◇死神と他殺志願者 その3
次の目的地は美容室だった。
蜂蜜に似た甘い香りのする中、散髪が行われる。
結果、俺の髪型は生まれて初めてのオールバックとなった。大量のジェルで固めたせいか、髪を手で動かすとバリバリという音がする。
「かなり改善しましたよ。良かったですね」
木目調の待合室にて。ロッケンロールな俺の容姿に、浦見は満足そうな面持ち。
「……お前の理想、ちょっと古臭くないか?」
「黙って従ってください。愛してあげませんよ。殺してあげませんよ」
ふと思う。俺はこいつに利用されているだけなのではないか?
現在、俺の生殺与奪は彼女に握られている。
他に愛してくれる人間のあても無いので、全ての要求に唯々諾々と従うしかない。
いずれ『そこにあるビルの屋上から飛び降りてくれたら殺してあげます』などと言い出すかもしれない。先行きに不安を覚える。
「帰りますよ。早くしてください」
そんなに急いでどこへ行く。心中で呟き、後を追って店から出た。
携帯電話で時刻を確認。午後五時一一分。
慣れない場所を連れ回されたせいで疲れた。英気を養うため、明日の授業は休むしかない。浦見のせいだ。俺は悪くない。
留年したら学費を請求してやる。企むと同時、浦見が歩調を緩めて、俺の隣へやって来た。
計画を悟られぬよう目を逸らす。
「こちらを向いてください」
命令が下された。仕方なく立ち止まり、顔を浦見の方へ。
値踏みするような眼差しで、俺の全身をチェックする浦見。妙に気恥ずかしい。
一分後。彼女は小さく嘆息する。
「まぁ、及第点といった所ですかね」
「これだけやって、まだ及第点なのかよ……」
多分、俺史上最高得点だぞ。
うなだれる俺に、浦見が追い討ちをかけてくる。
「貴方のような人間が、この程度で変われると思ったら大間違いです。自惚れないでください」
「シビアだな」
「妥協しない主義なんです」
「その主義で生きるの大変そう」
「この主義で死ぬのはもっと大変ですけどね」
その発言には激しく同意だった。
◇
浦見を自宅の門前に送り届けた所で、初めてのお出かけは終了を迎えた。
彼女の自宅は二階建ての木造住宅。
芝生の敷かれた広い庭園には、手入れされた立派な松が何本も屹立している。
「金持ちなのか?」
「ですね。実の父母ではありませんけど」
聞くと、左の浦見は真顔で答えた。
実父と実母の不在。新たな共通項。
人間は、自分と近しい要素を持つ人間と一緒にいることで安心する。同族からの理解と共感、肯定が大好きだ。
だから、勝者は勝者を求める。敗者は敗者を求める。強者は強者を求める。弱者は弱者を求める。
そして、常識という偏見を一層強固にし、排他性を強めていく。
結論。俺が浦見にこれといった理由もなく惹かれるのは自然なことであり、断じてロリコンではない。
自分で自分に言い聞かせていると、浦見が今日一日の総括を始めた。
「貴方の矯正には、相当な労力が必要ですね」
「それは俺の労力であってお前の労力ではないだろ。労するのは俺だろ」
「添削と指導には多大な労力が必要なんです。貴方には分からないでしょうけど」
何でお前には分かるんだよ。誰の何を添削・指導した経験があるんだよ。
と、言った所で意味が無いのは重々承知。文句は飲み下し、説教を受け入れる。
「……よし、決めた。俺はお前に歩み寄るための努力を惜しまない。その代わり、お前も歩み寄る努力はしてくれ。お互いに協力しよう」
「……分かりました」
真面目な表情で答えた浦見が、一歩距離を詰めてくる。
何のつもりかと聞く前に、ひしと抱き着いてきた。
「っ!?」
