1. いつか見た夢 1

 夢を見ていた気がした。

 遠い、遠い、昔の記憶の夢だ。

 それこそ、両親が殺された時よりも遥か昔。

 人間には、ありえるはずのない記憶だった。

 

「コウ─────起きてる?」

 カグロ・コウは瞼を開く。

 

 滲む視界に、人の顔が映った。

 同時に、一筋の涙が、コウの頬を流れ落ちた。

「───………あれ、おかしいな」

 首を傾げ、彼は己の目元に手を伸ばした。普段、コウは泣かない。それこそ記憶にある限り、どんな悲しいことがあろうとも涙を流した覚えがなかった。だが、今は止まらない。

 理由のない涙に、コウは困惑した。そこで、幼さの残る少女が、彼の前で首を傾げた。

「あれ? コウ、泣いているの? なんで?」

「わからない……何か、悪い夢でも見たのかな?」

「珍しいね、コウが泣くなんて。一体、どんな夢だろう」

 不思議そうに、少女は言う。短い茶色の髪によく似合う、大きな栗色の瞳が瞬いた。

 彼女の全身を、コウは視界に映した。

 朱色を基調とした制服姿で、少女は教科書と複数の研究書を胸に抱えている。

 彼女のことを、コウは思い出した。

『同級生』のユウキ・アサギリだ。また、彼は重要かつ当然の事実を反芻する。

(カグロ・コウは全寮制の魔導学園──『たそがれ院』に暮らす一生徒だ)

 入学式の日に、彼はふと思いを馳せた。

『ある理由』により、『黄昏院』への入学は、愉快なこととは称し難い。新入生の多くは緊張に震え、泣いていた。規則正しく並んだ者達は、全員が絶望し、混乱のただ中にいた。

 独り、コウだけは何とも思ってはいなかった。

 厳格で華々しさに欠ける式典を終えると、彼は学舎へ向かった。

 広大な敷地には、専門科ごとの寮や学舎が点在している。また雄々しい鳥のごとく、中央本部が東西に翼を広げていた。その威容にも、多くの生徒がされているようだった。

 だが、特に動揺もなく、コウは足を運んだ。そこで、彼は不意に声をかけられた。

『貴方は、怖くないんですね。羨ましい』、と。

 コウは振り返った。直ぐ傍には、小柄な少女が立っていた。

 目に見えて、彼女は怯えていた。そのため、コウは応えた。

『うん、怖くはない。怖くはないから、君の助けになるのならば一緒に行こうか』、と。

 コウは少女に手を差し伸ばした。瞬きをしながらも、彼の掌を取り、彼女は言った。

『優しいんですね』

『助けになるのなら、いいなと思っただけだよ。優しいとは、違うと思う』

 コウが応えると、少女は微笑んだ。そして、彼女は名乗った。

『私はアサギリです。ユウキ・アサギリ』

 以来、アサギリとコウは、仲が良かった。

 それらを全て『確認』し、コウは尋ねる。

「アサギリ、俺は……眠っていたのかな?」

 アサギリは目を丸くした。それから柔らかく、彼女は口元に微笑みを浮かべた。

「もう、コウはぼうっとしているね。さっき、自分で、『悪い夢でも見たのかな』って言ったでしょ? それに、寝ていたかどうかなんて、自分でわかんない?」

「そうとも限らない、と思う。現に俺にはよくわからないよ……うん、我ながら間抜けだ」

 コウは首を横に捻った。奇妙な夢の名残りが、眼球に張りついているように感じられる。

 目を擦り、彼は辺りを見回した。広い一室だ。四方の窓は、黒のカーテンで閉じられている。緋色の敷物の上には、中央に向けて椅子が並べられていた。

 円形の巨大な階段状の講堂内に、コウはいる。

 丁度、一年生全員に課されている【基本授業】が終了したところだ。多くの学生が既に席を立っている。思い思いに、彼らは移動を始めていた。コウ達の属する魔導研究科の生徒もいれば、戦闘科、防衛科、治療科、建築科等──、他科に属する者達の姿も見える。

