最初に思い出したのは、処刑前に髪を切られたときの感覚。こころなしか軽くなった頭が新鮮で、死ぬ直前にそんな感想を抱いた自分が可笑しかった。
場面が替わって、次に目に映ったのは振動で揺れる自分の足。荷馬車に乗せられて、石畳の上をガタガタと走っている最中だった。私を見世物にするため、街道の真ん中を行進しているのだ。
民衆の罵声と歓声が交じる街を見渡して、隣の見張りに声をかける。
「いまは、いつかしら」
答えは求めていなかった。ただ、なんとなく尋ねただけだ。
再び視線を足元に移す。茜色に染まった地面は、まるで血のようだ。
見張りは怪訝な顔で私を見たが、躊躇うように「もうじき夜になります」と答えてくれた。
「そう」
尋問でない会話なんていつぶりだろうか。
微笑んで、ありがとうと言いかけたとき、頭に石をぶつけられた。
頭を押さえ痛みに呻くと、石を投げてきた女が私を指差して叫ぶ。
「この悪女め! この期に及んで見張りを誘惑しようとしていたよ!」
女の言葉に、周りにいた人々がワッと一層騒ぎ始めた。
「やっぱり、あの女は悪女だ!」
「先代の皇帝はあの女に誑かされたんだ!」
「あの女のせいで国が傾いた! 滅びかけた!」
「税が重くなったのもあいつが贅沢をしていたせいだ! 戦争が起きたのも、あいつが敵国の王を惑わしたせいだ!」
「あの女さえ! あいつさえいなければ!」
違う。
私のせいじゃない。
税を増やさなければいけなかったのは、戦争に備えるため。戦争が起きたのは、敵国の王がこの国の資源を欲しがったから。
そう叫びたくても、次々飛んでくる石やゴミが当たらないよう身を庇うのに必死で、口を開く余裕なんてなかった。
震える私を見張りは一瞥して、「黙っていてください」と冷たく言い放つ。
見張りの態度は当たり前だった。もう私に味方なんていない。何か言い訳するだけ無駄なのだから。
私は彼の言う通り、断頭台がある広場に着くまで口を閉じ、ただじっと地面に伸びた影を見つめていた。
「降りてください」
御者がそう告げると、私は引っ張られるように荷台から降ろされた。
そして、断頭台へと連れられ、憎悪に満ちた民衆の前で膝をつかされる。
「──罪人、元皇妃サメルラ・アインザッツの罪を述べる」
私の頭上で、処刑人が罪状を読み上げる。
「貴殿は先代皇帝であるホウラン陛下の寵愛を盾に、帝国の秩序を乱した。宮廷で贅に溺れ、いたずらに争いを起こし、この帝国で暴虐の限りを尽くした。そしてあろうことか、貴殿を諫めた貴族はことごとく殺害し、遂には敬愛すべき我らが皇帝、ホウラン陛下を弑逆するに至った」
でっち上げの罪状に、反論する気力すら湧かない。
皇帝が毒殺されたとき、誰も私の証言を信じなかった。信じてくれた人は見せしめとして殺された。たとえ今ここで真実を告げても、同じことだろう。
家族や親しかった友の首が広場で並べられている現状に、私は涙すら出なかった。
ただただ漠然と心を支配しているのは、疑問。
どうしてこうなってしまったのだろう、という素朴な疑問。
「──よって、サメルラ・アインザッツに死刑を科す!」
長々とした罪状を言い終えたのだろう。締めの言葉と共に民衆が歓喜に沸き、私の首が断頭台に固定された。
憎しみと喜びが混じった人々を眺めながら、何がダメだったのだろうかとぼんやり考える。
十三までは、ただの村娘だった。たまたま視察に来ていた役人が、私を皇帝の後宮に入れると言い出したのだ。役人の命令を断れば命は無い。多額の報酬と引き換えに私は役人に引き取られ、後宮に入ることとなった。
何の後ろ盾もない私が皇帝陛下にお目にかかれるはずがないと、周りからそう何度も言われた。その通りだろうと思って、後宮では穏やかに過ごしていたとき、陛下からお呼びがかかったのだ。周りが貴族の娘である中、野暮ったい村娘が珍しかったのだろう。陛下の覚えめでたくなった私は、何度か彼に呼ばれるようになった。
その頃は「多少見目が良いだけの田舎娘」と嗤われることが多かった。その通りだった。学も楽も作法も、どの妃よりも私は劣っていたからだ。
陛下は何度も私を「美しい」と褒めてくれたが、容姿以外に褒められたことはなかった。陛下が私に求めていたものは、そういうことだ。だから無能な私はこうして都合の良い身代わりになった。
