第一章 カトウ、異世界転移する 1

 彼女は呪われている。

 それは物理的な事であり、精神的な事でもあった。

 ラミアの呪い。

 それが彼女――ユミナ・カーライズにかけられた呪いの正体だ。

 彼女の上半身は硬い鱗に覆われ、下半身は醜い蛇の形をしている。

 母譲りである綺麗な長い銀の髪と、その母が褒めてくれた父と同じ青い瞳だけがそのままだが、そんな事、今の彼女にとっては何の慰めにもならなかった。

「お願い、成功して……!」

 ユミナは強く拳を握りしめながら、祈るように召喚魔法を執り行う。

 仲間に裏切られ、呪いを受けたあの日から、ユミナは海を渡り、この遠く離れた浸魔の森にひっそりと隠れ、日々呪いの研究を続けていた。

 この姿では両親に会う事はおろか、街に住む事も出来ない。

 大方、自分は死んだ事になっているだろう。

 ユミナは悔しさのあまり、強く歯を食いしばった。

「…………」

 しかし、そんな研究の日々も今日までだ。

 今執り行っている召喚魔法が成功すれば、自分はもしかしたら元の人間の姿に戻れるかもしれない。

 そんないちの希望が、この召喚魔法にはこめられていた。

 なぜそれが召喚魔法なのかというと、それはラミアの出生に理由がある。

 このラミアという生物は本来、この大陸には存在しない幻魔種に分類され、魔王がまだ生きていた古の時代――その古の時代に、魔王が側近である召喚魔法士たちを使い、現世と冥界の門を繋いで呼び寄せた魔物とされている。

 つまりラミアの呪いを解くには、この世界の魔法ではなく、冥界の魔法――あるいは知識が必要であった。

 しかし、この召喚魔法には大きな欠点が存在する。

 それは、召喚する対象が選べないという事。

 鬼が出るか蛇が出るか。

 それは召喚してみなければ分からない、そんな恐ろしいものであった。

 だがしかし、それでもやらなければならない。

 ユミナの覚悟は既に決まっていた。

 永遠にこの姿でいるくらいなら、自分は死を選ぶ。

 ユミナはそう決意していた。

 だからこそ、禁忌とされているこの召喚魔法にまで手を出したのだ。

 ユミナは魔法陣に魔力を注ぎ続ける。

 紫色の魔力の奔流が小屋を満たし、電流のようにバチバチと音を立てる。


 ――来る!


 ユミナが魔法陣から視線を上げた瞬間、それは現れた。

 黒髪の、黒のコートを身に纏った少年が現れたのだ。

 ユミナは呆気に取られていた。

 召喚したのは、見るからに普通の少年。

 これは明らかに失敗だ。

 誰がどう見てもそう考えるだろう。

 しかし、少年の目には強い意志を感じた。

 この少年は普通じゃない。

 これはユミナの勘だった。

 この姿になってから異常なまでに発達した鋭い勘。

 その勘が言っているのだ。

 この少年は、英雄であると――

「問おう。お前が私のマスターか」

 少年の声は凛々しかった。

 自信に溢れていた。

 そしてなにより、ユミナの好みの顔だった。

「そ、そうです! 私がマスターのユミナです!」

 ユミナはすぐに言葉を返した。

「ならば願いを言え。どんな願いでも三つだけ叶えてやろう」

「み、三つも!? 三つも叶えてくれるんですか!?」

「ああ、神の力を超えない限りだがな……」

 どこか遠い目をしながら、少年は寂しそうにそう答える。

「す、凄い……」

 つまりこの少年は、神に等しい力を持っているわけだ。

 ユミナは自分の身体が震えている事に気がついた。

 何という事だ。

 これはとんでもない者を召喚してしまった。

 これは自分がマスターなどと自惚れない方がいい。

 よくて対等……いや、自分が下だと自覚しなければならない。

 ユミナはゴクリと喉を鳴らし、少年に自分の願いを伝えた。

「お、お願いです! この醜い姿を人間に! 元の人間の姿に戻してください!」

 ユミナは祈るように、その願いを口にした。

 これでようやく、この醜い姿から解放される。

 そんな安堵をした時だった。

 少年は物凄くブチ切れた。

「はあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!?!?」

「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!?!?」

 神にも匹敵するだろう少年を怒らせてしまったと、ユミナは怯えながら土下座の恰好で頭を抱えた。

 しかし。

「お前が醜い!? どこが!? お前今、世の中のモンむすファン全員を敵に回したぞ!?」

「…………」

 正直な所、意味が分からなかった。

 しかし、自分の願いが否定されている事だけは理解出来た。

「いや何言ってるの!? この身体だよ! 嘘つかないでよ!」

 自分の忌まわしい身体を見せつけるユミナだったのだが、少年は一切動じず、尚もこう言ってきた。

「いやいや! 普通に可愛いから!」

「か、可愛いって、そんな……!」

 生まれてこの方、親以外からこんなに真っすぐに可愛いなどと言われた事がなかったユミナは、それだけで顔を赤くさせた。

「気が変わったか?」

「あ、いえ、それとこれとは別問題です」

「そうか」

 すると少年は、何やら腕を組みながら唸りだす。

「正直な話、俺はこのままでもいいんだけど……まあ、そうか……素人にいきなりモン娘は確かに少しハードルが高いか……そうだよな、俺だって最初は、美少女が表紙のライトノベルを恥ずかしがって、意味もなく書店をぐるぐる回るような、そんな清純男子からのスタートだったもんな! うんうん!」

