前世で「お前は馬鹿だねぇ」と、周りから散々言われていたのを思い出す。
「その野生児みたいにすぐ怒って行動する癖を直さないと、早死にするよ」
これは前世のお母さんの言葉だ。なかなか辛辣な評価だが、前世はその悪癖が直らず十八で死んだのだから、あながち的外れでもない。むしろ的確だった。流石母親。子供のことをよくわかっている。
前世の悪癖は今世でも引き継がれるのだろうか。もしそんな題目の実験が行われているのなら、喜んでこの記録を提出しよう。
──ロータス殿下にお姫様抱っこされている、この現状を。
「………」
「………」
殿下も私も無言で顔を合わせる。
私は顔から血の気が引いていくのがわかった。
なぜ彼に横抱きされているのか。答えは単純。落下した私を庇ってくれたのだ。飛び蹴りを喰らわせた私を、殿下は宙で体勢を整えると私を抱えたまま地面に着地したのだ。
おかげで私には怪我ひとつないが、飛び蹴りした相手に助けられた状況に精神は傷だらけである。
やだ、私、とんでもなくかっこ悪い。めちゃくちゃ恥ずかしい──なんて乙女な思考回路よりも先にギロチンが脳裏に浮かんだ。
ああ、さようなら私の首。今世でも胴体とおさらばだ。
私が使用人達への遺言を考えていると、ロータス殿下が声をかけてきた。
「うむ、其方。怪我はないか? もう下ろしても大丈夫そうか?」
殿下の言葉にハッと正気に戻る。慌てて頷いて、地面へ下ろしてもらう。
ロータス殿下は私に怪我がないかだけ確認すると、「よし」と満足気に笑った。
「しかし、面白いな其方。まさか蔓を飛び移って、あそこから余に蹴りを喰らわすとは想像もしなかったぞ! まったく、愉快である」
ハハハ、と殿下は豪快に笑う。私達の騒ぎに駆けつけ、他の参加者である令嬢やその付き添いが集まってきた。
無礼な行動を微塵も責めない殿下の態度に、私は本命である進言を躊躇った。
いま引き下がれば不敬な飛び蹴りを許してくれそうな雰囲気だ。まだ私は死にたくない。二度目の死も断頭台でなんてごめんだ。命が惜しければ、さっさとここから立ち去るのが最善かもしれない。
……だけど。
息を切らしてこちらに走ってきているリリアを見て、私は腹を括った。
「……助けていただきありがとうございます、ロータス殿下。しかし、恐れながら申し上げたいことがございます」
私は地面に膝をつき、頭を下げる。
殿下の楽しそうな声が頭上から聞こえた。
「許す。面を上げよ」
私は顔を上げて、殿下と目を合わせる。
「此度のことで、恨み言をひとつ、聞いていただけないでしょうか」
「恨み言だと?」
予想外だったのか、殿下がきょとんと呆けた顔をする。私の言葉の意味がわからないのだろう。
そんな殿下にやっぱり腹が立って、私は棘のある声で言ってしまった。
「はい。殿下が招待なさったご令嬢の一人が、殿下の不手際のせいで怪我をしたというのに、不誠実な態度であることについてです」
「………」
殿下は何も言わない。ただ燃えるような赤い瞳を私に向けるだけだ。
続けろということだろう。私は殿下の気迫に負けないよう、腹に力を入れた。
「此度の婚約者選びで、招待状には茶会だと一言も書いていないと殿下は仰せでした。ですが、同様に服装の指定もありませんでした。宮廷に招待されたのなら、正装およびそれに準じる格好をして、王族に礼儀を示すのが王に仕える臣下の責務でございます。怪我をされたご令嬢はそれに則り、臣下としての礼儀を殿下に示しました。私を含む、他の者も同様です。しかし、殿下はいかがでしょうか」
言葉を一度区切る。周りからの視線が痛い。殿下からの圧力が怖い。
それでも。だからこそ。
私は、進言を続けた。
「殿下は奇をてらったあまり臣下に対して不都合を押し付けられました。それに対し、『つまらない』などと私達の忠誠を顧みぬご発言──あまりにも、不誠実ではございませんか」
遠くから父の怒鳴り声が聞こえてきた。無視して、必死に殿下へ訴える。
「私達は臣下でございます。王が死ねと命じられたのであれば喜んでこの命を差し出しましょう。しかし、その関係が成り立つのは、王が臣下に誠実である場合のみです。ロータス殿下。私達も人でございます。どれだけ王に尽くしてもその忠誠を顧みられないなら、いつか離れてしまうのが人の心というもの。どうか、殿下。周りをご覧になってください。あなたに仕える臣下達の顔を──っ!」
