クラスの大嫌いな女子と結婚することになった。

第一章『突然の結婚』(2)

 リムジンから降ろされたのは、山奥の料亭の前だった。

 ゆったりとした日本庭園に囲まれ、玄関先には行灯あんどんが置かれている。赤い布に覆われた長椅子の上、ひさし代わりに差しかけられた和傘の彩りも鮮やかだ。

 才人の父親は天竜の長男だが、北条グループの役員というわけでもなく、ごく平凡なサラリーマン。その家庭で生まれ育った才人にとっては、日常的に足を運べる店ではない。

 まだ祖父は到着していないようだったので、才人は外で待つことにした。高級な店の中にずっといるのは息が詰まる。

 長椅子に腰掛け、山の空気を楽しみながら本を読んでいると、近くから声がした。

「な、なんで、あんたがここにいるのよ!」

 顔を上げる才人。

「……げ」

 そこに立っていたのは、天敵のクラスメイトのあかだった。タクシーから降りたばかりらしく、学生かばんと財布を抱えて眉を寄せている。さいと同じく、学校の制服姿だ。

「じーちゃんに呼ばれたからだが……お前は?」

「おばあちゃんに呼ばれたのよ。って、あんたには関係ないでしょ!」

「まあ関係ないが、先に聞いてきたのはお前だぞ?」

 才人が指摘すると、朱音はぐぬぬと拳を握る。

 ドアのところまで行って店内をうかがうが、なかなか入ろうとしない。心細そうな様子からして、こういう店は慣れていないのだろう。

 諦めて長椅子の方にやって来ると、才人から距離を置いて思いきり端に腰掛ける。後ろ髪を手ではね上げ、わざとらしくため息をつく。

「あーあ、せっかくおばあちゃんと食事できるって楽しみにしてたのに、あんたに遭うなんて気分が壊れちゃうわ。嫌な偶然ね」

「それは完全に同意だ。読書の邪魔はしないでくれ」

 才人が本に目を落とすと、朱音は長椅子に手を突いて身を乗り出してくる。顔がぶつかりそうな至近距離でにらみつける。

「はあ!? 邪魔なんてしないわよ! 私が構ってほしがってるみたいに言わないで!」

「言ってない。お互い用はないんだから、しばらく黙ってろ」

「その態度が気に入らないわ! ちゃんと謝るまで黙らないから! 永遠に!」

「お前は俺が謝るまでついてくるつもりか」

「そうよ! どこにだってついて行くわ!」

 言葉だけ聞いていれば可愛かわいらしいが、実態はストーカーである。

「うざすぎる……」

「うざいのはあんたの存在でしょ!?」

「お前の存在だ。十キロ圏内から消えてくれないか」

「あんたが消えればいいでしょ!」

 にらう二人。ふうこうめいな山中なのに、空気は最悪だ。

 才人とて、理由もなく朱音に苦手意識を持っているわけではない。こうも毎日突っかかってこられたら、げんなりするのも当然だ。親戚のせいを除けば、最も頻繁に会話しているのは朱音だったりする──会話というよりくちげんだが。

 今日もまた言い争っていると、料亭の前にオープンカーが走ってきた。

 ドゥンドゥンと大音量で音楽を鳴らし、磨き抜かれたボディもまぶしい。

 運転席の男は洒落しやれたサングラスをかけ、助手席に女性を乗せてふんぞり返っている。

 完全にパリピのたぐいだけれど、鳴っているのは演歌。男女はいずれも六十オーバー。

「じーちゃん?」

「おばあちゃん!?」

 さいあかの両方が立ち上がった。

 老いてもせいかんほうじようてんりゆうに手を引かれ、朱音の祖母がオープンカーから降りてくる。

「あらあら、もう始めちゃってたのねえ。若い人はせっかちなんだから」

「部屋で待っていれば良かったのに。先に食べていても構わなかったんだぞ」

 天竜が苦笑する。

「なんの話をしているんだ……?」

「さあ……?」

 才人と朱音は顔を見合わせる。

 そんな若人たちを置いて、朱音の祖母と天竜はさっさと料亭に入る。

「二人とも早く来なさい。いつまでそこに突っ立ってるんだ」

「二人って……俺とさくらもりのことか?」

「ちょ、ちょっと、どういうこと、おばあちゃん! 全然分かんないんだけど!」

 追いかける才人と朱音。なぜ自分たちの祖父と祖母が知り合いなのか、オープンカーでさつそうと登場するのか、理解が及ばない。

 朱音の祖母が振り返った。

「今夜は四人で食事だからよ」

「なんで!?」

「大事な話があるのよ」

「コイツと食事会なんてムリよ! 気持ち悪すぎて確実に吐く自信があるわ!」

「同じく。せっかくの料理に失礼だ」

 才人も主張する。

 朱音の祖母がにっこりと微笑ほほえんだ。穏やかだが、有無を言わせぬ黒い笑み。

「諦めなさい」

「ふぎゅっ」

 祖母に首根っこをつかまれ、朱音は沈黙する。子猫のように手足をぶらりとさせて引きずられていく。

 ──この女を黙らせることができるヤツがいるなんて!

