プロローグ 解雇、そして邂逅。 2
日本に向かう旅客機内。
席の隣前後に客がいないことを確認したあと。俺はノートPCを開き、イヤホンを装着すると、キャサリンから渡されていた動画データをクリックした。
動画タイトルは、『家政夫面接 123』。
それは、依頼人の葉咲冬子が撮影していた、これまでの家政夫の面接映像だった。
家政夫依頼書と共にキャサリンにだけ渡されていた映像らしいが……どうやら葉咲冬子は海外出張にそなえ、前々から家政夫を雇おうとしていたようだ。
動画のナンバリングを見るに、少なくとも23人は面接に落ちていることがわかる。
キャサリンの話によると、女性の家政『婦』ではなく男の家政『夫』を募集しているのは、ひとえに三姉妹の身を案じてのことらしい。
葉咲冬子の夫はすでに他界しているため、家に男の家政夫を通わせることで、娘たちを暴漢やストーカーの手から守りたいのだとか。
日本は治安がいいと聞いていたのだが……どうやらそうでもないらしい。
「お、再生されたか」
砂嵐が走り、映像が映し出される。
家のリビングであろう空間。観葉植物かなにかの隙間に置かれたデジタルカメラは、ソファに横並びに座る三姉妹と、その対面に座る家政夫希望者の中年男性を映していた。
俺がまず注目したのは、三姉妹。
(これが、葉咲三姉妹か……)
キャサリンからの依頼書で顔写真は確認していたが、動画で見るのははじめてだ。
向かって、ソファの右側に座っているのが——長女の葉咲
淡い茶髪のポニーテイルをした、ジャージ姿の少女だった。いや、依頼書によると大学二年生、俺と同じ二十歳ということだから、少女と呼ぶのは不適切だろうか。ソファの上にあぐらをかき、鋭く切れ長の目で応募者を威圧するように睨んでいる。不躾というか横柄というか……こう言ってはなんだが、不良のような女性だと思った。
続いて、ソファ真ん中に座っているのが——次女の葉咲
黒髪のセミロングとヘアピン、つぶらな瞳が特徴的な少女だった。長女に相反するように背筋をピンと伸ばし、澄ました表情で応募者の話に耳を傾けている。どこかクールな印象を受ける少女だ。高校二年生とのことだが、直感的に、この少女が三姉妹のリーダーとして舵を切っているのだろう、と察した。
最後に、ソファ左端に座っているのが——三女の葉咲
長い髪を三つ編みにし、分厚い黒縁眼鏡をかけている少女だった。背筋は丸まり、応募者の顔を見ようともせずうつむいている。内気な性格なのだろうか。ただ、その身体つきだけは、三姉妹の中でダントツに豊満なソレだった。とても高校一年生とは思えない。ニットのセーターを着ているのだが、胸元がはちきれんばかりにふくらんでいる。
(みんな綺麗な顔立ちをしているな……)
うつむいて顔がよく見えない三女ですら、鼻や唇の輪郭から美人であることがわかるのだ。きっと三人とも、男性からモテまくるにちがいない。
(なるほど。家政『夫』を雇おうとするわけだ)
これだけ綺麗なら、おかしな男性が近寄ってきても不思議はない。
母親の葉咲冬子は、画面端に足だけ映っていた。まるで面接を見守るような位置だ。家政夫の世話になるのは三姉妹だからと、三姉妹に決定権を委ねているのかもしれない。
話し声は、当然のことながらすべて日本語だった。スパイはマルチリンガルであることが最低条件なので、少女たちの会話もしかと聞き取れた。
(まあ、『元』スパイだけど……)
すこしセンチな気持ちになりながら、会話を聞き進めていく。
中年男性の主張が長く続いていた。料理がこれだけできる、掃除も得意、家事ならなんでもこなせると、とにかく必死になって自分をアピールしていた。
……というか、すこし必死すぎないか? この男。
しかし。そんな男性の熱のこもったアピールもむなしく、三姉妹が下した結果は。
『ゴメンなさい』
という、無慈悲なものだった。
三姉妹のひとり、残酷な結果を告げた次女の桜が、不快そうに眉をひそめながら言う。
『あなた、さっきから庭の洗濯物をチラチラ見てましたよね? 私たちの下着が干されている、あの洗濯物です』
次女が庭先を指差しながら問うと、男性は慌てて否定し始めた。まるで、図星とでも言わんばかりの否定の仕方だった。
『私たちをそんなイヤらしい目で見るひとに、家政夫を任せることはできません——どうぞ、お引き取りください』
にべもなく言い渡すと、中年男性は肩を落として席を立った。
そこで、ひとつ目の面接映像は終了し、次の面接映像が始まる。
その後の面接でも、三姉妹が笑顔を見せることはなかった。大企業の厳粛な面接官かのごとき固い面持ちで、面接希望者たちを蹴落としていった。
見様によってはまるで、男性という存在を忌み嫌い、怖れているかのようでもあった。
「……なるほどな」
23名すべての面接映像を見終え、俺はノートPCを閉じる。
三姉妹の男性に対する感情はさておき、この映像を見てわかったことは、ただひとつ。
三姉妹に嫌われた時点で、俺の家政夫の道は終わる、ということだ。
依頼人の葉咲冬子にはキャサリンが直々に口添えしてくれているらしいが……それでも、三姉妹がうなずいてくれる保証にはならない。
どうにかして、三姉妹に好印象を与えなければ。
「なにもしなかったら、本当に浮浪者になってしまう……」
戦々恐々としている中。無情にも、間もなく日本に着陸する、というアナウンスが機内に響いた。
「なにも思いつかなかった……」
愕然としながら、夕暮れの道を歩いていく。
十月下旬の寂しげな住宅街に、呆れるようなカラスの鳴き声が響いた。
花束や菓子折りなど、手土産を持っていくことも考えた。しかしそれは、見え透いたご機嫌取りと受け取られる可能性があった。事実、あの面接映像でも、手土産を持参した応募者はものの数分で追い払われている。
「元スパイであることをアピール? いや、秘密組織のことをバラしてどうする……」
特技らしい特技を身につけてこなかったのが悔やまれる。
唯一身についているものと言えばスパイとしての技術だが、針金を使った
「趣味も特にないし、娯楽も仕事以外では嗜んでこなかったし……ぐぬぬ、こうして思い返すと、俺の人生灰色すぎないか?」
すでに面接に落ちたかのように肩を落としながら歩いていると、いつの間にか目的地、葉咲家の前に到着してしまっていた。
「……ああ、クソ。もうどうにでもなれ!」
半ばヤケクソで敷地内に踏み入り、インターホンをプッシュ。
程なくして。「はーい」という声と共に、綺麗な大人の女性が出てきた。依頼書で見たから間違いない。このひとが三姉妹の母親、依頼人である葉咲冬子だ。
今年で四十三歳になるらしいが、かなり若く見えるな。二十代後半と言っても通用するレベルだ。日本人は幼顔というが、そうした部分も関係しているのだろうか?