 何やら少年は、一人で納得してしまったようだ。

 ユミナは顔を上げ、そのまま少年を見上げる。

 すると、彼はユミナに何か小瓶のようなものを差し出していた。

「ほら、飲んでみろ。多分解けるぞ」

 まるで水でも渡す感覚で、少年は白い液体の入った小瓶をユミナに手渡してきた。

「…………」

 ユミナは少しの間、受け取った小瓶と少年を交互に見る。

 そして次の瞬間、ユミナは小瓶の中身を一気に飲み干した。

 この小瓶に毒が入ってる――などとは考えない。

 仮にそうだったとしても、それすらも受け入れる覚悟が、彼女にはあった。

 ユミナが少年から受け取った小瓶の中身を全て飲み干すと、効果はすぐに現れた。

 上半身の鱗は嘘のように消え、蛇の形の下半身は元の人間の姿へと変化していく。

 まるで夢でも見ているような、そんな現実味のない出来事であった。

「……あの、この飲み物は、いったい……」

「ああ、エリクサーだ。何かさっき、女神から貰った」

「え、エリクサー!? そ、それに、女神!?」

 少年の言葉に、ユミナは驚いた。

 エリクサー。

 それは賢者たちの遠い夢である、幻のポーション。

 未だかつて誰一人として製作に成功していない、究極のポーションであった。

 それだけでも凄いというのに、この少年は、そのエリクサーを女神から貰ったというのだ。

 やはりユミナが思った通り、この少年は神と何らかの関係があるらしい。

 しかしそれと同時に、神器にも勝るとも劣らない、そんなエリクサーを少年がこうもあっさりと渡してきた事に、ユミナは恐怖した。

 何かを与えられたのならば、そこには絶対に対価が必要である。

 その対価が恐ろしかったのだ。

 ユミナは反射的に、小屋の出入り口を見た。

 ここから逃げ出す為だ。

「…………」

 しかし結局、ユミナは逃げなかった。

 力を入れていた手足から、スッと力を抜く。

 この少年から逃げられないと、そう悟ったわけではない。

 ただ単純な話で、ユミナは自分の愚かしさを恥じたのだ。

 分かっていた事だ。

 召喚魔法により彼を召喚し、願いを叶えて貰ったのならば、そこには必ず対価が発生する。

 今回はその対価を見誤っただけという話。

 にも拘わらず、ユミナは逃げ出そうとした。

 それはあまりにも自分勝手な、それこそ、ユミナを裏切ったアイツ等以上に身勝手な考えであった。

 そうだ。彼は私の呪いを解いてくれたんだ。

 自分一人の力では、永遠に解けないだろう、そんな呪いを解いてくれた。

 これは一生奉仕しても返せない恩である。

 ユミナは自分の手を、力強くギュッと握る。

 ならばやる事は一つだった。

 ユミナはその場で膝を突き、頬を流れる涙を拭きながら、少年に頭を下げた。

「……主様、この度は私にかけられた呪いを解いて下さり、誠に感謝致します。……どうか私めに、この度の対価を御教えください」

 この御方に、一生付いていく。

 この時点で、ユミナの心と体は、少年のものだった。

「対価? えー……対価かあ……うーん、そうだなー」

 どこか戸惑う少年の言葉に、ユミナの心臓はバクバクと、うるさいまでに鼓動していた。

 ユミナはゴクリと生唾を飲み込み、彼の言葉を待つ。

 エリクサーの対価。

 それは少し考えただけでも、想像を絶するような、そんな途方もないものに違いない。

 ならば、一体どんなものになるのだろうか……

「…………」

 いや、一つだけ分かっている事がある。

 男と女、それも若い男女が、今こうして一つ屋根の下にいるのだ。

 ならば絶対に、彼は私の“この身体”を求めてくる事だろう。

 ――当然だ。

 うら若き乙女に何をしても許される権利を、今ここで少年は得たのだ。

 エロに走らないわけがない……!

 私なら走る……!

 ユミナはそんな確信を持っていた。

「うーん、悩むなー」

 だが、そういう事ならば安心して欲しい。

 大いに安心して欲しい。

 ユミナは不敵に笑った。

 なぜならば、ユミナにはそういった経験が一ミリたりとも存在しなかったが、知識だけは玄人のそれであったのだ。

 しかし――

「あ! じゃあ、夕飯はお肉料理でお願いね! 俺ちょっと、冒険してくるから!」

「……は?」

「夜には帰ってくるから!」

 少年はユミナに背中を見せると、止める間もなく、外へと出ていってしまった。

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