最後まで言えなかったのは、父が私の頭を押さえつけてきたからだ。額が地面にくっつくような姿勢を突然取らされ、倒れ込まないよう咄嗟に両手で身体を支える。
「申し訳ありません! ロータス殿下! 至らぬ娘が数々のご無礼を! どうか、ひらに、ひらにご容赦を!」
父の焦る様子が横からひしひしと伝わってくる。王太子に対して生意気な口を利く娘が、自分の娘だったらこんな必死にもなるだろう。
それはそれとして、これで終わるつもりなんてさらさらないけど。
私が口を開こうとすると、父はそれを察してか頭を押さえつける力を強くする。こういうときの勘は良いのが腹立つ。世間に腹違いの娘がいることは隠せてないくせに。
すると、私の頭上からロータス殿下が言った。
「サベージ公爵。良い。此度は無礼講だと言ったはずだ。娘を押さえる手を退けろ」
「し、しかし」
「余はいま、其方の娘と話をしているのだ。貴公は少し黙っておれ」
口調こそ柔らかいが、その雰囲気は有無を言わせないものがあった。
父は渋々と私から手を離す。私が顔を上げると、殿下は微笑んだ。
「それで、其方は余に何を望んでいるのだ」
殿下の微笑は天使のような微笑みだ。同い年だというのに思わず魅了されてしまいそうになりながらも、私はずっと言いたかったことを吐き出すように言った。
「私達に、殿下の誠実さを示してください」
殿下は少し困ったように眉尻を下げた。
「しかし、余には其方が申す誠実さというものがわからぬ。それが何か、教えてはくれないか?」
「それは──」
自分で考えてください、と言いかけたとき、気がついた。
殿下の目が、面白がっていることに。楽しそうに笑っていることに。
まるで珍獣を観察するかのような視線に、私は察してしまった。
私の訴えが何も届いていない。この人は、私が言いたいことをまったく理解していないんだ。
これだけ訴えても、周りを見てくれないんだ。
「お、おい」
私が立ち上がると、父が腕を引っ張って引き止めようとする。それを強引に振り払い、殿下へ大股で近づいた。
「うむ? なん──」
バシン!
頬を叩く乾いた音は、中庭に思いのほか大きく響いた。
上がる悲鳴。背後で父が倒れる音。
赤くなった頬を押さえた殿下が、茫然とした表情で私を見る。
私はもうほとんど本能のまま、殿下へと怒鳴っていた。
「そういう態度が、誠実じゃないって言ってんのよ!」
殿下がパチパチと瞬きをする。なぜ怒られているのか心底理解できないのだろう。
私は彼の胸ぐらを掴むと、周りに集まった人達を指した。
「ご覧になって。ここにいる人達はあなたに命令されて集まったのよ。皆が皆、王都に領地を持っているわけじゃない。なかには馬車で何日もかけて宮廷に来た人だっている。ドレスアップだってすぐに終わるわけじゃない。正装を用意することはもちろん、一人で着られるものじゃないから手伝いの侍女も必要になる。つまりね、お金も手間も時間もかけてここに集まったの。それをあなたって人は──」
木にぶら下がっていたときの殿下を思い出して、胸ぐらを掴む手に力が入る。
「欠伸をした挙げ句に『つまらない』ですって? それが将来国を背負う男の誠実さか!? ふざけているのかしら。ええ、ふざけているんでしょうね!」
ロータス殿下は私の言葉に顔を真っ赤にして、肩をわなわなと震わせた。
「な、なんだと!? 余は至って真剣である! 余の使命を知らぬ其方に、好き勝手言われる筋合いはない!」
「他人に不都合押し付けて、自分の都合はわかってもらえると思ってんの!?」
すかさず反論する。殿下は口喧嘩に慣れていないのだろう。口をぱくぱくと動かすが、何も言えていない。私は大人気なく彼に詰め寄った。
「そもそも、殿下は私に反論する前に言うべきことがあるでしょう!? ふざけていないというのなら、彼女らにしかるべき態度を取ってください」
バッと後ろで遠巻きに見ているご令嬢達を手で示す。リリア以外にも、泥や埃を被った女の子はたくさんいた。ドレスが破れている子や、怪我をした子もいる。付き添いの家族や使用人も似たような感じだった。
その光景に殿下は、うっと言葉を詰まらせ、バツが悪そうな表情を浮かべた。その目はうっすら潤んでいる。
「余、余は悪いことしてないもん……」
「あ?」
思わず聞き返す。なに? この期に及んでまだ言い訳するの?
