なぜ超人な殿下と私が婚約関係になったか。
その理由は、私が十二歳の時まで遡る。
今世の私の家庭は少し複雑だった。
私の母と父は政略結婚だったため仲が悪かった。その証拠に私が五つの頃、母が病死して間もないうちに父は愛人の女と再婚したのだ。
その上、愛人にはすでに子供がいた。私と同い年の妹だ。歳は半年差で、血は半分繋がっているらしい。今世の父の屑っぷりに、思わず乾いた笑いが出てしまった。
前世と違い、この世界では宗教上の理由で一夫一妻が普通だ。そのため、男女問わず愛人を囲うことは珍しくないのだが、流石に妻が身重の時に他の女と寝ていたなんてバレたら世間体が悪い。それとなく社交界での父の評価を使用人に尋ねたところ、普通に評判が悪いと返ってきた。そうだろうな。当然だよ。
前世の記憶は物心ついた時にはすでに思い出していたため、当時の私は父を早々に見限り、継母たちがいる母屋ではなく使われなくなった離れに住むこととした。
記憶がある分、精神年齢が普通の子供より高かったからか、継母と異母妹の嫌がらせに反撃するようなことはしなかった。明らかな敵意を向けてくる相手とは関わらず、極力避けた方が身のためだと私は知っていたからだ。
父は流石に母方の実家の目を気にしているのか、私を衣食住に困らせることはなかった。一通りの教育も受けることができた。幸いにも使用人は私に同情してくれたので、身の回りの不満もない。
そして、私は思った。
あれ? 前世の後宮生活に比べればすごく平穏では? と。
飲み物に毒やらドレスに刃やら仕込まれることもない。水遊びと称して真冬の池に落とされることもなければ、茶会に呼ばれて罵詈雑言を浴びせられることもない。侍女がスパイでも執事が反皇帝派に雇われた暗殺者でもない。寝込みを襲われることも、裏切られることもないのだ。
あれ? やっぱり平和だ。
ちょっと継母達と仲が悪いだけで、生活そのものは平和だ。
カボス王国の治世は安定している。この世界では魔王とかいう脅威があるらしいが、地理的に王国は魔界から遠いので魔物による被害は深刻な問題ではない。加えて小国なのに魔王を倒すのに必要な聖剣というありがたい武器があるおかげで外交にも強い。そもそも、世界共通の敵がいるおかげか、国同士の戦争も今は鳴りを潜めているのだ。
平和だ。
前世の何かあれば戦争戦争だった世界と比べれば平和そのものだ。
私は今世の平和に万歳と心の中で手を上げた。
私の本来の身分を考えれば不遇かもしれないが、どうせあと五年もすれば結婚してこの家とおさらばするのだ。いや、この国は長子制度だし私が家を継ぐのか? まあそれでも異母妹に家督を譲ってさっさと出て行くまでだ。それまでの辛抱だと考えれば、この程度の扱い何ともない。むしろ温いものだ。私を苦しめたければ、前世のように国王の嫁にでもしてみせな! まあ、国王陛下はもう結婚してるので無理な話だけど!
