第一章 第四話 召喚術の訓練


 この街に来て、もちろんただ働いていただけではない。日々の生活が安定すると、俺はジレンに本格的な召喚術を教えようとした。

「やった、本当!? 僕なんでもやるよ、教えてジレッド!」

 そのことを伝えるとジレンは飛び上がらんばかりに喜んだものだ。

「そんなにうれしいか? 召喚術を学ぶことが」

「うん! 今度は僕が召喚術でお金を稼いでシスターやティアナに贈り物をするんだ!」

 シスターのために働きたいという動機は立派なものだ。だが俺は羞恥で顔が熱くなるのを感じていた。完全に昔の自分と同じことを言っているからだ。召喚術を一通り学び終えれば、今度はより召喚術を極めたいと言い出すようになるだろう。まったく、多少のはあっても文字通り歴史は繰り返すものらしい。

 それから俺は、ジレンと共に街を出て近くの森へと向かった。人目を避けるためだ。ジレンは真名さえ教えれば、俺と契約した精霊を召喚できる。そういった事情を他人に知られることは避けたかったのだ。

「さて、ジレン。俺たち精霊使いは三つの技を使う。覚えてるな?」

「うん。《精霊感知》と《霊魂化》と、魂を結びつかせる《融合契約》でしょ?」

「そうだ」

 異界に存在する相性のいい精霊を《精霊感知》で探し出し、自らを《霊魂化》、つまり一時的に精霊と同じ存在になることで接触する。そして精霊の真名を知ることで魂を結びつかせるのだ。

「おまえはどういうわけかもうノームを召喚することができる。だとしても、《精霊感知》が一番重要であることは変わらん。《精霊感知》こそ召喚士の基礎だし、感受性の高い子供のうちにしかできないことだからだ」

 それが一代では召喚術が極められない理由だ。たとえば、俺が召喚術を極めようと志したのは一〇代半ば。だがそのころには、俺に精霊を感知することは難しくなっていた。二〇代、三〇代になればいよいよ新たな精霊と契約することは至難になるという。

「おまえに魔晶片を預けてから一年がつ。精霊の存在は感じ取れるようになったか?」

「うん、多分。地面の中に、いつもなにか存在を感じるようになったよ」

 ジレンは事も無げに言ってのけた。《精霊感知》ができるのは一〇〇〇人に一人と言われている。《精霊感知》ができないゆえに、精霊使いになることを諦める例は珍しくない。

 もちろん、当然と言えば当然だ。俺も七歳のころにできたからだ。そんな俺の経験に基づく指導を受ければ、ジレンにできないはずがない。うらやましい話でもある。二〇歳を越えた今の俺には、もう新しい精霊は感知できないからだ。

「じゃあ今日は一歩先へ進める。次に必要なのは、おまえが一時的に精霊と同じ存在になることだ。つまり《霊魂化》だな。精霊と同じ存在になって、ようやく異界にいる精霊に会いに行けるようになる」

「そ、それが一番難しそうなんだけど。どうすればいいの?」

「指輪に付いている魔晶片だ。おまえが感じ取った精霊の元へ、魔晶片を通して移動すると想像しろ。自分の魂だけが魔晶片を通して精霊の元へ飛んでいくと考えるんだ。そして精霊の場所まで辿たどり着いたら、真名を教えてくれるよう頼みこめ」

「ちょ、ちょっと難しくない!? 魂になって移動!? そんなことできるの!?」

「大丈夫だ、《精霊感知》の方がよっぽど難しい。おまえはすでに精霊を見つけた。その精霊を目印に、辿り着くことだけ考えるんだ。魔晶片の効果を信じろ」

 実のところ、俺のこの解説が正しいとは思っていない。もっと万人向けするやり方もあるのだとは思う。

 だが俺にできたことはジレンにもできるはずでジレンにはこのやり方が適切に違いないのだ。

「異界で精霊に接触さえできれば、交渉次第で真名を教えてくれるはずだ。精霊の真名を教えてもらうことで、おまえと精霊は魂で結びつくことになる。これが《融合契約》と呼ばれる儀式だ」

「分かった。やってみるよ」

 ジレンは追い詰められた表情をしていたが、俺は心配していなかった。未知の感覚で居場所を察知しなければならない《精霊感知》より、見つけた精霊の場所へ向かうという想像さえできれば可能な《霊魂化》の方が圧倒的に難度は低いからだ。

 実際、ジレンはしばらく四苦八苦していたようだが、やがてその体が硬直した。《霊魂化》に成功したのだ。霊魂となったジレンが自分の肉体から抜け出し、異界にいる精霊の元へ向かったのだ。

 もっとも、ジレンが戻ってくるまでに大した時間はかからなかった。

 異界と俺たちの住む世界とでは、時間の流れが違う。《霊魂化》して異界に辿り着きさえすれば、ジレン本人の感覚ではどれだけ長い時間が経とうと俺から見ればほとんど時間は経たない。

