一章 鋼の街と空の騎士団 7

 ゴードンと戦いながらも、アリアの動きまで捉えていたらしい『騎士もどき』が、そう制止してきた。

 その動きには、確かに余裕のようなものがある。

「しかし!」

「大丈夫だって。うん、そうだな。ちょうどいい機会だ。アリアには俺のことをまだ信じてもらえてないみたいだし、せめて何ができるのかだけでも示そう」

 言うなり、彼はゴードンから距離を取った。

 そして全身に不可視の力を漲らせる。

 魔法を使った時のゴードンと同じ力。魔法の燃料となるもの、即ち魔力。

「ぬっ……」

 怒りに支配されても戦士としての経験値は鈍らないのか、ゴードンが警戒して追撃の手を止めた。

 それを静かな笑みで見つめながら、『騎士もどき』は小さく詠唱する。

「『硝子の調教師グラス・テイマー』」

 超短文の詠唱。

 それが終わるなり、変化はすぐに起きた。

 魔力が彼の右手に集まると、物質としてこの世に顕現する。

 無色透明な、硝子の塊。

 それはどろりと溶けると、剣の形となって彼の右手に収まった。

「硝子の剣……」

 呆然と、アリアはその魔法を見つめた。

 澄んだ美しさを持つ刀身。片手剣でありながら幅広く、しなやかな反りがある。

 武器というより、工芸品のような繊細さを感じる一振りだった。

「は……ははははははっ! なんだ、その貧弱な魔法は!? 鋼でも魔法銀ミスリルでもなく、ただの硝子!? 錬金術でも下位じゃねえか!」

 ゴードンの哄笑で、アリアも我に返った。

 そうだ。魔法で生み出したとはいえ硝子は所詮硝子。

 こんな素材を武器にしようなんて奇特な傭兵は見たことないし、また通用するとも思えない。

「な、何を考えているんですか!? 戦う気ならもっとマシな魔法を使ってください!」

 思わず、アリアも叫ぶ。

 ゴードンは本当に強いのだ。実用性のない武器で勝てる相手じゃない。

「まあ確かに、人に誇れるような魔法じゃねえなあ」

 『騎士もどき』も、特に反発することなく二人の言葉を受け入れた。

 が、それだけでは終わらない。

 常に浮かべていた陽気な笑みを一瞬だけ引っ込めて、冷徹な視線を敵に向けた。

「――けど、お前を殺すにはこれで十分だ」

 冷たく、研いだ刃のような鋭い殺意。

 たったそれだけで、アリアはゴードンが死ぬ未来を幻視した。

 ゴードン自身もそれを感じたのか、怒りも油断も捨てて、『空の遺跡』攻略時のような、戦士としての顔になる。

「上等だ……! やってみやがれ」

 言いながら、ゴードンは全身に魔力を漲らせ、斧を地面に叩きつけた。

「『大地迸る蛇レクタ・フアルマ』!」

 これこそが彼の切り札。

 魔力を使って斧の生み出す衝撃を増幅し、地面に伝導させる遠距離攻撃。

 無詠唱時より遥かに高い威力を持った衝撃が、石畳を破砕しながら突き進む――が、当たらない。

 『騎士もどき』はまたも神がかった見切りの技術で、攻撃範囲から拳一つだけ外に逃げてみせた。

「分かりやすい奴め」

 直線の魔法を簡単に避け、一気に敵との距離を詰める『騎士もどき』。

 接近戦ならば魔法は撃てないという考えなのだろうが、ゴードンはその程度で攻略できるような騎士じゃない。

「来やがれクソガキ!」

 間合いに入ってきた『騎士もどき』に、絶妙な間で迎撃の振り下ろしを放つゴードン。

 凄まじい威圧感。駄目だ、硝子なんかじゃとても止められない!