私が調子に乗って平穏を謳歌していたのも束の間、父から命令が下った。
曰く、王太子の婚約者選びの場に出席せよとのこと。
十二の春の頃だった。
□■□
そのときのことは良く覚えている。
久々に母屋に呼ばれたかと思えば、十人はいるであろう侍女達に着飾らせられ、あっという間に装飾の凝った馬車に詰め込まれたのだ。
そして、無駄に広い馬車の中で向かい合う私と父と継母。気まずい雰囲気を、隣に座った異母妹のエリーゼが茶化した。
「やだ、お姉様ったら。久々にお父様とお母様に会ったのに、世間話の一つもしないなんて! さぞやお話が弾むでしょうに」
そう言ってクスクスと笑うエリーゼの目つきは、前世の嫌いだった人達に似ていた。
他人を嘲笑い、見下すことが大好きな瞳だ。
私は彼女を無視して窓の外を見た。宮廷のある王都は栄えている。その街並みを眺めるだけでも十分暇を潰せる。エリーゼや継母達と会話するよりも有意義な時間になると考えたのだ。
私の態度が癪に障ったのか、継母のアイリスは憤慨した。
「なんて生意気な子! 容姿が地味で愛想も無い子供が、ロータス殿下に見初められるはずがないわ。ねえ、あなた。やっぱり出席させるだけ恥よ。今なら遅くないわ。こんな子、屋敷に置いていきましょうよ」
継母の言い分に父は首を振った。
「何度も言っているだろう。今回の茶会は年頃の令嬢を全て出席させろと陛下からの仰せだ。私の一存で断れるわけないだろう」
父がギロリと睨めば、継母は口を噤んだ。その光景を可笑しそうにエリーゼが笑う。何が面白いのだろうか。出会った頃から思考が読めないエリーゼが、私には薄気味悪かった。
とはいえ、継母が私に期待しない理由は理解していた。
至極単純。私の容姿が地味で、エリーゼは類を見ないほど愛らしかったからだ。
今世の私が不細工だとは思わないが、前世のようにとびきり美人というわけでもない。対してエリーゼは恐ろしいほど容姿が整っている。このまま成長すれば、美しさだけが取り柄だった前世の私でも敵わないだろう。それほどだった。
容姿だけならその差は一目瞭然。目が惹かれるのは当然エリーゼの方だ。容姿の良さで未来の王妃を決めるわけではないだろうが、美しい方が有利なのは変わらない。そのことを父たちは理解しているのだろう。明らかに私とエリーゼではドレスの質が違った。装飾品やら髪型も凝っているのは彼女の方だ。
随分と気合いが入っている。尤も、これからのことを考えれば当然であるが。
なにせ、今日お会いするのは天才美少年と名高いロータス王太子殿下だ。
カボス王国の第一王子であり、次期国王。そんな尊いご身分に引けを取らないほど、ロータス殿下の多才ぶりは市井に広く噂されていた。
なんでも、まだ十二というのに、十ヶ国語以上の外国語を話せたり、現存する魔法類は全て会得しているらしいとのこと。武術や学問も大人顔負けで、特に魔法に関しては研究者が嫉妬するほどだとか。
そのような華々しい活躍に比例するように悪い噂も絶えないが、所詮そんなものだろう。噂なんて尾ひれがついて回るもの。話半分で聞き流す程度がちょうど良い。
とはいえ、これだけ多才な王子様だ。彼の妃選びとなると、生半可な令嬢では勝負にならないと考えるのは自然だろう。力を入れるのも当然ね、と窓に映ったエリーゼをこっそり見ていたら、彼女に気がつかれた。げっ、と顔を顰めると、エリーゼはわざわざ身体を寄せてきて耳元で囁いてくる。
「落ち込まないで、お姉様。私より可愛い令嬢なんていないのだから、仕方がないわ。もう勝負は決まっているようなものだもの」
ふふふ、とエリーゼが笑って肩に手を乗せてきた。ずっと笑みを絶やさない妹が少し怖い。今すぐ彼女の手を払いたかったが、その衝動を抑えじっと耐える。すると、馬車がガタンと止まり、御者が宮廷に着いたことを知らせた。
私は内心で助かったと思い、居心地の悪い馬車からさっさと降りた。
父を先頭に目的地の中庭まで案内される際、エリーゼが私にだけ聞こえるように言った。
「お姉様。取り柄のないお姉様が王太子殿下に選ばれることなんてあり得ませんから。ご安心くださいね」
やはり笑みを浮かべるエリーゼは気味悪い。しかし、彼女の言葉には同意した。
前世は美しさだけが取り柄だった。
