第1話 魔法学園に入学したけどCクラスでした 2
「はーあ……」
レントはため息をつきながら、マナカン王立魔法学園への道を歩いていた。
王都の大通りである。両脇には王国の国章である獅子の旗が翻り、街は華やかな雰囲気に包まれている。
対照的にレントの心は重い。
なにしろ先日の入学試験でレントは魔力値がゼロと測定され、最低のCクラスに入ることになってしまったのだ。
筆記試験と面接試験が満点という快挙だったため、彼の落ち込みはより大きかった。
生物が体内に持っている魔力とはべつに、空気中には微量魔力というものが存在している。
魔力ゼロのレントはどうやら、この微量魔力を使ってなんとか魔法を扱えていたようだった。
つまり、レントが実践していた数々の魔法は全然すごいものではなかったらしい。
「そりゃそうか。もう八百年も経ってるんだ。魔法だって進歩してるよな……」
ファーラント家の祖先の伝説の大魔法使いが、マナカン王家の始祖である勇者とともに魔王を討伐したのは八百年前。
当時最先端だった魔法技術は、今では時代遅れの遺物でしかないということだったのかもしれない。
「ま、落ち込んでても仕方ないか」
レントは両手でパンパンと頬を叩くと、そのまま両腕を上に持ち上げた。
幸い不合格にはならず、最低クラスとはいえ魔法学園に入学することはできたのだ。
真面目に学んで、少しでもいい仕事を見つけて、父と母と妹に楽をさせてあげればいいのだ。
「よーし、やるかー」
レントは気分を切り替えて、魔法学園への道を行く。
基本的に楽天的な性格なのだった。
「ん?」
ふとレントは足を止めた。
魔法学園まであと少しといったところの路地裏で、魔法学園の制服を着た、見覚えのある人の姿を見つけたのだ。
「あれは……」
入学試験のときすごい成績だった赤髪の少女。
たしかサラとかいう名前だった。
彼女と向き合っているのは、黒いフードで顔を隠した三人の人物。
サラが三人に向かって告げる。
「諦めなさい。そんな怪しい格好で王都をうろつくなんて、捕縛してと言ってるようなものよ」
どうやら、サラが黒フードたちを見とがめたらしい。
声をかけたら黒フードたちが逃げ出したので、それを追いかけて、この路地裏に追い詰めたところ……といった感じだろう。
「ちっ……」
黒フードの一人が小さく舌打ちした。
そして、なんの予備動作もなく魔法を放った。
闇属性・第七位階魔法、ダークフレア。
「っ……ファイアウォール!」
サラはとっさに炎の壁で防ぐ。
しかし黒フードが放った闇色の魔法は触れた瞬間に彼女の魔法を消失させた。
「なっ……!」
サラは驚きに目を見開く。
まさか自分の魔法が破られるとは思っていなかったようだ。
たしかに今のファイアウォールはすごい魔力量だった。
しかし、炎属性の第二位階魔法では闇属性魔法とは相性が悪すぎる。
「ダークアブソーブ……!」
べつの黒フードがさらに魔法を繰り出す。
物質を消失させる闇属性魔法……黒フードはサラをこの場で消す気だ!
レントはとっさに駆け出す。
闇色の球体は地面や周囲の壁を取り込み消失させながらサラに迫る。
「な、なにっ……⁉」
彼女は初めて見た魔法に驚いたような様子で、その場から動けないでいた。
「伏せて! ライトショット!」
レントはそんな彼女の前に躍り出ると、光属性・第七位階魔法を放つ。
闇色の球体に激突した光の弾丸が弾け、まばゆい光が路地裏に満ちる。
「ぐっ……!」
あまりの眩しさに目を伏せるレント。
やがて——目を開けたときには黒フードたちの姿は消えていた。
レントは息をつき、サラに振り返る。
「ふう……大丈夫だった?」
「……すごい」
レントが差し出した手をとることもなく、唖然とした表情でサラは呟いた。
「なに今の魔法……私の魔法が効かないなんて……しかもその魔法を打ち破るなんて」
「あのー」
「っ!」
レントが再度呼びかけると、サラははっとして彼を見る。
それからなぜかすごく怒ったような表情で彼を睨み、自分で立ち上がると、走って路地裏を立ち去ってしまった。
