二年前、帝都に来る際した、師との約束を思い出す。
冒険者の実質的な最上位『第一階位になったら戻っておいで』といった彼に私は、こう宣言した。
『私は特階位に──一人で龍や悪魔を狩れるようになるまで戻るつもりはないわっ! そうすれば、胸を張って、私はハルの弟子! って名乗れるもの!!』
それを聞いた時に、彼が浮かべた嬉しそうな笑みが脳裏に浮かび、口元がほころぶ。
──ギルド会館内は混みあっていた。
けれど、私は仮にも冒険者の最高峰である第一階位。待ち合いの札を引く必要はないので、そのまま窓口へ。
そして手に持っていた布袋を意気揚々と台上へと置いた。
「ジゼル、これお願い」
「あ、レベッカさん。もうっ! 何処へ行かれていたんですかっ? 心配して……え?」
私の担当である長く淡い茶髪で胸の大きい人族の女性──辺境都市在住時以来の付き合いであるジゼルは布袋から中身を出すなり、私の予想に反して顔を引き攣らせた。
「ひゃ!! ……レ……レベッカさん!?」
ジゼルは叫び声を吞み込むように自分の口を押さえた。
暫くして、彼女は錆びついた機械のように顔を上げると私に問いかけてきた。
「レベッカさん……何ですか? こ、これ、は?」
「何って……見ての通り、牙よ」
「…………あえて、あえてお尋ねしますね。何の牙、ですか?」
この子だって《鑑定》スキル持ちなんだし、分かっている筈だ。
私は窓口の台に肘を突きつつ答える。
「《雷龍の牙》だけど?」
それまで賑わっていた周囲が一瞬、静かになった。
どうやら、私達のやり取りは注目されているらしい。
けど、私にとってそんなのはどうでもいい。
私は一刻も早く、これを辺境都市へ届けてほしいだけなのだ。
ジゼルが身を乗り出してきて、言葉を振り絞った。
「……レベッカさん」
「何?」
「何回、言えばっ、分かってくれるんですかっっ! 幾ら最高峰の第一階位である冒険者さんであっても、死ぬ時は死ぬんですよっ!? まして龍に挑むなんて……無茶です、無謀です、自殺願望でもあるんですかっ!? …………まさか、ソロじゃないですよね?」
「? ソロだけど??」
少女は頭を抱えて机に突っ伏す。
──この世界において、龍とは悪魔と並ぶ最強種の一つだ。
並の冒険者ではまず歯が立たず、毎年多くの猛者達が挑むも、その殆どが命を落とす。
しかし、それらを倒して得られる素材はその希少さ故に、天文学的な値段で売買される。
富と名声を一気に手にできるため、冒険者なら誰しもが龍討伐に憧れるのだ。
かつての私もそうだった。
しかも……冒険者ギルドが認定し、注意喚起をする上位の龍や悪魔は天災扱い。
決して個人で挑むような生き物ではなく、国家単位で対処するような相手だ。仮に倒すことができたとすれば、大陸全土にその名が轟くだろう。
事実、つい先日、帝国東部地域の王国国境の村々を襲い、出現が確認された推定特級悪魔は、帝国・王国・同盟から即座に天災に認定された。
ここ百年以上、大規模戦争こそしていないものの、歴史的背景からいがみ合い続けている三列強があっさりと共同歩調を取る程に、上位の龍や悪魔は恐ろしい。
冒険者ギルドから『個人での戦闘を原則禁止す』というお触れが出されるのも、無理はないのだ。
……私だって単独でやり合いたくなかったけど、遭遇したのだから仕方ないじゃない。
肩を竦め、未だに頭を抱えている少女へ問う。
「ギルドで素材の買取りは出来ないの?」
ジゼルの顔が勢いよく上がった。
「そ、そういう話をしているんじゃありませんっ。勿論、買い取らせていただきます。で、ですが、私の言ってるのはそういう意味じゃなくてですね……。今回は、偶々、牙を折ることができて、こうして生きて還って来られたかもしれませんが、幾らレベッカさんでも、次は──」
言葉を遮り、さっさと告げる。
「一頭分あるから全部お願い」
「…………今、何て?」
「雷龍を討伐したのよ。首だけでも確認しておく?」
聞き耳を立てていたのだろう他のギルド職員、冒険者達が息を吞むのが分かった。
「なぁ、今……雷龍を討伐した? って言ったのか?」「私もそう聞こえた」「しかも、単独で?」「剣士が後衛の援護もなく!?」「ど、どうすりゃそんなこと……」「いやでも、レベッカだぞ?」「と、いうことは」
しん、と静まりかえったギルド内で各人が目を合わせあい──突如、爆発するような大歓声が沸き上がった。
「ち、ちょっと静かにしてくださいっ! まだ口外しないでっ!! そこっ!!! 酒瓶をあけないでくださいっ!!!!」
ジゼルが騒ぎ始めた冒険者達を一喝する。
──龍を討伐した冒険者。
しかも単独での討伐者となると、大陸に数多いる冒険者の中でもほんの一握り。
以前の私なら周囲の冒険者達と同じ反応を示したと思う。
……だけど、この程度では、まだまだだということを私は知っている。
これでようやく『入り口』に立てるかどうかなのだ。
片手を軽く上げ、冒険者達に注意している少女へお願い。
「騒がしくなったし、今日は帰るわね。明日また来るから、その時に全部引き取って。結構大きいから、訓練場も貸し切りにしておいてもらえると助かるわ。その牙は何時も通り送っておいて。超々特急で! ──あと、これもお願いね」
ジゼルが慌てる。
「え? レ、レベッカさん! ちょっと待ってくださいっ!! 龍殺しだと、色々と書いてもらう書類がっ! 特階位申請や【屠龍士】称号申請とかっ!! 皇宮にも呼ばれたりする場合もっ!!!」
「まーかーせーるー」
ジゼルに面倒な書類を丸投げし、牙とハル宛の手紙を押し付け、出口へ向かう。
──手紙の返事、今回もすぐに来るかしら?
