クラスの大嫌いな女子と結婚することになった。

第一章『突然の結婚』(3)

 天竜と千代はオープンカーで夜景を見に行き、帰りのタクシーは才人と朱音の二人だけだった。

 白いシートカバーの、無機質な匂い。後頭部しか見えない運転手の、トニックの臭い。

 夜の街の光がこぼれる大通りをタクシーに揺られ、後部座席の才人は思案に沈む。

「け、結婚って……」

 朱音は膝の上で手を握り締めた。

「あんた、どうするの……? 私と、結婚するの……?」

 泣きそうな表情で才人を見上げる。いつもの攻撃的な彼女とは違ってしおらしい。そうしていれば、普通に美しいだけの少女だ。

「お前はどうするんだ」

「分かんないわよ! こんなこと、考えもしなかったから!」

「俺も予想外だった」

 現代の日本に生きるほとんどの若者が、想像もしないだろう。人は恋をして愛にたどり着くのが、唯一にして最善の正解だと教えられているのだから。

「お前のばーちゃんに、なにを言われたんだ?」

 さいが尋ねると、あかは身じろぎする。

「あ、あんたには関係ないわ」

「関係ないことないだろう。向こうの手札がなんなのか、俺たちはお互い知っておく必要がある。でないと、不平等な条約を押しつけられるだけだ」

「必要ないわ。私の心をのぞこうとしないで」

 自らの両腕を抱き締めるようにして腕組みする。これはガードのポーズ。あらゆる干渉を拒絶してしまった人間の思考を引き出すのは容易ではない。

「じゃあ勝手にしろ」

「勝手にするわよ! 私の将来だもの!」

 これから結婚するかもしれない二人とは思えない態度で、顔を背けた。



 帰宅した朱音は、ベッドにうつ伏せで崩れ込む。

 今日、祖母から電話がかかってきたときには、明日からも今まで通りの暮らしが続くものだと思っていた。けれどたった数時間で、天地はひっくり返った。

 しかも、よりにもよって相手がほうじよう才人だなんて。

 才人は朱音にとって、目の上のたんこぶだ。才人が学年一位の成績に居座っているせいで、朱音はどう頑張っても一位になれない。それが高校入学からずっとだ。あの澄ました顔を見るだけで、無性に腹が立ってしまう。