「……えーと」
レントは差し出した手を持っていく場がなくなって立ち尽くす。
けっきょくあの黒フードたちは何者だったんだろう。
あと、サラはどうしてなにも言わずに立ち去ってしまったのだろう……。
「——ヤバい! 入学式!」
レントも慌てて路地裏を飛び出す。
きっと彼女も入学式に遅れると思って急いだのだ——とレントはそう考える。
基本的にお人好しなのだった。
魔法学園の正門を入ってすぐの前庭には、貴族や大商人の馬車が停められ、着飾った新入生たちがお供を連れてぞろぞろと歩いている。
レントはその脇を抜けて入学式の会場へ向かおうとするのだが……。
「きゃあ、ルイン様よ!」「素敵! なんてお美しい!」「私を見て笑ったわ!」「違うわよ私よ!」
ちょうど到着した馬車から現れた新入生に、貴族の令嬢がわっと群がっていき、レントは突き飛ばされてしまう。
「ちょっと! 邪魔よ!」
「ご、ごめん……」
すごい剣幕の女子生徒に、文句を言う隙もなかった。
ルインというのは、たしかマナカン王国の王子だ。
四属性魔法全てを自在に使いこなす天才で、王位継承権は五位ながら、国民の人気は一番。美しいと評判の王妃の血を受け継ぎ、ものすごい美形とのことで、特に女性の人気が高いそうだ。
ちなみにレントも四属性の魔法を全部使うことができるが、魔力ゼロの自分が使うものなのできっと大したことはない。王子が使う魔法は、現代の魔法戦でも通用する、しっかりとしたものなのだろう、とレントは考える。
そんな王子をちょっと見てみたい気もしたが、取り囲む女子が多すぎてまったく姿はうかがえない。
レントは諦めて入学式会場に向かった。
入学式会場は、普段は訓練場として使われている中庭だった。
すでに多くの生徒が並んでいる。正面には、偉い人が挨拶するのに使うっぽい仮設のステージが組まれていて、その奥に布を被せられた大きなものが建っていた。
あれはなんだろうなとレントが眺めていると、案内役らしい教官が声をかけてきた。
「君は新入生かな。どうかした?」
「あ、はい。あの、布を被っているのはなんですか?」
「ああ、あれはルナ・リバロ校長の石像だ。先日、あの方が新たに魔法術式を編み出した功績が認められてね。最高位魔法使いの位を国王から授かったんだ。その記念として石像が作られたのさ。入学式の最後に、あの石像も披露される予定だ」
ルナ・リバロの名前は田舎者のレントでも知っている。
魔法によって長寿を獲得し、すでに百歳を超えているにもかかわらず現役の魔法使い。現代の魔導の最高峰と言われ、魔法学の新たな道を次々と切り拓いている。石像が作られるのも納得だ。
「そろそろ入学式が始まるぞ。早く列に並びたまえ。君の所属と名前は?」
「あ、はい。俺はCクラスの——」
レントが名前を言うより早く、なんなら『Cクラス』の『ク』のあたりで教官の態度が激変した。
「Cクラスならあっちだあっち。なにぼやぼやしてるんだ。さっさと並べほら」
レントの背中をバシバシ叩いて、ここから追い出そうとでもしているみたいな態度だ。
「痛っ、痛いって、わかりましたよ……」
レントは教官から逃げるように、言われた場所に向かう。
しかしすぐに迷ってしまった。
教官が示したのは中庭の外れだったのだが、そっちには魔法の訓練で使うらしい道具が置いてあるだけで、並ぶようなスペースが見当たらない。
「あれ、どこに行けばいいんだ?」
「あ、あの……」
レントが困っていると、声をかけてくる生徒がいた。
薄い水色の髪の小柄な少女だ。おとなしそうな顔を、困ったような表情にしている。
「あの、Cクラスの方ですか?」
「うん、そう。君も?」
「そ、そうです。よかったー。どこに行ったらいいのかわからなくて……」
「……奇遇だね。俺もなんだ」
「え……」
言葉に詰まってしばし見つめ合い、二人はどちらからともなく笑い出す。
「えっと、俺はレント。レント・ファーラント。君は?」
「わ、わたしはディーネです。よろしくお願いしますっ」
としっかりと頭を下げるディーネ。
自己紹介は済んだが、どこに行けばいいのかは相変わらずわからない。
