二章 小さな客人 三



(取り逃がしたか)

 しゃんと手にあるしやくじようを鳴らしていしきで地面を突くと、純有は立ち止まった。

 確かに昨日のむすめと、あやかし一ぴきは視界に入っていたはずなのに、路地の角を曲がって彼らの姿がいつしゆんだけ見えなくなった。すぐに純有も角を曲がったのに、彼らの姿はなかった。こつぜんと消えた。その先は行き止まりにもかかわらず。

 寺院の裏だろう。通りに面して生けがきがあり、その向こうには本堂のかべと墓地。道をはさんで逆側には、民家のいたべいが連なっている。

(あやかしにかどわかされたと思っていたが。実は、あやかしの仲間だったのか、あのむすめは)

 あの娘が人であるのは間違いない。ただ、人でありながらあやかしのそばに身を置く者どもは、いにしえから存在する。人の世に背を向け、あやかしとけつたくようりよくたくわえる者たちが。

 彼女がその一員でないとは言い切れない。そうであれば人間であっても、あやかしと同類と見なし、めつするべき存在。

(ことに、ここは浅草。ほむらの一族のこんせきがある)

 するどい光が純有の目に宿る。

(あの娘が一族の生き残りであれば)

「足が速いなぁ、坊さんよ」

 背後から声をかけられた。その男が純有の後を追っているのには気づいていたので、驚きはしなかったし、ふり返ることもしなかった。

 鳥打ちぼうかぶったその男は、笑顔で純有に近づいてきた。純有よりも少し年長だろうが、ふらふらといい加減に生きている者のようで、態度が悪くことづかいもなっていない。

「あんた、あの娘の知り合い? それとも見ず知らずだが、あの娘と話でもしたいのかな? ひとれかい? なんにしても協力してやってもいいぜ。俺はあの娘とはちょいといんねんがあってね」

 れ馴れしくかたに手を置き、男は純有の顔をのぞき込む。

「あの娘は何者だ」

はらうもの払ってくれたら、教えてやるよ」

「あなたは、あやかしの下僕か」

「は?」と、男はきょとんとした。

「違うようだな……」

 口にしたそのしゆんかん、ぞっと背筋にかんが走る。冷たい妖気。太陽の光が明るく降り注ぐ冬の空気が、純有の周囲だけぴたりと動きをとうけつさせたようだ。

「桂川龍介」

 不思議ないんのある低い声。声の方向を見やると、生け垣の向こうに一人の男が立っていた。黒の二重回しを身につけた青年を見て、純有は息をめた。

おそろしいほどの妖気。しかし……美しい)

 きよは三歩。これほど近付かれるまで気配に気づかなかったのは、周辺の空間すべてを自らに同化させるようにこうはんに妖力を拡散できるためだ。よほど妖力が強いあやかしでなければ、ここまで力をせいぎよできまい。

「これはこれは。忽那先生」

 あやかしから、桂川龍介と呼ばれた男は、おおぎようこしを折ってしばがかった礼をする。顔をあげると不敵な笑みを見せた。

「先生をさがしていたんですよ。ちょっと、お宅にうかがいたくて。家の場所、教えてもらえません?」

「礼金は払った。その先のせんさくは無用と言ったはず」

「先生のらいは終わりましたよ。けれど、俺は商売しているんでね。別の依頼もありまして」

「命がしければ、わたしに関する依頼は断るべきだな」

 あやかしがうっすら笑うと、龍介の顔が引きつる。

じようだんきついですよ」

「わたしは、冗談はきらいだ」

 それから美しいひとみに純有の姿が映る。

「貴君は、見たことのない顔だ。しかしその殺気にはずいぶん昔から覚えがある。代々受けがれる術の気配だな。ようしゆりようの者か」

ていに……おまえのような者がいるとは」

「わたしのような者? 言うではないか。わたしが何者かも、わかるまい?」

 ゆうの笑みで彼は続ける。

「二人とも、わたしにはかかわらない方がいい」

 それだけ言うと身をひるがえす。寺の本堂のかげへ消えた。

 龍介はぽかんとしていたが、純有も動けなかった。

 あやかしのすきのなさに動く機をいつしたのもあるが、それ以上に、あやかしのたたずまいとようぼうの美しさにおどろいたのだ。あれほど、美しい姿のあやかしが存在するとは。古文書の中に残る、伝説のあやかしのようではないか、と。