しかし、なるほど。こうして直に見ると、たしかに三姉妹に似ている。正確には、三姉妹『が』似ているなのだろうけれど。
「あら? あらあらあら? もしかしなくても、『
「はい。はじめまして、葉咲さん。本日は面接のほう、よろしくお願いいたします」
依頼主の機嫌を損ねないよう、丁寧にお辞儀をする。
ちなみに。『野宮クロウ』というのは、俺の日本での偽名だ。
『No.009』の『
数分で思いついた名前だが、案外気に入っている。
閑話休題。
「ええ、ええ、こちらこそよろしくねー! いやあ、ほんと助かったわ! 実は、もうこのあとすぐ日本を発たなくちゃいけなくってね。あとはクロウくん待ちだったのよ!」
「え? いやでも、まだ俺が採用されると決まったわけではないんじゃあ……」
「大丈夫よ! キャサリンが認めた子だもの、娘たちも認めるはずだわ——それに、うん。クロウくんと会ったら、たぶん即決すると思うわよ、あの子たち」
ふふふ、と意地の悪そうな笑みをこぼす冬子。
どういう意味だろう? 思わず首をかしげていると、冬子は「まあとにかく、さっさと入っちゃって!」と俺を強引に家の中に招き入れた。
「というか、クロウくんって日本人だったのね。おばさんビックリしちゃった。キャサリンの紹介だから、てっきり外国のひとが来るものだとばかり」
「正確には日系人ですね。半分は日本人ですが、もう半分はわからないそうです」
「あら、そうなの——ああ、ほんとだ。瞳の色がすこしだけ青いのね。綺麗だわ」
「恐縮です」
「じゃあ、クロウくん。そこのリビングのソファで待っててもらえる? いますぐ二階にいる三人を呼んでくるから」
「了解しました」
俺の返事を聞き終わる前に、冬子はドタドタドタ! と小走りで二階に行ってしまった。
なんというか、元気な母親だ。バイタリティにあふれているというか。
いや、それよりも……問題はこのあとの面接だ。
(最初、なんて挨拶しようか……)
これまでの応募者は、社会人らしく堅実な挨拶をしていた。俺も無難にそうしておくべきだろうか? だが、堅い印象を持たれると好印象につなげにくくなりそうだ。かと言って、趣味も特技もない俺に場を和ませるような軽快なトークを披露できるはずもない。
——なんて。
下手なスパイ任務よりも頭を悩ませていた、そのときだ。
「お待たせ、クロウくん!」
冬子が、件の三姉妹を引き連れてリビングに戻ってきた。
すると。
「「「…………」」」
三人が三人とも俺の姿を見て、なぜか唖然とその場に立ち尽くしてしまった。
信じられないものでも見ているかのような、はたまた、なにかに見惚れているかのような、あるいは、探し求めていたものをようやく見つけたかのような、そんな三様の表情だ。
俺はすぐさま立ち上がり、とにかく挨拶しようと頭を下げる。
瞬間。慌てたせいかバランスを崩してしまい、眼前のテーブルにゴン! とスネをぶつけてしまった。
「あらら! 大丈夫? クロウくん」
「え、ええ。大丈夫です、ありがとうございます」
駆け寄ってきた冬子に礼を言いながら、俺はあらためて三姉妹に向き直り、すこし微笑んでみせる。
「あはは……すみません、いきなり失敗してしまいました」
「「「…………」」」
「はじめまして、野宮クロウと言います。本日は、この家の家政夫の面接に——」
「——採用」
ぼそり、と。
そう、熱に浮かされたかのようにつぶやいたのは、茶髪ポニーテイルの長女、夏海。
続けて、隣り合う次女の桜と三女の秋樹が、こくこく、と無言で力強くうなずく。
今度は、俺が唖然とする番だった。
「え、えっと……採用、というのは?」
「ほら、おばさんの言った通りになった! 今日からこの子たちのこと、よろしくね! クロウくん!」
バンバン、と冬子が祝福するようにして俺の背中を叩いてくる。
……なにが決め手になったのかは定かではないけれど、
こうして、俺は葉咲家の家政夫に採用された。