慌てて真意を読み取ろうとするも、表情は見えない。ただ、耳は朱色に染まっている。
「……オプションは頼んでないぞ?」
精一杯のジョークも虚しく、彼女は不服そうな面持ち。
「リアクションが薄いです」
「あ、当たり前だろ。攻撃に対してリアクションすると、苛烈さは増すんだから」
「……苛烈になったら、嫌ですか?」
上目遣いでの問い。返答に窮する。
「……内容次第かな」
「これくらいなら、どうです?」
言うと、浦見は爪先立ちして、耳に吐息を吹きかけてきた。
「ちょっ、ちょっと待て」
必死に頼んでも、彼女は離れようとしない。さすがに抵抗を試みる。
「これ以上攻撃が苛烈さを増す場合、俺も反撃せざるを得ないぞ」
警告されて、浦見が視線を泳がせた。
「や、やれるものならやってみなさい。私は抵抗しません。抵抗するまでもありません」
言ったな? すかさず浦見の視界の外から手を伸ばし、耳たぶをつまんでみた。
「にゃっ」
にゃっ? 甲高い奇声を脳内で復唱すると同時、足の甲が踏み抜かれた。
「い、痛ぇ……」
激痛に悶絶。足の甲を押さえる。ピンヒールじゃなくて良かった。
首元まで赤面した浦見が、小走りで家の玄関へ。扉を開き、素早く中に逃げ込む。
「変態行為は自重してください」
僅かな隙間から言い捨てて、ぴしゃりと扉を締め切った。
取り残された変態は堪らず呟く。
「……こっちの台詞だよ」
◇
帰宅後。自室のベッドに横たわり、ぼんやり天井を見上げる。
生活感はあるのに生気が感じられない。なのに落ち着く。奇妙な空間。
そんな安寧を邪魔する、携帯電話からの着信音。
画面には見知らぬ番号が表示されている。
間違い電話か? おそるおそる通話ボタンを押した。
「もしもし」
『おつかれ〜』
甲高く、空々しい声。
「……花子?」
『花子?』
スピーカーから呆けたおうむ返し。
「すまん、間違えた。死神だな」
『どう間違えたら花子になるの?』
死神もとい浦見姉はケラケラと笑った。
「……こんな時間に、何の用だ?」
『声が聞きたくなっただけ』
「っ、…………さいですか」
そんな台詞、生まれて初めて言われた。だから、適切な返答も分からない。
ぎこちない反応を受けて、クスクス笑う浦見姉。
『ドキっとした?』
「……してねぇし」
普段より強く心臓が拍動しただけだし。
深呼吸している間も、浦見姉は尋ねてくる。
『どう? みぎりと上手くやっていけそう?』
「まだ分からん。基本的に他人と上手くやっていけたことがないから」
『まるで身内とは上手くやってきたかのような口ぶりだね』
「まるで身内とは上手くやれなかったことを知っているかのような口ぶりだな」
なぜ分かった? エスパーなのか?
異能力バトル展開に備えていると、浦見姉が小声で呟いた。
『そういう意味では、似た者同士かもね』
「……」
いや、みぎりの身内はお前だろ。出かかった言葉を飲み下す。
『他に感想は? 何でもいいよ』
「……耳たぶが柔らかかった」
『……ちょっとキモい』
「何でもいいんじゃなかったのかよ……」
図らずも嘆息が漏れた。浦見姉は偉そうに続ける。
『女子の「何でもいい」を真に受けちゃ駄目。常識だよ』
「アインシュタインいわく、常識とは一八歳までに身につけた偏見のコレクションらしいぜ」
『アインシュタインに語れるほど、女子は簡単じゃないよ』
だとしたら誰も語れねぇよ。
人類最大の難問に頭を抱えていると、
『じゃあ、そろそろ切るね。また電話するから、番号登録しといて』
「……了解」
『愛してるぜい。なんちゃって』
返答を待たず、電話が切られた。
普段より強く心臓が拍動した。