第二章 吸血鬼はネット通販がお好き 13

「それで、と。あかちゃん、結構この店に来てるの?」

「……この店っていうか、イベント。えいてんが出るから」

あかちゃんの好きなバンドだっけ。こういうところでやってるんだ。え? じゃあこのあとどっかで、ライブのチケット代払わなきゃいけないのか?」

「ああ、それは大丈夫ですよ。うちのイベントは基本無料。ワンドリンク注文してもらったからそれでOKです」

 あかに代わって答えたのは相良さがらだった。

「へえ……気前がいいんだな」

 ライブハウスでイベントが行われる場合、チケット代にライブハウスのワンドリンク分の料金が事実上セットになっていて、チケットの半券やライブハウスが用意したトークンなどとドリンクを交換するのが一般的だ。

「このイベントはルームウェルのあみむらさんが取り仕切ってて、ニュー・チューブの収益を還元するようなイベントなんだ。だからチケット代がかからなくて、気楽に参加できるの」

「っ!」

「……へぇ、ルームウェルってのは、バンドの名前?」

 ルームウェルのあみむら

 その言葉にアイリスの顔が険しくなり、とらも少しだけ声に緊張感がにじむ。

「元はバンドやってたんですけどね、今はこのイベント取り仕切ってるんで、イベント会社の名前みたいなもんかな。実は俺もこのライブハウスじゃなく、ルームウェルの人間なんです。これよかったら見てやってください。ウチがやってるイベントの動画のコードです」

 相良さがらが、スリムフォンのカメラで読み取れる特殊コードが印刷されたカードを差し出してきた。

 とらが曖昧に返事をして受け取ると、途端にステージ側が騒がしくなってくる。

「始まった! 私行くね! バイバイとらさん!」

 半分以上残ったコーラを残して、あかがばっとカウンターを離れ、熱気が爆発しそうなステージに駆けていってしまった。

「今やってるのがあかちゃん御贔屓のえいてんですよ」

「……へぇ」

とらは別に音楽に造詣が深いわけではないが、えいてんの曲は派手過ぎずありきたりではない、普遍的に良い曲だと感じた。

 百人強はいるだろうか、リズムに乗って熱狂している観客の中にあかの横顔を見つけ、彼女が心からライブを楽しんでいることも分かり、そこにはあの夜に見た、乾いた寂しさのようなものは感じられない。

 スリムフォンでえいてんを検索すると、活動を開始して二年目で、動画サイトなどを中心に人気拡大中のアマチュアバンドらしいということを、小さな音楽情報サイトが書いていた。

「これが、無料か」

 だからこそ、そこが引っかかる。

 高校生のあかが繁華街のライブハウスに出入りしていることの是非はともかく、相良さがらの応対や会場の雰囲気からも、このイベントからは非合法な要素の気配は感じられなかった。

 若者と繁華街の組み合わせは単純に風紀の乱れに直結させられがちだが、夜はまだ浅く、未成年に対するアルコールの提供は厳に戒められており、客層の九割以上が女性であることから、男女の風紀を乱すようなこともなさそうだ。

「……なぁ、本当にここなのか」

「……そのはず」

 本当にこのイベントを取り仕切り、やみじゆう騎士団が緊急に対応しなければならないような吸血鬼が存在するのだろうか。

 えいてんの出番は三曲で終わったが、その後もいくつかのバンドが入れ替わり立ち代わり登場し、二時間ほど、とらもアイリスもカウンターに座ったまま知らない曲をたっぷり聞いてしまった。