 この『ある目的に特化した』学園内でも、勉学は必須とされていた。

 ふと、コウは視線を落とした。ノートには歪んだ字が残されている。

 ───歴史とは二つに大別可能である。

 ───【キヘイ】出現前か、出現後か。

「これ、聞かされすぎて飽きたよね? 私、もう嫌になっちゃったな」

「確かに、暗記したことを何度も聞かされるのは面白いことではない、かな」

 溜息混じりに、アサギリが言った。コウは同意を示す。アサギリは大きく頷いた。

「だよね。コウでも嫌になるんなら、相当だよ」

「嫌になってはいない、かな。まだ」

「もー、コウはのんびりしすぎ」

 アサギリは小さく舌を出した。続けて、彼女は細い指で紙面に触れた。【基本授業】の内容を記した文は物騒だ。だが、何故か、アサギリは微笑みながらコウの癖字をなぞった。

 首を傾げつつも、コウは視線を前に投げる。

 講堂の中央には、魔導結晶で造られた巨大なパネルが浮遊していた。

 分厚い結晶内部には、先程授業で使われた立体映像が結ばれている。

 おぞましい異形が形作られていた。その外観は硬質だ。同時に、生々しい醜悪さもある。ソレの形状は有機的で、無機的だ。蟲にも、獣にも見える。そして、両者共に似ていない。

 機械と獣の融合体めいた、異様な存在だった。

 コウは目を細める。ソレが何かを、彼は確認した。

(───【キヘイ】の【乙型】)

【キヘイ】は鬼兵だ。機兵とも書く。表記はどちらでも構わない。

 彼らは、ただ人を襲う。喰らうこともせず、殺し続ける存在だ。

 簡潔に言えば、人類の敵。

【キヘイ】に関する講義内容を、コウは反芻する。

(【浸食期前】───、帝国歴BE二十五年)

 突如出現した【キヘイ】は、帝国を襲撃。人類を混乱に陥れた。当時の死者は民衆の六割に上ったという。無数の【キヘイ】に、帝国は領土を侵された。国交は断絶、帝国は孤立した。以来、永きにわたる孤軍奮闘を強いられている。

(全てが遠い昔の話、だ)

 現在では、かつて存在したという『他国』は忘れられて久しい。帝国は独自の魔導技術を発展させることで堅固な防衛設備を備えた。そして今日に至るかりそめの平和を築きあげた。

 この学園も、その施策の一つだ。

 学び舎に集う、大量の生徒達。

 カグロ・コウも含めた全員は【学徒】だった。

 彼らは生徒であり、兵士だ。学ぶ者でありながら、国のための徒である。

【学徒】達は、【キヘイ】と戦うために存在していた。

(───しかし、)

 そこで、コウは意識の焦点を現実に戻した。

 講堂には磨きあげられた木製の椅子がずらりと並んでいる。天井には炎の魔術が、複雑に組み合わされた銀の籠の中で揺れていた。隣では、アサギリが研究書を胸に抱えている。

 一見して、学園の日常におぞましい戦闘の気配はない。

 このまま、現状に対する思案に耽っていても仕方がないだろう。

「さて、と……俺も移動しようかな」

 教科書を、コウはおもむろに革鞄に詰めた。片手に下げ、彼は立ち上がる。それじゃあと、コウは歩き出した。慌てた様子で、アサギリは隣に並んだ。彼女は弾んだ声をあげる。

「あのね、友達に聞いたんだけど、広場で次回の式典用の練習が見られるって! コウも研究科の学舎に行くんでしょ? それなら一緒に寄り道していかないかな? どうかな?」

「あぁ、そうなのか……なら、急ごうか。なるべく、初めの方から見たいだろ?」

 式典の練習に、コウは特段興味はない。だが、アサギリは見たいようだ。

 ならば、付き合うべきだろう。そう、コウは判断し、歩調を速めた。

 小さく拳を固め、アサギリはよしっと頷く。首を傾げた後、コウも頷き返した。

 よくわからないが、元気なのはいいことだ。

 アサギリは時に言動が幼い。何となく、コウは彼女のことを常日頃から気にかけていた。

 何故だろうか。時に幼く振舞う、誰かを──昔から、コウは知っていたように思うのだ。

(それが一体誰なのかは、はっきりしないままだけれども)

 不思議な空虚さを、コウは覚えた。強烈な『寂しさ』にも似た『隙間』が、彼の胸の内にはできている。だが、首を横に振り、コウは歩き続けた。

 今は、それを埋める術はない。

 緋色の敷物を踏み、二人は進んだ。だが、途中で座ったままの生徒を見つけた。

 魔導結晶に映し出された敵の姿を、彼は睨みつけている。

 その背中に、コウは近づいた。止めておきなよと、アサギリは囁く。だが、その同級生の姿は放っておき難い気迫を纏っていた。彼の肩に、コウは手を置く。

 なるべく落ち着いた口調で、コウは話しかけた。

「イスミ、研究科への移動時間だ。あまり、思い悩まない方が……」

「うっるせぇよ! 貴様にはどうせわからねぇだろうが、【しらめん】が!」

 学園特有の悪口を返された。無意味に、コウは払われた手を空中で泳がせる。

 この学園内で、仮面は特別な位置づけにあった。式典の度、人は狐や猫などの面を被る。帝都の祭りの模倣だ。では、【白面】とは何か──ソレは、加工前の仮面の素体を指した。