(あんなものが、まだ、この地に存在するのか)

 純有は背後に立つ龍介をふり返った。

「あなたは、あの者がだれか知っているのだな。何者ですか」

 問われた龍介はしかつらで答えた。

「忽那青紀だよ」

「忽那青紀?」

 聞き覚えのある名だが、どこで聞いたかは思い出せない。龍介は驚いたように声の調子を一段上げる。

「知らないのかい。作家の忽那青紀だ」

「ああ。聞いたことがあります」

 流行作家の名だ。純有のようなしゆぎようざんまいの人間にとっては最もえんどおらく世界だが、名だけは時に耳にする。意外な驚きだった。あやかしが人として世に交じり生きることは多いが、世間で名を知られるようにまでなっている者には、めつに会ったことがない。そうなるには、あやかしとしての妖力以上に、人の世をわたる用心深さと才覚がなければならない。

「作家。そうですか」

「あんたがなんのつもりで、あの娘を追っかけてたかは知らないが。あの先生の様子じゃ、手を出さねぇ方が無難だな。俺も、よけいなことをしない方が良いかもな。おっかないぜ」

 つばいて歩き出した龍介の背を見送り、純有は内心で「あなたは、その方が良い」とつぶやいた。だらしない感じの男だが、かんが鋭そうで、そのおかげで生き残っている種類の人間だろう。

 純有は、あやかしが消えた方向に再び目を向ける。

(強大な妖力のあやかしだ。人の形をしているが、ほんしようは、なんのあやかしであろうか)

 路面電車がどうを走る音が、冬空にひびいていた。

(忽那青紀、か)


    ◆◆◆◆◆◆◆


 茶釜がお勝手で出汁だしをとり、ぞうすいの準備をしている間に、女の子が目覚めた。

 ねむったことで元気を取りもどしたらしく、茶釜が準備した玉子雑炊をがつがつ食べた。茶釜の作った雑炊はなかなかのものだった。

 使い込まれたなべに、つやつやぽってりとしたやわらかくかれた米。こん出汁で炊いてある。しらすを混ぜ込んでいるので、ほんのりいそかおりがした。それを包むように半熟のき卵が表面をおおう。真ん中に、しゃきしゃきとした三つ葉を刻んでのせてあった。

美味おいしそうね」

 とめると、茶釜は三回宙返りして、「それほどでもないですぽん」と、照れていた。

 食事の後、女の子をに行かせている間、佐名は蔵へ向かった。女の子の着物があまりにもひどかったので、えさせるつもりだった。身なりを変えることで、ぼろぼろでげてきたという女の子の気持ちを少しでも明るくできるはずだ。

 見つけ出したのは、おそらく佐名が幼いころに着ていただろう着物。子どもらしいきっぱりした赤地に、白いこう模様。帯ははつらつとした黄色。

 風呂上がりにそれを着せ、かみをくしけずると、ちがえるほど可愛かわいらしくなった。

 ほおはふっくらとして、にかっと人なつこく笑うとえくぼが出る。がおは、やんちゃそうにすら見えた。

「可愛いおべべ。ありがとう」

 女の子はくるくると、たたみの上で二回転ほどして、そでがひらひらとれるのを楽しむ。

「似合うわ」

「うち、ずっと昔から、赤いおべべが欲しかってん」

 つかれがとれて腹もふくれ、清潔になったこともあるだろうが、それ以上に女の子は、赤い着物がうれしそうだ。頬を上気させている。

「喜んでくれて、よかった」

「うん、うん! 生まれ変わったような気分やわ。可愛いわぁ」

 安心と心地よさを手に入れた上で、さらに重ねられた喜びを感じて、佐名も嬉しくなる。女の子の仕草も表情も、見違えるように溌剌としていた。

(たかが身なり、されど身なりね。表情まで違うもの)

