1. いつか見た夢 2

 広場には、煉瓦で複雑な模様が描かれている。今はその上に、魔術の輝きが新たな柄を重ねていた。金や銀の光を踏み、志願者で造られる管弦楽部隊は一糸乱れぬ動きを見せる。

 行進には、魔術が駆使されていた。音に合わせて、花弁や精霊が華やかに宙を舞い踊る。

 周囲では、多くの生徒が歓声をあげていた。

 コウは見慣れた姿に気がついた。研究科の女子が、集団で鑑賞をしている。

 中の一人が、振り向いた。括られた金髪が靡く。アサギリの友人の少女だ。

 二人を見て、彼女はにぃっと笑った。集団を抜け出すと、少女はアサギリの前に来た。

「よかったじゃん、アサギリ! 正直、趣味はどうかと思うんだけどさぁ……コウを誘えたねぇ。さては、私の助言がいい風に働きましたかぁ」

「いいから、ほら! 行進に集中しなよ、凄いよっ!」

 真っ赤になり、アサギリは友人の背中を押した。進みながら、彼女は声を張りあげる。

「コウ、ちょっと行くから、待っててね!」

「あぁ、アサギリが戻るまでちゃんと待つよ……仲がいいなぁ」

 ほのぼのと、コウは微笑ましく、二人を見送った。その時だ。

 彼女達の向こう──遠くに建つ妙に有機的な壁が視界に入った。

 不吉な外観に、コウは思わず目を細める。

 ソレの構造は、多種多様な獣が複雑に絡み合う様を連想させた。

 無数の機械翼、機械脚による、自動迎撃装置を備えた、高度な魔導壁だ。

【浸食期】より遥か昔──先史時代に造られた遺物の一つだと聞いている。

 これに学園は囲まれていた。帝都には同等以上の魔導壁が聳えていると聞く。だが、全土を護るには及ばなかった。特に、単なる城壁の外周沿いにある、貧民街の防衛は脆弱だ。

 帝都を一時出奔し、遺跡で稼ぐ者も多い。家族を失う子は後を絶たなかった。

【キヘイ】の不意打ちに遭う心配がない分、兵役があるとはいえ、学園は安全とも言える。

(───ある『例外』を除いて、だけどな)

 そう考えながら、コウは壁から視線を移動させた。

 カフェで寛ぐ学徒もいれば、本屋や武器屋──学徒は武装の質を自ら高めることが許されている──に寄る者もいる。精霊による合成食糧で造られたケーキを切り取り、女生徒達は話に花を咲かせていた。全員分の食糧を自然物で賄う余裕は、学園にもない。この場で暮らす者達は、合成食糧以外の味を知らなかった。だが、校内の生活水準は低くはない。

 管弦楽部隊の伸びやかな演奏も、その証の一つだ。

 金管楽器が、高らかに宙に向けられる。

 一斉に、魔術による花弁が沸きあがった。金色の渦が起こり、空中で弾けて消える。

 拍手が起こった。その上で、桃色や水色の花弁が乱舞し、風に溶けていく。

 一時静まり、観客は次の演奏を待った。その時だ。アサギリが戻ってきた。

 友人と何を言い合ってきたのか、彼女は息を荒らげている。

「お待たせ。ほ、ほら、コウ。行こうか!」

「まだあるけれども、続きはいいのか? せっかくだ。アサギリは友達と合流しても」

「いいの! コウと行くの! 行くったら行くからね!」

「そうか? うん、それなら一緒に行こうか」

 行進を横目に、コウ達は研究科に向かった。

 学徒の校舎と寮は、専門ごとに分けられている。

 コウ達の属する研究科は、外観を落ち着いた紺で彩られていた。夜が朝に変わる、一瞬の空の色だ。施設の質は、優遇されている戦闘科、治療科、探索科には遠く及ばない。ベッドの硬さと、定期的に止まる水道の改善については、全所属生が嘆願書を出していた。

