◇金魚と他殺志願者 その1
「デートをします」
「でーと?」
おうむ返しすると、対面に座る浦見は深いため息を吐いた。
一瞬、本気で何語か分からなかった。それくらい馴染みのない単語。デート。
男女が日付と時間を決めた上で会うこと。また、その約束。
定義上は、今この瞬間もデートの最中だ。
あれから、俺たちは数回の逢瀬を重ねた。浦見が通う高校の放課後や休日に、今日みたいに初めて会った喫茶店(同じ席。満席になることは永遠に無いと思われる)へ足を運び、しばらく話す。日によっては店を変えたり、服屋や雑貨屋、書店をぶらついたりする。
最後は、浦見の自宅前で総括。という名のダメ出しパラダイス。
ただ、改めて宣言したということは『いつも通りでは駄目』ということだろう。
「初めから終わりまでのデートプランを練り、私をエスコートしてください」
「そんなこと言われても、俺デートなんかしたことないぞ」
「言い訳は聞きません。最高のデートを用意する。私の要求はそれだけです」
「……りょ、了解」
拒否権はない模様。浦見が高飛車に続ける。
「厳しく採点しますから、死力を尽くしてくださいね。赤点を取ったら、殺してあげませんよ」
「採点基準は?」
「私の主観です」
打つ手なしじゃねぇか……。
◇
翌日。最高のデートを用意するため、俺はある人物を頼ることにした。
電話で聞かなかったのは、件の人物が男からの着信を基本的に無視するから。
久々に高校へ行き、久々に授業を受けた後。
向かっているのは、美術準備室だ。
同級生や教員から、卒業の可否や成績について聞かれた際、俺は『大丈夫』と答えるようにしている。嘘ではない。大丈夫か大丈夫でないかで言えば、絶対に大丈夫だ。問題なし。ノープロブレム。
問題を問題と認識できないことは幸せだ。と考えている時点で本当は問題だと認識しているのか。つまり足りないのは認識ではなく危機感。あと興味関心意欲態度勉強根性友情愛情。
自己分析の結果、絶望。同時に準備室へ到着。あの人いるかな。中を覗き込む。
いた。
壁に背を預けた女と、その女に右手で壁ドンをかましている女がいた。
それだけでは飽き足らず、壁ドン女は壁女の顎に左手を添えて、自分の方へ向けた。俗に『顎クイ』と呼ばれる動作だ。
薄い扉越しに声が聞こえてくる。
「駄目です。こんな所で……」
「大丈夫だよ。……だから、ね? いいでしょ?」
「……ちょっとだけですよ」
了承を得た瞬間、二人の唇が重なった。
優しいフレンチ・キスを何度も繰り返す。どことなく幻想めいた光景。
躊躇なく扉を開け放つ。
「っ!」
音に反応して、壁女の肩がびくりと跳ねた。一方、壁ドン女は落ち着き払った態度。
顔を真っ赤にした壁女が、全力疾走で俺の横を駆け抜けていった。
「……うす」
「いいところだったのにー……」
恨めしそうに俺を睨む壁ドン女。本名は
俺を美術部に引き込んだ張本人であり、高校で唯一、まともな交流がある生徒だ。
青みがかった黒髪を、ポニーテールにしている。翡翠色の瞳は宝石のように美しい。
蜂蜜色の肌。彫りの深い目鼻立ち。しなやかな肢体。
黒のワイドパンツとカーキ色のシャツを合わせており、垢抜けた雰囲気。私服校だから許される服装だ。
身長はかなり高い。浦見姉ほどではないが、十分すぎるくらい魅力的な容姿。ちなみに、推定Fカップ。ちなみにちなみに、浦見は確定Aカップ。
俺はFカップをたしなめる。
「学校でいかがわしいことするのは止めろ」
「してないよ。平日は」
嫌な倒置法だった。土曜日ならしてもいいのかよ。
彼女は破顔して言う。
「初めて会った時も、こんな感じだったよね」
「成長してないな」
「全くだよ。しっかりして」
こっちの台詞だ。
「そういえば、
また着信拒否されたのか……。
「……あの人に変なことするな。紹介した俺が怒られるんだぞ?」
「何もしてないって! ほんとほんと! キスする前に殴られたから!」
「してるじゃねぇか……」
ため息を吐いて室内を見回す。
八つの長机を二つずつ使って、四つの島が作られている。どの机にもデッサン用のモチーフやハードカバーの書籍、各種資料が山と積まれており、今にも崩れそうだ。
壁際には個人用ロッカーと本棚。反対側の壁際には、電子レンジや冷蔵庫などの家電が並べられている。雑然とした空間とは、こういう場所を指すのだろう。
家電が置かれた机の下。段ボールの中から紙コップを取り出し、インスタントコーヒーの粉末を投入。電気ポットで湯を注ぐ。
「で、誰に用があって来たの? 人に聞かれても問題ない内容なら、伝えておくけど」
「……お前に、聞きたいことがあるんだ」
「
首を傾ける女川。一人称に自分の名前を用いる人間は、俺の知り合いには彼女しかいない。