 全ての出演者の演奏が終わり、最後のバンドのボーカルが観客の拍手に礼をすると、その横からスーツ姿の男が壇上に上がって来た。

『本日も大勢のお客さんにご来場いただきありがとうございます! 皆! 今日も楽しんでもらえたか!?』

 スーツの男の呼びかけに、再び会場が沸く。

「あれがうちの代表のあみむらね」

「へぇ」

 相良さがらの言葉に特別反応しないとらだが、目だけはしっかりスーツ姿の男に注目する。

 イベンターという職業のイメージを裏切りすぎない程度に明るい色合いの、だがチャラチャラしているとギリギリ言われない程度のスーツと髪色、そして眼鏡。

 端正ながら愛嬌のある顔つきと豊かな表情。他人の目に映る自分の姿を計算しているタイプだ。

 あみむらかつ

 彼がやみじゆう騎士団東京駐屯地がアイリスに託した対象ファン。吸血鬼であるらしい。 

『それではお待ちかね! お楽しみの投票タイムです!』

 あみむらの言葉に誘われるように、音楽を聴いていた観客が、ステージ上のあみむらに向かって何かを渡している姿が見えた。

 あみむら自身、同性のとらから見ても整った容貌をしているせいで、まるで群がる観客が皆あみむらのファンであるかのような錯覚すら起こした。

「なにあれ、ファンレターかしら?」

 ステージに殺到するほぼ全員の手にあるのは、なんと封筒だった。

 普通に見ればアイリスのその感想が正しいのだが、とらには違和感があった。

 あかも、周りの客と同じように封筒をあみむらに向かって差し出している。

 その瞬間だけはとらも緊張するが、あみむらは笑顔を浮かべたまま、他の客からと同じようにあかからも封筒を受け取り、小さく頷くだけだった。

 封筒はあみむらの手の中でどんどん厚みを増してゆき、やがて片手では持てなくなって、別のスタッフがトレーらしきものを持って封筒を預かりに行く。

「いや……あれは多分……」

「え?」

「……いや、何でもない」

 とらははっとしたが、すぐそばには相良さがらのいるカウンター。

 ほかにもルームウェルとやらのスタッフがどこにいるかも分からず、迂闊なことは口走れない。

 だが、あかが『投票』を済ませ、昂揚している横顔を見た瞬間、とらの肚の底には、小さな怒りが燃え上がった。

 しばらくして、先ほどトレーで封筒を持ち去ったスタッフがあみむらに何かのメモを渡す。

『さてさて集計結果が出ました! やはり強い! 本日もえいてんに五十万ポイント以上! いつも通り、累計最多投票者の方には登録アドレスに連絡をさせていただきます! 皆今日もありがとう!』

 歓声と拍手、そしてえいてんが『投票』のお礼なのか、もう一度舞台に上がって観客に何度も礼をする。

『今日のイベントも会員の皆にだけ、アーカイブで配信するからもう一度楽しんでくれよな! 次のイベントの告知の動画も忘れずに高評価よろしくぅ!』

 最後まで盛り上げに盛り上げたあみむらえいてんのメンバーがステージから消えても、フロアの熱気は冷めやらない。

「……帰ろうか」

「え?」

「イベント自体は、今日はもうこれで終わりなんですよね」

 とら相良さがらに尋ねると、相良さがらはドレッドヘアーをいじりながら少し考えるふりをする。

「んー、まぁステージはね。この後出演者がフロアに来てファンの子達と飲んだりするから、完全に終わりじゃないけど」

「なるほど。でも、もう時間も十時ですし」

「……ああ」

「俺もこういうとこであんまヤボなこと言いたくないんですけど、相良さがらさんも言った通り『間が悪く』会っちゃいましたから。後で色々バレて、クビになりたくないんすよ」

「じゃーしゃーなしかな。でも、あんま騒ぎにならないように連れ出してね。ヤボだから」

「どうも。行こう」

「え、ええ。って、ちょ、ちょっと、どこに行くの」

 カウンターから離れるとらに引っ張られるように、アイリスも離れる。

 とらは出口ではなく、興奮冷めやらないステージ側へとずんずん進んでゆく。

 大半が女性客とは言え、中には少数ながら男性もおり、アイリスはおっかなびっくりと言った様子だが、とらあかを目指して真っ直ぐ歩いているのに気付き、観念してついてくる。

あかちゃん、帰ろう」

「は? 何言ってんのこれからじゃん!」

「俺があかちゃんの親ならOKも出せたけどな、場所柄、条例ギリギリの二十三時まで放置して、あかちゃんが警察の厄介になるようなことがあったら、むらおかさんに申し訳ない」

「お父さんは関係無いでしょ!」

 あかの剣呑な雰囲気に周囲がザワつき始める中、

「そこでお父さんが関係無いなんて言いきれるようなら、君は君を置いて出て行ったお母さんと何も変わらないってことになるが」

「っ!!」

 激昂したあかの手が振り上げられようとした瞬間、その手をアイリスが寸前で押さえた。

「サガラさんにも、連れ出していいって言われてるわ。ここで騒ぎを起こすのは、あなたも本意じゃないでしょう」

「……!」

 あかはショックを受けたようにカウンターバーの方を見るが、タイミング悪くそこには相良さがらの姿は無かった。

「……お父さんに告げ口するつもりはない。でもそれは、あかちゃんが世間の許容範囲を抜け出さなかった場合に限る。これ以上は、許容範囲外だ」

「……世間とか、くだらない! 大人の許容範囲とか、知らないっての!」

 怒りを飲み下すように言いながらも、あかはアイリスの手を振り払い、肩を怒らせながら出口へと向かう。

 アイリスがそれを追い、とらはもう一度だけステージを振り返った。

 ちょうどそのとき、出演者が何組か現れ、ホールがまた沸き上がる。

 出演者に殺到するお客が彼らに差し出す封筒は『投票』のときとは打って変わってきらびやかで色とりどりの封筒ばかりだった。

「……クソ」

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