クラスの大嫌いな女子と結婚することになった。

第二章『新生活』(2)

 てんりゆうが言った通り、才人と朱音の荷物は新居に送り届けられていた。段ボール箱に封をされ、廊下やリビングに山積みにされている。

 幸い、二階に勉強部屋として一つずつ個室が用意されていたので、二人はそれぞれの荷物を片付けることにした。こうなった以上、祖父母の意向に従うほか選択肢はない。実家に帰っても居場所はないだろう。

 ある程度の片付けが終わったのは、真夜中近くになってのこと。疲れ果てていた才人は料理をする気力もなく、キッチンで冷蔵庫の扉を開く。

 中にはデリバリーの料理が入っていた。初日は孫たちも家事の余裕がないということを天竜も想定していたらしい。腹立たしい祖父だが、こういうところには気が回る。

 才人はピザを大型の電子レンジに入れて加熱する。リビング側のカウンターに座り、ピザを食べようとしていると……朱音の姿が目に入った。

 朱音は廊下のドアの陰に隠れ、指をくわえてピザを見ている。きゅるるるるっとおなかが鳴っているのが聞こえてくる。

 自分だけ満腹になるのも後味が悪い。仕方なく才人は声をかける。

「……一緒に食べるか?」

「そんな夫婦みたいなことはしないわ!」

 いや夫婦なんだけどな、と思う才人だが、認めたくないので言わないでおく。

「別に夫婦じゃなくてもメシぐらい一緒に食べるだろう」

「夫婦じゃなくても私を食べる!? 今すぐ皮をいて丸裸にする!?」

 朱音は慄然とした。

「どんな空耳だよ!」

「空耳じゃないわ! はっきりと聞こえたわ!」

「お前はどこの世界の音波を受信しているんだ」

「あんたのいない世界よ!」

「残念だがそれは現実世界じゃないな」

「現実にしてみせるわ」

「みせるな。いいから来い、餓死するぞ」

 チチチチと舌を鳴らし、さいは皿にピザを一枚載せて差し出す。

 あかの目が光った。朱音は才人に向かって突進すると、皿をもぎ取ってリビングから飛び出す。階段を駆け上る足音が響く。

 ──お前は人に懐かないタイプの野良猫か!

 才人は脱力感を覚えた。

 とはいえ、朱音がいない方が気楽なのも事実。才人はグラタンとパスタも電子レンジで温め、一人でモソモソと食べる。

 ──うまい。いい店使ってるな。

 朱音に半分残しておくべきかとも思ったが、あそこまで邪険にされて情けをかけるのもしやくなので、ありがたく完食する。

 手早く風呂を済ませ、明日の学校の準備も終えてから、才人は寝室に入った。

 まだ朱音はいない。自分の勉強部屋で寝るつもりかもしれない。

 才人もできれば一人で寝たいけれど、てんりゆうを甘く見るのは危険だ。ベッドに体重センサーが組み込まれている可能性があるし、家のあちこちに監視カメラが仕込まれていても不思議ではない。

