第一章 第三話 新しい日々


《過去転移》して六年目。フェロキア暦二〇六年の春。俺はシスター・ノアにある提案をすることになる。

「シスター。嫌だろうが、相談がある。みんなでこの孤児院を出て引っ越したい」

 それは《過去転移》する前から計画していたことでもあった。

 もちろんシスターは渋い顔をした。ここは彼女が生まれ育った孤児院であり、この孤児院を守るために彼女はたった一人でここに残ったのだから。

「どうしてそんなこと言うの? あなたのおかげでこの孤児院もれいになったし、四人なら自給自足だってできるじゃない」

「いや、だから、そのな。俺の金がもう尽きそうなんだ」

 シスター・ノアは豆を投げつけられたはとのような顔をした。

「お、お金……。そうよね。この六年、あなたに頼りっぱなしだったし……」

「街へ行こう、そうすれば俺も召喚術で働ける。それと、別の理由もあるんだ。ジレンとティアナに外の世界を見せてやりたい。多くの人と接する機会もな」

 ジレンとティアナのため──。そう言われれば、断れる彼女ではなかった。

「分かったわ、ジレンとティアナにはもっと友だちが必要だもの。いつまでもこんなへきの孤児院じゃ可哀想かわいそうよね……」

 予想通りシスター・ノアは承諾した。こうして俺たちは長いときを過ごした孤児院を後にし、四人での旅路につくこととなる。

 実のところ、引っ越しの提案をしたことには経済的な理由以外にも深刻な理由があった。フェロキア暦一九九年から始まった王国と帝国の戦争は、七年がった今も終結どころか泥沼化している。その結果、間もなく王国と同盟関係にあるこのグラストル公国にも帝国軍の軍勢が迫ることになるのだ。

 帝国軍は、占領した領地に住む人々を奴隷として連れ帰ることで知られていた。そのため本来の歴史でも、もう少し後にシスター・ノアは孤児院を捨てて旅立つことになる。

 俺という孤児を連れ、行くアテもない厳しい旅だ。シスター・ノアにはもうあんな苦労をして欲しくない。帝国軍から逃げるためという理由で孤児院を捨てるというのも苦渋の決断だっただろう。だからこの歴史の中では、もっと前向きな理由で──ジレンとティアナの見聞を広めるためという理由で、今の内に引っ越しをして欲しかったのだ。



「ジレッド、新しいおうちってどんなところなの?」

 このとき四歳になっていたティアナは、生まれて初めての引っ越しに不安そうだった。

「ああ、フィンポートといってな。大きな街だ」

「やった! 僕、前から街に行ってみたかったんだー!」

 過去の俺であるジレンに不安そうなところはなかった。あるいはティアナを励ますためにわざと気丈に振る舞ったのかもしれない。

 フィンポートは大きな交易都市だ。その中央には城壁に囲まれた区画もあり、城塞都市としても名高い。多くの人が集まった結果、今や城壁の外に作られた街の方が大きくなっているらしいが。

 俺たちはそんな外周部の街に移り住むこととなった。これも《過去転移》する前から決めていたことだ。元の歴史において、俺とシスター・ノアが辿たどり着いた街がフィンポートであり、少なくとも俺の知ってる限りこの街が戦火に巻き込まれることはないと知っていたからだ。


   ◆


 新しい生活が始まった。シスター・ノアは街の孤児院で働き、ティアナを含めたこの街の子供たちの世話をすることとなる。実は俺の知ってる元の歴史でも、シスター・ノアはこの街の孤児院で同じことをしていた。フィンポートの街へ来た理由の一つである。

 一方、俺はジレンを連れ、街で精霊使いとして働き始めた。ジレンに間近で召喚術を使うところをできる限り見せてやりたかったのだ。

 土の精霊を使った土木工事、水の精霊を使った汚水の浄化、変わったところでは火の精霊による公衆浴場の湯沸かし。およそ召喚士というのは働き口に困ることはない。そもそも俺が七歳のときに精霊使いを志した理由というのも、金を稼いでシスター・ノアの助けになりたかったからだった。

