第二章 吸血鬼はネット通販がお好き 14

「ユラ……」

 とらがライブハウスを出ると、アイリスが困ったようにとらに助けを求めてきた。

 見ると、あかが出口の横でぶーたれた顔でしゃがみ込んでいる。

「帰らないから」

「え?」

「帰らないよ。絶対帰らない!」

「……いやでも」

「家に帰ったって何も変わらないよ! どうせお父さんは仕事で、お母さんは帰ってきてない! 一人が危ないっていうならここにいたって家に帰ったって変わったりしない!」

「……あかちゃん」

「ユラ……彼女の家は……」

「俺のコンビニのオーナーの娘さんだって話は中でしたろ。実は最近、お母さんが蒸発同然に出て行ったらしくてそれで……」

「……そういうこと」

 アイリスは得心したように頷いた。

「ちょっと、任せてもらっていいかしら」

「え?」

「これでも修道士よ。本国でも、家庭に問題を抱えた子供の相手を修道士が務めることは多いわ。今すぐに解決ってことにはならないけど、気持ちをほぐすことくらいはできるかも」

「……分かった、任せる。悪いな」

 とらがモノを言うとどうしてもむらおかの影がチラつくだろうし、同性で外国人のアイリスの方が、案外話は通じるかもしれない。

「アカリちゃん? だっけ」

「……」

「楽しみの邪魔をしちゃってごめんなさい。羽目を外したいことって、誰にでもあるわよね。分かるわ。今日の私もそうだったから」

 そう言うとアイリスは、ポケットからカードのようなものを取り出し、あかに差し出す。

「え、嘘、シスターさんなの? なんかそれっぽい格好だとは思ったけど」

 修道士固有の身分証でもあるのだろうかという一瞬沸いた疑問を呑み込み、とらは状況を見守る。

「ええ。シスターでも、ライブを見に来たりはするのよ」

 何を見せてあかにシスター=修道士だと納得させたのかは知らないが、こうして身をかがめて少女に親身に話をしている姿を見ると、およそ口にカレーを付けて決めポーズを取っていた人間と同一人物とは思えない。

「でも、私もユラも、あなたに暗い迷いを見つけ出した。こういう街ではその暗い迷いに付け込む影がたくさんあるわ。あなたが心からライブを楽しんでいたならいいんだけど、きっと、あなたの迷いが、あなたから物事を純粋に楽しむ気持ちを奪っている。その迷いや悩みを一緒に持って重さを分け合うのが、私達のいる意味なの」

 重さを分け合う、などというフレーズは、一生考えてもとらの口からは出ない言葉だろう。

 何なら通り一遍の大人のお説教を吐いてますますあかを頑なにさせてしまっていたかもしれない。

 とらは恐らく初めて、アイリスの職業適性を認め、彼女のキャリアに尊敬の念を抱いた。

「家に帰りたくない子には、普段だったら教会や修道院で一晩を過ごしましょうってお誘いするところなんだけど、私、日本に来たばかりでそういうわけにもいかないの。だから、どうかしら。今夜は私の家に泊まらない?」

