第一幕 虎と、幼女と、出会う夏 その4

「変態。変態。変態。変態。変態。変態。変態。変態……」

 が着替え終わって事情を説明してからも、わかとらは部屋の隅で正座しながら、反対側の隅からぶつぶつと聞こえてくる呪詛と汚物を見るような冷たい視線を受け続けていた。

「あの、……びやくだんさん」

「変態。変態。……なに変態。ロリコン。社会の敵」

「誤解です……その、さんにご用があったのでは」

「ええあったわよ。そこのロリコン野郎に一人で近づかないように伝えるご用がね」

 取りつく島もなかった。思春期の少女にしてみれば当然の反応かもしれないが、この調子では誤解を解くこともままならない。通報されなかっただけマシだったが。

「ダメだよはーちゃん、そんなコワイ顔しちゃ。せんせーもみーちゃんもおびえてるよ」

 当事者のは相変わらずのほほんとした様子での方を咎めていた。独特な呼び名だが、だからはーちゃん、かすみだからみーちゃんなのだろう。

「うっ……ご、ごめんなさいかすみ

「ぴゅー。ぴゅいぴゅい」

 そしてもうひとりの当事者である水竜は、何故かかすみの頭にちょこんと乗っかっていた。

「ダメダメ、ほら笑って! うにーっ」

「ひょっと、へま、ふにーっ……」

「…………(にこっ)」

 大変にぎやかで微笑ましい光景。思わず置かれている状況を忘れそうになる。

「な、何見てんのよ。変態」

「すみません」

「はーちゃんっ、ヘンタイ禁止! せんせーはあたしのためにお風呂を貸してくれたんだから、何も悪いことしてないよっ」

「だとしても、悪いこと考えてたかもしれないじゃない」

「えー? あはは、せんせーに限ってそんなことないよ」

「どうして言い切れるのよ。今朝初めて会ったような人でしょ」

 わかとらにも、がいくら人懐っこいとはいえここまで肩を持ってくれる理由が思い当たらない。はその質問を待っていたとばかりに、むふーっとドヤ顔を決めた。

「だって、竜好きに悪い人はいないから!」

「……っ。はぁ。わかったわよ。には敵わないわね……」

 観念したように溜め息をつくの表情は、困った風でも呆れた風でもなく……どこか哀しそうな顔に見えたのは、わかとらの気のせいだったのだろうか。

「変た……先生。に免じて、さっきのことは水に流してあげる」

「ありがとうございます」

「ただ、今度またにおかしなことしたら、その時は確信犯と判断して警察のお世話になってもらうから。いいわね?」

「肝に銘じます。……?」

「今度よ。また来るから。あなたに先生になってほしいってお願いしに、何度でも」

 瞳に浮かぶ、固い決意。この子も、と同じだ。竜医になることを絶対に諦めない。

「私たちは、絶対に三人で竜医になるの。今までずっと諦めずに来たんだから、今さら先生候補がロリコンだったくらいで立ち止まるわけにはいかないのよ」

「誤解です。ロ……そういうのではないです僕は」

「だったら尚更問題ないじゃない」

「あれ……そうでしょうか……いや、そんなことないですよ! 問題あります!」

「何よ。あれだけハッキリ断ったからには、私たちを納得させるだけの理由なんでしょうね? 話してみなさいよ。今朝は緋音さんが止めに入ったけど、今なら話せるでしょ」

「あたしも聞きたいな。みんなでせんせーの困りごと、解決しちゃおう!」

「…………(じっ)」

 六つの瞳がわかとらをまっすぐに見つめる。

 緋音の気遣いを思えば、答えたくはなかったが。黙秘を続けても状況は動かない。

「……わかりました、話しますよ」

 竜医としては七年のブランクがあること。最新の医療知識に精通していないこと。七年前に止まったままの過去の人間に、教師など務まらないこと。洗いざらいぶちまけた。

 話を終えると、は大きな溜め息をついた。

「そう……まさか、が理由とはね」

「……え?」

 これで納得してくれただろうかと顔色を窺っていたわかとらは、その一言に虚を衝かれた。

かすみ!」

 ぺすゅっ、と指の擦れる音。たぶん指をパチンと鳴らしたかったのだろう。見事に失敗したのに堂々たる佇まいのに、が敬礼のポーズで応じた。

「りょーかいっ!」

 そしてかすみと二人、室内に散開し……全力のガサ入れを開始した。

「ちょ……えぇ!? な、何してるんですか!」

 突然の展開に驚愕するわかとらの叫びも無視し、タンスに食器棚に押し入れに、あらゆる収納スペースをひたすらまさぐる。状況が理解できず困惑していると、ベッドの下を覗き込んだかすみから声が上がった。

「…………あ。あっ、た」

「ナイス、みーちゃん!」

「ま、待ってください! それは!」

 律義に正座したまま制止するも当然通らず、集まった三人によってベッドの下の秘密はいとも容易く暴かれてしまった。引きずり出されたダンボールの中身は、十冊や二十冊では利かない量のノート。が躊躇なく手に取り、パラパラとめくる。