 一番金になるのは水の精霊による治療、《癒やしの水》という術である。をした箇所を、水の精霊の力で作った水の膜で覆うことで治癒力を増すという術だ。外傷にしか効果がなく、また瞬時に完治できるようなものでもないが、少しでも怪我が早く治せるのなら──と需要が絶えることはない。俺は治療院に身を置かせてもらい、あるいは土木工事の現場に赴き日銭を稼ぎまくった。


「すごいや、お金がいっぱいだ」

 稼いだ銀貨を見ながら、ジレンは言ったものだ。

「ジレッド、これでいろんなものが買えるんでしょ? お願いがあるんだけど」

「なんだ? 欲しいものでもあるのか?」

 ここは商業都市だけあって、おもちゃや菓子の類も多く売られている。小さな子からすればさぞ誘惑に駆られるところだろう。過去の自分にぜいたくをさせるのもどうかという気はするが、たまには許容してもいいと思った。

 だが六歳のジレンの返答は、思いもよらぬものだった。

「シスターにお土産買って帰ろうよ。お菓子とか好きかな、シスターって」

「なるほど、それはいい考えだ」

 シスター・ノアは一〇代半ばという若い頃からジレンとティアナの面倒を見、孤児院を切り盛りしてきた。菓子の土産ぐらい、安いものだ。

「……いや、待てよ。そういうことならもっといい土産がある」

「え? なになに?」

「服だ、服。たまにはもう少しおしゃな格好でもするべきなんだ、シスターは」

 商業都市だけあって、この街を行き交う若い女性は皆どこか洒落た服を着ている。一方、シスター・ノアは飾り気もないつぎはぎだらけの修道服を着、頭巾で頭のほとんどを覆い隠している。

「それいい考えだよジレッド! シスターの服ってぼろぼろだし。でもジレッド、お洒落ってどういう服のことなの?」

「……それは難しいな」

 洒落た服を買う。それは俺にとってすさまじく難度の高いことだった。店員に言われるがままに買ってもいいが、せっかくの贈り物をまかせにするのもどうかという気はする。

「そうだ、じゃあティアナに選んでもらおうよ。女の子同士なら分かるんじゃない?」

「おいおい、ティアナは四歳だぞ。いくらなんでも──」

 否定しかけた俺は考えをあらためた。そもそもシスターに服を贈ることには一つ問題がある。彼女は質素を好むのだ。「こんな服買うお金があったら孤児院に寄付でもしてよ!」などと言われるのは目に見えている。それを阻止するには、ジレンとティアナを巻き込むのが一番だ。

「よし、ティアナを迎えに行こう」

 こうして俺とジレンは孤児院に寄ってティアナを連れ出すと、店を探し歩くこととなる。そしてこのとき俺は一つだけジレンとティアナに条件を出した。用意した服を手渡すのは、俺がシスター・ノアと二人きりのときに──という条件で。


   ◆


「はぁ!? わたしに新しい服!? 要らないわ、そんなお金があるなら孤児院に寄付でもしてよ。わたしにはこの修道服があるし」

 翌日。俺から新しい衣服ひとそろいを手渡されたシスターは、俺の予想通りの言葉を口にした。とても贈り物を喜んでいるようには見えない。ジレンとティアナには外出しておいてもらって正解だった。

 それに俺も、こうなるからこそあらかじめ反論を用意しておくことができた。

「予想通りの反応だな。だから言っておく、これは俺が金を稼いでジレンとティアナが選んだ服だ。実はティアナにも服を買ってやってな、おそろいの服でおまえと一緒に外出できるのを楽しみにしてるんだぞ」