気づいたときには何もかもが終わっていた。でっち上げの証拠で毒殺の犯人だと仕立て上げられ、弁解する間もなく牢に入れられたあと、私の家族や庇ってくれた人は全員殺された。どこかの誰かが謂れもない噂を民衆に流し、私の処刑に異を唱える者をなくした。こうして私は、誰かの筋書き通り、国を傾けた悪女として歴史に名を残すのだ。
ああ、そうか。
あの役人に見つかった時点で、私の結末はもう決まっていたんだ。
「ふふ」
美しいだけが取り柄の村娘。
それ以外は空っぽだったから、こんな結末を迎えるんだ。
私に関わった人をみんな不幸にして、最後は自分も惨めに死ぬんだ。
そのことが可笑しくて、私は小さく笑った。
「ははは」
民衆の歓声が一際大きくなる。その反応で、もうじき私の首が家族と共に広場に並ぶことを察した。
死の間際、人は気分がこんなにも高揚するのだろうか。私は滲む視界で空を見上げ、天に祈った。
ああ、神よ。もし、この私を憐れに思うのなら。
もう二度と、力のある者と巡り合いませんように。
そう願って、涙をこぼした。
そこから先は、記憶にない。
私の前世は、ここで終わったのだ。
□■□
神というのは残酷だ。
時の権力者に寵愛されたせいで命を落とした私を、今世ではその権力者側にするのだから。
私こと、アザレア・エル・サベージはカボス王国の公爵の娘として生を受けた。
そして何の因果か、私は王太子ロータス殿下の婚約者となってしまった。
ロータス殿下は太陽みたいなお人だった。
端整なお顔立ちに、燃えるような赤い瞳と髪。容姿が整っているだけではなく、頭脳明晰でもある。あらゆる学問に精通しており、政治、経済はもちろんのこと、前世では存在しなかった魔法という摩訶不思議な術にも造詣が深い。武術も素晴らしく、騎士団長が殿下には敵わないと降参するほどだ。
まさに、天才。
これほど殿下を表すのにぴったりな言葉はない。それほどロータス殿下は素晴らしく、凄まじかった。
そう、凄まじいのだ。
殿下は凡人である私の想像など遥かに超えることをやってのける。太陽が東から昇って西に沈むのが当たり前なように、突拍子もないことを平然とこなしてしまうのだ。
もし彼の欠点を挙げろと命じられれば、本当に唯一の弱点として私はこう申し上げるだろう。
ロータス殿下は、普通ではないと。
生半可な覚悟で彼を評価してはいけない。
甘く見れば、痛いしっぺ返しが待っている。
……たとえを挙げるなら。
今、両陛下の御前で咽び泣く勇者殿のように。そして泡を吹いて倒れている聖女様のように。
「うむ? 勇者はなぜ泣いておるのだ? アザレアよ。其方にはわかるか?」
こてんと首を傾ける殿下。なぜかそのお姿は返り血で汚れている。
そして、右手には土塊と一体化した聖剣。左手には形状し難いグロテスクな何か。
私は扇を握りしめ、自由奔放な殿下に意を決して話しかけた。
「その前に殿下。その手に持っているハンマーと化した聖剣は一体どうしたのでしょうか」
「これか? 恥ずかしいことに余では聖剣が抜けなくてな。ゆえに、修業で借りる際、土台ごと持っていった。良き負荷であったぞ!」
「さようですか。ところで殿下。その左手にお持ちの肉片は一体何でございましょうか」
「これか? 魔王の首である! さっき倒してきた! 良き修業相手であった」
うんうんと満足気に頷くロータス殿下に、誰も何も言えない。両陛下は遠い目をし、従者は悟りを得たのか後光が差している。先日殿下を煽った勇者は何度も何度も謝罪を繰り返し、聖女は未だに目が覚めない。そして、輝かんばかりの笑顔で「余、凄いだろ?」と胸を張るロータス殿下。
混沌とした謁見の間で、私は何をどう突っ込むべきか戸惑っていると、殿下が更なる爆弾を落としてきた。
「なに、将来国を背負う者としては当然であろう。余ができたのだ。アザレアも修業すれば魔王を倒せるだろう。そうであろう、アザレア!」
殿下の発言に、私の残っていた理性が弾け飛んだ。
「修業感覚で魔王を倒す人間がそう簡単にいてたまりますかァ!」
私の叫びに、その場に居た殿下以外の人間が必死に頷いた。