「はっ――」

 しかし、攻撃が直撃する寸前、何故か『騎士もどき』は小さく笑った。

 そうして、美しい透明の剣を振るう。

 力任せなゴードンとはまるで対極の剣筋。

 柔らかくしなやかで、それでいて鋭いよこぎ。

 その一閃は振り下ろされた斧の側面を打ち、ゴードンの攻撃を受け流した。

「凌いだ……?」

 その、あり得ない光景にアリアは呆然としてしまった。

 硝子の剣には傷一つなく、戦斧バトルアツクスは虚しく地面を砕いている。

「この程度か?」

 恐ろしい窮地を凌いだにもかかわらず、『騎士もどき』は顔色一つ変えていない。

「……っ! 上等!」

 それに腹を立てたのか、ゴードンがその体格と武器の遠心力を生かした連撃を放った。

 空気を裂く音がここまで聞こえてくる。この距離でも完全に斬撃を目で追えない。

「お、少しは面白いことしてくれんじゃねえか」

 苛烈なんて言葉ではとても表現しきれないほどの猛攻に、しかし『騎士もどき』は敢然と立ち向かった。

 硝子の剣が閃き、自分に当たる軌道の攻撃だけを見切って的確に弾いていく。

「すごい……」

 無意識に、感嘆の言葉がアリアから零れた。

 神がかった技量もさることながら、あの硝子の剣の強さには感動すら覚える。

 いくら魔法で生み出したとはいえ、本来の強度は普通の硝子と大差ないはず。

 『騎士もどき』はきっと、そんな弱い硝子を修練と創意工夫と才能とけんさんと知識の全てを以て磨き、鍛え上げて、実戦に耐えうるほどの逸品に仕上げたのだ。

 その執念と、経験値。

 『騎士もどき』という傭兵の膨大な積み重ねに、畏怖とも呼ぶべき感情が湧いた。

「このっ……ちまちまとしゃらくせえ!」

 ゴードンは強引に距離を開けると、今度は『大地迸る蛇』の三連撃を放った。

「馬鹿の一つ覚えだな」

 『騎士もどき』は完全に攻撃の軌道と速度を覚えたようで、三つの衝撃波が当たらない場所に、あっさりと逃げてしまった。

 しかし、それは罠。

 彼は避けたのではない、追い込まれたのだ。

「馬鹿はてめえだ!」

 『騎士もどき』の目の前には、高速で突進してきたゴードンの姿が。

 彼の得意戦術。『大地迸る蛇』でわざと逃げる方向を限定し、そこに追い込んだ敵に全力の一撃を叩き込む戦闘構築!

 こうなっては敵に逃げる術はない。

 速度の乗ったゴードンの一撃を、避けずに受けるしかないのだ。

 『騎士もどき』は冷静な表情のままだが、今度はさすがに躱しきれないと判断したのか、硝子の剣を構えた。

「挽き肉になりやがれ!」

 ゴードンの咆哮。

 腕の筋肉がはち切れんばかりに膨らみ、剛力無双の一撃が硝子の剣に叩きつけられる。

「ぬっ……!」

 戦斧と身体の間に硝子の剣を挟み込む『騎士もどき』。

 おかげで真っ二つになるのは避けられたが、彼はあまりの威力に吹き飛ばされ、近くの壁へと叩きつけられた。

「死ねやぁ!」

 追撃の『大地迸る蛇』を乱発するゴードン。

 つぶてと埃が舞い上がり、『騎士もどき』の姿を隠す。

「ちょ、や、やめなさい!」

 慌てて止めるが、感情任せに魔法を使う彼に言葉は届かない。

 今度こそ剣を持って制止しなければと考えた瞬間、ピタリとゴードンの攻撃が止む。

 いったいどうしたのかと視線の先を追うと、『騎士もどき』がいる空間に、無色透明の壁が展開されているのが見えた。

「これは……」

 風で砂埃が吹き消されると、あの暴力の嵐の中でも、傷一つ負うことのなかった『騎士もどき』が立っていた。

 無色透明の壁は、彼を包むように展開されている。

「今の追い込みはかなりよかった。正直見直したよ、ゴードン。単細胞の筋肉馬鹿かと思っていたが、少しくらい考える脳みそがあったらしいな」

 褒めているのか貶しているのか分からない言葉を口にする『騎士もどき』。

 その間にも、無色透明の壁はどろりと溶け、彼の右腕に集まって剣の形を取った。

「……変幻自在で頑丈な魔法の硝子。なるほど、それがお前の能力か」

 ゴードンは渋い表情で、『騎士もどき』の魔法を分析した。

 今の攻防で倒しきれなかったことの重大さを理解しているのだろう。

「ああ。なに、そう驚くことじゃないさ。お前の言う通り所詮は下位の魔法だよ。俺と同じ系統の魔法を使う奴なら、誰でもこのくらいできる」

 肩をすくめて自虐する『騎士もどき』。

 しかし、ゴードンの瞳にはもはや欠片ほどの油断もなかった。

「最初の奇襲を防いだのも、さっきの盾だな?」

「さてな。喧嘩の最中に種明かしをしてやるほど親切な性格じゃないんでね」

 『騎士もどき』は否定するが、恐らくゴードンの推測は的中している。

 あの奇襲を予測していたのか。それはそれで化け物じみているが、あの硝子の壁の強度なら、防ぐことも可能だろう。

「正直、あの技を見せるはめになるとは思わなかった。さっきの追い込みは本当に素晴らしかったよ」

「ふん。何を余裕ぶってやがる。盾があることは分かったんだ、今度はこうはいかねえ」

 ゴードンも今の攻防に一定の手応えを感じたらしく、重心を低く構えて次の攻撃に入ろうとした。

「いや、無駄だよ。その魔法じゃ何度やっても俺には届かない」

 だが、『騎士もどき』は、ただ冷めた表情をゴードンに向ける。

 もはや、お前は敵ではないと言わんばかりに。

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