第二幕 夢と、居場所と、三匹の子トラ その4

「そんで、試験ってのはいつなんだ?」

 小一時間おいて、正午。

 緋音とが用意してくれた昼食を食べながら、院長はわかとらに尋ねた。

「来年の二月中旬です」

「あと半年ちょっとか。あんま時間ねえな」

「……ええ」

 6ヶ月というのは最低限必要な時間というだけで、試験に合格するのに十分な時間ということではない。養成学校は二年間通うことを考えると、冗談のような強行日程だ。

「今回は見送って、その次の年の試験じゃダメなのか?」

 当然の疑問に、わかとらは眉根を寄せて唸る。

「失礼ですけど……さん、今おいくつですか」

「歳? 十四よ」

「あたし、十歳!」

「…………(指で小さく「9」を作っている)」

 ふむ、とわかとらは情報を整理し、ぶつぶつと呟き始める。

「十歳と九歳は全然いけるとして……十四は厳しいか……いやギリギリ……」

 そこまで声に出して、が汚物を見るような眼で青ざめているのに気づく。

「誤解です!!」

「ロ……まだ何も言ってないじゃない。まだ」

「竜医の適正年齢の話ですからね!?」

 勿論やましいところなどないが、親御さんの前というのもあって大慌てで弁明する。

 大前提。竜医は子供にしか務まらない。わかとらの家に居着いた竜たちや、紅蓮亭で飼われている竜たちのように人慣れした個体ならともかく、多くの野生の竜は大人を警戒し、敵対する。下手に刺激しようものなら竜影ガスト共々襲ってきて手がつけられない。

 この『子供』と『大人』のボーダーラインが、そのまま竜医の適正年齢だ。成長差などを含めた数少ない例外はあるものの、一般に下は八歳、上は十六歳程度とされている。緋音も絃も、十五歳の時に竜医を引退し、それぞれ別の仕事に就いていた。