「……お姉さんの、家」

「んっ?」

「狭いし何も無いけど、温かい紅茶くらいはごちそうできるわ」

「んっ? んっ? おかしいな、おいアイリス、ちょっと待……」

「今日のライブ、なかなか面白かったし、先輩として色々教えてもらえないかしら。動画も配信されるんでしょう? 一緒に見ない?」

「……分かった」

「……えぇ」

 まとまってしまった話を今更止めることもできず、とらはアイリスがタクシーを止めて灯りを乗せるのを、呆然と見ていることしかできなかったのだった。


    ※


「へー。お姉さんうちの近くに住んでるんだ」

「あら、そうだったの。あかちゃんの家、近くなのね」

「うん。うちもぞうとらさん家もぞうだよね」

「あー……うん……まー」

「ん? あれ? 二人ともぞう住んでて、二人で一緒のライブ来て……私ってもしかして、超お邪魔虫だったりする!?」

 当然こういう反応になるだろう。

 ブルーローズシャトー雑司ヶ谷一〇四号室に帰ってくれば。

「ふふ、残念だけど私とユラはそういう関係じゃないの。ライブに二人で行ったのも初めてよ。彼がついて来たいって言うから」

「………………………………」

「へぇー、とらさんへぇー!」

「……何だよ」

「いや、別に。ただ、可愛いとこあるんだなって」

「……そりゃどうも」

 今すぐにでもアイリスをチョークスリーパーで沈めたい気持ちでいっぱいだが、アイリスはあかの心をうまい具合に操縦しているため、迂闊に反発できない。

 結果話を合わせるしかないのだが、店員の相良さがらに彼女呼ばわりされてあれだけ動揺していたくせに、ここにきてその余裕は何なのか。

「いやでもちょっととらさんのこと見直した。とらさん、なんかいつも枯れた感じで地味だったから。こんな美人なお姉さんとライブ行くような人に見えなかったからさ」

「いや、まぁ」

 あかの洞察は全くもって当たっており、アイリスと知り合わなければライブハウスなど一生行くことなどなかっただろう。

「子供が大人の分からない秘密を持ってるように、大人にも子供に見せない色々な顔があるのよ。さ、ユラのことはいいわ。ライブの動画はもう配信されてるのかしら」

「されてるはずだけど、この部屋Wi-Fiある? って言うか、全然物無いんだね」

「えーと……私も引っ越して来たばかりで、その、えーと」

 アイリスの視界の端でとらが首を横に振る。

「……私の端末で見ましょうか」

 一瞬だけためらってから、アイリスは自分のスリムフォンを取り出した。

 そしてそのまま本当に先ほどのライブ配信を見始める。

 肩と顔を寄せ合って小さな画面に見入りながら、アイリスとあかは心から楽しそうにあれこれ言い合って笑っている。

「……やれやれ」

 とらは肩を竦め、邪魔をしないように奥の部屋へと引っ込んだ。

 そのまま数時間、二人があれこれ話す声が聞こえたが、やがてそれがアイリスを泊めている部屋に移動する。

 そしてしばらくして声が唐突に途切れたとき、

「お待たせ」

 アイリスが顔を覗かせて手招きをしてきた。見に行くと、隣の部屋ではあかが布団をかぶって寝息を立てている。

「悪いな、助かった」

「へぇ。もっと怒るかと思った」

あかちゃんをあそこから連れ出せた。俺一人じゃ絶対こうはいかなかった」

 とらは戸を閉めるとダイニングの椅子に座り、大きく溜め息を吐く。

「お前、本当にシスターだったんだな。大したもんだ」

「なんだと思ってたのよ」

 アイリスは満更でもなさそうに微笑んで、先日買ったアールグレイのティーバッグで二人分の紅茶を淹れ始める。

「……お母様が出て行ってしまったこと、相当堪えてるみたい」

「……そうか」

あかちゃんが中学生になったくらいから、ご夫婦の間で喧嘩の頻度が増えたそうよ。それが、お父様のコンビニの経営が軌道に乗り出した頃なんですって」

「ちょうど、俺がむらおかさんと知り合った頃だな」

 とらの前では情けない姿を見せることが多いむらおかだが、ああ見えて経営者としての腕は確かで、東池袋五丁目店以外にも二店舗、コンビニをフランチャイズで経営している。

 東池袋五丁目店がむらおかの経営する一号店なのでそこに詰めていることが多いが、他の二店舗を回ることも多々あり、他人事ながら、家に帰る時間は少ないのだろうなと思っていた。

あかちゃんのピアノのコンクールのことはきっかけでしかなくて、お母様はお父様が家庭を顧みないことに相当腹を据えかねてたみたい」

あかちゃんが自分でそう言ったのか」

 壁越しにはただただ明るく雑談をしているようにしか聞こえなかったが、さすがは修道士といったところか。

「ええ。そのときあかちゃんは、お父様の肩をもっちゃったんですって。それでお母様を追い詰めることになって、お母様が出て行ってしまって、それでも仕事最優先で家でもほとんどあかちゃんと会話しないお父様を見て、どうして分かったふりして味方しちゃったんだろうって、後悔したらしいわ」

