第一章 第五話 二つを一つに

 フェロキア暦二一五年になった。ジレンが初めて《融合契約》してから、九年もの歳月が流れたのだ。

 それは俺が三三歳になったことを意味する。三〇歳になったばかりのときは、「三〇歳になったといっても大して変わりないな」などと思っていたが、この頃になると老いを意識せずにはいられなかった。

 たとえば、一晩寝ても体力が回復しない。肉を食べ過ぎると胃がもたれる。いまだに一〇代のような若さを保っているシスター・ノアがうらやましいと思えるほどだ。やはり彼女にはエルフの血でも混じっているとしか思えない。

 ティアナは一三歳になった。歴史に与える影響は小さいと判断されたのか、因果律は本来死ぬ運命にあったはずの彼女の生存を未だ許している。

 シスター・ノアに育てられたからだろうか、ティアナもまた美しく快活に育った。年齢が年齢だけに、「来年にでもウチの息子の嫁に」という求婚の申し出があったことは一度や二度ではない。もっとも、ティアナに求婚があったむねを伝えるとかたくなに拒否されたものだった。

「絶対にイヤ! ジレッドもジレンもわたしがいないとダメなの!」

 シスター・ノアは日中いつも孤児院で働いているし、俺もジレンもやることがある。結果的に、家事を担当するようになったのがティアナだった。まあ家事ができれば働き口もあるだろうし、俺やシスターも助かってるので異存はない。

 最近はティアナがいないと家事が回らなくなっているのは事実だ。そのせいで彼女の嫁入りが遅れるようなことだけはあって欲しくない。まあそもそも──冷静に考えるまでもなく、ティアナを他の男にやるのもしゃくである。結局、すぐにティアナに結婚の話をすることはなくなってしまった。

 ただ、一つ問題があった。精霊使いが二人いる我が家では、毎日のようにに入れるという庶民らしからぬ特権がある。それはいいのだが、ティアナが自分にできることを模索した結果、ある発想に行き着いてしまったのだ。

「ジレッド、お風呂入ろう! 背中流してあげる!」

 初めてそんなことを言い出したのは六、七歳ぐらいだったか。当時は可愛かわいいものだと思った〝お手伝い〟だったが、習慣というのは恐ろしいもので一三歳になった今もそれは続いている。さすがにもう俺の方が気恥ずかしい。嫁入り前の娘がやることではない。

 一方、ジレンは一五歳になった。もう幼さは欠片かけらもなく、身長も急に伸びている。九年前に契約したノームもすっかり使いこなしていた。

「見ててくれ、ジレッド」

 その日も、森に連れ出された俺の目の前で、ジレンは《大地の一打》と呼ばれる術を使ってみせた。大地の精霊ノームによって投じられた石が、木をへし折る。

 俺より早く召喚術を学び始めてるので当然ではあるのだが、明らかに俺よりノームを使いこなすのが早い。どうやらごく小さい範囲でなら、歴史というものは結構簡単に変わってしまうものらしい。

「見事だ。もう威力だけなら俺と遜色ないな」

「そうだろ!? 俺もあれだけ練習したからな!」

 この頃には地水火風の精霊と契約を成功させていたジレンは、すっかり一人前気取りだった。一人称もの頃からか〝俺〟になっていた。「あなたの影響を受けたからでしょ」とはシスター・ノアの指摘である。

 実際、地水火風の召喚術が使えれば、一人の人間として生きていくのに困らない。ジレンも今やシスターに仕送りする立場だ。いよいよ昔の自分をそのまま見ているようで恥ずかしい。

 だが精霊使いとして問題も生じていた。ジレンも年齢を重ねたためか、すでに新しい精霊を感知することはできなくなっていた。これはすべての精霊使いに共通することなので仕方ない。今こそ、《過去転移》に伴う最大の実験をするときである。