 そして、天竜の出した条件を満たしていないとバレたら、犬が社長になるのだ。

 万が一のリスクも避けなければならない。朱音が条件を無視するのは彼女の問題だから構わないが、少なくとも才人は従っておく必要がある。

 ベッドに置かれていたのは、イエスノー枕だった。しかも両面がイエスだった。

「………………」

 朱音との関係でイエスになる未来など考えられないので、才人は枕カバーをってゴミ箱に突っ込む。

 スマートフォンをヘッドボードに置き、備え付けの充電器に接続した。家具や設備は細かいところまで用意されていて、天竜との本気度がうかがえる。

 ベッドに横たわって目を閉じる。すぐに眠気が襲ってきた。

 今日はいろんなことがあった。一生分のサプライズが起きたし、二度とこんな日は訪れてほしくない。そう思っていると。

 寝室の扉が開き、廊下の光がんできた。

「お、おじゃまします……」

 廊下に立っているのは、寝間着姿の朱音。

 風呂上がりの蒸気を漂わせ、れた髪があでやかだ。

 恥ずかしくてたまらなそうにほおを上気させ、もじもじと身をよじっている。

「お、おう……」

 瞬時にさいの目が覚めた。

 クラスメイトの女子が寝室にいるという、異常な状況。たとえ相手が犬猿の仲でも、その破壊力は変わらない。特にこの少女、見た目だけは完璧に可愛かわいいのだ。

「ベッド、狭いわね……」

「わざと小さいのを買ったんだろうな……」

 ぎりぎり二人が横になれるサイズ。なるべく密着するよう、てんりゆうたちが策を練ったのだろう。余計なお世話にも程がある。

 あかはぎくしゃくした足取りで歩み寄り、ベッドに上った。他人の重みでマットレスがきしむ感覚に、才人は落ち着かない思いをしながら端に寄る。

 果実のようなシャンプーの香りが、朱音のからだの甘い香りと入り混じって、才人のこうに流れ込んできた。むせかえるほど濃密な香気。

 ──こいつは危険だ……。

 相手が大嫌いな女子だと頭で理解してはいても、体が理解してくれない。学年NO・1を独占する頭脳派でも、思春期の男子だということに変わりはない。

 朱音が掛け布団をめくって潜り込んできた。才人の反対側を向いて横たわる。少し動いただけで背中が触れる距離。風呂上がりの少女の熱が、寝具の中を伝わってくる。

 朱音が消え入りそうな声でささやいた。

「ちょ、ちょっとでも変なことしたら、怒るから。結婚は同意したけど、えっちに同意したわけじゃないから」

「……分かってる」

 才人は自分の声が上ずっているのを意識した。

「ホントに、ホントにダメだからね? 私、えっちなこととか、全然したことないし、恋人とかもいたことないし……しょ、処女だから……」

 あぅぅ、と朱音の喉から羞恥の声が漏れる。

「大丈夫だ……俺も童貞だから」

 才人は自分がなにを言っているか分からなかった。どこがどう大丈夫なのか問われても論理的に答えられる自信がなかった。

「そ、それなら、大丈夫ね」

 なぜか朱音は納得してくれた。

 新婚初夜とは思えない、背中合わせの二人。

 才人は眠りに就くことも、寝返りを打つことすらできないまま、時間が過ぎていく。

 すぐそばから、クラスメイトの小さな吐息が聞こえてくる。朱音も緊張して寝付けないのか、呼吸は不規則だ。

「……お前、なんで俺と結婚したんだ」

 さいが尋ねると、あかが息を止めた。

「…………言わない」

「俺の理由は教えてるんだから、お前の理由も教えてくれていいだろう」

「教えてほしいって、頼んだわけじゃないわ」

「それはそうだが……」

 朱音に信用されていないのは分かるけれど、釈然としない。

「とにかく、私はあんたと結婚する必要があって、あんたもそうする必要があった。私たちの結婚は形だけ。でも、形はちゃんと守らなきゃいけない」

「じーちゃんたちに勘繰られたら面倒だからな」

「ええ。非常に不本意だけど、頑張るしかないわ。私は自分の夢をかなえるためなら、なんだって我慢してみせるわ」

 どうやら彼女も才人と同じく、夢の実現のために結婚をんだらしい。

「しかし……じーちゃんたちから、子供を作れとか条件を追加されたらどうする?」

「こ、こどもっ!? それはっ……!」

 うろたえた朱音が身じろぎし、体が才人の手に当たった。

 ──なんだこのやわらかい感触は……。

 手の平に優しくフィットする、丸みを帯びた部分。才人は反射的に、その曲線を握り締めてしまう。これは……クラスメイトのお尻だ。

 わなわなと震えながら、朱音が起き上がった。

 目にいっぱい涙をめて、才人の指をわしづかみにする。

「お、おおおおお尻に触ったわね!? 指を折るわ!!」

「狭いんだから仕方ないだろ!? ぶつかってきたのはお前だ────!!」

 初夜の寝室に、新郎の悲鳴が響き渡った。



 そして、時は冒頭に戻る。

 朝の空気も張り詰めた高校の廊下。

 冷徹なしに髪を輝かせながら、朱音が才人をにらむ。

「とにかく、私と結婚してること、絶対にクラスのみんなに言わないで。指だけじゃなく首も折らなきゃいけなくなるわ」

 結婚初夜の翌朝にして、この脅しである。ラブラブの新婚生活とは程遠い。

「分かったって。そう何度も言うな、約束は守る」

「あと、学校では結婚についての話はしないで。人に聞かれたら大変だわ」

「お前が話を始めたんだよな?」

 さいが指摘すると、あかは言葉に詰まる。

「……そ、そうだけど! これからは気をつけましょうってこと!」

「お前が特に気をつけてくれ。バカなんだから」

「バカじゃないわ! あんたの方が明らかにバカでしょ!?」

「成績は俺の方が上だが」

 才人は鼻で笑った。

「あ、あぐらをいていると、いつかひどい目に遭うわよ! そう……たとえば今夜の零時あたりとか……」

 朱音の瞳にくらい光がともる。

「いつかという割には具体的だな!?」

「あんまり私を挑発しない方がいいわよ。毎晩同じベッドで寝るんだし、私は好きなときにあんたを潰せるんだから」

「だからそういうことを学校で言うな!」

 才人は慌てて周囲を見回した。

「あっ……」

 口を押さえる朱音。

 この少女、クソ真面目なくせにどこかそそっかしいところがあるのだ。昨夜は何度も新居の階段から落ちそうになっていた。そもそも同居がバレないよう時間を置いて家を出たのに、廊下で合流してしまっては無意味だ。

