思っているの!?」

 朱音は震える体を抱き締めた。

「完全に気のせいだからな! お前に興味はまったくない!」

「私、知っているの……こういうときに男の子が考えることは一つ……えっちなことだけだって……そうはいかないんだから……」

 鉛筆を剣のように構える朱音。

 特に攻撃力は高そうではないが、必死さは才人にも伝わってきた。ここまで追い詰められている朱音を才人は学校で見たことがなく、かすかな達成感を覚える。そのせいか、もっと脅かしてみたくなる。

「……よく分かったな。ぶっちゃけ今夜は眠らせないつもりでいる」

「いや──────!!」

 朱音の握り締めた鉛筆が砕け散った。意外と攻撃力は高いかもしれない。

 才人の背筋を冷や汗が流れる。

「お、落ち着け。俺は無理やりそういうことをする人間じゃない」

「人間だったの!?」

「そこからか!? どう見ても人間だろ!?」

「どうかしら……化けている可能性もあるし……」

「俺はキツネかタヌキか」

 さいが説得しても、あかは警戒を緩めない。壁に背をつけたまま、じりじりとリビングの方へ逃げていこうとする。

 結婚初日からこれでは、今後どうなることか。才人は先が思いやられた。

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