【第一章 プロジェクト・リバース】4
舞鶴の市街地、およそ五割がいまや海中に没していた。
水難をまぬがれた残りの市街にも人影はない。野鳥が我がもの顔で住みつき、たまに野犬や山から来た猿、鹿などがうろついている。
ほとんど廃墟となった街のあちこちに、同じポスターが貼られていた。
──『守り抜こう、ぼくらの未来』『国防官募集』。
今となってはむなしいロゴが大きく書かれ、どれも色あせている。
国防軍の人材募集だった。ポスターの『顔』となるモデルは芸能人でもアニメ風のイラストでもない。
さわやかな顔つきの青年兵士を映した写真──生身の人だ。
黒を金で縁取った強化スーツに身をつつみ、ヘルメットを脇にかかえる。国防官でもある彼は、本名より通称の方が有名だった。
日本に暮らす者なら、その名を知らない方が稀ですらあった。
決戦兵器アスラフレームをまかされた戦士のひとり。『着装者三号』として、もう三年近くも最前線に立ちつづけてきた──救国の英雄なのだ。
同市内、五老ヶ岳の仮設基地。
いちばん広い倉庫を空にして、行き場のない市民を収容していた。
臨時の避難所──つまりは難民キャンプである。
だが一〇〇名を超す人間が暮らすには手狭で、夜はマットを敷いて雑魚寝する。仕切りを作る余裕もなく、プライバシーなど存在しない。
もちろん、水没しなかった市街地の民家に間借りもできる。
しかし、稼働している水再生プラントと自給型発電施設はこの基地にしかない。少量とはいえ備蓄した食糧も配給してくれる。
何より、徘徊する野生動物と敵襲への恐怖があった。
山ほどの不満を押し殺して、難民たちはここにいる。今も夜間だというのに電灯を使えない。ロウソクや油のランプで明かりを得ていた。
節電のため、午後一八時以降は消灯となる決まりなのだ。
そんな彼らのなかにも──“黒と金の戦士”がいた。
ある男の子が抱きしめるフィギュア、全身にマットブラックの装甲をまとった着装者三号の姿そのものである。
高齢男性はしわくちゃの新聞、一年以上も前の紙面を読んでいた。
『着装者三号、北海道戦線へ投入される』『敵クリーチャー殲滅』『危険外来生物のすみやかな撃破が行われた』
など過去の記事を読み、老人はそっとため息をこぼす。
かつて国土防衛の切り札として、日本全国へ送りこまれた“黒と金の戦士”。アニメのスーパーロボ、アメコミ映画のヒーローがそのまま現実となった──平和の守護者。スペシャル・ワン。
そう。彼はただ一騎しか存在しない“特別な男”であったのだ。
同じ頃、基地内の国防官用宿舎。
数少ない生き残りの将校は、この状況下でも個室を使っている。
階級の低い兵卒、または難民から軍務動員された者も大部屋暮らしとはいえ、仮設ベッドの寝床があたえられていた。
難民用の避難所とちがい、ずいぶん余裕があった。
そこで“戦友”に囲まれて、武田士長がバカ話で盛りあがっていた。
主に『慰安』の相手としている数名の民間人女性について、ひどく卑猥な、心ある人間なら眉をひそめるような話である。
もとは北陸の田舎でヤンキーと呼ばれるような男なのだ。
今は将来への不安をごまかすために誰かをなぶり、嘲笑って、無意識のうちに現実から逃げている。
タンクトップを着た武田──
たくましい左肩には、タトゥーが彫られていた。
それは着装者三号の頭部ヘルメットをデフォルメしたデザイン。
ほとんど全ての国防官が『黒と金の戦士』にあこがれ、頼り、誇りに思い、至高の英雄として崇拝していた。武田のような男でさえ、例外ではなかった。
そして同じく仮設基地内、旧展望タワーの最上階。
すっかり日の暮れた夜、一九時〇〇分。今朝早くに一四歳男子ふたりが忍びこんだ場所では、高齢男性がつぶやいていた。
「着装者三号……アスラフレームを着用した国防の要──」
五〇代後半、国防軍“元大佐”の肩書きを持つ。