 一方で、戦闘科の設備は完璧だと聞く。中でも、第一級者のみが立ち入りを許されている、中央本部は特別との話だ。そこには、唯一帝都への転移装置があり、各種魔導の粋を集めた設備が備えられているという。造り自体も、外観からして城のように煌びやかだ。だが、第一級の学徒は、最強の教師である【カグラ】の直属部隊の者に限られるとも聞く。

 そこに入ろうというのは高望みだ。研究科の生活にも、コウには特別不満はなかった。

「ベッドも、そんなに硬くはないと思うんだけどな」

「うん、コウ、何? 研究科のベッドならすっごい硬いよ?」

「そうか? 俺が慣れすぎただけかな?」

「そう! 絶対にそう! あー、早く、特許資格を持ちたいな。研究にたくさん貢献できれば、貯金もできるし、ベッドだって買い換えられるし、何より……」

「アサギリは幻獣を飼いたいんだっけ?」

「それ! 幻獣と遺跡の鉱物について、研究をしたいんだよね」

 元気に、アサギリは応えた。各々の専門課程、戦闘訓練を修了──一定の資格を所有の上、研究、戦闘任務に従事する学徒には、働きに応じた給金も支給される。

 以前から、アサギリは幻獣を購入、飼育することを楽しみにしていた。

 基本、所属科の選択も自由だ。一見して学園はやはり平和の中にある。

 だが、カグロ・コウは知っていた。

(戦闘科に望んで所属する学徒は、【キヘイ】へ強い復讐心を持つ者がほとんどだ)

 あるいは、金銭を必要としているか。隔離防衛地区への優先居住権を得たいか。そして、学徒と正規兵を八対二の割合で混ぜた軍は、定期的な戦闘を経て、四割が戦死を遂げる。

(また、『例外』が生じた際には────、)

 コウの紫の目に憂いを感じ取ったらしい。

 小さな体で、アサギリは隣で飛び跳ねた。

「あのね、私達にも研究用の採集とかあるよね」

「あぁ、そうだな。そろそろ慣れてきたし、皆、いい感じに纏まってきた」

 安心させるように、コウは返した。ホッと、アサギリは肩から力を抜く。だが、彼女はどこか儚げな微笑みを浮かべた。己の手の指を組み合わせ、アサギリは強張った声で言う。

「私はね、せめて【キヘイ】との戦いを後方支援したいから、【研究科】を選んだよ。それに後悔はないけど……滅多なことがありませんようにって、いつもお祈りしてるんだ。勿論、私だけじゃなくってコウにもだよ? どうか危ないことがありませんように、って」

「ありがとう、アサギリ……でも、危ないことって?」

「例えばだよ? 【甲型】、ましてや【特殊型】に遭遇しての全滅、と、か──………」

 そこで、カグロ・コウの視界はぐにゃりと歪んだ。

 ブツンと、目の前が黒く染まる。

 全ての風景が入れ替わっていく。

 まるで、読み飽きた本のページを、早急に捲るかのような変化だった。


     ***


『コウ───起きてる?』

 カグロ・コウは瞼を開く。

 アサギリの呼びかけが、耳の奥で反響した。

 視界は、一面の緑に包まれている。

 彼の前には、純度の高い魔導結晶で造られた『窓』が広がっていた。

 つる性の植物が、その向こう側で揺れている。だが、魔導甲冑に覆われた全身が、空気の流れを感じることはない。息苦しさを覚え、コウは瞼を擦ろうとした。だが、甲冑を装着した状態では、腕は顔に直接届かないことに気がつく。諦めて、彼は首を横に振った。

「いや、寝てはいないよ……多分、本当に」

 自分で口にして、コウは思わず眉根を寄せた。確かに、寝てはいなかったはずだ。『外』で眠るなど自殺行為でしかない。それに、『探索中』に居眠りなどできるはずもなかった。

(そうだ、俺は今、学園内にはいない)

