◇金魚と他殺志願者 その3

 二周目を終えて、お土産を購入し、水族館を後にする。

 滞在時間、六時間弱。

 もはやプランもくそもない。出来ることといえば、近場の喫茶店に寄るくらいだ。

 嘆息して空を仰ぐ。

「……曇ってきたな」

「ですね」

 答えた浦見はレザーバッグの中を漁っている。何かを探しているようだ。

 ふと気づく。何故か、顔が青ざめていた。

「浦見?」

「な、何でもありません。行きましょう」

 話を打ち切って、歩調を速める浦見。釈然としないまま追従する。

「そういえば、何を買ったんですか?」

 浦見が、俺の手元にあるナイロン袋を見て言った。

「お土産。うちの学校の同級生に頼まれたんだ」

 俺の回答に、浦見は目を細める。

「……女性ですか?」

「そうだけど」

「私には何も渡さないのに、女友達には渡すんですね」

 不満げな浦見が口を尖らせた。慌てて言い訳する。

「デートプラン作る時に、色々と手伝ってもらったんだよ」

「つまり、私の知らない所で私の知らない異性と密会していたんですね」

「言っとくけど、やましいことは何も無いぞ。潔白だ」

「罪人は皆そう言うんですよ」

 どうやら、まともに話を聞くつもりは無いようだ。

 困った。どう説明すれば納得してくれるのだろう。こういう時の対処法も女川に聞いておけば良かった。

 どうしたものかと悩んでいると、道沿いにあるカフェのテラス席に見知った姿を発見。

 これ幸いと声をかける。

「燕さん」

「んお」

 らしからぬ呆けた声が返ってきた。

 金の長髪をオールバックにした女性。緋色の眼光は威圧的な印象を与える。

 アウターは白いコート。ズボンは白のワイドパンツ。上下白のコーディネートが、金色の腕時計と黒い革靴を際立たせる。

 初対面の不審者を警戒しているのか、俺の後ろへ隠れる浦見。

「目だけで人を殺せそうですね。お知り合いですか?」

たか燕さん。何かと世話になってる、柄の悪い人だ」

「はい死刑な」

 眉根を寄せた燕さんが立ち上がり、アイアンクローで俺の頭部を潰そうとする。

「いてぇです。勘弁してください」

「嘘つけ。てめぇ、痛みなんか感じねぇだろ」

 バレたか。そりゃそうだ。昔からの知り合い。俺の体質も知っている。

 俺を右手一本で拘束したまま、燕さんは命令した。

「あと、女川のアホを何とかしろ」

「俺に言われても困ります」

「お前の監督不行き届きだろ」

「あんなの監督できません」

 監禁しない限り、止めることなど出来ない。

「別の女を斡旋しろ」

「紹介できそうな女性なんて、義母かあさんくらいしかいませんよ」

「大丈夫。女川にとっては攻略対象だ」

 だから駄目なんだよ……。

「あいつ、最近はスズにも絡んでるぞ」

すずめさん、可愛いですもんね」

 何気なく呟いた途端、燕さんの声に殺意が宿った。

「……てめぇ、スズに手出したらマジで殺すからな」

「落ち着いてください。可愛いって言っただけです」

「排除する理由としては十分だ」

 暴論を振りかざし、燕さんは更に力を強める。

 ちなみに、スズというのはこの人の弟だ。雀という名前だからスズ。安易なあだ名。

「覚悟しろ。握りつぶして……ん?」

 このタイミングで、浦見が女子だと気づいた燕さん。ニヤリと不気味に笑む。

「……へぇ。可愛い彼女じゃねぇか」

「いや、彼女っていうか、何ていうか……」

 何と説明するべきか。眼差しで浦見に尋ねた。

「初めまして、浦見みぎりです。淀川さんとは友人として仲良くさせて頂いております」

「はははっ! フラれたな!」

 うるせぇ。心中で吐き捨てる。

 俺の気持ちなど露知らず、燕さんは根も葉もないことを嘯く。

「こいつ『超カワイイ彼女ゲットしたぜ!』って言い触らしてたぞ」

「最低です。勝手なことを言わないでください」

「言ってねぇよ」

 反論を聞かず、浦見が背中の肉をつねってきた。

「お仕置きです」

「止めろ。マジ痛いって」

 身を捩って逃げる。

 しかし、燕さんは逃がしてくれない。

「『好き好き好き好き大好き大好き愛してる愛してるアイラブユーフォーエバー』って騒いでたぞ」

「燕さん、止めてください」

「じゃあ、愛してないのかよ?」

「え?」

 突然のカウンターにたじろいでしまう。燕さんは繰り返し聞いてきた。

「この子のこと、愛してねぇのかって聞いてんだよ」

「いや、えっと、そんなことはなくもなくもないですけど」

「じゃあ愛してるって言え」

「はぁ?」

 理不尽な命令に眉を顰める。

「今言え。すぐ言え。ここで言え」

「ま、待ってください。俺はまだしも、浦見を巻き込むのは止めてください」

 秘技、他人を労る体で他人を盾にするの術。

「……私は、構いませんよ」

「え?」

 浦見の呟きに耳を疑う。その顔は熟れた林檎のように赤い。

「お、おい。正気か?」

「だと思われます」

「自分のことだろ……」

 思われますって何だよ。言い切れ。

 何とか回避する方法は無いか。必死で考える俺を、燕さんが急かす。

「ほら、早くしろ。死刑にするぞ」

「くっ……」