「……デートプラン作るの、手伝ってほしい」
一瞬で距離を詰めた女川に、両肩を強く掴まれる。ついさっきまで沸騰していたコーヒーがこぼれそうになった。
「相手はどんな子!? エロい!? 卑猥!? いやらしい!?」
「お、落ち着け」
実質一択じゃねぇか。
火傷を防ぐため、机上の僅かなスペースにコップを置く。
「エロくはない。けど、容姿は整ってる。……どっちかと言えば、可愛い部類だと思う」
「ならば死ね」
「お前が死ね」
「殺されろ」
殺されるよ。言われなくても。
正気を取り戻した女川が確認してくる。
「要するに、聞きたいことってデートプランの組み立て方?」
「そんな感じだ」
「何で好に聞くの?」
「他にあてがないから」
「男友達いないの?」
うん。いないの。女友達もいないの。頷くと、女川は小さく嘆息した。
「……とりあえず、好にもコーヒー淹れて。というか、自分がコーヒー淹れる時は女の子にも飲むかどうか確認しなさい。これ鉄則」
「わ、分かった」
慌ててコーヒーを用意。紙コップを女川に手渡す。
「まず、その子は何が好きなの?」
「分からん」
即答。女川が薄目を向けてきた。
「……ヤる気ないなら代わってよー」
ヤる気は無い。殺られる気はあるけど。
「次。運動は好き? ずーっと外にいても平気なタイプ?」
「それは無理だな」
「だったら、屋外は避けるのが無難じゃない? 行くなら映画館とかー、ゲーセンとかー、水族館とかー、プラネタリウムとかー」
ふむふむ。提案を脳にメモした。
「あと、何をするにしても、基本的には二〜三の選択肢を提示して選ばせてあげなさい」
「何で?」
「理由なんか知らなくていいの。こーすれば女の子が喜んでくれるってことだけ覚えとけば、オールオッケー」
「『どっちでもいい』って言われたら?」
「相手の趣味嗜好を考慮して決める」
趣味嗜好なんざ分かんねぇよ。
表情で心の声が伝わったらしく、女川は眉根を寄せた。
「相手のこと、知りたいと思わないの? デートに行くってことは、脈ありなんでしょ?」
脈ありどころではない。俺の人生が懸かっているのだから。
しかし。それでも。知りたいとは思わない。
「……俺、自分にとって都合のいい部分だけ見ていたいんだよ」
「……好きな人のことであっても、自分に不都合な部分は知りたくない?」
「好きな人に限った話じゃねぇけど」
浦見が好きか否かという部分はスルー。
「……そっかー」
嘆息した女川は、紙コップ片手に扉の方へ。
「寂しーね」
廊下へ出て行く直前の一言が、耳にべたりとこびりついた。
「……うるせぇ」
◇
デート当日。集合時刻三〇分前。俺は待ち合わせ場所の駅前へやって来た。
服装は全て浦見セレクト。黒のライダースジャケットをメインに据えたコーディネートだ。
髪もオールバック。ジェルマシマシのバリカタである。
無論、外見だけ整えた訳ではない。
あれから、俺と女川は議論に議論を重ね、一つ一つの案を慎重に検討し、綿密な計画を立てた。具体的には、女川の案(身体をまさぐる、耳を舐める等)を徹底的に潰した。
その結果『二秒で抱ける! 最強デートプラン!』という最低な名前のプランが完成。
二秒で抱けるかどうかはさておき、プラン自体の完成度には自信がある。
あとは、俺が忠実に遂行するだけ。余裕だ。
………………多分。
二〇分後。浦見が小走りで現れた。
動きに合わせて、水色のフレアスカートが揺れる。やや大きいベージュのカーディガンを羽織っており、肩には普段使いのレザーバッグ。可憐な雰囲気に胸が高鳴る。
「待ちましたか?」
「いや、今来たところだ」
「良かったです」
安堵の息を吐く浦見。
女川いわく、これが正しい対応らしい。『三〇分前には待ち合わせ場所へ行きなさい。その上で、相手には待っていないと笑顔で答えるのよ』と、何度も口酸っぱく言われた。
正直、意味不明だ。どうして三〇分前に来なければいけないのか。どうして待っていないと言わなければいけないのか。さっぱり分からない。
分かるのは、女川が俺より遥かに女性のエスコートを心得ているということだ。また、貴重な女性目線の意見でもある。従わない理由はない。
呼吸を整えてから、偉そうに腕組みする浦見。
「さて。約束のデートプランは練ってきましたか?」
「いくつか考えてきた」
自分で命令したクセに、浦見は驚いた様子。
「……期待はしていませんが、聞いてあげましょう」
「映画館か、水ぞ」
「水族館がいいです」
食い気味に言われて戸惑う。
「……他にも候補あるけど」
「水族館がいいです」
「……」
「水族館」
頑として譲らない浦見。
やはり、俺に拒否権は無いようだ。