1. いつか見た夢 3

 虚しく刃が振られた。砲撃が放たれる。

 魔導甲冑の肩口に取りつけられた砲台は、使用者の魔術に指向性を与える。雷の魔術が的確な狙いで撃ち出された。一瞬、【特殊型】は硬直する。だが、足止めにすらならない。

 数体の魔導甲冑が、中の人間ごとすらりと膜に撫でられた。

 優しく、肌に触れるような動きだ。

 瞬間、甲冑は横にズレた。大量の血が噴き出す。

 草木が紅く染められた。人の悲鳴が地を満たす。

 此処にいたのが、戦闘科の学徒ならば、適切な対応も可能だろう。だが、結果自体は似たようなものだ。そう、コウは知っていた。十数名の手練れが戦略を立て、多数の死者を出し、一体を潰すことが叶うか否かだろう。やはり、同様に全滅に至る可能性の方が高い。

【特殊型】──中でも、戦闘に長けたモノ。ソレと遭遇し、生き残れる者など極少数だ。

 同時に、コウはある噂を思い出した。

 学園の教師内でも、最強と名高い【カグラ】。及び、その精鋭部隊──彼らならば、駆除も叶うだろうか。だが、その救援を望んだところで、今は届きようがない。

『早く、はやくっ、救難信号を、がっ!』

『嘘でしょ、いやだ、嫌だ、いやだよぉおおおおおおおおおおおおおおっげぇ、ごぁっ』

 悲痛な絶命の声が、生々しく耳に届く。後には、圧倒的な静寂が穴のように広がった。

 死は連続していく。混乱は止まらない。

 このままでは、全員が殺されることになるだろう。

 先輩達も指針にはならない状況だ。多くの悲鳴の中、コウはある声を聴き取った。

『嫌だ……嫌だ……嫌だよ。こんなところで、まだ何もしてないのに死にたくないよ』

『くそ、くそくそくそくそくそぉっ! 俺は、俺はぁっ!』

 アサギリとイスミの嘆きが、耳を叩く。

 コウは強く思った。目の前で、人に死なれるのは嫌なことだ。それはあまりに重すぎる。

 自身の無力さを味わうことは、『最早』耐え難かった。

 血、骨、肉片、死体、炎、涙。

 とても悲しそうな、誰かの姿。

 目の前に何か──様々な光景が、フラッシュバックした。

 数秒、コウは考えた。あらゆる選択肢を、彼は模索する。

 意外と──自分でも驚くほどすんなりと、結論は出た。

 すぅっと、コウは息を吸い込む。

 

 そして、彼は己の運命を断った。

「俺が囮になります! 各員、三秒後に全力で逃走を!」

『コウ? 駄目だよ、なんで!』

『ふっざけんなよ、テメェ! 俺はお前にそんなこと望んでなっ』

「イスミ、お前がアサギリを連れて行ってくれ。よろしく頼む!」

 自身の音量を最大に設定し、コウは叫んだ。次いで、彼は通信を切断する。

 一瞬、アサギリとイスミが何かを言った気がした。だが、それも、コウは聞かなかった。

 二人の言葉も、他の形式だけの制止も、本気の嘆きも耳にするつもりはない。

 学徒の中には、【キヘイ】へ殺意と憎悪を抱いている者も多くいた。彼らは理不尽への咆哮をあげるだろう。だが、追従者はいないと、コウは確信していた。

 研究科の生徒は基本臆病だ。生き残りたくない者はいないだろう。コウには人望もない。心配なのは、アサギリだ。だが、イスミは託された言葉を裏切るような人間ではなかった。

 覚悟を決めて、コウは【特殊型】と向き合う。

 丁度、【特殊型】は『遊んでいた』。

 ひらひらした膜を、ソレは器用に動かしている。魔導甲冑の首を投げ、受け止め、投げ、【特殊型】は不意に四つに切断した。黒い兜が割れ、中身が飛び散る。脳漿の雨が降った。

 その足元の膜に、コウは刃を拳で打ち込んだ。

 一瞬、【特殊型】は動きを止める。

 抜かれる前に、コウは砲撃の射線を合わせた。刃に、彼は雷の魔術を奔らせる。

 電撃が通り、【特殊型】は一瞬大きく跳ねた。同時に、コウは通信を再開させる。

「───散開ッ!」

 蜘蛛の子を散らすように、魔導甲冑の群れは駆け出した。一瞬、小柄な者がコウに駆け寄ろうとした。だが、ソレは別の一人に無理やり引きずられていく。恐らく、アサギリとイスミだろう。無事、距離が開いた。二人に聞こえない程度の声で、コウは呟く。

