一章 鋼の街と空の騎士団 6
「ゴードン。その辺にしておきなさい」
アリアがそう制止の声を掛けると、倒れた男の胸ぐらを掴んでいたゴードンは、睨むようにこっちを振り返った。
「ああ? 誰だ、横から……って副団長かよ。珍しいな、こんなとこで」
掴んでいた男を投げ捨て、豪快な笑顔でこちらを向くゴードン。
アリアは目の前の惨状に改めて溜め息を吐いてから、部下である男に一応の注意をすることにした。
「これ以上やったら、彼らが自力で帰れなくなるでしょう。何がきっかけで揉めたのかは知りませんが、決着はついたのですからもうやめなさい」
「……ま、副団長殿にそう言われちゃしょうがねえな」
窘めるアリアに、思いのほか素直に従うゴードン。
一応の決着はつき、互いの優劣がはっきりしたからこそ引き下がったのだろう。
これが決着前の割り込みだったら、逆にもっと熱くさせていた可能性もある。
副団長になってからの二年で、彼の扱いについてもだいぶ学んだアリアであった。
「ところで副団長。一人で飲んでたのか? よかったら合流しないかい?」
明るい表情で、アリアを誘ってくるゴードン。
見た目の威圧感と、それに見合わぬ妙な愛嬌。よく懐いた獅子のようだ。
一瞬、どうするか迷ったものの、アリアは首を横に振る。
最初は彼らと合流するのが目的だったが……喧嘩直後で気が立っている今、彼と『騎士もどき』をあまり接触させたくない。
「いえ、今日は他の人と一緒ですので」
「他の……男か?」
妙に他意のある言葉に、アリアはつい視線を逸らしてしまった。
その先にいるのは、赤い髪と緑の目をした青年。新しい料理に舌鼓を打つ『騎士もどき』である。
彼はアリアからの視線を感じたのか、こっちを見つめ返すと、笑顔を浮かべてひらひらと手を振ってきた。
……間が悪いというかなんというか。
「なんだ、あの野郎。あれと飲んでるのかよ。つーか誰だ? あの貧弱な奴。見たことねえツラだな」
アリアの視線を追っていたらしいゴードンの声が低く、剣呑なものになる。
慌てて、アリアは弁解のような言葉を吐くにことした。
「彼は明後日の作戦を行うために雇った傭兵ですよ。今は相互理解を深めるために食事の席を共にしただけです」
アリアは色恋沙汰に聡いほうではないが、それでもこの部下が自分に好意を持っていることはなんとなく察していた。
正直、彼を異性として意識したことはないが、上司と部下という関係がある以上、ばっさり振るわけにもいかず、関係に苦慮しているのが現状である。
そんな彼に、知らない男と二人で飲んでいるところを見られた。
間違いなく新たな騒動の火種になる。
「ああ。つーことは、あれが『騎士もどき』ってやつか。へえ……もっと厳つい野郎を想像していたが、まさかあんな小僧とはな」
即座に喧嘩を売りに行くと思ったものの、意外にもゴードンは純粋に興味津々というような視線で『騎士もどき』を見ていた。
直前に喧嘩で勝ったばかりだし、意外と機嫌がいいのかもしれない。
そう油断したのがよくなかった。
「ふははは――まあ死んどけ」
ゴードンは笑いながら、何の躊躇も準備もなく、持っていた斧を地面に叩きつけた。
近くにいたアリアの全身を、ひりつくような力の波動が通り抜ける。
やがてその力は斧を通して地面に伝わり、衝撃波となって迸った。
――魔法!