 しかし、料亭で祖母にささやかれた条件は強力だった。我慢して従えば、朱音の夢はきっとかなう。子供の頃からの願いが、現実に近づくのだ。

 独りで考えていると頭が破裂しそうだったので、朱音はまりに電話をかける。

「ほいほーい! どしたのー、朱音?」

 スピーカーから陽鞠の明るい声が聞こえてくると、ささくれだった心が少しいやされる。

「あ、あのさ……もしも、なんだけど。陽鞠が家の命令で、好きでもない相手と結婚させられることになったら、どうする?」

 親友の意見が聞いてみたかった。

「えー? そんな縄文時代みたいなこと、あり得ないよー」

「そ、そうよね……おかしいわよね……」

 縄文時代に家制度やお見合い結婚が存在したのかは不明だが。

「でもまあ、私なら断るかな」

「どうして?」

 あっさりと言われ、あかはスマートフォンを握り直した。

 まりは照れくさそうに答える。

「……私、好きな人いるから、さ。その人以外とは、結婚したくないよ」

「陽鞠って好きな人いるの? 初耳だわ! 誰?」

 起き上がる朱音。

「朱音って人のそういう話、興味ないんだと思ってた」

「普段は……興味ないんだけど……」

 朱音はきまりが悪くなり、素足を擦り合わせる。結婚だのなんだのと騒がれて帰ってきたら、嫌でも色恋沙汰に思考が寄る。

「誰なのかは……まだ内緒」

「教えなさいよ。うちのクラスの子?」

「……ん」

 消え入りそうな、小さな声。いつもの陽鞠からは想像もつかないほど、いじらしい。

 ──恋すると、人って変わるのかな。

 朱音はちょっとだけ羨ましいと感じてしまった。世間一般の乙女が浮かれる恋愛の味。それを知らずに結婚してしまうのも、わびしい気がした。

 陽鞠が照れ隠しのように尋ねる。

「あ、朱音はどうなの? 好きな人とか、いないの?」

「好きな人? 好きな人……。好きな人…………?」

 朱音は虚空を見上げて考え込んだ。脳への負荷が高すぎるのか、だんだん頭が空白になっていく。

「いなそうだね!」

 陽鞠の声に、はっと我に返った。寝落ちしかけていたらしく、薄くよだれが垂れている。

「今すぐ死んでほしいヤツはいるけど」

「それは名前言わなくても分かるよ!」

「そうよ……アイツさえ死んでくれれば、すべて解決なのよ……。アイツの上にいんせきでも降ってこないかしら……」

 朱音は爪をんだ。

「好きな人がいないんなら、別に結婚してもいいんじゃない?」

「そう、かしら」

「結婚すると、家賃も光熱費も半分ずつになるんだよ。まとめて料理したら食費も安く済むし。便利じゃん」

「そんな理由で結婚するのはどうかと思うわ」

「だよねー、あはは」

 屈託なくまりが笑う。

「だけど、強制的な結婚でも…………は、しないといけないのよね?」

「え、なに?」

「ほら、男の子と女の子がする……あの……」

「ごにょごにょ言われても分かんないよー」

「だから……その、え、え、えっちなことよ!」

 あかは全身が高熱に見舞われるのを感じた。学業優秀な朱音ではあるが、保健の教科書だけは直視できず勉強に苦戦するくらい、男女のことには免疫がない。

「そりゃ、しなきゃいけないよね」

「やっぱり……うぅぅ……」

 熱いほおを抱え、ベッドの上でもだえする。

「だって家の命令ってことは、跡継ぎ作るの期待されてるんじゃない? 百人ぐらい」

「百人は無理よ!」

 我が子だけで教室が三つ埋まるレベルだった。

「行ける行ける。五つ子……ううん、十人子なら十回で」

「私はそんなタフじゃないわ……」

「朱音の話なの?」

「私の話じゃないわ! もしもの話よ!」

 念を押しておく。

「もしも朱音がそういうことになったら、参考になる雑誌貸したげる! この前、『彼のハートを独り占め★夜テク特集』って記事があったんだー」

「要らないわ! 私は絶対、結婚なんてしないんだから!」

 朱音はスマートフォンを放り投げ、枕に顔をうずめた。



 学習机の上で、時計の秒針がゆっくりと回っている。

 それを眺めながら、さいは思考を巡らしていた。

 結婚と会社。ちやなセット販売だ。祖父の会社はなんとしても手に入れたいが、代償として一生のパートナーを決められてしまうのは大きい。

 恋愛にはそこまで興味はないとはいえ、皆無というわけでもない。学生時代を有意義に過ごすため、恋の一つや二つはした方がいいということは理解している。

 そして押しつけられた相手は、あの朱音なのだ。学校で絡まれるだけでも面倒なのに、何十年も自宅でケンカを吹っかけてこられたら、さすがに神経がたないかもしれない。

 才人のベッドには、せいが寝転がっていた。同学年の従妹いとこだが、幼い頃からこの家に入り浸っているから、もはや家族のようなものだ。

 せいは動物の人形をベッドに並べ、爪でドミノのように倒して遊んでいる。なにが楽しいのかさいにはまったく分からないが、独りで遊んでくれるなら邪魔にならない。

あにくん、なにか悩んでる」

 糸青が机の上に座って、才人の顔をのぞんだ。

「別に悩んではいない」

「悩んでる。兄くんが考え事をすると、ここにしわが寄る」

 眉をひそめてみせる糸青だが、元が無表情なのであまり変わっていない。行儀悪く白タイツの爪先で才人の膝をつついている。

「たいしたことじゃないよ。机に乗るのはやめなさい」

「分かった」

 糸青は素直に従い、才人の膝に腰を下ろした。

「なぜこうなる」

「兄くんが心配だから。話してくれるまで離れない」

 体重を感じさせない小柄な体。湖水よりも澄んだ瞳が、西洋人形のように長いまつをたたえて才人を見つめる。甘く涼やかな香りが、細い首筋から漂ってくる。

 才人はため息をついた。

「じーちゃんから、無理難題を言われてな」

「むりなんだい? 全身の皮を裏返しにしてみろとか?」

「そこまで壊れてはいないな。いない……と思う」

 孫のひいでも確信は持てなかった。

「じゃあ、なに」

ほうじようグループを継ぎたいなら、孫の人生は祖父が決める。従わないなら適当な犬に継がせる。とか、そんな感じのことだ」

「じーじ、すごく言いそう」

「言いそうだろ?」

 孫二人は祖父の性格をよく理解している。自分勝手で型破りな天才てんりゆうの扱いについては、親戚一同が手を焼いているのだ。

あにくんはどうしたいの」

「どうしたいんだろうな」

「兄くんは、自由に生きたいの? 会社が欲しいの?」

「できれば両方だ」

「それはワガママ」

 せいの人差し指が、さいの唇にそっと押し当てられる。

「そもそも生物は、本当に自由になることはできない。世界はルールに満ちている。兄くんの細胞も、シセの細胞も、本能という規則に縛られている。ルールから逃げ出すのではなく、ルールを利用するのが最適解」

「……会社を取れと?」

「取らないなら、それもいい。兄くんが落ちぶれてゴミバケツの残飯をあさる男になっても、シセは一緒にゴミバケツを漁る」

「そんなしようのない男はさっさと見捨てなさい」

 従妹いとこが変な男に引っかかってしまいそうで、才人は心配になった。

「シセは知っている。兄くんの夢をかなえるためには、じーじの会社を利用する必要があるということ。だからシセは兄くんを邪魔しない。兄くんの人生がいばらの道になるとしても、シセはずっと兄くんの味方。頼ってくれていい」

 糸青は才人の胸に額を押しつける。

 その体はとても小さいけれど、不思議な頼もしさがある。

「……ありがとう、シセ」

 才人は糸青の頭に手を置いた。

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