「───元気で」

 ひらりと、コウは小さく手を振った。

 一瞬、式典の花弁と、アサギリの微笑みが思い浮かんだ。

 学内の穏やかな光景が、脳裏を走馬灯のように流れる。だが、コウはそれを振り払った。

 後には、【特殊型】とコウのみが残された。【特殊型】は全身の膜を奇妙に震動させている。その全身が濁った白から、錆びついた赤に変わり始めた。

 さてと、コウは息を整える。

(悲惨なのは、ここからだ)

 彼にもわかっていた。【特殊型】は怒りを示している。

 膜の震動が収まる前に、コウは片手で刃を抜いた。勢いを殺さず、彼は背後に倒れる。

 軌跡を、膜の一閃が撫でた。草地を削りながら、コウは横に転がる。動きを止めることなく、彼は立ち上がった。同時に【特殊型】の膜に、コウは軽く甲冑の背中を撫でられた。

 衝撃が伝わり、彼はゾッとした。だが、体に膜は届いていない。

 そのまま、コウは脇目も振らずに駆け出した。皆が逃げた方角とは逆に、彼は奔る。

 遺跡の中へ、コウは入った。

 後はただ、逃げるのみだった。

 死が、自分に追いつくまで。

 

     ***

 

 コウは悲壮な逃走を続けた。駆けながら、時折、彼は遺跡の壁に砲撃を放った。

【特殊型】は一見浮遊している。だが、その膜の先は必ず地面に触れていた。

 瓦礫は妨害の役割を果たす。だが、遺跡のほとんどは魔術を拒絶した。

 コウに可能なことは、自然崩壊を遂げた穴の拡張か、植物の切断のみだ。やはり、大した足止めにはならない。それでも、彼は必死の抵抗を積み重ねる。

 だが、直線通路の半ばで追いつかれた。

 すらりと、膜が動いた。コウは甲冑の脚部を切断される。

「────ぁ、ぐっ、」

 幸いにも、生身の足が入っていない部分だ。だが、衝撃で足首が折れた。

 前のめりに、コウは転倒する。激痛を呑み込み、彼は周囲の状況を探った。這って逃げることは不可能だ。秒で追いつかれるだろう。咄嗟の判断で、彼は魔導甲冑を脱ぎ捨てた。

 この段階で、カグロ・コウの死亡は確定したと言える。

 強力な外殻を『外』で放棄し、帰還した生徒は前例がない。だが、今は命を繋げた。

「─────ッ!」

 格段に細くなった体を、コウは壁の横穴へんだ。

 最近、自然崩壊を遂げた箇所のようだ。幸いにも、先へと長く続いている。背後で、空気を薙ぐ音が響いた。【特殊型】の追跡が途切れることを期待し、彼は前へ進む。

 辺りには闇しか見えない。芋虫のように、コウは這い続けた。

 その時だ。

 ふっと、腹の下の感触が消えた。

 穴の中に、更に穴が開いていたようだ。何かを掴むこともできずに、コウは落下する。

 その落ち方は『異様だった』。

 非常に、距離が長い。

 途中で、コウは意識を失った。だが、強化ガラスに激突し、覚醒させられた。

 全身の骨を折り、内臓を損傷し、彼は血を吐いた。そのまま、コウはガラスの割れ目へと転がり落ちた。空中へ突き出した切っ先に、彼は不運にも引っかかる。

 腹部を派手に裂かれながら、コウはガラスで形作られた建物の中へ落下した。

 血肉が辺りにぶちまけられる。

 一斉に、白い鳥が羽ばたいた。

 不思議と静かな空間に、彼の体は収まった。

 コウは最期の息をした。

 不思議と、怖くはなかった。恐ろしくはなかった。悲しくもなかった。

 ただ、自分は何かを為せたのだろうかと思った。

 

 かくして、カグロ・コウは死亡した。

 

     ***

 

 温かなモノが降った。紅い一滴を、ソレはゆっくりと嚥下する。

 再起動開始────ソレは目覚め、ソレは覚醒し、ソレは稼働し、ソレは命を知る。

 疑似神経回路がスパーク。今までにない、膨大な情報が奔り、『彼女』は翻弄される。

 悦び。

 衝動。

 本能。

 渇望。

 歓喜。

 祝福。

 初めましてありがとうございますお待ちしておりましたようこそ我が、我が、我、が?

 我が贄、我が糧、我が主、我が王、我が奴隷、我が喜び、我が運命────我が、花婿。

 かくして、ソレは目を覚ます。

 少女の形をした、『世界の終わり』が。

 

     ***

 

 カグロ・コウは瞼を開く。まず、血が紫の瞳に流れ込んだ。

 紅く、視界は霞む。

 何が起こったのか、彼にはよくわからなかった。

 ただ、美しい、【ナニカ】には気がついた。

 鳥籠を連想させる空間内に、白く、清い存在が立っている。

 蒼い目は空のようだ。白銀の髪は雪のようだった。

 手足はしなやかだ。細くも鍛えられた全身は、鋼の剣を思わせる。

 呆然と、コウは目の前のモノについて考えた。

(──ひ、と? 女の子、なの、か?)