「再来年の試験を待っていたら、今十四歳のさんはすぐに年齢上限を迎えてしまいます。せっかく認定試験に合格しても、それでは……」

「なるほど。そりゃ仕方ねえな。今回の試験に全力を賭けるしかねえってわけか」

「そういうことになります」

「だったらよ。おチビ共の親御さんさえ良ければだが、試験までウチに住んだらどうだ」

 同じ医師という立場で猛勉強を経験したであろう院長が、我が事のように提案した。

「!? むぐぐむぐっ!?」

「おう、ちゃんと飲み込んでからな」

 はさっきから妙に口数が少ないと思ったらどうやら凄まじい勢いでご飯を食べまくっていたらしく、あわや大量の米を喉に詰まらせそうになっていた。

「…………(さすさす)」

「もぐもぐ、んくっ。……いんちょーいいの!?」

「院長いいぞ。このデケエ家に慎ましく二人暮らしだ、部屋なら余ってる。それに、病院の方の応接室を教室として使ってもらってもかまわねえ」

 魅力的な提案に、の瞳がキラキラと輝きを増す。

「はーちゃんとみーちゃんと一緒にずっとお泊り……! それって、それってすっごく!」

「…………ごはんつぶ……」

 ちょい。ぱく。

「んへっ。ありがと、みーちゃん」

「…………(にこっ)」

 もはやお母さんだった。どうにもちょくちょく話の腰が折れる。

「……さすがにご迷惑になりませんか?」

「ご迷惑なもんかよ。これから教室探しに宿探しにと駆け回ったり、いちいち移動に時間食われてたんじゃ、そっちの方が勉強時間減ってこいつらにご迷惑だろが」

「それはその通りですけど……」

 実際、願ってもない提案ではある。院長の言うようにすれば、諸々の準備を飛び越えて、すぐにでも指導を始められる。

「確かに、私たちは大助かりだけど……でも、そこまでしてくれるなんて」

「そこまでするもんなんだよ、親ってのは。子供が相談さえしてくれればな」

「あ……」

「言ってんだろ、もっとそういう話をお父さんにしてくれって。娘が夢に向かって頑張るっつってんだから、それを応援するのが父親の務めだろうがよ」

 きゅっ、と唇を結んで黙り込んだの瞳は、微かに潤んで見えた。

「……がと、お父さん」

「聞こえねー。合格したらもっぺん聞かせろ」

「っ、うっさい! ばーか!」

「おま! お父さんに向かってばーかはねえだろ、ばーかは! ばーかって言う方がばーかなんだぞ、このばーか!」

「言ったわね! ばーかばーか! ヒゲ!」

「お、お二人とも、そのあたりで……」

 年少組の教育に悪いし、やり取りの頭も悪い。

「えへへ、はーちゃんといんちょー、ホントに仲良しさんだねっ。いいなぁ」

「仲良くなんかないわよ!」

「えーそんなー仲良くないのかよーヤダー。寂しいぜー、泣いちまうぜー」

「ウッザ!」

「やめろォ! ガチで泣くぞォ!」

 大の仲良しにしか見えなかった。


 それから、二回のおかわりを経てようやく食事を終えたが勢いよく席を立つ。

「ごちそうさまっ! あたし、早速お母さんに電話してみるね!」

「あー待て待て、ウチの電話使え。俺からも話すから」

「? あたし、一人でもちゃんとお話できるよ?」

「そういうわけにいかねえのよ。大人の役目ってやつだ」

 よっこらせと立ち上がって、と食器を片付けてから、院長が居間を出て行く。去り際、思い出したかのようにぽつりと言った。

「そうだ、使ってねえ空き部屋の案内してやってくれ。掃除もよろしく頼むな」

「ええ、わかったわ」

「四部屋だぞ」

「それもわかってる」

 ならよし、と扉が閉まる。

「……四部屋?」

 疑問に感じたわかとらが、指折り数えてみる。かすみで三人。……いや、の部屋はもともとあるので、足りないのは二部屋だけのはず。

「なに二人して首傾げてるのよ。先生と緋音さんの部屋に決まってるでしょ」

「……ええ!?」

 さらりと言ってのけたに、わかとらと緋音が声を揃えて驚きを返した。

「僕も一緒に住み込む……ってことですか?」

「当然でしょ。その方が手っ取り早いんだから。まさかあのボロ家から毎日ここまで緋音さんに送り迎えしてもらおうってんじゃないでしょうね?」

 そこを突かれると痛い。ちなみにわかとらは運転免許を持ってない。

「で、でも、トラくんはともかく、わたしは先生じゃないよ~?」

「緋音さんもいてくれた方が、もきっと嬉しいと思うわ。かすみもそう思うでしょ?」

「…………(にこっ)」

「はわわ……で、でも流石にお部屋までご用意していただくのは……」

「ああ。それとも先生と同じ部屋の方がよかったかしら?」

「そ、そゆことじゃないよう!? ただ、ホントにいいのかなって……」

「もし悪いと思うなら、毎朝美味しい朝ごはんを作ってくれればそれでチャラよ。お父さんならきっとそう言うと思うわ」

「あ、……あらら。……ふふっ、それは、うん、責任重大だね」

 厚意を素直に受け取って、緋音はぽやんと優しく笑った。

 認定試験までの半年間、これから毎日一緒の『受験合宿生活』。そんな字面ほど堅苦しくなりそうもない賑やかな日々を想像して、わかとらも笑みをこぼす。

 どうやら緋音には、これまでの七年間のような寂しい想いをさせずにすみそうだ。

「ですが、そうなるとひとつだけ気がかりがありまして」

「うん。あの子たちのことだよね~」

 緋音も思い至っていたらしい。

「あの子たちって?」

「うちに住みついている竜たちです」

「……あ」

 忘れていた、とばかりにの表情が固まった。

 やんちゃな水竜、大柄な赤熱竜、のんびり屋の風翼竜。

 わかとらも緋音もスサノオ医院に住み込むとなると、彼らは毎日のごはんとおやつにありつけなくなる。それどころか、緑ひとつ見当たらない瓦礫の山の真ん中に取り残されることになってしまう。仲の良い竜たちをそんな目に遭わせるわけにはいかない。

「ですが、院長は竜嫌いだそうですし。当然一緒に連れてくるわけにはいきませんよね」

「……そ、そうね! それはちょっと、や、やめといた方がいいわね、うん!」

 急にしどろもどろしながらが言う。やはりまずいようだ。

「…………(しゅん)」

「うっ……」

 視界の隅に、わかりやすく肩を落としたかすみが映り込む。ほどではないが、かすみも彼等のことを気にかけていた。一同の視線の集中を感じたのか、かすみはハッと顔を上げ。

「……………………(にこ、っ)」

 明らかに作り笑いとわかるぎこちない笑顔を浮かべてみせた。

「ううっ……!」

 わがままひとつ言わない、聞き分けのよ過ぎる振舞い。逆にとても心が痛い。

 まるで「うちでは飼えません! 元いたところに戻してらっしゃい!」との言いつけに、何一つ反発せず従いながらも全身で悲しみを発露する子供のようだ。きっとその後、雪の降りしきる中で元いた場所に戻した捨て猫に、涙を流しながらごめんなさいごめんなさいと謝り通して、泣き腫らした跡さえ親には隠し通すのだ。きっとこの子はそういう子だ。

「で、でも、うちで竜は……」

 困り果てたの服を、かすみは小さくきゅっ、と掴み。

「…………(ふるふる)」

 ぎこちない笑顔のまま首を横に振った。

「ううああっ……! せ、先生ぇ……!」

「……か、可能なら連れてきてあげたいですね。彼らが心配なのもありますが、竜のいる日常生活に慣れておくことは竜医にとってプラスにもなりますから」

「トラくんもちっちゃな頃は竜に囲まれて生活してたもんね~。可愛かったな~」

 その頃は緋音だってちっちゃな子供だったはずなのだが。

「そ、そうなの……? じゃあ、あの……せめてあの、ちっちゃい子だけなら。それなら……お、お父さんも許してくれるかしら……?」

「ん……そうですね。治療した怪我の経過を診る必要もありますし。そうした名目で、僕から掛け合ってみましょう」

 父親想いと妹想いの板挟みに苛まれたに院長の説得を任せるのは酷だ。そう考えわかとらが告げると、の顔に安堵が、かすみの顔に穏やかな笑みが戻っていった。

「…………(ぱぁっ)」

 守らなきゃ、この笑顔。

「……さっきから何やってんだ、お前ら……?」

「たっだいまー!」

「え、。お父さん。……ど、どうだった?」

 いつの間にか戻ってきていた院長とに尋ねると、返事は二人揃ってグッと立てた親指。どうやらママによる合宿の許しは出たらしく。

 お祝いムードのままにわかとらが水竜の件を院長に打診したところ、二倍のパワーとなったおねだり援護射撃によって、竜嫌いの牙城はあっさりと陥落したのだった。

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