私の心の声が聞こえたのか、殿下はびくりと震えたあと、うつむきながら何かを呟いた。
「……なさい」
「聞こえません」
腹から声出せ。蚊の鳴くような声でボソボソ言ったところで謝るべき相手に聞こえなかったら意味ないのよ。
ロータス殿下は顔を上げて、赤い瞳に涙を溜めながら大声で謝罪した。
「──ごめんなさい!」
そして殿下がわっと泣き始めると、中庭の風景が歪み始める。
驚いて反射的に目を瞑る。しばらくして恐る恐る目を開けると、そこには素晴らしい手入れがなされた庭園が広がっていた。
「……えっ?」
ジャングルはどこいった?
私がきょろきょろと辺りを見渡していると、殿下がしゃっくりを上げながら説明してくれた。
「ほ、本当は……ぜ、全部、まやかし……魔法で、に、偽の風景を、つ、つくってて……」
「ま、まやかし……?」
殿下の言葉で頭に上っていた血が元に戻り、どんどん冷静さを取り戻していく。
よく周りを見れば、ボロボロだったご令嬢達が元の姿に戻っている。リリアも同様だ。泥だらけだった彼女のドレスは、シミひとつない新品へと変わっていた。
リリアの変化で、私は気がついた。
あれ? もしかして私、とんでもないことやらかしてない?
「い、偽りだから、ほ、本来は、触れられない……けど、妃のし、資質を持った者だけ、余と同じ、ように……蔓に触れられる、ように、してた……」
私は錆び付いた歯車のような仕草で、ロータス殿下へ振り返った。拭っても拭ってもボロボロと目から涙が溢れる殿下の姿を、痛ましく思った。
「で、でも、ここまで、怒られるとは、思ってなかっ……ごめんなさい、ごめんなさ──」
殿下は堪えきれなくなったのか、最後は言葉にできず「うわあああああん」としゃがんで大泣きする。
ロータス殿下の号泣に、私は立ち尽くした。
頭の中に、ポツンポツンと単語が浮かんでくる。
早とちり。
勘違いで無礼しまくった女。
不敬すぎて処刑確定。
ギロチン再び。
バイバイ私の首。
来世も人間が良いな。
今世に別れを告げている最中、私は大事なことを思い出した。
そうだ。何の取り柄もない私だけど、だからこそ人としての誠実さを失っちゃダメだ。
私はそのことに気がつくのと同時に、身体を動かした。
「──ロータス殿下あああ! ご無事ですかあああ!?」
「──申し訳、ありませんでしたァ!!」
騎士団長が大声で中庭に入ってくるのと、私が華麗な土下座を殿下に決めたのは、ほぼ同時であった。
□■□
前世は享年十八。今世は享年十二か。早死にばっかしているなー、私。もう少し長生きしたいけど無理かな。無理だな。だって私馬鹿だし。おまけに短気だし。あれ? やっぱ無理じゃん。来世は人間以外の生物の方が長生きできそう。神様に祈っておこう。来世は人間以外にしてくださいって。
そんな現実逃避をしていると、目の前に座っている人物が咳払いをした。その人はメガネをかけ直すと、私に尋ねた。
「ちゃんと聞いておられますか? アザレア嬢。私の言っていること、理解していらっしゃいます?」
「ええ。わかっております。宰相様。最後の晩餐は羊の肉が良いですわ」
「何ひとつ伝わっていませんね。よろしい、もう一度最初から説明します。今度はしっかり聞いていてください」
几帳面そうな仕草で、宰相のエルメット様はメガネのズレを直した。
中庭でロータス殿下を泣かせたあと、何故か私はまだ宮廷にいた。今は宰相の執務室で王太子ロータス殿下の生い立ちを教えてもらっている。
うん。なんで?