   ◆


「ジレン。一五歳になった記念だ、贈り物がある」

 ある日、俺はいつも召喚術の練習場として使っている街近くの森にジレンを呼び出した。

「ジレッドから贈り物なんてこの魔晶片の指輪以来だぜ? 一体なにをくれるんだ?」

 当然ながらジレンはなに一つとして俺を疑うことなく、待ち合わせ場所に現れた。

「まあ慌てるな、少し説明が必要だからな。いいか、おまえが契約できたノームやウンディーネは、分類で言えば下位精霊と呼ばれる存在だ。下位がいるんだから、当然上位精霊もいる。だが上位精霊は、俺たちが持ってるような小さな魔晶片じゃ探し出せない」

「俺だって調べたよ。魔晶石が必要なんだろ?」

「そうだ。もっと大きな魔晶片、すなわち魔晶石は各国が厳重に管理しているせいで、おいそれと入手できるものじゃない。もっとも、たとえば大地の上位精霊タイタンを感知するには、まず自分の魂を大地の属性に慣れさせる必要があると言われてるんだが」

「タイタンと契約したけりゃ、ノーム数体と契約を交わす必要があるってことだろ? 無茶な話だよな、召喚酔いがある限り」

 ジレンの言う通り、精霊使いが一代で上位精霊と契約するのは極めて難しい。ごくまれに特定の属性と非常に相性がよく、上位精霊と契約できる精霊使いもいるが、少数の例外に過ぎない。

「だが方法はある。精霊使いは一代ではなく、先祖代々何百年にもわたって召喚術を極めようとしてきた。実力のある精霊使い同士を結婚させ、生まれた子に親の能力を引き継がせる方法があるんだ」

「聞いたよ。親子で一緒に《霊魂化》して、子が親と《融合契約》を行うことで力を引き継ぐ……って話だろ?」

「その通りだ。精霊使いになって数年もてばそれぐらい学ぶか」

 精霊使いは魔晶片を使うことで、自分の魂を異界に飛ばすことができる。《霊魂化》と呼ぶ術で、ようするに一時的に自分を精霊と同じ存在にするのだ。

 そして遠い昔、人間が《霊魂化》できる以上、人間同士の《融合契約》も可能ではないか──そう考えて実行した精霊使いたちがいたという。

 最初は失敗した。精霊使いは自分と相性のいい精霊としか契約ができないように、他人同士では効果がなかったのだ。だがすぐに、血のつながりがあれば、最大で五割ほどの力を引き継がせられることが分かったのだ。

 血の繫がり。ようするに親子や兄弟であることだ。たとえば親であれば子に五割の力を引き継がせることができる。兄弟の場合はかなり特殊で、まったく引き継がせられない場合もあれば、かなりの割合で融合できることもあるらしい。

 つまり夫と妻がそれぞれ一〇〇の力を持った有能な精霊使いであれば、その子に五〇と五〇、合計一〇〇の力を引き継がせることができる。その子が育ち、別の精霊使いと結婚すれば、さらに優秀な召喚士が生まれるという理屈だ。だからこそ歴史ある名門精霊使いの一族はすさまじい力を行使でき、世界中で貴族として重く用いられているのだ。長い歴史を持つロヴェーレ帝国などは、非常に強力な精霊使いを何人も抱えているという。

「この中に面白い事例があってな。ある双子が《融合契約》を行ったんだ。その結果、どうなったと思う?」

 俺の問いかけに、ジレンはキョトンとした。

「……どうなったんだ?」

「一〇割の《融合契約》が可能だったらしい。記録によれば、双子の弟が兄に対して《融合契約》を行った結果、兄はこの世かられいさっぱり消えせたそうだ。だが、消滅した兄の記憶を弟は完全に保持していたらしい」

 一般人であれば信じがたい話だろう。だが何度も《霊魂化》と《融合契約》を体験してきた精霊使いなら別である。

 当然、ジレンもその一人だ。精霊と魂で結びつくという意味をよく分かっており、だからこそ少なくとも「そんな馬鹿な」と一笑に付すようなことはしなかった。

「不思議だけど、精霊使いならそういうこともあるだろうさ。でもジレッド、その話が俺への贈り物とどう関係あるんだ?」

「分からないか? 贈り物は俺だよ。おまえに俺のすべてをやる。俺と《融合契約》するんだ」

「ま、待ってくれ! どういうことだ、他人と《融合契約》はできないんだろ!? まさか、あんた……俺の父親なのか!? いや、シスター・ノアもティアナも俺とあんたがそっくりだってよく言ってたけど……」