そこへ、また一人生徒がやってきた。
「なに、あの教官の態度は。気に入らないわね」
「あ、君は」
さっき路地裏で黒フードたちと対峙していたサラだった。
「さっきはどうも。えっと、君もCクラス?」
意外だった。彼女の魔力の総合値はたしか一万を超えていた。そんな生徒はほとんどいなかったはずだ。
なのにどうしてCクラスに……。
「っ……!」
サラはレントに気づくと、びっくりしたように目を丸くして、そのまま顔をそらしてしまった。
なんだかわからないが嫌われてしまったのだろうか。
ともかく、Cクラスの生徒がここに集められているのは間違いないようだ。
しかし他のクラスの生徒がスペースを与えられてきちんと整列しているのに対して、なんていい加減な扱いだろう。
レントが困っていると、乱暴な声がぶつけられる。
「邪魔だ。どけよ、Cクラスの雑魚ども!」
見れば、いかにも貴族という服装の男子生徒がニヤニヤしながら立っていた。
「えっと、君は?」
レントが問いかけると、彼は偉そうに喚き立てる。
「無礼だぞ! この僕の顔を知らないのか? かのタンブルウィード伯爵家の三男にして、天才魔法使い! この魔法学園にも当然のごとく優秀な成績でAクラス入学を果たした、シフル・タンブルウィードだ! 憶えておけ、落ちこぼれども」
「ごめん、王都の事情には疎くて。まだ名家の名前も詳しく知らないんだ」
「ふんっ、そんなお前はどこのどいつだ」
「えっと、俺はファーラント家の——」
「おおっと、そこにいるのはブライトフレイム家のご令嬢ではないか!」
レントが名乗ろうとしているのを無視して、シフルは赤髪の少女に目を向ける。
「せっかくの魔力と魔法の才能があるのに、口の悪さでCクラス入りとはね。お父上が嘆いていなかったかい? 僕の誘いを断るからこういうことになる」
「…………」
「今からでも遅くない。僕が口利きすれば、君もAクラスに行けるよ。こんなゴミためとはおさらばだ。どうだい、サラ」
無言を貫く彼女——サラに対して、シフルの態度はだんだん馴れ馴れしくなる。
どうやら二人は旧知の間柄らしい。
そして、とうとうシフルがサラの肩に手を載せようとしたところで、サラはその手を払って、シフルを睨みつけた。
「寄らないで。無能がうつるわ」
「……どういう意味だ」
睨み返すシフルに、サラは怯むことなく続ける。
「あなたの魔法の実力なら、本来Bクラス入学が妥当。それなのにAクラスだなんて——口利きがうまくいってよかったわね。おとうちゃまにたくさんお礼を言っておくといいわ」
「このっ! 僕を侮辱して!」
シフルが手を持ち上げると、彼の手のひらから魔力が放出される。
「ちょっとちょっと、こんなところで魔法使うつもり⁉」
「けっ喧嘩はいけませんよぉ!」
レントとディーネは焦って止めようとするが、シフルは即座に魔法を発動した。
「ウィンドブラスト!」
強力な風の一撃を相手に与える第二位階魔法だ。
空気の塊がまるで砲弾のようにサラを狙う。
「ファイアウォール」
サラはそれをなんてことないように炎の壁で防御した。
シフルのウィンドブラストは簡単に弾け飛んでしまう。
しかし——その破片の一つがディーネに向かって飛んできた。
「危ないっ!」
レントはとっさにディーネをかばおうとするが、間に合わない。
レントの見たところ、ウィンドブラストの威力は大したことがない。
だが、それは自分が時代遅れの古代魔法しか知らないからだとレントは考えた。
現代の魔法は、小さなサイズの魔法に、強烈な効果を及ぼす術式などを組み込んでいるのかもしれない。
だとすればディーネが危ない。大怪我をするかもしれない。下手をしたら死んでしまうかも。
レントはとっさに魔法を発動する。
レントにとっては未知の現代魔法に対処するために、全力で魔力を練り上げる。
「——ウィンドショット!」
ウィンドショットは小さな風の球を放出する第一位階魔法だ。時間がなかったので、これくらいしか放てなかった。
(なんとか、これで防げればいいけど……!)