 従わないと、燕さんに締め落とされる。この人の前で意識を失うのは死よりも恐ろしい。

 背に腹は代えられない。俺は覚悟を決めた。

「……愛、してる」

 うわぁ。死にてぇ。死刑にしてくれぇ。

 自殺願望を他殺願望で抑え込み、浦見の様子を窺う。口角が僅かに上がっていた。

 一方、燕さんは顔を伏せて肩を震わせている。俺で遊ぶな。

 燕さんを睨みつけていると、今度は浦見から命令が。

「もっとロマンチックにお願いします」

「ロマンチック?」

「高層ビルの最上階にある高級フレンチレストランで指輪を渡してください」

「無茶言うな……」

 まず、ドレスコードを通過できないと思う。

「サプライズは加点の対象ですよ。頑張ってください」

「減点の対象は?」

「爆破オチと夢オチですかね」

 減点されることは無さそうだな。安心した。

 が、それも束の間。再び燕さんが口を開く。開かなくていいのに。

「つうか、お前ロリコンだったんだな」

「違います」

 多分。きっと。そう信じたい。

 ロリこわい、ロリこわい、と心中で唱えている間に、燕さんが視線の矛先を浦見へ向けた。

 瞬間、全身を強張らせる浦見。警戒心剥き出し。

 燕さんはゆっくりと彼女の方に近づく。

 内ポケットから手帳とボールペンを取り出し、手早く何か記すと、そのページを千切って浦見に渡した。

「ミナに何かされたら、ここへ連絡しろ。八つ裂きにしてやっから」

 間接的な脅迫。反射的に身震いする。

 紙を受け取った浦見は、おそるおそる言った。

「……さすがに八つ裂きはやりすぎじゃありませんか?」

「……だったら、どうしてほしいんだよ?」

 詰問されて、浦見が求刑する。

「可哀想だから、四つ裂きくらいにしてあげてください」

「了解」

 イカれた案が燕さんの独断で採用されてしまった。

 背開きだろうと腹開きだろうと、うなぎにとっては同じだ。可哀想だと思うなら最初から獲るな。捌くな。食べるな。

 やられっぱなしも癪なので、反撃する。

「今日は雀さんとデートですか」

「……わりぃかよ」

 頬を染めて、そっぽを向く燕さん。

「そんなこと言ってませんよ。アツアツですねぇ。ひゅーひゅー」

「はい死刑」

 迫る殺意と腕を躱し、テーブルから距離を取る。

「じゃあ、そろそろ失礼します。デート楽しんでください」

「うっせぇカス」

 逃げるようにその場から離れた。正確には、その場から離れるように逃げた。全力で。

 気を取り直し、我々もデート再開。

 あの人のおかげでお土産問題は先送りされた。誠に遺憾だが、感謝せねばならない。

 つばめさんしようが天の怒りを買ったのか、水滴がぽつりと鼻先を叩いた。

「……雨か」

 あの気象予報士、また外しやがったな。番組側も使わなければいいのに。

 雨は段々と勢いを増していく。急いで、シャッターがおりた商店の軒先へ向かう。

 しかし、浦見は呆然として動かない。虚ろな目で天を仰ぐ。

「浦見。そこで雨宿りしよう」

「は、はい」

 呼びかけに反応して、ようやく浦見が軒先へ移動した。

「傘くらい用意しとけば良かったな」

「し、仕方ないですよ。予報では晴れでしたから」

 珍しく非難されなかった。いや、怒ってほしい訳じゃないんだけど。そういう趣味は多分あるけど。

 セクシュアルな思索に耽っていると、軒先から落ちた水滴が、浦見の足元に落ちた。

 瞬間、彼女の身体がびくりと跳ねる。勢いあまってシャッターに激突した。

「ビビりすぎだろ」

「……うるさいです」

 浦見の反応に違和感を覚える。返答に覇気がない。心なしか、呼吸も荒くなった気がする。

 ──残念ながら、それは気のせいではなかった。

 数分後には顔が真っ青になり、その場でしゃがみこんでしまった。身体は小刻みに震えている。体調不良か?

 意を決し、背中をさするため手を伸ばした。

「お、おい。大丈夫か?」

「いやっ!」

 突然、浦見は思い切り腕を振り回した。彼女の爪が、高速で俺の腕の上を走り抜ける。

「痛っ」

 無意味と分かっていても、腕を押さえてしまう。

 腕に赤い線が浮き上がった。線の端から、赤黒い液体が滴る。結構深く抉れたな。

「すいません! 大丈夫ですか!?」

 息を荒らげて聞いてくる浦見。激しく取り乱している。こんな姿を見るのは初めてだ。

 俺を殺そうとしている人間が、俺を傷つけて狼狽している。客観視すると滑稽な絵面。

「俺は大丈夫だから、まずはお前が落ち着け。どっか痛いのか? 持病か? 病院行くか?」

「……手を、握ってください」

「手?」

 場違いな要求に、声がひっくり返ってしまった。

「気持ちの問題なので、安心したら落ち着くと思うんです。……だから、お願いします」

「わ、分かった」

 恥ずかしながら、こういう形で女子と手を繋ぐのは初めて。緊張してしまう一八歳。

 ズボンで自分の手を拭ってから、彼女の手を握った。

 細くしなやかな指から伝わる、ひやりとした感触。葬式で握った母の手に似ていた。

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