軍も国家も事実上崩壊したというのに、いまだ律儀に軍服を着ていた。
「三号の戦死は、もう八ヶ月も前になる」
「ええ。その事実はずっと……今となっても伏せられたままですね」
皮肉の苦みを利かせて、東堂クロエは答えた。
が、大佐はその棘に気づくこともなく、平然と言う。
「仕方のないことだった。本来なら適切な後継者を選抜したのち、大々的に前三号の戦死を広報して、国民の奮起をうながすはずだったが──」
「八〇〇名以上の候補者は、全て不適格の烙印を押されましたね」
クロエ博士は指摘した。
「ほかならぬ三号フレームの意志によって」
「ああ。おかげで我が国は反攻に出るきっかけを得られないまま現在に至り、われわれもこうして雌伏している……。そもそも博士、なぜ兵器の管制AIに意志などある!? なぜ着装者を選り好みするんだ!?」
「AIではありません。意識体です」
何度も繰りかえした説明なので、クロエはそっけなく告げた。
「アスラフレームはナノマシン《
「それはいい。また妙な講釈をされてはかなわん」
大佐は不機嫌に言った。
どれだけPCが普及しても、メールの開き方すら学ぼうとしない老人が世の中にはいるという。操作は部下や家族に押しつける。大佐もそれと同じで、いつまでも新しい知識、新しい概念を理解できない人物だった。
無駄な解説はあきらめ、クロエは端的に伝えた。
「三号フレームは──前着装者に不満を抱いていたのかもしれません」
「不満だと!?」
「はい。好感度の高いルックスと忠誠心。そこを重視して選抜された前着装者はアスラフレームのスペックを十分に引き出すこともできず戦死。三号フレームも大破し、あやうく回収不可能となりかけて……」
ちらりと脇の方を見やりながら、クロエは淡々と言った。
保護睡眠ポッドがある。なかで眠る全裸のエルフ
「三号フレームはその再発を危惧しているのでは? 流転する状況に合わせて自己進化と自己増殖を果たす──それこそがアスラフレームの特質です。自らを進化させる障碍となりそうな要因は、事前に排除してもおかしくないかと」
「しかし、十分な戦果は出していたはずだ!」
「どうでしょうね? われらエルフがあなたがた
ダルヴァの名を出すと、大佐も黙り込んだ。
天空の
「娘のアリヤが面白い発見をして、思わぬ成果も出ています。実験をはじめましょう。動かぬはずのアスラを覚醒させて、私たちの盾とするために」
アスラフレーム三号、地下格納庫。
東堂アリヤは腕時計を見て、不満そうに言った。
「凸凹コンビ先輩が遅かったから、もうこんな時間です」
「しゃあないだろ。オレら、半日くらいつかまってたんだから」
伊集院が言い返す。
物腰・言葉使い共に丁寧なアリヤ。が、歳上に妙なあだ名をつけたり、ぼそりと毒舌を吐いたりと、なかなか“いい性格”であった。
そのアリヤが顔を真っ赤にして、訴える。
「だから! 定時が来たらアリヤが先輩たちを迎えにいくべきなんです! むかつく連中にからまれていても、本来の任務があるってきちんと言ってあげますっ。なにも毎回、わざわざママに出てもらわなくても!」
「ダメだよ」
下級生の要求に、ユウは取り合わなかった。
「女子はあいつらの前に出ちゃいけない。僕ら以上に不愉快な目に遭う」
「うーっ。ユウ先輩はちょっと過保護というか、アリヤのこと見くびっています!」
「とにかくダメ。いいんだ、僕と伊集院はもう慣れたから」
ここのナンバーツーであるクロエ先生にさえ、連中は好色な視線を向ける。
しかもアリヤはハーフエルフ、美貌の種族の血を引いている。
だからか骨董人形めいた、非凡な可憐さがある。
母クロエ博士のとりくむ『実験』を助手として手伝うため、日常の雑務が免除されているのは、まちがいなく幸運だろう。
「ああ。この間アリヤ後輩はすげえ裏技を発見してくれたし、十分だ」
伊集院がさらりと話題を変えた。
