第1章 悪徳領主 その5

    *


「これは一体何がしたいんでしょうか?」

 兵士たちが穴を掘りながらぼやく。

「まあ、領主のお遊びだろ。戦争ごっこがしたいようだ」

「そんな、戦争を遊びにするなんて」

 百人隊長の言葉に理解できないという顔で首を横に振る兵士。

「おいっ、聞こえるだろ! 領主の耳にでも入ったりしたら俺たちは全員終わりだ。領主は命令に逆らうやつが一番嫌いだからな。さっさと真面目に掘れ!」

「はぁ。今日は賭博運が良かったのに、こんなことをするはめになるなんて。どうなってんだよ。くそっ!」

 兵士たちは愚痴をこぼしながらも命令に従って落とし穴を掘り進めた。もちろん、本当の戦争が起こるなんて誰ひとり想像もしていなかった。暴君領主の気まぐれなお遊びのひとつにすぎないと思っているだけ。それでもおのずと体が動くのは、いい加減にやって領主を怒らせでもしたら、その場で命がないからだった。

 逆らったら殺す。それがエルヒン・エイントリアンという領主だ。

 エイントリアンの領民なら誰もが知る事実。

 兵士たちは不満を漏らしながらも、せっせと落とし穴を掘るしかなかった。

 もちろん、状況が違うところもある。

 ベンテの部隊が穴を掘っている現場は他の部隊とはまったく違った。

 ベンテはとても単純な男で、そもそも領主の悪名など耳に入ってもいなかった。それどころか、むしろ自分を認めてくれて、百人隊長という大きな権限を与えてくれた領主に感謝していた。だからこそ、彼は全力で兵士たちをとくれいしていた。

 いや、そつせんすいはんして指揮するので忙しかった。

「穴を掘って目の大きい網状に綱を張った上からわらをかぶせる。いいな? おい、気をつけろ! 手怪我すんぞ!」

 片や領主に対する恐怖。

 片や領主に対する忠誠。

 心のうちは人それぞれだが、とにかく部隊は忙しく動き出したのだ。


    *


 関所を見下ろせるがけの上で待ち伏せ作戦を陣頭指揮していたハディンは信じられない光景を目の当たりにした。

 本当にナルヤ王国軍が現れたのだ!

 兵士たちも動揺を隠せずにいた。みんな領主のお遊びだと思っていたのだから、本当にナルヤ王国軍が攻め込んでくるなんて誰も予想していなかったはず。

 もちろん、領主がナルヤ王国軍の攻撃に備えるとは言っていた。ただ、それが現実に起こるなんて誰も信じていなかったのだ。

「本当にナルヤ王国軍の奇襲を知っていたということか?」

 ハディンですらお遊びだと思っていた。だが領主が軍に関心を持ったのはいいことだ。だからこそ、この作戦を指揮した。遊びではなく、待ち伏せ訓練として。とにかく訓練の重要性を主張し続けていくことで悪徳領主の考えを変えることができるなら、自分はまた牢獄に連行されてもいいというのがハディンの考えだった。

 だが、本当の戦争だと?

 訓練が行き届いていない兵士たちは、敵がいない状況でこそ問題なかったが実際に敵を見るなり慌てだした。中には早まって矢を放とうとする兵士もいる。

「指揮官! これは……。敵の数が多すぎます!」

 兵士たちは小声でざわつきながらどうようする。

「全員黙らんか!」

 それを見たハディンも驚いたが、すぐに冷静を装い兵士たちを制した。騒ぎ立てたところでいいことなど何ひとつない。実戦経験のあるハディンは、この状況でひとまず平常心を保たなければならないと思った。