いろいろとやらかした後だから父や継母と離れることができたのは助かるけど、それはそれとしてこの状況はおかしくないか? どうしてまだ生きているんだ、私。
中庭に騎士団長のクリーク様が駆けつけてきたとき、私は死を覚悟した。
だって、ロータス殿下に飛び蹴りをした挙げ句、平手打ちからの謝罪まで彼を追い込んだのだ。しかも、全て私の早とちりから起こった出来事。目撃者は多数いる。言い逃れはできないしするつもりもない。その場で切り捨てられてもおかしくない所業だ。
私が「世話になった使用人達にせめて遺言を」とクリーク様に慈悲を乞う前に、泣きじゃくっていたロータス殿下が先手を打った。
「クリーク……そこの娘を、エルメットに、預けよ」
嗚咽混じりに殿下はクリーク様に命令した。主に忠実な騎士団長は、戸惑いながらも私を中庭から連れ出し、宰相のエルメット様のもとまで届けた。
エルメット様も突然のことに驚かれていたのだけど、クリーク様と一言二言言葉を交わして、渋々納得したようだ。
クリーク様が用は済んだと執務室から出て行くと、エルメット様は私を椅子に座らせた。
そして、何故かロータス殿下の生い立ちを聞かされるはめになったのだ。
「殿下は三つで大陸言語を全て覚え、五つで古代言語を含めた呪文言語を理解し、七つで魔法に関する王国の書物を全て読破しました。十二となったいまは、ご自身が論文を執筆する立場であり、またいくつか著書を出版しており……」
殿下の超人ぶりを先ほどから延々と聞かされているのだけど、これはどういった意図が隠されているのだろうか。
あれかな? お前はそれだけ偉大な人を泣かせたんだぞ。死ぬ前に悔い改めよ、てこと?
「良いですか? はっきり申しますと、王太子殿下は普通ではありません。殿下は多岐に亘る才能に満ち溢れており、かのお人以上の人物は現在の王国には存在しないでしょう。算術、武術、魔法。特にこの三つは、殿下の右に出る者はいません。まさに才子。神の申し子。ですが、天才は天才でも、その行動は天災そのものでございます」
話半分に聞いていたところ、突然エルメット様が話の主旨を変えた。それまで殿下の生い立ちを淡々と説明していただけなのに、急に声色を変えて忠告じみたことを言ってきたのだ。
「嵐を完全に予測できないように、殿下もそういった自然災害に近いときがあります。普段は大人しいのですが、突発的に非常識な行動を取るときがあるのです。たとえば──今回の婚約者選びのように」
エルメット様のメガネが怪しく光る。私は彼の態度で、今回の件が殿下の独断であることを察した。
「……そして、嵐に抗える人間がいないように、誰もあの子を咎められなくなったのです」
背後から飛んできた声に、私は肩を跳ねさせる。恐る恐る振り返れば、出入り口の扉に人が立っていた。
初老の女性だ。その高貴な人物には見覚えがあった。
「ガブリア陛下!?」
私は椅子から跳ねるように立ち上がった。エルメット様も立ち上がり、王妃に対して敬礼する。慌てて私は彼に倣うと、ガブリア王妃は安心させるように微笑んだ。
「そんなに畏まらなくてもよろしいのですよ、アザレア嬢。もっと楽にしてくださいな」
一国の王妃を前に楽にしろという方が無理です。
私が突然のことに緊張していると、王妃陛下の後ろからひょっこりと国王陛下も顔を出してきた。
「余もおるぞー」
国王であるラインハルト陛下はのんびりとした態度で執務室に入室してくる。
そして、私の向かい側のソファにお座りになった。続いて、王妃陛下も腰を下ろす。
え? 何が起こるんです?
王族自ら手討ちにしてくれるってことですか?
私が混乱していると、王妃陛下が優しくお声をかけてくれた。
「アザレア嬢、おかけになって。此度は私的なもの……いえ、正直に話しましょう。私どもはいま、国王と王妃ではなく、ただの人の親としてここに座っております」
ガブリア王妃が暗い顔をすると、隣に座っていたラインハルト陛下が懐から手のひらサイズの水晶を取り出した。その表面には、手入れされた庭園が映っている。
「中庭の件は、この遠見の術で全て把握しておる。其方が余の息子ロータスにしたこと、全て、な」
あっ。やっぱり手討ちですか。逃げないので遺言だけ書いてもよろしいでしょうか? そうだ。その前に謝罪ですよね。
私が両陛下へ土下座をしようと腰を浮かしかけたとき、ガブリア王妃が私の肩を掴んで、必死の形相で仰った。
「──逃がしませんわよ! 念願の娘を!」
「はい?」
続いてラインハルト陛下も私の肩を掴んだ。
「うむ。これだけ肝の太いご令嬢が将来の王妃なら、カボス王国の未来も安泰であろう」
「はい?」
いま、なんて仰りましたか。
王妃? 誰が?
『アザレア嬢』
お二人が同時に私の名を呼んだ。私の肩を掴む手が強くなる。
「あなたほどロータスに相応しい子はいないわ」
「うむ。ゆえに、ラインハルト・クル・カボスとガブリア・クル・カボスが命じる」
両陛下はまたもや口を揃えて、私に言った。
『ロータスの婚約者となりなさい』
……はい?