「先代が死んでから誰も起動できなかったフレームを──ばっちり覚醒させたもんな」
「候補者八〇〇人が着装しても、主動力さえオンにできなかったのにね」
「それはまあ……。ちょっと罰当たりすぎて、思いついたときは自分でも引きましたけど。まさかの大当たりでしたね……」
あるテーブルの前に三人で移動した。
遺影──今は亡き着装者三号の遺影と、外で摘んできた花が飾ってある。そして小さな壺も。なかには遺灰が納まっていた。
着装者三号、大衆への
写真の“彼”はさわやかに笑っている。まずアリヤが謝罪した。
「生きてた頃に『あの人すごい調子に乗ってます!』と陰口言って、ごめんなさい! 実際すごく感じ悪かったですけど、今は本当に申し訳なく思っています!」
「えらい人にはへこへこして、オレらには超横柄だったけど!」
「それでもこんなあつかい、されていいわけないですよね? でも、こうしないと三号は動かせないから──勘弁してください!」
伊集院とユウもそろって謝罪する。
アリヤはそっと壺に手を入れて、白いサテン地の小袋をつまみあげた。火葬後、灰となった故人の遺体を収めたものだ。
「ご遺灰、ちょっとの間、拝借します!」
向かった先には、床に降ろしたアスラフレーム三号機がある。
身長にして一九五センチ、重量は一九三キロ。
アリヤは強化スーツのヘルメットを外して、内側に遺灰入りの小袋をさしこんだ。故・着装者三号の“忘れ形見”を粘着テープでヘルメット内に固定。
すさまじく簡素で不謹慎なDIYを施した。
この頭部パーツを元の位置にもどして、作業は完了。
「──三号フレーム、覚醒! 超伝導タービン、回転はじまります!」
三号機の前に、アリヤは右手をかざしていた。
手のひらにリング状の光が浮いている。今朝早くに伊集院が“ハッキング”を披露したときと同じだ。彼女もナノマシンの移植者なのだ。
アリヤの送った起動命令、三号フレームがしっかり受諾した。
腰部ベルトのバックルに取りつけられた──小さな車輪がゆっくり回り出す。これこそが人造のアスラをめざめさせる動力源だという。こんなサイズのくせに、発電所一基分よりも膨大な電力を発生させるのだとか。
「でも、すごい裏技だよな……」
伊集院がぼそりとつぶやいた。
「着装者の代替わりができてないなら、残された体の一部──遺灰をDIYでぶちこんで、フレームに『中の人がいる』と錯覚させるなんて。クロエ先生は『実体と意識の根底にある七つ目の何かがほにゃらら』みたいに言ってたか?」
「ご遺灰に魂とかが残ってた……って意味かな、たぶん?」
「アーラヤ識理論で言うマナ、自我のことです」
ユウの当てずっぽうにコメントしたアリヤ、残念そうにつけたした。
「動力オンになってもパワーが十分に上がらないから、本っ当に動きは鈍いですけどね。これじゃ実戦はとても無理です」
ここで──ユウは首をかしげた。おそろしく小さな音量ながら、女の子の声がどこからか耳元にとどいてくる。しかもアリヤ以外の。
彼女はひどく美しい声で、歌うように詩を読みあげていた。
往きし者よ、往きし者よ、この世の彼方まで往きし者よ
完全なる到達者、その覚醒に幸いあれ──
なぜか一瞬、保護睡眠ポッドで眠るエルフ少女をユウが思い出したとき。
三号フレームの腰部でホイールが高速に回り出す!
「こ、これもアリヤがやったの!?」
「何もしてませんっ。でも、よくわかりませんけど実験には好都合です!」
アリヤは驚嘆しながらもきびきび指示を出す。
「三号フレームを外に出しましょう。ユウ先輩は基本動作の遠隔アシスト、伊集院先輩は武器の管制をアシストしてください。索敵その他はこちらで!」
ユウと伊集院はあわててHMDゴーグルをかけた。
サバイバルゲームでも使えそうな薄型。だが両耳をすっぽり隠すスピーカー付属。ゴーグル部分は全て
着用者の視界に、各種の情報を直に表示してくれるのだ。