 漸く、コウはその事実に気がついた。

 現在、彼らは研究用の採集のため『外』に出ている。体を覆う魔導甲冑と緑に溢れた光景がその証拠だ。眠れるはずもない。だが、奇妙な意識の断絶があったことは確かだった。

 なんだか、とても長い夢を見ていたような気がした。

 長い、長い、懐かしい夢を。

『本当かなぁ。起きてた、にしては返事が随分と遅かったけど?』

『どうせ、うたた寝でもしてたんだろ。【白面】には恐怖もなんにもないだろうしな』

『イスミ、いい加減にしなよっ!』

『こらこら、喧嘩はやめろ。疑っても仕方がないだろう? 外で眠ることができたってんなら大物だ……ただ、起きてたにしろ、呆けるのは止めてくれよ? 早く済ませて帰るぞ──下手を打てば、死ぬことだってあるんだ……まぁ、滅多なことはないと思うけどな』

「了解しました。申し訳ありません」

 アサギリとイスミに続く、先輩の言葉に、コウは端的に応じた。

 結晶を介しての通信魔術は、雑音や甲冑の駆動音、振動を排除して耳に届く。

『音』だけに注目すれば、今も平穏な教室で会話を交わしているような錯覚に陥った。だが、実際はそうではない。この場は死地だと、全員が知っている。

 同時に、『そんなことはない』とも、実は理解していた。

 コウ達は先史時代の遺跡の中を歩いている。

 此処は、魔導技術開発の発端となった場だ。また謎に包まれた、全ての元凶でもある。

【浸食期前】から、遺跡は帝国領土内に点在していた。

 帝国民は遺跡より様々な品を持ち帰り、研究、魔導技術を発展させていった。だが、ある日、全ての遺跡から大量の【キヘイ】が湧き出したのだ。

【キヘイ】は人を襲い、目的なく殺戮を続けた。

 以降、永きに亘る、戦いの歴史は幕を開けた。

 遺跡の全貌は未だに解明されていない。【キヘイ】の全頭数も不明のままだ。だが、幾つかの遺跡に関しては、【探索科】が安全なルートの開発を集中的に試みていた。【培養巣】も含め、生息【キヘイ】の排除が完全に叶った区域は、【掃討完了地区】と呼ばれている。コウ達がいるのは、そこだった。

 先刻現れたという【キヘイ】は、戦闘科が殺害済みだ。【掃討完了地区】に、連続して新規の【キヘイ】が現れる事態はほぼ起こりえない。

 故に、この場には多忙な戦闘科は連れず、魔導研究科の生徒達だけで訪れていた。

『それじゃあ、行くぞ。ちゃんと遅れずに、ついて来いよ』

「了解です。何があっても、足は止めません」

『何もない方がいいんだけどな』

 通信に、コウは応えた。先輩の明るい声が返る。

 コウは視線を前方に向けた。間近には、未だに材質不明な建築物の残骸が広がっている。そこに植物達がたくましく根を張り、平穏な光景を造りあげていた。時折、小動物の姿も目に入る。先に視線を向ければ、仲間達の列を成して歩く姿が見えた。

 全員が艶消しの黒で彩られた、魔導甲冑を身に纏っている。

 その様は、切り取られた夜のようだ。迷彩効果を考えれば、間抜けな姿と言えよう。だが、魔導甲冑の性質上、色変えは不可能だ。まるで全身鎧を着こんだような姿は、御伽噺の黒騎士にも見える。甲冑という名称は、あながち的外れでもないだろう。

 魔導甲冑は、研究科のあげた最も偉大な成果の一つだ。

 一般の学徒は、【キヘイ】と生身で戦うことは敵わない。

 最先端の研究成果によって造られた魔導甲冑を身に着けることで、漸く渡り合うことが可能となる。だが、魔導甲冑の原理は、実は研究科内でも、大半が『不明』とされていた。

 魔導甲冑には、【キヘイ】の生体部品が利用されている。

『こう使えば、こう動く』との過去の研究成果に基づく代物に過ぎない。決して【キヘイ】自体の解明が叶っているわけではなかった。更に、重要な点もある。

(魔導甲冑で戦える相手は、【キヘイ】の【乙型】のみだ)

 より戦闘力に長けた【甲型】、【特殊型】に遭遇すれば死しか道はない。だが、【乙型】程度の【キヘイ】であれば一般生徒でも対応可、多少戦闘慣れした者ならば殲滅すら叶った。甲冑の基本部品は、【キヘイ】の【培養巣】を採取することで複製が叶っている。だが、絶え間ない発展のためには、新規の【キヘイ】の遺骸を得なければならなかった。