 二人はそれぞれ別の出入り口から、3年A組の教室に入っていく。

 教室にいたまりが朱音に声をかけた。

「おはよー、朱音。才人くんとなんの話してたの?」

「た、たいした話じゃないわ」

「えー? 才人くんのネクタイつかんで、すっごい怒ってたじゃん」

「怒ってないわ。いつもこの顔よ」

「まあ、朱音はいつも顔怖いけどさー」

「そ、そうかしら? どこが?」

 朱音は慌てて自分の顔を触った。

「なんか、だいたい眉間にしわってるし。鬼みたいだし」

「鬼は言い過ぎじゃない!?」

 ショックを受ける朱音。陽鞠がスマートフォンのカメラを内向きで手鏡代わりにし、朱音の顔を映してやる。朱音は眉間を懸命にさすって皺を解除しようとする。相変わらずこの二人は仲がいい。

 さいは彼女たちがなかたがいしているところを見たことがないし、今後も争うことはないだろうと感じる。才人とあかの関係とは対照的だ。

 才人が自分の席に座ると、せいがやって来た。

 挨拶もなく、いきなり才人の頭に鼻先をうずめる。すんすんと匂いを嗅ぐ。

「な、なんだ……?」

 たじろぐ才人。

 糸青は頭から鼻を離し、ジト目で才人を見た。

あにくん、シャンプーの匂いが違う。どこに泊まったの」

 勘が鋭い。才人は言葉を選びながら答える。

「えっと……父さんが変なシャンプー買って来ちゃってな」

「シャンプーだけじゃない」

 糸青が才人の胸元をつまみ、首筋に鼻を寄せた。

 冷たい鼻先が首筋をなぞっていき、くすぐったい感触に才人は身をすくめる。

「……女の子の匂いもついてる」

 かぷりと、糸青が才人の首をかじった。

「痛っ!? むな!」

「噛みちぎらなかっただけ、シセの優しさだと思ってほしい」

「恐ろしいことを言うな」

「付き合ってる人がいるのなら、きちんと教えてほしい。妹として、兄の恋愛事情が報告されていないのは困惑する」

「恋愛事情の報告を妹に求められる方が困惑する」

 しかも糸青の顔はたいして困惑している様子でもない。普段通りの無表情だ。

 糸青が才人の耳元でささやく。

「……うそ。兄くん、結婚したんでしょ」

「っ……どうして……」

 知っているのかと問いただすより先に、糸青が告げる。

「じーじたちが変な動きをしてたから、調べた。新居の場所も分かってる。兄くんが結婚したのは、さくらもり──むぐぐ」

 才人は糸青の口を手の平で塞ぎ、そのまま頭ごと持ち上げて運び去る。糸青はあらがいもせずぶら下がっている。

 才人はベランダに出て糸青を床に下ろし、扉を閉じる。

「兄くんに誘拐された。ロリを誘拐するなんて、兄くんははんざいしゃ」

 糸青はほおを両手で抱えた。

「自分がロリっていう自覚はあるんだな……」

 実際、せいの外見は小学生と見分けがつかないし、二人で遊園地に行っても小学生料金を請求されたりする。下手すると未就学児料金でチケットを出されることもある。

 さいは手を合わせる。

「頼む。結婚のことについては、誰にも言わないでくれ」

「なぜ? 結婚はおめでたいこと。クラスのみんなに教えて、お祝いしてもらわないと」

「待て待て待て待て!」

 教室に戻ろうとする糸青を引っ張り戻す。

「シセは監禁されている。やはりこれは誘拐」

「誘拐じゃない。高校生で結婚してるなんてクラスの連中に知られたら、大騒ぎになるだろうが。しかも相手はクラスメイトなんだぞ」

「シセは黙っておく義理がない。あにくんは結婚する前に相談もしてくれなかった」

「相談ならしただろ」

「あんなの詐欺。シセは口止め料を要求する」

「なんだ……?」

 才人は緊張を覚えた。糸青もてんりゆうの孫だし、ほうじようグループの資産を半分せとでも言ってくるのかもしれない。

 糸青は唇に人差し指を添えて思案する。

「んー……口止め料……口止め料……くちどめ……」

 そうしているあいだに、ちようが外庭から飛んできた。

「わー」

 糸青は蝶を追いかけてふらふらと歩き出す。

「思いつかないんだな?」

「そのうち思いつく。兄くんの人生はシセの手に握られている」

 ぐーぱーと、糸青が手の平を握ったり開いたりする。お遊戯会で踊っている幼児のようで可愛かわいらしいが、彼女の思考は読みづらい。

 いつかとんでもない条件を出されるのではないかと、才人は危惧した。

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