一章 君が好きな私が好き。6
その後ろ姿が校舎の中に消えたところで、俺はじとっとした目を彼女さんに向ける。
結朱も俺の視線を感じたらしいが、詰問を制するように手のひらを向けてきた。
「待った。言いたいことは分かるので、ベンチに行ってからお話ししましょう」
「分かった」
お互い居心地の悪い妙な緊張感に包まれながら、少し早足で中庭のベンチに向かう。
学校の校則では誰が座ってもいいベンチだが、コの字に作られた校舎の真ん中にすっぽり入るような位置に中庭があるためか、このベンチに座るととにかく目立つ。
そのせいか、いつの間にかカップルが座って自分たちの付き合いをアピールする場所という伝統が生まれたらしい。
卒業まで縁がないと思っていた場所に、俺はクラス一の美少女と一緒に腰を下ろした。
「いやー、初めて座ったけど緊張するね」
口調こそ明るいものの、少し笑顔が硬い結朱。
俺も微妙に落ち着かないというか、校舎の窓が気になるというか。
「……まあな。だから、手早く用件を済ませてもらいたいものだけど」
「あ、そうだね。はいお弁当」
結朱は俺の膝の上にちょこんと弁当箱を置いてくる。
「いや、そうじゃなくてね?」
わざと話を逸らした結朱に、俺は咎める視線を送った。
それでもう先延ばしにはできないと悟ったのか、結朱は気まずそうに溜め息を吐いてから、観念したように本題に入った。
「……まあ、告白直後に踏み込んだのは無粋だったと思うよ。けど、絶好の機会でもあったから」
「何の機会だ?」
「私と大和君の仲を、颯太に見せつける機会」
意図の分からないその答えに、俺は眉を顰める。
と、さすがに説明が断片的すぎると思ったのか、結朱は思考を切り替えるように一度頭を横に振ってから再び話し始めた。
「まずは私が大和君に告白した理由から話したほうが分かりやすいかもしれないね。大和君は、私が普段よく一緒にいる友達が誰か知ってる?」
「ああ。小谷と生瀬と桜庭だったよな」
「うん。他にも何人か出たり入ったりしてる感じだけど、基本的にこの四人で行動してる。で、その中で一番モテるのは誰だと思う?」
「桜庭」
とりたてて何か事情を知っているわけではなく、単に今告白された場面を見たからという理由で即答する。
が、たまたまそれが正鵠を射ていたのか、結朱はこくりと頷いた。
「うん、正解。あいつはすごくモテるんだよ。かっこいいし、性格もいいからね。だから……近くにいる子は、やっぱり惹かれちゃうものみたいでさ」
「あー……なるほど」
曖昧な言い回しだったが、なんとなく事情を理解した。
つまり小谷の奴が、桜庭に惚れているということなのだろう。
なんとなく分かっていた事実だったので、このこと自体には特に驚きもない。
問題は、そんな桜庭に対して、結朱が俺と付き合っているところを見せつけたがったということ。
それはつまり――。
「三角関係ですか」
「端的に言えば」
俺の予想を、微妙な表情で肯定する結朱。
小谷は桜庭が好き。桜庭は結朱が好き。結朱は小谷の友達。
……うん、お手本のような三角関係だ。
「一応聞くが、桜庭の気持ちは間違いないんだな?」
「うん。颯太が部活の仲間と好きな子の話をしているのをうっかり聞いちゃって……」
苦い表情で過去を振り返る結朱。モテる女も大変だね。
「で、結朱は小谷の恋を応援するために俺なんかと付き合ったと」
先回りして結論を口にするが、意外なことに結朱は首を横に振った。
「ううん。私はそこまで自己犠牲に溢れた善人じゃないよ。あくまでこれは、私のための計画だから」
妙にドライなその言葉に、俺は思わず彼女の目をじっと見た。
それを見つめ返しながらも、結朱は表情一つ動かすことなく言葉を続ける。
「亜妃の恋を応援するだけなら、単に颯太の告白を断ればいい。けど――それじゃあ私の立場がなくなるんだよ。颯太のファンは多いし、私は普段から隙がなくて鼻につく女だからね。ほら、私って可愛いし成績もいいし運動もできるし友達も多いから」