今はその美しさすらない。
そんな私が、将来を約束された王太子の婚約者、ひいては未来の王妃になれるとは思えなかった。
だから、今回の婚約者選びは何事もなく終わるものだと考えていた。
少なくとも、私は当事者ではないと思い込んでいたのだ。
「こちらでございます」
そんな他人事気分だったからなのか、案内してくれた従者がとても疲れた顔をしているのに気づかなかったのは。
中庭に通じる扉の前で、彼は深々と頭を下げる。
「では、本当に、お気をつけて──いってらっしゃいませ」
まるで戦争に赴く兵士を見送るかのような態度に、私を含めた全員が首を傾げる。
問いかける前に、従者が扉を開けた。眩い光が隙間から漏れ出す。私たちは眩しさに目を細めながらも、光に吸い込まれるよう中へ入った。
そして、一歩進んでから従者の言葉の意味を理解した。
私たちが足を踏み入れたのは中庭でなく──
「ハーハッハッハッ! どうした、皆の者! こちらに来い! 余と共に戯れようではないか!」
──ロータス殿下が蔓を利用して縦横無尽に飛び回る、ジャングルであった。
「………」
私は絶句した。
宮廷の中庭は背の高い草や木々が密集して生い茂っており、至るところから動物の鳴き声が聞こえてくる。鮮やかな模様の鳥が、動けずにいる私の肩にフンを落としていった。
「………」
「………」
「………」
父も継母も現状を吞み込めずピシリと固まっている。エリーゼですら笑みを消して宙を舞うロータス殿下を見上げていた。
殿下は空高くから吊されている蔓を使って、楽しそうにジャングルを横切っている。次の蔓に飛び移る前に、私たちの存在に気がついたのか「おお!」と嬉しそうな声を上げた。
「サベージ公爵達も来たか! 苦しゅうない、近うよれ。此度は無礼講である。大自然の中で、余と共に戯れよう」
後半は私達に向けて言ったのだろう。蔓にぶら下がりながら、殿下は父から視線を私と異母妹に移した。
私が咄嗟のことに何も言えないでいると、エリーゼが「恐れながら殿下」と口を開く。
「父からお茶会だとお聞きしたのですが? これではまるで野人の遊戯ですわ」
いつもの笑みを浮かべながら、エリーゼは言った。
不敬とも取られそうな発言に、父と継母が顔を青くする。幸いなことにロータス殿下の機嫌は損ねていなかったようで、彼は「ほう?」と面白そうに目を細めた。
「何を言っている。余は婚約者を選ぶとは言ったが、茶会を開くとは招待状に一言も書いておらんぞ。勝手に勘違いしたのは其方の父であろう?」
殿下の言葉にエリーゼは無言で父へ視線を投げる。父はびくりと肩を跳ねさせたあと、震える声で娘に謝罪した。
「す、すまない。エリーゼ。確かに招待状には婚約者選びをするとしか書かれていなかったけど、まさか中庭でこんなことが行われているとは思わなかったんだ……」
父は明らかにエリーゼに対して怯えていた。いくら娘が可愛いからといって、この程度で怖がるのはおかしくないだろうか?
異様な光景を私が怪訝に思っていると、ロータス殿下が呆れたような様子で口を挟んできた。
「ふむ、その程度か。エリーゼよ。余を恨むのならば、追いかけてみよ。もっとも、その蔓を握れるならの話だが」
殿下はそれだけ言うと、また蔓から蔓に飛び移って私達の目の前から姿を消してしまう。
すると、エリーゼがあからさまに不機嫌になった。異母妹の様子に、継母が慌てて懇願する。
「エ、エリーゼ。お願いよ。機嫌を直してちょうだい。あなたが欲しいドレスも宝石も何でも買ってあげるから。ほ、ほら! 見なさい、エリーゼ。あそこで愚図な令嬢が転んでいるわ! あんなに泥だらけになって、ああ可笑しいこと!」
継母が左前方を指差した。そこには確かに同い年くらいの女の子が転んで泣いていた。
あそこの地面はぬかるんでいるのだろう。ドレスどころか頭まで泥だらけになって、膝には擦り傷ができている。
泣いている彼女を笑う継母に思わず顔を顰めた。それに同調した父にも、異母妹にも。
ああ、くだらない。大嫌いだ。こんな連中。
私は彼らに背を向けて、転んでいる女の子のもとに向かった。
後ろで何やら言われているけど、無視する。ぬかるむ地面に気をつけて、私は女の子に声をかけた。