 敵と戦うために、その存在を必要とする。

 大した矛盾だ。

 しかし、素材なくして研究は進まない。

 故に、魔導研究科のコウ達は、自ら【乙型】の死骸採集に訪れたのだ。

『見えたぞ───アレだ』

 三年の先輩の声が響いた。紫の目を、コウは細める。

 急に、視界が開けた。円形の広間に出たのだ。過去に存在したであろう、屋根は吹き飛ばされている。場には、柱しか残されていない。大地には、丈の短い草が生え揃っていた。

 その中央に、ソレはあった。

 異形の物体に、コウは注目する。

 よく見慣れた、同時に、何度目にしても違和感を覚える存在が落ちていた。

 ソレは妙に有機的で無機的な形状──蟲にも獣にも似た外観をしている。特に、今回のモノは蜘蛛に似ていた。八本の脚にも、紅いグラス・アイにも再稼働の傾向は見られない。

 落ち着いて、コウは先行の探索部隊から得た情報を確認した。

(───【キヘイ】の【乙型】)

 カグロ・コウ達、『学徒』の敵の一体。

 今から、彼らはコレを解体していくのだ。

 

     ***

 

 無駄のない動きで、先輩達は作業に取り掛かった。

 慣れた様子で、彼らは【キヘイ】の解体を進めていく。

 炎の魔術により、極度に高温化させた刃と甲冑の握力で、先輩達は各関節を切断した。そうして、【キヘイ】を運搬可能な大きさにまでバラしていく。

 コウ達が手伝うまでもなかった。数十分程度で、全工程は終了する。

 列を成して、後輩達は【キヘイ】の欠片を受け取り始めた。コウの番が来ると、代表の先輩は特に大きな部品を持ち上げた。どうやら、彼もコウ達のやり取りを聞いてたらしい。

『お前はボーッとしていたみたいだから、コイツな』

「まぁ、いいですけど。やや理不尽さは覚えますね」

 ぼやきつつ、コウは腕を前に出した。巨大な爪を載せられる。甲冑越しにも、ズシリと衝撃が伝わった。五年生の先輩は、軽く笑ったようだ。周囲を見回して、彼は合図を出す。

『よーし、全員持ったな。それじゃあ、嬉し楽しい帰還に入──』

 瞬間、先輩の首は飛んだ。

 魔導甲冑に包まれたまま、頭部が切断される。

 ソレは綺麗な弧を描き、大地に転がった。

 数秒後、血が間抜けに空へと噴き出した。

 ぐるりと回って、先輩の体は倒れる。

 数秒の沈黙があった。遅れて、爆発的に悲鳴があがる。次々と暴力的な声の渦が生じた。

『お、おい、何が、何が起きたんだ?』

『先、輩? なに、嘘でしょ……誰か応えて、応えてよ!』

 一時、コウは通信を切った。

(自分まで、混乱に巻き込まれてはならない)

【白面】と称される己こそが、冷静な判断を下すべきだ。そう、彼は必死に自分を保った。

 確かに目撃したモノを、コウは脳内で確認する。

 先程、柱の陰で透明な膜が閃いた。ソレは花弁より柔らかく、刃よりも鋭い。ひらひらとした様は、ヴェールのようだった。それを全身に纏い、人に似たモノはずるりと歩いた。

 否定したい心を、コウは必死に殺した。現実から逃げても、意味はない。

 一つ息を吐き、彼は通信を再開した。

 

「───確認しました。【特殊型】です」

 

 同時に、コウは理解した。彼らは『滅多にない不運』を踏んだのだ。効率を優先した際、人は唐突に死に微笑まれることがある。それは先人が何度も遭遇してきた事態でもあった。

 そのため、答えは既に出ている。 

【特殊型】相手には、一般学徒が百名いようとも敵わない。

 隊は全滅するだろう。

 生きて帰れる者など、このままでは誰も存在しなかった。

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