「な、なにそれ……。きょうだわ、そんなこと言われたら拒めないじゃない」

 こうしてまんまとシスター・ノアを言いくるめると、彼女を着替えさせることに成功した。

「き、着てみたわよ。これでいいんでしょ?」

 間もなくシスター・ノアは、ブラウスにリボンのような腰巻き、それにスカートという格好で俺の前に立った。どこか顔を赤らめながら。

「ねえ、どこかおかしくない? なにか言ってよ」

「…………」

 俺は言葉を失った。

 本音を言えば、無茶苦茶れいだった。

 もともとシスターは目鼻立ちが整っている方だと思っていたが、なにしろ体の線一つ見えない修道服と、前髪程度しか見えない頭巾のせいか、およそ色気というものを感じたこともない。そういう意図で作られた衣装だから当然なんだろうが。

 その彼女が、女性らしい服を着るとどうなるか。見間違えるほど綺麗だった。

 四歳のティアナが選んだだけあってやや大人っぽさには欠けていたかもしれない。だがもともとシスターはエルフの血でも入ってるんじゃないかと思うほど、としを取る様子がない。なにせ俺が《過去転移》して一八年前に戻っても、シスター・ノアを見間違うことはなかったほどだ。

 今の年齢はもう二〇代前半のはずだが、いまだに見た目は一〇代の少女のようだ。だからこそ、その服はよく似合っていた。

 特にスカートから伸びる細い足、ブラウスの隙間から見える鎖骨など、普段見えていない場所が見えるだけで、妙になまめかく見えてしまう。ひときわ目を引かれたのが金色の髪だ。今まで彼女の前髪しか見る機会がなかったが、頭巾をしていないときの彼女の金色の髪は、少しクセはあるものの長く美しく、彼女がなにか動作を行う度、綺麗に波打った。

「ちょっと、なんで黙ってるの!? 不安になってくるんだけど!?」

「……よく似合ってる。買ったかいがあった」

 俺がようやくそんな言葉を選び出すと、シスターはどうにか平静さを取り戻した。ただし、顔を赤くしつつ。

「そ、そう。ならいいんだけど」

「よし、出かけよう。ジレンとティアナが待ちくたびれてるぞ」

「え!? こ、この格好で出歩けっていうの!?」

「当たり前だ、今更修道服で出たらティアナが悲しむだろ」

 子供をダシに使いながら、半ば強引にティアナを連れ出す。

 往来に出ると、予想通りの反応があちこちで見られた。

「ね、ねえ。なんだかすごい見られてる気がするんだけど」

(分かる)

 道行く人たちが、チラチラとシスターを見るのだ。その気持ちはよく分かる、下町を貴族のご令嬢が歩いているように見えるのだろう。近所の顔見知りでさえ、彼女が誰だかとっに分からなかったほどだ。

 チラチラ見るだけならまだいい方で、少しでも俺がシスター・ノアから離れると、途端に見知らぬ男が彼女に声をかけるので、俺はあやうく街中で召喚術を使うところだった。

「もうイヤ。帰ったらすぐ着替えるからね!」

 気疲れしたらしい彼女がそう愚痴り始めるのは当然だった。しかし、

「シスター、似合ってる!」

「シスター、きれいー!」

 彼女の姿を見たジレンとティアナは当然のように大喜びし、そのときだけはシスターも「ありがとう、二人とも」と素直に喜んだ。

「ティアナも可愛かわいいわよ。いい服を買ってもらったのね、ジレッドにお礼言っときなさい」

「うん! ジレッド、ありがとう!」

 ティアナの着ている服はシスターとほぼ同じ意匠で、大きさが子供用というだけだった。シスターの美しさを引き立てたその意匠は、ティアナが着れば年相応の可愛らしさと純真さをより強調した。こうして二人が揃うとまるで二輪の花が咲いているかのようだ。

 つい俺は誘惑に駆られ、また子供たちをダシにしてシスターにある提案をせずにはいられなかった。

「こんなに子供たちが喜んでくれるんだ、俺やジレンたちと出かけるときぐらいはその服を着てくれ」

「……分かったわ、そのときだけね」

 なにかものすごい特権を受け取った気がした。

 俺が《過去転移》したのは召喚術を極めるためだったということを、思わず忘れそうになったほどである。

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