 百人隊長に復帰した昔の部下にも目配せをしながら、絶壁の下を通過するナルヤ王国軍を監視した。

 見れば見るほど冷や汗が流れた。

「指揮官……大丈夫ですか?」

 昔の部下で復帰後すぐに副官にかせた百人隊長のノースティンが低い声で訊いた。

「心配ない。それはそうと、まさか……?」

 二十年前にナルヤ王国軍と戦った記憶がハディンの脳裏によみがえぼうぜんとした。

「まさか、きようそうのランドール?」

 かつて戦場で見た敵が眼下にいた。当時の彼はかなり若かったが、武将という呼称がついても申し分ないほどの武力を誇る人物だった。

「ナルヤ十武将のひとり、あのランドールですか?」

 ノースティンが訊き返すと、ハディンは首を縦にうなずいた。

「そうだ。今はそんなふうにも呼ばれている。だとすれば、こいつは困った。この戦争、我われに勝算はないぞ……」

「指揮官……!」

 ハディンは、ノースティンの声に理性を取り戻した。

「領主の命令に従って狼煙のろしが上がるまで待つ。狼煙が合図だ。それまでは絶対に動くでないぞ!」

 ハディンは冷や汗を流しながらも冷静な声で命令を下した。ここまでくると何が何だかまったくわからないが、今思えば単純に領主のお遊びだと思っていたこの待ち伏せは、唯一敵の隙を狙える作戦であるようにも思えた。

 ハディンはそうして剣を握りしめる。

 敵の軍勢。そして、敵の指揮官。すべてが圧倒的だ。

 一方、我が軍の練度は最悪。

 さらに、前指揮官バークに追従する連中は領主を前にすると何も言えないくせに裏では反発している。こんな状態では待ち伏せ作戦が成功するとしても、あのランドールを阻止できそうにはなかったが、とにかく国のために少しでも敵軍にダメージを与えなければという思いで頭がいっぱいだった。敵が待ち伏せにまったく気づいていないということがせめてもの救い。

 そのように息を殺して待っていたその時、ついに狼煙が上がった。それと同時に移動していた敵軍が動きを止めた。急に止まった敵軍の行進。

「よし、今だ。放て! ひとりでも多く殺すんだ!」

 すかさずハディンがそう叫ぶ。その命令と同時に矢が放たれ、まるで崖崩れでも起きたかのように岩石が転がっていった。

 ナルヤ王国軍は矢と岩石の洗礼を受けながら右往左往し始めた。

 しかしハディンがゆうりよしていたことが起こった。バークの下にいた何人かの百人隊長は、敵軍が現れるなり物陰に隠れて何もできずにいたのだ。ただ、がたがた震えるだけ。

 そのせいで同時多発攻撃ができずにいた。威力が減った状態。さらに、矢の攻撃に敵が動揺すると理性を失って無鉄砲に命令を下す百人隊長もいた。

「とっ、突撃しろ! やつらは困惑している」

「いけません! 領主が絶対に直接的な攻撃は控えろと!」

 隣にいた十人隊長が止めに入るが、理性を失った百人隊長は聞く耳を持たなかった。

「そんなのは状況によって変わるものだ! 突撃しろ!」

 副官がけいしやの下に身を躍らせる。兵士たちは仕方なくその後に続いた。

 国境を越えて奇襲してきた我が軍の動向に敵はまったく気づいていないと確信していたナルヤ王国軍は、待ち伏せ作戦にまんまと引っかかってダメージを受け始めた。ところが、エイントリアン軍に不協和音が生じたおかげで被害は拡大せずにいた。


    *


 数時間前、ナルヤ十武将のひとりランドール・エブハンは退屈な顔で進軍をしていた。

 すると案の定、直属の副官ゲタンも退屈そうな顔で不満を漏らす。

「指揮官に主力軍ではなく囮部隊を任せるなんてあんまりですよ」

 ゲタンの言葉にランドールは返答しなかった。彼の発言をいさめたりもしなかった。

「それより。エイントリアンの領主はなげかわしいやつだとか?」

「はい、指揮官。諜報員によると領地軍もクズ同然です」

「クククククッッ。領主のやつ、今頃何も知らずに女どもとたわむれているだろうな?」

「恐らく、そんなところかと。ただでさえ普段から酒と女に溺れているようなので」

「俺の槍がそんなクズの血で汚されるなんてたまらんな。王の命令だから仕方ないが……。よし。早いとこエイントリアンを滅ぼそう。それで俺の偉大さも証明されるはずだ!」

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