第二章 吸血鬼はネット通販がお好き 1

 身を切るような暗い寒さの中から一転、自動ドアをくぐると温かさと光とおでんの香りがとらの身を包んだ。

「おはようございまーす」

 午後九時、とらはシフト通りに出勤した。

 灰となってしまったその日の内に復活し、日常のルーティンを崩さすに済んだのは、はっきり言って奇跡だ。

 とらの吸血鬼人生の中でも、数えるほどしかない。

「おはようトラちゃん。昨日は付き合ってくれてあんがとね」

 普段と全く変わらないむらおかと言葉を交わすまで、本気で半信半疑だった。

 胸を撫で下ろし、制服に着替えると、むらおかが手招きする。

「でさ、早速で悪いけど、ちょっと申し送り。昼間にまた警察広報でスーパーバイザーが来てね」

 警察と聞いて今朝の件が一瞬脳裏を横切りぎくりとするが、

「何か犯罪があったとかじゃなくてね、いつもの特殊詐欺気を付けて系のポスター」

「あ、ああ。そういうことっすか」

POSAを使った詐欺が増えてるから、お客様が大きな額買おうとしてたら気を付けてねってさ」

 むらおかが指さす先には、昨日までなかった警察の啓発ポスターが、レジに来たお客の目に入りやすいように掲示されていた。

「これちょっと前に流行ったのですよね? SNSのアカウントを乗っ取って友達を装ってカードの番号送らせるってやつ」

「おお、よく知ってるね。僕は説明聞いても全然ピンとこなかったけど、若い人は違うね」

「ええ、まぁ」

 近年はコンビニエンスストアで、様々なインターネット上のサービスや商品を購入するためのPOSAカードと呼ばれるタイプのプリペイドカードが販売されている。

 数年前、ソーシャルコミュニケーションアプリ上でアカウントを乗っ取って本人を装いPOSAカードを買わせ、番号を写真で送らせて入金データを盗むという詐欺が横行した。

『プリペイドカード番号送って、は詐欺です! そのアカウント、本当に友達ですか? 乗っ取りに気を付けよう。セキュリティは万全に』

 こういった啓発ポスターは都道府県警が本社や営業所などに配布し、スーパーバイザーなどの管理職が配布していくのだが、この内容を読む限り、警察が警告したい詐欺の内容は以前流行った詐欺と似たようなもののようだ。

 とはいえ、前回のときもそうだったのだが、コンビニのレジでこの手の詐欺に対してできることは、このポスターを目立つ場所に掲示することだけだ。

「で、どうするんですか」

「どうもしないよ。目立つところに貼っておくだけ。一応の申し送りってだけだから」

 銀行が特殊詐欺防止のために声かけ運動をしているように、コンビニでも客がギフトカードとして複数枚購入し、結果高額になるケースでは用途を確認することを業務命令として通達されてはいる。

 だがとらが扱った中では実際に警察沙汰になるようなケースは皆無。

 SNS運営各社もセキュリティを強化し、啓発活動を頻繁にしているので、この手の詐欺は減っていると聞いたことがあった。

「でも……増えてるからこういうのが来るんだよな」

 そこまで考えてから、警察が事業所あてにこのポスターを送って来たということは、また新たな形で何かが起こっているということなのだろう。

「世の中、いつまで経ってもつまらんことを繰り返すもんなんだな」

「え?」

「いえ、何でも」

「そっか。じゃあ僕は裏で色々やってるから、忙しくなったら呼んで」

「はーい」

 むらおかがスタッフルームに引っ込むや否や、

「いらっしゃいませー」

「……五千円分で」

 若い女性客がくだんPOSAカードを手にレジにやってきた。

「かしこまりました。そちらの画面で承認ボタンにタッチしてください」

 とらの感覚でしかないが、POSAカードで最も多く利用されているのが千五百円カードと五千円カードだった。

 千五百円カードは子供や若い人がゲーム課金したり音楽データを購入したりするために。

 五千円カードはギフトカードとしてプレゼントの用途に使われることが多いらしい。

 女性客は他にも封筒とボールペン、そしてミネラルウォーターをレジに出した。

「こちら、一つの袋に纏めてしまってよろしいですか?」

「あ、カードだけ別でください」

 多くのPOSAカードは紙製なので、温度変化で結露するような商品と一緒に購入されたときには手渡し方に気を遣う。

 この日もシフトに入って一時間で五人が、色々なPOSAカードを購入していった。

 全員が若者だったが、一万円を超える高額カードの購入は一度もない。

 むらおかのメンタルも表面上は元に戻っているようだし、業務の様子もポスターが一枚増えただけで何も変わらない。

 今日もとらにとっての日常は変わらないはずだった。

 そう思ったとき、自動ドアが開いて入店音が響く。

「いらっしゃいま……あ」

 入り口に目を向けたとらに向かって、その客はまっすぐ歩いてきた。

「キャスパーマイルド、二つ」

「……はい、かしこまりました」

 タバコの銘柄を注文したのは、顔に深く皺の刻まれた白髪の老人だ。

 丸い眼鏡の奥の眼光は鋭くとらの行動を見守っている。

 とらはその視線を背に感じながら注文のタバコを手に取り、レジに出す。

「昨日の電話な、行ってみたが、何も無かった」

 だが老人はタバコを手に取らず、とらに声をかけてきた。

「え?」

「通報は確認した。だが、指定されたポイントには、何もなかった。千円で」

「えっ? あ、はい」

 唐突に紙幣を差し出され、とらは慌てて会計処理をする。

「本当にだったのか?」

 お釣りがレジから吐き出される間に、老人はそう尋ね、とらは頷く。

「目と牙も確認したし、特有の技も使っていた。時間が時間だったから……その、灰化は、確認しなかったが」

「ま、それはそうか。釣りは」

 老人が皺深い手を差し出し、とらはその手に小銭を返す。

「そうだ。名前はオコノギカジロウ」

「ほう? 名前が分かってるのは悪くない。どうやって知ったんだ」

「あ……いや、その、偶然……」

「……ああ、何も無かったと言ったな。正確には、何も残されていなかった、だ」

「え?」

「灰化の痕跡が、持ち去られていた」

「本当か!」

「一方で、持ち去られていない灰化の痕跡もあった……灰になったな?」

「あ」

 老人は、タバコの隣に、硬い、小さなものを置いた。

 それは赤黒い結晶で作られた、いびつな形の十字架だった。

「今朝灰になったのに、もう仕事に復帰している。何があった?」

「……あの、今、仕事中だから」

 とらが弱々しくそう言うと、老人は後ろを振り返る。

 見るとレジに行列ができており、いつの間にかむらおかが別のレジに立って行列を捌いていた。

「近いうちに、家に行く。話はそこで」

 老人はタバコを手に取ると身をひるがえし、店を出て行ってしまった。

 すぐに次の客がとらのレジに来たために老人を見送る暇はなかった。

 とらはレジの裏に老人が残していった、小さくいびつな形状の赤い十字架を視界の隅で見ながら、明日朝一にでも、アイリスに出て行ってもらわなければならないと心に強く誓ったのだった。

 ところが。

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