◇金魚と他殺志願者 その2

 がら空きの電車に乗って、近隣の水族館へ向かう。

 本日は久々の快晴。風は強いが、屋内であれば問題なさそうだ。

「そういえば、何で今日はOKだったんだ?」

「それは……」

 実を言うと、今回のデートは二度延期されている。先週と先々週。理由は雨。遠足かよ。

「……晴れ、だからです。雨は駄目なんです」

 浦見は躊躇ためらいがちに答えた。

 屋内デートなのに、天候を気にする理由。女川も分からないと言っていた。

 ただ、おかげでプランをじっくり練ることが出来た。満足してもらう自信はある。

 ……まぁ、ほとんど女川が考えたんだけど。



 電車を降りて歩くこと数分。目的地に到着した。

 がしら水族館。今年でオープンから四七年。歴史と趣のある水族館だ。

 全面ガラス張りの外観に圧倒されながら館内へ。

 人はいない。タッチパネル式の自動券売機だ。建物の厳かな雰囲気とは、不釣り合いな安っぽさ。

「えーっと、チケットの値段は」

「私の分は結構です。年間パスポートを持っているので」

 年間パスポートなんかあるのかよ。ていうか、そんなに来るのかよ。

 一人分のチケットを購入し、更に奥へ進むと、二人の女性が現れた。通路の両端に立ち、営業スマイルを浮かべている。こう言っては失礼だが、ちょっと不気味だ。

 女性にパスポートを見せる浦見。

「たくましい脚ですね」

「余計なことを言うな馬鹿」

 失言を注意しつつ、女性の前を通過。なぜか俺が睨まれた。

 水族館など、いつ以来だろうか。ここも前々から興味はあったのだが、実際に訪れたのは初めてだ。しかも、隣には可愛らしい少女。自然と気分が高揚する。

 落ち着け俺。舞い上がってプランを忘れるな。大切なのは、退屈な時間を作らないこと。沈黙はご法度だ。

 浦見が早足で館内を進む。俺も歩調を合わせる。

 突き当たりを曲がると、いきなり大きな水槽が現れた。縦一メートル、横二メートルほど。中を泳いでいるのは、メダカやフナなどの小魚たち。

 水草と朽木の配置が絶妙で、池や川の一部をそのまま切り取ったかのような臨場感。底に敷かれた白砂も美しい。

 水槽が見えた途端、彼女は勢いよく走り出す。はやる気持ちを抑えられなかった模様。

「おい、危ないぞ」

 俺の声など聞こえていない。水槽にへばりつき、食い入るように中を見つめている。小学生みたいだ。

「落ち着け。走るな」

「お、落ち着いています」

 嘘つけ。声、裏返ってるぞ。

 展示の一部と化した浦見は、五分経っても、一〇分経っても、移動する気配が無い。

「……閉館までに出られなくなるぞ」

「し、失礼しました」

 そう言ったのに、次の水槽を見た途端、また走り出す。失礼を繰り返す。

 正直、意外だ。もう少し自制心の強いタイプだと思っていた。

 ……子猫的な愛らしさはある、かな。

 解説によると、この辺りは特定の魚ではなく、水槽を一つの作品として展示しているらしい。『山中の小川』や『冬の湖』など水槽一つ一つにテーマがあり、それを限られた空間の中でいかに表現するか、趣向を凝らしているとかいないとか。そんな感じの長文が水槽の脇に記されていた。

 周囲を見回す。大小二〇の水槽が、等間隔で展示されていた。

 受付には、じっくり観ても一時間程度で一周できると書いてあったが、このペースだと倍以上はかかりそうだ。

 カップル向けのスマホアプリや簡単に遊べるゲーム、困った時の話題一〇選など色々準備してきたのだが、この様子だと披露する機会は無いだろう。まぁ、別にいいけど。

 浦見の後を追いかけながら、展示を楽しむ。

 規模が小さい分、客が飽きないよう展示方法や演出に工夫が施されている。照明の当て方が上手いのか?

「綺麗だな」

「……な、何ですか? ご機嫌とりですか?」

「え? 何が?」

「……まぎらわしいことを言わないでください。減点です」

 苛立った浦見に、腹を強く殴られた。遅まきながら失態に気づく。

「そ、そんな水槽よりも、お前の方が綺麗だぜ」

「水槽に勝っても嬉しくありません」

「いや、本当だって。超可愛い」

「……嘘です」

「嘘じゃない。浦見ちゃんマジ天使。一万年に一人の美少女。パーフェクト」

「わ、分かりました。もう結構です」

「浦見ちゃんと一緒にいられてめっちゃ幸せ。他には何も要らない。ノー浦見ノーライフ」

「止めてください。恥ずかしいです」

「思いが溢れ出して止まらない。浦見ちゃん世界一。神より神ってる。アイラぶっっっ」

 再び腹を殴打された。いいパンチ持ってるじゃねぇか。

 腹をさする俺に、浦見が詰問する。

「最後、何を言おうとしてました?」

「……忘れた」

 三度、腹を殴られた。1ラウンドTKOだった。



 淡水魚。海水魚。熱帯魚。両生類。甲殻類。水生昆虫などなど。多種多様な生物の展示。

 その中でも、特に浦見が興味を示したのは、金魚のコーナーだった。

 ダークブラウンの内装。昭和の下町を思わせる。

 セピア色のポスターや看板、雑貨が通路沿いを彩っている。頭上には金魚の形をしたちょうちんと、金魚柄のガラスで覆われた灯籠。

 夏祭りの縁日の中を歩いているような懐かしさと、幻想的な雰囲気が混在している。不思議な空間だ。水族館側も、このコーナーには力を入れている様子。

 その中央。金魚の大群が、角柱形の大きな水槽の中を優雅に泳ぎ回っている。琉金という種類らしい。丸みのある体形と、揺れる長いひれが特徴的。色も赤、黒、白、金、紅白、赤白黒の三色など様々だ。

 じっと水槽を見つめる浦見に尋ねた。

「金魚、好きなのか?」

「というより、飼育下に置かれている生き物が好きなんです。野生の生き物は嫌いです」

「へぇ。何でだ?」

「自然の中で自由に動き回る動物を見ていると、『お前なんかいなくても生きていける』と言われている気がするんです」

「……言いたいことは、何となく分かる」

 全ての生き物が、その存在をもって、己の存在を否定している気がする。

 そんな感覚に苛まれることは珍しくない。

 浦見が水槽を優しく撫でる。

「ここにいる生き物は、誰かに助けてもらわないと生きていけない。そういう、生き物として欠陥を抱えている存在が、とても愛おしく感じるんです」

 その思考には、激しく共感した。

 ここの魚たちは、自分より遥かに巨大な誰かの意志で生かされている。生きることを強要されている。本当は死にたいかもしれないのに。

 そう考えると、同族嫌悪ならぬ同族恋慕に駆られた。……恋慕?

 謎のノイズに戸惑っていると、浦見は神妙な顔で言い切った。

「だから、刺身は天然より養殖派です」

「そこもかよ」

 食う時は関係ないだろ。養殖も美味いけど。

 笑いが、記憶の片隅からノイズをかき消し、忘却させた。

 金魚コーナーを出ると、曲がり角の先から外の光が見えた。出口だ。

 その先には中規模の売店がある。おかしやぬいぐるみなどが売られていた。

 結局、一周するまでに通常の倍以上の時間がかかってしまった。プラネタリウムは諦めた方が良さそうだな。

「あの」

「ん?」

 どうかしたか? 目線で尋ねる。

「……もう一周しても、いいですか?」

 無論、拒否権はなかった。

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