 才人は軽い感動すら覚えるものの、その襟首も祖父にわしづかみされている。

「窒息死しそうなんだが、放してくれないか」

「死にはせんさ。逃げようとしなければな」

 逃げなくても首が折れそうな握力。老人とは思えない。

 料亭の従業員たちは口出しをしようとはせず、明後日あさつての方向を眺めている。高級料亭といえど、ほうじようてんりゆうを敵に回せば存続の危機に陥るのだから当然だ。

 四人が通されたのは、離れの個室だった。

 広々とした和室にこくたんの机。窓の向こうには池があり、にしきごいが悠々と泳いでいる。鹿ししおどしの音も優雅な、極上のロケーションである。

 さいあかは並んで座らされ、その対面に朱音の祖母と天竜が陣取った。

 まずは飲み物と共に突き出しが運ばれてくる。山菜と数の子の油いため。散らしたたかつめが色鮮やかなアクセントになっている。

 天竜は日本酒のがれた杯を持ち上げる。

「まずは、このめでたい日に乾杯」

「……かんぱい」

 朱音はふくれっ面でオレンジジュースのグラスを抱えている。

 ──めでたい……? なんのことだ……?

 才人は胸がざわついた。疑心暗鬼になってしまっているのは、出入り口の戸が固く閉ざされているせいかもしれない。

 たいやイカのづくり、の蒸し焼き、アワビの踊り焼きなど、ぜいを尽くした料理の数々が運ばれてくる。土鍋の上で色づいた伊勢海老は薫り高く、その身は引き締まって美味の極みだ。

 しかしながら、天敵の女子が横にいる状況では、才人もくつろげない。

「おかわりお願いします」

 朱音がグラスを仲居に差し出した。

「お前、さっきからオレンジジュースしか飲んでないな」

 才人は思わず突っ込んだ。

「おなかいてるんだけど、あんたがいると食欲がなくなってしまうわ」

「俺もだ。胃袋を収縮させる成分でも出してるんじゃないか、お前」

「残念だわ、すごいごそうなのに。あんたが原子核まで消滅してくれないかしら」

「お前が量子単位まで消滅してくれた方が早いな」

 才人と朱音のあいだで火花が飛び散る。

 祖父母がのんに笑う。

「わっはっはっ、二人とも仲が良くてなによりだ」

「ホントねえ。私たちの若い頃を思い出すわぁ」

「「どこが!?」」

 才人と朱音の両方が声を上げた。料亭に来てからケンカしかしていない気がする才人である。天才天竜もついに衰えたのかと心配になる。

「結局、大事な話ってなんなんだ? 俺たちはどうしてここに呼ばれた?」

 さいしびれを切らして尋ねた。

 祖父母は視線を交わし、うなずき合った。孫たちを見据え、声をそろえて告げる。

「「結婚しなさい」」

「「………………は?」」

 才人とあかは同時に箸から刺身を取り落とした。

「今、結婚しろとか聞こえた気がしたんだが……なんの隠喩だ? いや、ちようか? 俺はなんらかの暗号を受け取ったのか?」

「無理やり裏を読もうとするな。結婚しなさい」

 てんりゆうが繰り返した。

 朱音が机に手を突いて立ち上がる。

「い、意味分かんないんだけど! 結婚!? どういうこと!? 私たち、まだ高校生よ!?」

「十八歳なら結婚はできるわ。結婚しなさい」

 朱音の祖母もはっきりと繰り返した。もはや聞き間違いではない。

 天竜は深々と息を吐いた。机に肘を突いて姿勢を崩し、遠くを見るような目をする。

「ワシとさんは、旧知の仲でな……」

「千代さんって?」

「私が千代です」

 才人の疑問に、朱音の祖母が答えた。

「若い頃のワシと千代さんは、ぶっちゃけ相思相愛だった……と思う。だが、すれ違いが続いて結ばれなくてな。ワシは許嫁いいなずけと結婚し、きちんと幸せにした。あいつが先に逝って早十年、夫としての務めは成し遂げたと考えている」