 自分が選んだ着物が女の子に似合っていることに、満足した。

「馬子にもしようですね!」

 茶釜が、褒めているのかけなしているのかわからないことを口にする。

「あ、茶釜……。その、この子は」

 だぬきしやべり出したら、女の子は驚いて飛び上がるのではないか。佐名はあわてて女の子をふり返ったが、彼女は驚きもせず、にっこりした。

「この子、喋れるんやね。えらい子狸やな。げんかんでも喋っとった気もするけど、うち、あんときはふらふらやったさかい、こんな偉い子やと思わへんかった」

「喋れるどころか、料理もおそうもします。ちなみに雑炊を作ったのも僕です」

 後ろ足で立ち上がりふんぞり返る茶釜に、女の子は「そら、おおきに」と頭を下げた。

「驚かないの?」

 佐名の方が、女の子の反応に驚いた。

「うん、別に。だって狸は化けたり化かしたりするのがつうやん」

 そんなごうたんなことを言う。

 ろう側のふすまが開く。青紀が来たのかと身構えたが、細く開いたすきからするりと入ってきたのは、真っ白なきゆうぎつねだった。茶釜がいやそうな顔をしたが、子狐は茶釜など無視して佐名と女の子のかたわらに来て、ちょこんと座る。

「この子、この家の子なのよね、茶釜」

 くと茶釜は、鼻の付け根にしわを寄せる。

「品のない、可愛らしくもなんともない、ぽんこつ狐は、この家に住んでます」

「仲悪いの?」

「狐ですよ!? うさぎよりはましですけど。僕、兎を見るとどんな兎でも、どろぶねにくくりつけて川に流してやりたくなるんです」

「かちかち山ね……気持ちはわかるけど、やっちゃだめだよ」

 女の子は畳に正座すると、子狐に向かって深々と三つ指をつく。

「おじやしております」


◆◆◆◆◆◆◆


 なぜかていねいあいさつをする。こたえるように子狐が、ふぁさふぁさ尻尾しつぽる。

 佐名は子狐をきあげて、胸にかかえた。茶釜が、ますます嫌そうな顔をして「ご主人様。毛まみれになって、ばっちいです」と注意する。

「ありがとう。この子にもご挨拶してくれて」

「当然やん」

 顔をあげた女の子の前に、子狐をひざに抱いて座る。背をでられる子狐を横目で見て、茶釜が「嫌らしいなぁ」とぶつくさ言っていたが、子狐はつんとまし顔だ。しかしあまりにも茶釜の不平たらたらの呟きがうるさかったのか、すぐに佐名の膝を下りて廊下へ出て行った。

「昔から狸と狐は仲悪いて決まってる、相場通りやな」

 女の子はおもしろそうに、きゃらきゃら笑う。

「あなた、名前はなんていうの?」

わらしって呼ばれとるよ」

「それは名前じゃないよね。『ぼうや』とか『おじようちゃん』って呼ばれるのといつしよだから。あなた自身の名前は?」

「名前は、ない」

「そうなの? お父さんとお母さんは? 堂島ていにいつからいたの?」

「お父ちゃんもお母ちゃんも、知らん。ずうっと昔にはいた気もするけど、覚えてへん。堂島屋にはな、昔から住んでたんや。堂島が上方にいた時から一緒にいて、東京にも一緒に来たから」

「上方?」

 堂島家の先祖は時代には堂島屋と号し、大阪で小間物のあきないをしていたと聞いている。それがしんとともに東京に移り、こつとう商となり、明治末期に堂島屋から堂島骨董商会に屋号を改めた。

 この女の子は、上方から堂島と一緒に東京に来たと言う。しかも堂島家の屋号を、今はだれも使わない堂島屋と呼ぶ。

 さらに喋る子狸におどろきもせず、当然のように受け止めた。

(まさか)

 佐名は目の前の女の子を見つめる。

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