騎士の切り札となる超常の力。
それが今、無防備な『騎士もどき』に向けて無造作に解き放たれた。
「逃げ――!」
アリアは叫ぼうとするも、間に合わない。
大地を走る衝撃波は『騎士もどき』のいた席に着弾し、盛大な砂埃とともに爆発した。
飛び散る木片と、近くにいた客の悲鳴。
すっとアリアから血の気が引く。
直撃。避ける間もなかった。
間違いなく大怪我、明後日の作戦にも支障が出る。いや、それ以前に生きているのだろうか? とにかく治療を。
一瞬のうちに高速で思考を回すと、無理やり冷静さを取り戻して動き出そうとする。
その時だった。
「うっへえ……煙たい。店員さーん、新しい席用意してほしいんだけど」
料理の載った皿を確保した『騎士もどき』が、無傷のまま砂煙の中から出てきた。
「なっ……」
「あぁ?」
アリアが目を見開く隣で、ゴードンも怪訝そうに声を上げる。
が、当の『騎士もどき』は、こちらの騒動を気にした様子もなく、立ったまま料理をつまんでいた。
「あ、これ美味い。おーいアリア、もう話終わった? なら料理冷める前に食おうぜ」
挙げ句、何事もなかったかのように、こっちに手を振ってきた。
「なんだ、あの野郎……」
ゴードンの呟きには、怒りよりも困惑のほうが強く滲んでいた。
それはアリアとて同じ。
アリアが反応できなかったあの攻撃を無傷で切り抜けたのも、直後にここまで平然とした態度を取り続けられるのも、彼女の常識の埒外だ。
「まあでも、酒は頼み直さないといけないけどな。さっきの一撃で無駄に……っていうか、これから無駄になるし?」
そう、彼が笑顔で言った直後だった。
ゴン、という硬質の音が耳元で響く。
同時に、数滴の雫がアリアの顔にかかった。
驚きながら隣を見ると、ゴードンの頭に、逆さまとなった木の酒杯が載っていた。
間違いなく、さっきまで『騎士もどき』が飲んでいたものである。
「面白いものを見せてくれた礼だよ。俺の奢りだ、好きなだけ飲め」
挑発するように、『騎士もどき』がゴードンへ嘲笑を向けた。
どうやら、あの奇襲をただ避けるだけではなく、同時に上空へと酒杯を投げて、見事時間差でゴードンに命中させたらしい。
……なんて技量と、判断力。
愕然とするアリア。
しかし、当てられたゴードンはそこまで冷静ではいられなかったらしく、びしょ濡れの顔を赤くしながら酒杯を投げ捨てた。
「こ、の、野郎……!」
歯ぎしりの音と共に、膨張する殺意の圧力。
火の点いた激情は、近くにいるアリアを焼くようだった。
「ま、待ちなさい、ゴードン! これ以上の争いは――」
「殺す!」
アリアの制止を振り切り、ゴードンが斧を構えて疾走した。
吹き荒ぶ嵐のような突進。
純粋な力と速度は、恐らく鉄塊すら粉々に砕くだろう。
そんな殺意の塊を前に、『騎士もどき』は踊るような軽い足取りで、身体一つ分だけ移動した。
直後、つい一秒前まで彼がいた空間を斧が粉砕する。
「おーおー、すげえ馬鹿力」
力の余波を諸に受けながらも、『騎士もどき』は余裕を崩すことなく、料理の載った皿を持ったまま、店から出た。
「死ね!」
殺意を滲ませたゴードンが、それを追撃する。
単純だが、それ故に無駄のない最速最強の打ち下ろし。
その速度と圧力に怯まず対処できる人間は、この鋼船都市でもほとんどいないだろう。
しかし、『騎士もどき』は表情一つ変えることなくそれを見切ると、紙一重で躱してみせた。
「ほら、これも奢ってやるよ」
そして、手に持った料理の皿をゴードンの顔面に押しつける。
パリン、と甲高い音を立てて割れる皿と、顔にべっとりとついた料理の残骸。
「美味しかったか?」
からかう『騎士もどき』に、とうとうゴードンは無言のまま身体を震わせた。
怒りが限界を通り越して、言葉を失ったらしい。
もう殺すことでしか感情を鎮められないと自覚したのだろう。
……止めなければ。
アリアは腰に
しかし、自分に止められるのだろうか?
一対一の戦いであれば、ゴードンは自分よりもかなり強い。
けど――それでも、この理不尽を許すわけにはいかない。騎士の誇りに懸けて。
そう自分を奮い立たせ、剣を抜こうとした瞬間だった。
「いいよ、アリア。俺一人で十分だ」