「それはそうだな」

 思わず笑ってしまった。この一五年、「あなたたち、本当に親子じゃないの?」という指摘を何度シスター・ノアにされたか知れない。当たり前だ、俺たちは同一人物なのだから。

「俺とおまえは親子じゃない。俺はな、未来からやってきたおまえなんだ」

 真実を告げると、ジレンは驚くでもなく先にぽかんと口を開けた。

「み、未来? そんな馬鹿な……」

「信じられないのも無理はない。とにかく《融合契約》してみればいい、それで俺の考えていることもすべて分かるはずだ」

「ほ、本気なのか!? もし仮に……仮にだけど、本当にジレッドが未来の俺だとすれば、確かに魂の相性はいどころじゃない、完全一致するはずだ。《融合契約》すれば本当に一つになるのかもしれない。ジレッド、これはとんでもないことだぞ! うまくいけば……召喚術を極められるかもしれない!」

 最初は戸惑っていたジレンだが、次第にその顔が歓喜に染まり始めた。俺は思わず苦笑した。かつて時空の精霊の存在を知り、召喚術を極められるのではと思い至った俺と同じ反応だ。

「いや、でも……待ってくれ」

「ん? どうした、ちゅうちょする必要はないだろう?」

「仮にあんたの考え通りだとすると、あんたは消滅するんだろ? そんなことになったら……シスターやティアナが悲しまないか?」

「……痛いところを突くな」

 確かにそれは気にならないと言えばウソになる。この世界でシスター・ノアと共に過ごした時間は一五年にもなるのだ。もとの世界では母親同然だった彼女だが、この世界では信頼できる相棒だった。苦労しながら一緒にジレンとティアナを育てたこと、彼女に綺麗な服を着せて共に街を歩いたこと、すべて今でも鮮明に覚えている。彼女になんの感情も持っていないわけがない。

「だが俺はいなくなるわけじゃない、記憶も能力もすべて若いおまえが引き継ぐだけだ。大体、まだ歴史を確定させるつもりもない。これからまた別の歴史が始まることになる……と言っても分からないだろうが」

「……いや、分かるよ」

 ジレンは静かに言った。

「ジレッドは過去に戻ったって言ったよな。そうか、それがジレッドの目的だったんだな。そうやって召喚術を極めようとしたんだ、さすが未来の俺だ。分かった、さっさと《融合契約》しよう」

 まったく同じ人間だからか、あるいはこの一五年で信頼を得ることができたのか。俺の突飛な提案を、ジレンは受け入れた。

「よし、では始めるぞ。《霊魂化》だ」

 俺とジレンは目を閉じた。まずは自身を《霊魂化》させる。つまり魂となって異界へ赴くのだ。

 俺にとっては久しぶりの《霊魂化》だが、感覚は体が覚えていた。指輪についた魔晶片を通じ、異なる次元に魂が飛ぶことを想像するのだ。

 間もなく体の感覚がなくなったような気がした。自分の体から抜け出すような感覚もあった。そして俺の感覚は異界に飛ぶ。

 異界は不思議なところだ。色の概念もなく、明るさの概念もなく、物理的な距離の概念もない。自分の体や地面があると思えばある気になってくるが、ないと思えばない気にさえなってくる。

 だが感慨にふけっている場合ではない。《精霊感知》の要領で、すぐに何かの存在を感じた。この世界で誰よりも俺と相性のいい相手──ジレンだ。

(ジレン。俺の力をやる。受け取れ)

(……分かった)

 俺とジレンが魂によって結びつく──というより、ジレンが俺の存在そのものを吸い上げようとする。俺はあらがうことなく、そのまま流れに身を任せた。

 そして、俺は消滅した。

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