「それでオープンカー乗り回して千代さんと第二の青春をおうしているのか……」

 才人がつぶやくと、千代はしわだらけのほおを抱えて恥じらう。

「私の夫もだいぶ前に亡くなっていたし、今は毎晩、天竜さんのお世話になっているわ」

「そういう話は聞きたくないわ!」

 朱音は顔を真っ赤にして叫んだ。才人も同感だった。なにが悲しくて祖父の赤裸々な性事情を告白されなければいけないのか分からない。

 天竜がせきばらいする。

「で、だ。ワシらはちゃんと人生を楽しんだとはいえ、やはり『もし最初から結ばれていたら……』と考えてしまうわけだよ。きっと最高の人生になったはずだ。だから、自分たちの果たせなかったおもいを、孫で成就させたい」

 千代が優しく語りかける。

「朱音。おばあちゃんのために、結婚、してくれるわよね?」

「嫌よ! そんなの勝手すぎるわ! 結婚っていうのは、本当に好きな人と恋愛して、ロマンチックなプロポーズをされて、自分の意志でやるものよ! 人に言われてするものじゃないわ!」

「乙女だな」

 さいは意外に感じた。

「お、乙女じゃないわっ! 当たり前のことでしょ!?」

「俺も断る。こんなヤツと結婚したら不幸になるに決まっている」

「はあ!? なに失礼なこと言ってるの!? 私と結婚したら幸せになるに決まっているわ! あんたがどんな女の子と結婚するよりもね!」

「お前はいったいどうしたいんだ……結婚したくないのか、したいのか……」

「したくないわ! 特にあんたとは、ぜ────ったいに嫌よ!」

 あかは腕組みしてそっぽを向く。逆上のあまり耳が真っ赤になっている。

 才人は肩をすくめて祖父のてんりゆうを見やった。

「というわけだ。俺たちは二人とも結婚する気はまったくない。この日本で本人の意志に反して結婚を強要することはできない。悪いが諦めてくれ」

「くく……くくくくく……」

「ふふ……ふふふふふ……」

 天竜とが笑う。体を揺すり、出来の良い冗談を聞いたとでも言うかのように。そこにあるのは、はるか天上から見下ろす王者の余裕。

「な、なにがおかしいのよ……」

 朱音がひるんだ。

「お前たちがそう答えるのは予想していた。本当にお前たちは……ワシらの若い頃を見ているようだ」

 天竜は、どこかかなしみを帯びた声音でつぶやく。

 が、神妙な顔をしていたのもつか、すぐに凶悪な光をそうぼうに宿し、手をたたく。

 その合図に応え、入り口の戸が開いた。

 天竜の秘書が、汚い犬を連れて入ってくる。首に縄をつけられてはいるが、毛皮は泥だらけだし、鼻水を垂らしているしで、明らかに野良犬だ。

「才人。お前がどうしても従わないのなら、ほうじようグループはこの適当な犬に継がせる」

「なんだその犬は!?」

「その辺で拾ってきた犬だ。正直、我が社のトップに立つには実務能力に不安が残るが」

「犬だからな! ハンコすら押せないからな!?」

 しかも犬の中でもたちの悪いタイプらしく、高級料亭のど真ん中で畳にフンをしている。欲望のまま机に飛び乗り、刺身や肉を食い荒らしている。やりたい放題だ。

「ハンコくらい押せるだろう。専務が肉球にインクをつければいんになる。拇印でも法的には問題ない」

いんがどうとか以前に……人間じゃなかったら契約ができないだろ!」

「そうだな。ひょっとしたらほうじようグループもワシの代で終わりかもしれんな」

「正気か?」

 さいてんりゆうにらんだ。

「正気で会社を経営できると思うのか?」

 天竜は、にいっと口角をげる。だった。

 ──うそだろ……? こんなアホなことで、北条グループを潰すのか……?

 才人は額を抱える。

 しかし、天才天竜ならやりかねない。才人の父親である長男にすら要職を与えず、無能だからという理由で会社から追放した祖父なのだ。その体内には血ではなく、鋼色の液体が流れているとまでうわさされている。

あか、こっちに来なさい」

 に手招きされ、朱音が近づいた。千代は朱音の耳元で何事かささやく。

「…………っ!」

 朱音の顔色が変わり、肩が震え出す。

 それを確認した天竜が、満足げにうなずく。

「よくよく考えてみろ。どうするのがお前たちにとって、本当の利益なのか。目先の感情にとらわれず、真実を見つめろ。返事は三日後だ」

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