「……医療記録の書き取りね。日付は……三年前」

「こっちはおととしの新聞だ。奥の方のダンボールは、もっと前のやつかな?」

「この論文の著者、今年の賢竜褒章の受章者よね。つい去年書かれたものじゃない」

「病気のことだけじゃなくてケガのことなんかもわかりやすくまとめてある!」

 次々に暴露されていく、ノートの中身。

「どうしてあなたたちが知っているんですか……」

「緋音さんからは『本人は隠してるつもりみたいだから知らないふりしてあげてね』って言われてたけど。今時ベッドの下に物隠すなんて中学生でもしないわよ。……あ、七年前で止まってるんだったっけ? じゃあ小学生よね」

 歯を見せて、悪戯っぽく笑う

 隠せていたつもりだったが、どうやら緋音にはとっくにバレていたらしい。

 七年間。全国各地で公開された治療記録、新たな症例、それらに伴って発展してきた医療技術や新薬開発……手が届く情報を片っ端から集め、学び、調べ続けてきたことは。

「ねえ先生。これって全部、七年前に治せなかった竜の治療法を探すためなんでしょう? 竜災ドラグハザードの引き金になったっていう、白い竜の」

「……だとしたら、何だと言うのですか」

「止まってなんかないじゃない。七年前からずっと、立ち止まらずに戦い続けてる」

 手に取ったノートを宝物のように優しく胸に抱いて、は微笑んだ。

「はい、七年のブランク問題、これで解決ね。これでもまだ先生になってくれない理由があるって言うんだったら、それも教えなさい」

 またすぐ解決してみせるから、と強気に笑うに、わかとらはまだ笑顔を返せなかった。

「……竜災ドラグハザードのことをご存知なら、僕が世間で何と言われているかもご存知でしょう」

 最悪の竜医。医療ミスで史上最大の被害を出したとして、竜医業界から非難の嵐を浴び、事実上追放された人間。そんな人物が、新たな竜医を育てるなど許されるはずもない。

「最悪の竜医、って? そんなの、たった一度失敗しただけでしょ! 一度の失敗で全てを諦めるって言うの? 諦めなかったから、このノートの山があるんじゃないの!?」

 強い語気は、自分たちの矜持を守るために必死なようにも聞こえた。たった一度道を断たれたくらいで諦めたりはしないという、自分たちの生き方を、否定させないために。

「たった一度でも、失敗は失敗です」

「……っ!」

「いいですか、びやくだんさん。あなたも竜医を目指すならこれだけは肝に銘じておいてください。医者にはたった一度の失敗も許されない。命はひとつだから。一度の失敗で、たったひとつの、時にはもっと多くの命が失われる。……だから、たった一度失敗しただけ、だなんて軽々しく口にしてはいけません」

 それは、竜災ドラグハザードが巻き起こるその時まで貫き続けた、竜医・ひなわかとらの矜持であった。

「……ご教示、ありがとうございます。先生」

「っ……すみません。偉そうな口をききました。僕から言えたことではありませんね」

「いいえ。今の、すごく先生っぽかったわよ」

 その言葉で、隣のがにぱっと嬉しそうに笑う。今のやり取りでますます「せんせーに先生になってほしい」との気持ちを強めたようだった。

「ね、つまりせんせーが言いたいのって、最後の最後まであきらめるなってことだよね」

「ま、まあ。意識の持ちようの話なので、そのように取ってもらっても構いませんけど」

「だったらまっかせて! あたしたちみーんな、あきらめないことには自信あるから!」

「…………(こくこく)」

「……はは。そのようですね……」

 彼女たちの諦めの悪さは、とっくに身をもって体験済みだ。

 さてどうしたものか。たちが本当にいくら断っても諦めないのなら、幼女がお婆ちゃんになるまでお願いされ続けることになる。ちょっとお互い、遠慮したいところだ。

 ……そうなると、選べる手段は限られてきてしまう。困ったことに。

 そんなわかとらの心情に助け舟を出すかのようなタイミングで、スマホの通知音がした。

「……あか姉ぇからです。迎えに来てくれるそうなので、今日のところはひとまずそこでお引き取りください。……ノートも返してくださいね?」

 三人とも来てるよ、と返信しつつ、わかとらは自分でも驚くくらい自然にふっと笑った。

 ベッドの秘密を暴かれて、過去の過ちとも向き合わされて、三人の女の子に付き纏われたり詰め寄られたり問い詰められたり。息の詰まるような出来事の連続なのに、彼女たちといると不思議と居心地の悪さは感じなかった。

「わかったわ、『今日のところは』、『ひとまず』ね」

 悪戯な笑みを浮かべるの手から、ノートを取り返そうと手を伸ばす。

「ダーメ。緋音さんが来るまでの間だけでも読ませてもらうから」

「あっ、あたしも! これすっごい勉強になる気がするんだ!」

「…………(じっ)」

「……どうぞ、好きにしてください」

 宝物のようにぎゅっと握り締められて。

 このノートたちも、少しは浮かばれるのだろうか。

 これまで書き溜め続けてきた、孤独な時間も、あるいは。

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