 美しい少女は手を伸ばす。無意識的に応えて、コウも腕を動かした。彼の全身に激痛が走る。だが、手は何とか持ち上げられた。それでも尚、少女には遠い。

 彼女は瞬きをした。全身に繋がれたケーブルを千切り、少女は歩き出す。彼の前に着くと、彼女はコウの掌を取った。その背中に、何かが広がる。周囲の植物が、切り払われた。

 大量の花弁が散る。銀に近い白の花達が宙を舞い踊った。

 一瞬空中で静止し、ソレはドッと地に降り落ちる。

 どこか祝福めいた光景の中、彼女は片膝をついた。

 そうして、少女はコウの指に口づけた。

「これより、私の主は貴方となり、私の翼は貴方のものとなる。初めまして、愛しき人よ。そして待っていました、恋しき人よ───我が名は『白姫』。通称【カーテン・コール】」

 物語の中の騎士のように、

 御伽噺の中の姫のように、

 目覚めた、少女は誓う。

「これより先、貴方が損なわれ、潰え、失われようとも、私は永遠に貴方と共にあります」

 彼女が何を言っているのか、コウには理解できなかった。

 ただ不思議と、彼は強い懐かしさを覚えた。

 夢のような遠くで、コウにはこの光景を見た記憶があった。

 時に幼い誰かと──悲しそうな誰かの──面影と共に、確かに覚えていた。

 微かに、コウは目に涙を浮かべた。

 少女の翼から蒼い光が降り、損傷を再生させていく。その温かさの中、コウは囁いた。

「俺も、ずっと、この時を待っていた気がするよ」

「えぇ、ならば、僥倖。これぞ運命ということでしょう」

 少女は微笑んだ。人間離れして美しい顔に、慈しみに溢れた表情が浮かべられる。

 母にも似て、姉を思わせた。

 何故、少女がそのような目を己に向けるのか、コウにはわからなかった。そもそも、彼は自身の口にした言葉にも困惑している。だが、少女に全ての詳細を問う時間はなかった。

 ズシンッと、地響きが鳴った。鳥籠内に、新たな何かが音を立てて落ちたのだ。

 ひらりと、ヴェールにも似た膜が視界に入る。

 コウは瞠目した。【特殊型】の【キヘイ】だ。まさか、ここまで彼を追ってくるとは思わない。コウはゾッとした。今襲われれば自分だけではなく、少女をも巻き込んでしまう。

 コウの視線を追って、少女は後ろを振り向いた。【特殊型】を、彼女は目に映す。

 傷ついた体を、コウは必死に動かそうと試みた。だが、腕以外は石のように反応しない。

 少女に向けて、コウは叫んだ。

「危ない! 早く、逃げてくれ!」

「名前は?」

「はっ、何を」

「貴方の名前を、聞かせてもらいたい」

 コウの呼びかけに、少女は応じなかった。再度、彼女はコウを見つめる。じっと、少女は彼の返事を待った。その背に【特殊型】が迫る。錆びた赤に、ソレは明滅を繰り返した。

 答えを得るまで、少女は動き出しそうにない。慌てて、コウは叫んだ。

「カグロ・コウだ。早く、」

「カグロ・コウ──登録を完了。コウ、アレは、貴方を傷つけたものだろうか?」

 少女は腕を伸ばした。振り向きもせず、彼女は【特殊型】を指差す。

 白い背中に、広がったモノが揺れた。そこで、コウはようやまがまがしい機械翼に気がついた。一体、ソレは何なのか。だが、やはり疑問に思う時間はない。【特殊型】は迫りつつある。

 故に、コウはただ続けた。

「あぁ、そうだ! だから、君も早く」

「了解した。ならば、私の敵だ」

 ヒュッと機械翼が振られた。

 嘘のように、【特殊型】は縦に切断される。柔らかな外観とは真逆に、その内部構造は重厚だ。無数の生体部品が晒される。更に、【特殊型】は横半分に割られた。

 玩具を壊すよりも、簡単な動きだった。

 機械翼で、少女は残骸を掬う。塵のごとく、彼女はソレを壁に投げつけた。

 強化ガラスに激突し、【特殊型】はバラバラに散らばる。

 目の前の光景を、コウは信じられないと見つめた。

 ゆっくりと、少女は美しく微笑んだ。

 そうして、彼女は囁く。

 

「拘束を、隷属を、信頼を、貴方に───約束しよう、コウ。貴方のために全てを殺すと」

 

 何がなんだか、わからなかった。

 カグロ・コウは一時意識を消失した。

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