 そのときのむらおか家の実際の空気がどうだったのかは分からない。

 だが、あかにしてみれば、両親の破綻の直接のきっかけを自分が作ってしまったのではないかという思いが拭えず、それが余計に大人への反発となって現れるのだろう。

「ライブもね、前からちょくちょく行ってはいたらしいんだけど、それまでそのことを知らなかったお父様と口論になっちゃったらしくて」

 仕事一辺倒の父に愛想を尽かして出て行った母。

 味方をしてあげたのにそのことを理解せず、それどころかほとんど家にいないくせに、娘の趣味にうるさく口を挟む父。

 嫌になるくらいどこにでもありそうな、それでいて当人達にとってはこの上なく難しく辛い状況だ。

「あの時お母さんが正しいって言ってあげてれば……って、泣いていたわ」

 端から見れば、むらおか家の誰も間違ってはいないのだ。

 ただ、それぞれの正しさがかみ合わなかったために、家庭が回らなくなってしまったのだ。

 そしてあかはそのことを誰にも打ち明けられないまま、やり場のない思いを外に求めた。

 あのライブハウスとイベントは、あかにとって自分を守るための隠れ家に他ならない。

 だが。

「あのイベントは、危険だ」

「どういうこと?」

あみむらが吸血鬼かどうかは関係ない。あかちゃんをあのイベントに出入りさせてちゃいけない。このままだといつか、あかちゃんが警察の厄介になって、むらおかさん家が取り返しがつかないくらい、壊れちまうかもしれない。……何をすればいい」

「え?」

「……あの吸血鬼を捕まえるのに協力するって言ってるんだ。何をすればいい」

「えっ? ユラ!? き、急にどうしたの!?」

「俺は人間が小さいからな。世のため人のためなんて話より、自分がどうしたいこうしたいで決めるんだ。知り合いがやばいことになっているのに、何もせずにいたくないだけだ。あかちゃんにお前の家だって言った以上、この件が終わるまではうちにいていい」

「……ユラ、うん、ありがとう!」

「その代わり、この仕事が終わったら今度こそ出て行ってもらうからな」

「もちろんよ!」

 返事だけ良いアイリスに一抹の不安を覚えるものの、あかむらおかに危険な影が忍び寄っているのなら、無視はできない。

 とらは心底嬉しそうなアイリスに苦笑しつつ尋ねた。

「確認したいんだが、修道騎士に『担当』を振ってくるやみじゆう騎士団ってのは、単に案件を斡旋するだけか? それとも実践を騎士に任せるだけで、情報はある程度精査した調査結果を持っていたりするのか?」

「一応、最低限の調査はしてくれるわ。ただ、実地でファントムと戦うのは私達騎士だから、大詰めの調査は私達がやることになるけど」

 早くも『私達』とチーム結成を既成事実として言い出すが、今はそれがいい。

「なら、イベントを取り回してる『ルームウェル』って組織について確認しておいてほしいことがある。イベント終わりにあみむらが集めてた、あの封筒に絡む話だ」

「封筒? ファンの子達のファンレターのこと?」

「俺の予想が正しければ、あれはファンレターじゃない」

 とらは苦々しい気分で、あかが寝ている側の部屋を見やった。

「どういうこと? 一体何を調べようとしてるの?」

 アイリスの問いに、とらの返事はこれから吸血鬼と対峙しようというチームの一員としては、奇妙なものだった。

「ルームウェルの会社組織としての登記情報と、可能なら昨年度の会社としての売り上げ。あとは……警察でもなんでもいい。公の捜査機関にマークされていないかどうかを、調べておいてくれ」


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試し読みは以上です。


続きは2020年9月10日(木)発売

『ドラキュラやきん!』

でお楽しみください!


※本ページ内の文章は制作中のものです。実際の商品と一部異なる場合があります。

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