 一切の彩色や細工を施されていない、つるりとした面。

 ただ、白いだけの面──【白面】。

 ソレは動物でも人でもない、『得体の知れないモノ』を表すとされている。

 つまり、イスミは『お前は表情も感情もない、得体の知れない奴だ』と言ったのだ。

 ふむと、コウは頷く。確かに一理あった。コウは人より感情の起伏が少ない。

 アサギリ風に言えば、『ぼうっとしている』し、イスミ風に言えば、『得体が知れない』だろう。イスミの方が多数派だ。だが、アサギリは怒った。

 尾を踏まれた猫のごとく、彼女は声をあげる。

「ひどいよ、イスミ。コウに当たることないじゃない! そんなに【キヘイ】が憎いのなら、研究科じゃなくって、戦闘科を選べばよかったでしょ!」

「同じ選択をした奴に言われたくねぇよ、アサギリ。コウが【白面】なのは、皆が言ってることだろうがっ! 珍しい幸運野郎が──どうせ、【キヘイ】への怒りや憎しみに理解を示せるわけでもねぇのに、いちいちお節介を焼きやがって」

「なんなの、いつも感じ悪い! 百歩譲って、コウが『共存派』ならわかるよ。『【キヘイ】と和解しろ』とか無茶苦茶不快だもんね。でも、コウはその一味でもないのに、なんで」

「確かに、コイツは『共存派』のイカレ野郎じゃねぇな……それでも、【キヘイ】に家族を誰も殺されてないだろうが! 俺達とは根本的に違う、能天気野郎にいちいち口を……」

「まぁ、俺の親も死んでるんだけどな」

 へらりと、コウは事実を告げた。見事に場の空気は凍りつく。自分は話題に沿った発言をしたはずだがと、コウは微かに首を傾げた。やや気まずいと、彼は目を左右に泳がせる。

 三人は孤児だ。この学園に収容されている子供は、七割がそうだろう。

 その内、九割が家族を【キヘイ】に殺されていた。だが、コウは別だ。

 彼の両親は、人間の手で命を絶たれている。

 事件の影響か、コウの幼少時の記憶は、綺麗に抜け落ちていた。思い出そうとする度、彼は激しい頭痛に襲われた。忌まわしい出来事のせいで、自身の無意識が記憶を辿ることを拒絶しているのだろう。そう考え、コウは両親との思い出を取り戻すことを諦めた。

 事件の詳細も、誰からも聞かされてはいない。だが、強盗の仕業だったという話だ。

 頼れる親戚もなく、コウは此処にいた。

 帝都の孤児は衣食住を保証されている。代わりに、全員が学園に送られ、学徒として戦うこと、あるいはこの場の維持に努めることを強制されていた。だが、卒業年数までを生き抜いた暁には、帝都前の隔離防衛地区にて家を持つ者も多い。その子供は学園に送られる決まりだ。それでも、多くの学徒は隔離防衛地区の市民権を得ることを目標としていた。

 また、【キヘイ】への復讐心を初めとした様々な理由で学園に残る者も多い。

 彼らの家族も含め、この場は小国めいた様相を呈していた。

 基本、学園内の光景は平和に目に映る。

 だが、一定の命の危険に晒されているのは皆同じだ。

(だからこそ、入学の日、多くの学徒が緊張に震えていた。中には泣いている者も多く見られた。平然としていたのは、自分くらいのものだったか……今では、皆、慣れて余裕が窺える。それでも、イスミにはまだ危ういところがあるな……何とか力になりたいけれども)

 コウはそう考える。一方、イスミは何故か動揺していた。小声で、彼は『悪い』と呟く。何がと問い返す暇もない。鞄を乱暴に掴み、イスミは駆け出した。アサギリは肩を落とす。

「あーあ、根は悪い奴じゃないんだけどな」

「そうだな、イスミは悪い奴じゃない……行こうか?」

「うん」

 講堂の中を、二人は進む。

 外から、管弦楽部隊の華麗な演奏が聞こえてきた。

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