「できたよ、ジレッド」

 間もなくジレンは目を開けて、静かに言った。いや、声は静かだったがどこか興奮を隠せないでいるのが分かる。

「ノームのドーリって言うんだって。力を貸してくれるって」

「それが真名と呼ばれるものだ。その名を知っていれば、もうおまえは精霊が召喚できる」

「ど、どうすればいいの!? 早くやってみたいよ!」

 ジレンのはしゃぎぶりは、新しいおもちゃを与えられた子供そのものである。俺も非常に覚えがあるので、見ていてなんとも恥ずかしい。

「いいから落ち着け。でないと──倒れるぞ」

「え?」

 俺の言葉で我に返り──そして自覚したらしい。自分の体の不調を。

 ジレンの体が崩れ落ちる。もっとも俺は予想していたため、その小さな体を抱きかかえることは簡単だった。

「なにこれ? なんだか体がだるいよ……?」

「無理するな、契約酔いという現象だ。大地の精霊とおまえは魂で結びついた。そのせいで魂と肉体の均衡が乱れ、不調となって表れてるんだ」

「な、なにそれ……。ちゃんと治るの?」

「もちろん、数日休めばな。俺だって元気だろう? とにかく今日のところは帰るぞ」

 言いながら俺はジレンをおんぶした。

「ちぇっ、せっかく新しい召喚術が使えると思ったのに……」

「無理をするな、契約酔いは何人もの精霊使いの命を奪ってきた重い病なんだ。いいか、向こう一〇年は絶対に大地の精霊と契約するんじゃないぞ。体の均衡が一気に悪化して、間違いなく死ぬぞ」

「一〇年も……? それじゃもう、新しい精霊と契約できないんじゃ……」

「そうだな。だが大地の精霊以外となら契約できる。まあそれも体調が戻ってからだが」

「わ、分かったよ……」

 実際、欲に駆られて命を落とした精霊使いなんていくらでもいる。そのすさまじさをまさに今身をもって体験していることもあってか、ジレンは神妙にうなずいた。



 その日の夜。ジレンを家で寝かせた後、俺は留守をシスター・ノアに任せ、一人で夜の森へ来ていた。

「さて、これからが本番だ」

 精霊使いが一代で強くなるには限界がある。

 契約可能な精霊を探し出す《精霊感知》は、感受性豊かな子供のときしか使えない。おまけに契約酔いのせいで、よほど相性がよくない限り同属性の精霊二体以上と契約するのは命にかかわる。

 だから精霊使いは《精霊感知》ができる子供のうちに、地水火風の精霊一体ずつと契約できれば一人前だと言われていた。中には特定属性の精霊と極端に相性がよく、一代でノーム三体と契約できるような精霊使いもいるそうだが、俺はそうではなかった。

 俺が大地の精霊と契約できたのは七歳のときで、一二歳までに水と火と風、木の精霊と契約できたが、それ以後は一切新しい精霊と契約できなかった。俺がごく平凡な精霊使いであるといういい証明である。唯一の例外は時空の精霊クロノスだが、あれは特殊な例なので参考にしていいのか分からない。

 しかし、《過去転移》という術が使えるなら話はまったく異なる。

「ジレンが契約したノームは、ドーリという真名らしいな」

 脳裏にその真名を思い浮かべる。異界において真名を教えてもらうことで、精霊と召喚士は魂同士が結びつき、初めて召喚術が行使できる。他人から真名を教えてもらったとしてもその精霊を召喚することはできない。そう、他人なら。

 俺は魔晶片の付いた指輪を地面に向けた。地面を媒体に大地の精霊を呼び出すのだ。

「顕現せよ、大地の精霊、ドーリ!」

 俺の目の前に、大地の精霊ノームが具現した。

「使えた、やっぱりか!」

 ついでに俺が昔から契約していたダアルという真名を持つノームも呼び出してみる。こちらは扱いなれた精霊だ、すぐ俺の召喚に応じた。

 同属性の精霊二体の同時召喚。ほとんどの精霊使いには不可能な技だ。

 これが意味することは一つ。

 俺が契約した精霊をジレンが召喚できたように、ジレンが契約した精霊を俺は召喚できるのだ。

 精霊使いの歴史に残る大発見と言っていい。もっとも、この発見を世間に公表するつもりはなかったし、たとえ公表できたとしても他の誰にも実行はできないだろうが。

 しかも、ジレンに生じたような契約酔いは俺には生じていなかった。ジレンと俺が同一の魂であれば、ジレンが《融合契約》したときに当然俺の体にも契約酔いの症状が出そうなものなのに。

 だがそれも仮説は立てられる。精霊との契約は時間を越えて有効だとしても、契約酔いは一種の病気──つまり肉体的な失調だからではないか。

 ジレンは今日ノームと契約した結果、契約酔いをわずらった。だが契約酔いの初期症状は三日も寝れば大体治まり、一〇年も経てば完全に消え去る。

 ジレンを母乳で育てた結果、俺の体にも即座に影響が出たように、俺という時間軸で見れば、ドーリという真名のノームと契約したのは一八年以上前のことになるのだ。契約酔いはその時間で解消され、大地の精霊と契約したという事実だけが残ったのではないか。

 なにせ前例がなく、記録もない。だがそれ以外に考えられなかった。

「これならできる。俺は召喚術を極められるぞ……!」

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