「いちいち強めの自画自賛入れてこなくていいから。でもまあ分かった。『私の王子様をフるとかあの子何様?』ってされるのが怖いと」
「そういうこと。しかも女子に一番影響力のある亜妃との関係にもヒビが入る可能性が高いから、下手したら一気に私の立場が弱くなる」
だから告白されないように予防線を張った。
あるいは、桜庭をフる時に周りを納得させられる正当な理由が欲しかった。
まあ、俺みたいなレベルの低い男のために桜庭の告白を断るとなれば、反感を通り越して選択を間違えた馬鹿な女というレッテルを貼られることになる。
それはそれで負の感情だが、下手にイケメンの彼氏を作って、『イケメン二人にモテモテの鼻につく女子』にレベルアップしてしまうよりは平和かもしれない。
こいつが最初に言っていたリア充レベルを下げるというのは、そういうリスクヘッジのためなのだろう。
「いっそ桜庭と付き合っちまえばいいのに」
あまりに面倒な計算をしながら人間関係を維持している結朱に、思わず投げやりな言葉が出てきた。
「馬鹿言わないで。それはそれで亜妃との関係が真っ二つに決裂して戦争状態に突入するし。なにより、好きでもない人と付き合ったりできないでしょ」
「え、この状況で、よりにもよって俺に対して言う?」
言葉と行動が矛盾しまくってるんだけど。
が、結朱としてはその矛盾は許容範囲だったのか、慌てることもなくどこか悪戯っぽい笑みを浮かべながら弁当箱を開けた。
「いやいや? だから私は大和君のこと大好きだよ。ほら、カップルらしくあーんしてあげる」
すちゃっと箸を構えると、彼女の母親が作ったという卵焼きを俺の口元に寄せてきた。
断りたい……が、このベンチに座った時点で校舎の窓からいくつか視線を感じている。
人前ではちゃんと取り繕うと約束してしまった手前、断りづらい。
「ぐっ……あーん」
からかわれていると理解しながらも、俺は渋々この状況を受け入れることに。
結朱の家庭は卵焼きを甘く仕上げる派閥らしく、ふわふわの生地にほんのり砂糖の甘味が広がっていった。
「どう? 美味しい?」
「……ああ。絶妙なさじ加減だ。味見役の貢献が大きかったんじゃないですかね」
皮肉をかましてみるが、自信に満ちあふれている人間にそういう類のものは効かないのか、結朱は満面の笑みで頷いた。
「そうでしょう、そうでしょう。味覚も優れてるなんて、隙がないにも程があるね、私は」
もはやこいつの自己陶酔にも慣れてきたので、さらっとスルーする。
「はいはい。で、完璧超人な上に俺のことが大好きな結朱ちゃんには悪いんだけど、俺たちが別れる時期について具体的に教えてほしいもんだね。お前の周りの人間関係がどうなったら俺は解放されるんだ?」
自分の分の弁当箱を開きながら、今後のことについて問い合わせる。
「うーん。理想は颯太が私のことを諦めて、亜妃とくっついてくれること。それが駄目でも、亜妃が告白するところまで持っていけたらお役御免かな。あとはこっちでなんとかするよ」
結朱ももう俺をからかうことなく、自分の弁当を食べながら当面の予定を答えた。
「告白ねえ……まあリア充なんて息を吸うように告白したり付き合ったりする生き物だし、そんなにかからなそうだな」
率直な感想を漏らすと、何故か結朱は白い目で俺を見てきた。
「君は私たちをなんだと思ってるのさ……言っておくけど、亜妃は結構奥手だよ。だからこうして苦労してるのに」
「え、あの見た目で?」
すごく意外な情報だ。
リア充の女王様ともなると、もっと気軽に付き合ったり別れたりしているものだと思っていたのだが。
「人は見かけによらないものですよ。まあ私は見かけ通り完璧なんだけども」
「ふうん……じゃ、俺たちで背中押してやるか?」
台詞の後半部分を根こそぎ無視して提案すると、結朱も笑顔で頷いた。
「そのほうがいいかもね。よーし、これから作戦会議だよ」
「りょーかい」
何事も楽しむ方針なのか、やたらと乗り気な結朱と、仕事をさっさと終わらせて報酬をもらいたい俺のモチベーションが一致した瞬間だった。