ジゼル
誰がどう見ても美少女なレベッカさんが長くて綺麗な白金髪を靡かせ、あっという間に立ち去った後も、ギルド会館内部の喧騒は全く収まりませんでした。
私は自分の頬をつねってみます。
……痛い。夢ではないようです。
目の前には禍々しいとすら思える黒紫の龍の牙と大変可愛らしい花柄の封筒。
届け先は、何時も通り。『辺境都市ユキハナ』の冒険者ギルド。
宛名もこれまた何時も通り『ハル』。
裏返すといつも通り、エルミア先輩宛のメモ書き。
『開けずにきちんと届けなさいよ、似非メイド! 絶対だからねっ!』
凜々しく、気高く、帝都でも有数の魔法剣士として知られる彼女とは思えない程、甘さが滲んでいます。
……昔の彼女を知っている身からすると、信じられないですね。
レベッカさんを追いかけて、辺境都市の冒険者ギルドから晴れて本部勤務になり、担当指名されて早一年。
最上位へとどんどん駆けあがっていく彼女を見てきましたが……今回の件は凄いです。凄過ぎます。
「……ハルさんって、本当に何者なんでしょうねぇ」
私は深く深く溜め息を吐き、現実に向き直ります。
目の前には黒紫色の牙。やはり、夢ではありません。
おそらく、これだけで白金貨数千枚が動くでしょう。
龍素材の加工は極めて困難ではあるものの、その性能は折り紙付き。冒険者なら、誰しもが憧れる代物です。装備に金を惜しむ冒険者は長生き出来ません。
牙一本でそうなのに……雷龍一頭分の素材となると……。
帝国直轄の管理入札制になることは間違いなく、当分の間、大商人や大工房、国の研究機関や軍、有力冒険者達はてんてこ舞いとなるでしょう。
……その前に、主役が消えても大騒ぎをしている目の前の人達をどうにかしないといけないんですけど。
すると、背後から穏やかながらも疲れた声がしました。
「ジゼル君……彼女、また、とんでもない事をしたね……」
私の側にいつのまにか立っていたのは白髪の老人。耳は人族よりも細長く、年代物のローブを纏った、いかにも好々爺然とした人物です。
「ギルド長」
この御方こそ、大陸全土に根を張る超巨大組織冒険者ギルド、その頂点である本部ギルド長、その人です。
種族はエルフで年齢は軽く三百歳を超えているらしく、歴戦の勇士でもあられます。
そんなギルド長が疲れた表情で、呟かれました。
「彼女が帝都に出て来てから約二年になるが、まさか、この短期間で龍を討伐するまでになるとは思わなかった……彼女はまだ確か十代だろう?」
「十七歳です。冒険者になったのは十三歳ですね」
「……二年前の階位は、確か」
「帝都に来た時点では第五階位だった筈です。私が配属になった際はもう第一階位でしたけど」
「……………天才、とはいるものなのだな」
ギルド長が嘆息されます。
──冒険者の階級は、誰しも第二十一階位から始まります。
実績を積めば少しずつ上がっていきますが、彼女のように十代でここまで上り詰める人間は極めて稀。
多くの方々は一桁になることもなく、引退するか……道半ばで倒れます。
レベッカさんは僅か四年でそこまで辿り着いたことになります。
凄い……とにかく、凄い。
途中、別れたとはいえ、その間の大半を一緒に過ごした身として彼女を、私は誇らしく思います。
ギルド長が手を伸ばし、牙に触れました。
「そういえば、これは先に競売に回してしまっていいのかな?」
「あ、いえ……何時も通りです、辺境都市へ送ります」
「また……『彼』にかね?」
「ええ、あの人に、です」
ギルド長が瞑目され首を振られました。
どういう経緯があるのかは知りませんが、この方もあの人を知っているんです。
何度か経緯を聞き出そうとしましたが、余程、怖い目に遭われたらしく、顔面を蒼白にされて教えてはくれませんでした。
私も雷龍の牙に触れます。
──本当に信じられません。
あのレベッカさんが。二年前は、捨て猫みたいだった女の子が!
それも全てはあの人に──『辺境都市の育成者』に、彼女が出会ったから始まったこと。
そう、始まりは今から約二年前。
まだ、レベッカさんが第八階位だった頃の──。