「大丈夫?」
手を差し伸べれば、彼女は驚きつつも恐る恐る手を握ってくれた。私は女の子を引っ張って立ち上がらせると、怪我の具合を確認する。
「膝、痛い?」
女の子はこくりと頷いた。医務室に連れて行こうとすると、裾を引っ張られ止められる。
「……ドレス、お母様が選んでくれたの」
そして、嗚咽を堪えるようにボソボソと話し始めた。
「お母様が殿下の前だから可愛い格好でいきましょうねって。私の家、貧乏だからそんな余裕ないのに……お父様とお母様が私のためにドレスを新調してくれたの。普段、苦労をかけているからご褒美だよって。これから大きくなるからすぐに着れなくなるかもしれないのに。それでも買ってくれたの……なのに」
女の子が、私の裾を強く握る。
「こんなに、泥だらけにしちゃったよ……」
彼女は言い終えると、堰を切ったように泣き始めた。
「………」
私が女の子の手をそっと離させると、彼女は怯えた様子で謝ってきた。
「あ、ご、ごめんなさい。あなたの服が汚れ──」
「泥なんか気にしてない」
誤解させてしまった女の子の手を優しく握り、首を振る。
そんなことより、もっと頭にきていることがある。
私は周りを見渡した。至るところに天から蔓が垂れていることを確認して、先ほどの殿下の言葉を思い出す。
「余を恨むのならば、追いかけてみよ……ね」
私は女の子の手を離すと、すぐそばにあった蔓を掴んだ。
「やってやろうじゃないの」
□■□
「いやあああああ! アザレア様! おやめください! 危険でございま──きゃあ!?」
追ってきた女の子──先ほど名乗りあったときにリリアと言っていた──が地上で必死に首を振るが、私は構わず次の蔓へと飛び移った。
一瞬の浮遊感のあと、地面へ引っ張られる感覚。その勢いを借りて、静止していた蔓を大きく動かす。そしてその勢いが死なないうちに、次の蔓へとまた飛び移る。今掴んでいる蔓はかなり高いところに吊されており、ここから落ちたらひとたまりもない。リリアが悲鳴を上げるのも無理もないだろう。
しかし私は綱渡りだと思いつつも、周りを見渡しロータス殿下を捜した。
久々に怒った。あの王太子に一発いれなければ気が済まない。
あまりにも非常識。奇をてらったのかもしれないが、宮廷の中庭がジャングルになっているなんて予想しろというのが無理な話だ。
蔓からぶら下がって地上を見下ろせば、私達の他にもご令嬢とその家族がいた。皆、正装かそれに準じた格好で来ており、それぞれ混乱した様子だった。
当たり前だ。宮廷に招待されたのだ。失礼に当たらない格好で来るのが普通である。しかも、王太子の婚約者選び。たとえ招待状に明記されていなくても、場所が中庭と指定されたのならお茶会やパーティなどといった様式を想像する。服装に気合いが入るのも無理はない。せめて、服装の指定があればリリアのように傷つかないで済んだのに──
ああ、むかつく。嫌い。大嫌い。臣下を顧みない為政者なんて私が一番嫌いなタイプだ!
私が色々と過去を思い出して腹を立ててると、視界にちらりと赤い髪がよぎった。
私は慌ててそちらへ方向転換した。今度は燃えるような赤い髪の人物をはっきりと視界に入れる。
目的の人だと確信した私は、思わずニヤリと笑った。
見ぃつけた。
私はすかさず大きく身体を揺らし、蔓に更なる勢いをつける。
ロータス殿下は、暇そうに大木の枝に足を引っ掛けてぶら下がっていた。斜め上空にいる私には気づいていないようだ。逆さまになった状態で欠伸をし、ポツリと言った。
「むう、つまらんのう」
その発言に、私はリリアの泣いている姿を思い出し──不敬とか考える前に、身体が動いた。
勢いが一番強くなるときに蔓から手を離し、右足をピンと伸ばし殿下の腹部へと狙いを定める。
未だぼうっと眠たそうにしている殿下へ、私は叫んだ。
「──殿下ァ! お覚悟ォ!」
どこぞの刺客かのような掛け声に、ロータス殿下が驚いたように私を見上げた。
「えっ」
殿下の呆けた表情に、彼へ飛び蹴りを実行した私はやらかしに気がついた。
あっ。どうしよう。
着地、何にも考えていなかった。
後悔するももう遅い。ときの流れは万人に共通だ。
見事殿下に飛び蹴りを命中させた私は、彼と共に地上へ落ちていった。