レントの手から離れた風の球がウィンドブラストの破片とぶつかる。
そのとたん二つの風魔法はぶつかり、軌道を変えた。
次の瞬間——轟音とともに強烈な爆風が発生した。
ゴォ! とまるでドラゴンが羽ばたいたような砂埃が巻き上がり、風魔法はシフルの髪を数本切断して、すぐ横を吹き抜けていく。
融合した風魔法はさらに勢いを増し、うねりを打ちながら立ち並ぶ生徒たちの上空を通過し、正面のステージを越え、布を被せられた校長の石像に激突した。
どがあああああああん‼‼
強烈な音が中庭に響き渡る。
「な、なんだ⁉」
「魔族の襲撃か? テロか?」
「うわああ! 石像が!」
巨大な石像が布を被ったまま倒れて、地面に激突した。
どごん、がらん、がらがらがら……と、あからさまに粉々になっている音が響く。
「お、おい、どうするんだ、あれ……」
蒼白な顔で呟くシフル。
「知らないわよ」
呆れた顔でため息をつくサラ。
「わ、わたしのせい、ですよね……ご、ごめんなさい!」
その場に土下座する勢いで頭を下げるディーネ。
「いや、悪いのは君じゃない」
しかしレントは、ディーネにそう告げると、シフルに向かって言う。
「おい、危ないじゃないか!」
「あ、はあ?」
「なんであんな強力な魔法を放ったんだ! へぼいウィンドブラストに見せかけて、あんな強烈な破壊力を仕込んでおくなんて!」
レントは、石像を破壊したのは、シフルの魔法だと思っている。
王立魔法学園の校長の石像だ。魔法防御のための障壁が施されていないはずはない。しかもそれは現代魔法のもの。現代の魔法障壁を突破できたのなら、原因はシフルが放った現代魔法に決まっている。
レントはそう考えている。
しかしシフルは激しく反論してきた。
「ば、バカを言うな! それはこっちのセリフだ! お前こそ僕を殺す気か! もうちょっとズレていたら当たっていたぞ!」
「ふざけないでよ。あんな弱いウィンドショットで死ぬはずないじゃないか」
もちろん、なんの防御もしなければ危ないかもしれない。
だが、レントが放ったのは時代遅れの古代魔法だ。そんなもの、現代魔法の防御を使えば、簡単に防げるに決まっている。
しかしシフルは目を見開いて怒鳴ってくる。
「あ、あ、あれがウィンドショットだと⁉ ふざけるな! あんな強力なウィンドショットがあってたまるか! どう考えてもウィンドカノンだろ!」
ウィンドカノンはウィンドショットよりも強力な風の塊を撃ち出す魔法だ。主に城の攻略などの戦争時や大型モンスター退治などに使用される魔法で、対人戦闘で使うようなものではない。
「当てつけか! 当てつけだな! 当てつけに決まってる! Cクラスのくせに僕をバカにして! お前、名前は⁉」
「だから俺はファーラント家——」
「うるさい黙れ! Cクラスの落ちこぼれの名前なんか憶えてやるもんか! バーカバーカ!」
自分で訊いておきながらレントの言葉を遮って、シフルは逃げるように立ち去った。
「…………なんなんだ、あれは」
あれが王都の貴族というものなのか。
しかし魔法の実力は確かなものだった。なにしろ分裂した上、レントが弾いて威力が減衰されたはずのウィンドブラストであの威力だ。さすが現代魔法はレベルが違う……とレントは思っている。
「あ、あの……!」
ディーネが呼びかけてきた。
「ああ、そうだった。大丈夫? 怪我はない?」
「は、はい! 助けていただいてありがとうございます」
「ううん、大したことはしてないよ」
「それはどうかしら」
と、赤髪の少女——サラが口を挟んできた。
彼女は腰に手を当ててレントを睨んでいる。
「あの威力……どう考えてもシフルのヘボ魔法じゃなくてあなたの力でしょう? なんでCクラスであんな魔法が使えるの?」
サラは真剣な口調で言ってくるが、レントは納得がいかない。
「君までからかわないでほしいな。俺は魔力値ゼロって言われたんだよ? そんな強力な魔法を使えるわけないじゃないか」
「あなたが、あのときの……?」
サラの目が鋭くなる。
レントが魔力ゼロと測定された場には、サラも残っていた。レントの姿は見ていなくても、あのときの騒ぎは知っていたのだろう。
「そんなバカな話があるわけないでしょう? さっき黒フードのやつらを追い払った魔法だって信じられない威力だったわ。この私でも太刀打ちできなかったのに!」
「いやあれは相性の問題で……」
どうしよう。なんかいろいろと勘違いされてしまっている。
「教えなさい! あなたは何者⁉ なんであんな魔法を使えるの⁉ どうして実力を隠してCクラスに入ったの⁉」
「ちょっ……近い近い近いって!」
ぶつかりそうなくらいレントに迫って顔を近づけてくるサラ。
息が鼻に当たる距離だ。
その勢いと、彼女の整った顔に戸惑っているところに、教官が数人駆けてきた。
「おい、君たちか、さっきの魔法は!」
面倒なことになりそうだった。
王立魔法学園の入学式で起きた石像破壊事件は、生徒同士のいざこざということでケリがついた。
けっきょく、誰の魔法が破壊の直接の原因だったのかはわからないが、タンブルウィード家の名前が出たことで、事件は内々に収めることになったようだ。
あとから聞いた話だが、タンブルウィード伯爵家は、王国全土の魔法使いを管理する魔法省の長官を代々務める家柄で、魔法関連の人事には強い発言力を有するとのこと。
魔法学園も、かの家とは良好な関係を保っていたいようだった。
その日の入学式は中止となり、式は改めて翌日開かれた。
校長の石像の姿は、その場にはなかった。