【プロローグ】2
ふたたび舞鶴湾。
国防軍の基地を襲った火焔は、天を焦がさんほどに燃えている。
しかし消火する間もなく、地上戦がはじまった。
複雑にいりくんだ湾内、その海沿い数ヶ所に地上部隊が配置されていた。彼らの前に、突如クリーチャーの群れが出現したのだ。
そう。何の前ぶれもなく、忽然と、泡のように湧き出てきて──。
これも魔法。敵のすぐ前に配下モンスターを召喚する。出番をあたえられたのは『動く死人の一団』だった。
地球人類がゾンビの名で親しんできた怪物。
死して尚、のそのそ徘徊する人間の屍。生者の肉と血を求めて、襲ってくる。首や心臓にとどめの一撃を喰らうまでは、どんなに傷ついても動きを止めない……。
数百体のゾンビは『地球産』らしかった。
みんなふつうの服装だ。近所のチェーン店で売っていそうな服ばかりだった。
こんな怪物たちがいきなり目の前に現れ、もっさりした動きながら一斉に襲いかかってくるのである。
敵味方、人間とゾンビがいりみだれるなか──
地上部隊の兵たちは必死に銃を撃つ。ナイフを突き刺す。動く死体の肉が爆ぜ、血しぶきが舞う。こんなありさまでは野戦砲兵も榴弾砲から離れざるをえない。八九式小銃を手に、味方の援護へ走り出す。
なんとも凄惨な地上の戦い──。
尚、ドラゴンは港の上空を飛び、火焔放射を繰りかえしていた。
停泊する船をまとめて焼きはらうために。地上はケアしないつもりのようだ。が、代わりに新たなクリーチャーが出現していた。
鉄の甲冑を着こんだ──身長三メートル前後のトロウル兵たち。
ずんぐりむっくりとした筋肉質の体で、顔つきは猪のそれに近い。鼻は長く、下唇の奥から二本の牙が突き出ている。
数十体いるトロウル兵が振りまわすのは、長大な剣、戦斧に棍棒など。
やせっぽちの人間など、一振りするごとに何人もまとめてふきとんでいく。首や手足を切り飛ばされ、骨までぐしゃぐしゃに打ち砕かれてしまう。
銃弾は──トロウル兵にはとどかない。
トロウル族もこれで妖精の仲間。魔法にも長けている。自らに《
これで人間側の士気が上がる──前に、新たな魔法を使われた。
ランチャーの砲弾にトロウルのひとりが《
まわりにいた国防軍の歩兵は巻きこまれ、大地に屍が積みかさなる……。
銃声と悲鳴、雄叫びと怒号、血と、数多の死ばかりの戦場。
しかし、終幕は突然だった。さんざん暴れていたゾンビとトロウル兵たちが──いきなり消えたのである。
出現時と同じ唐突さで、全ての怪物が『ぱっ』と姿を消した。
「どうにか“時間切れ”まで耐えられたね……」
空を見あげて、ユウはため息をこぼした。
今まで、日本の関西地方にあるまじき緑色のオーロラが天にゆらめいていた。それが急に収まり、寒々とした冬の曇り空にもどっている。
あの妖しい天空の城も、まるで蜃気楼だったかのように消滅していた。
オーロラ発生は
幻のごとく消え、また現れる。まさしく虚空の幻影城──。
安堵した伊集院が叫んだ。
「また一、二ヶ月居すわられるんじゃと、ひやひやしたぞ!」
『向こうもあちこちで連戦して、大量に魔力を消費したあとです。境界を超えていられる時間、長く確保できないようだ──と、ママが言ってます。でも本当に、これからどうなるんでしょう……?』
アリヤからの着信だった。
ちなみにナノ因子が活性化すると、ユウも、伊集院も、右手のひらの皮膚にリング状の光が浮きあがってくる。
その手を握りしめて、ユウは顔を上げた。
対岸の国防軍基地、すさまじい勢いの猛火に呑みこまれていた。
海抜三〇〇メートルの山頂はかつて、展望タワーまでそなえた公園だった。現在は国に接収され、国防軍の関連施設となっていたが。
そういうロケーションなので、抜群に見晴らしがいい。
今も一〇名近い国防官が呆然と、舞鶴湾の方角を凝視していた。
味方部隊の崩壊と、基地の炎上──。全て見とどけたのだから無理もない。研究顧問として同行していた東堂クロエは同情した。
ひとり娘のアリヤもぎゅっと母親の白衣をつかみ、心細そうだ。
「ママ。アリヤたち、これからどうしたら……」
「まず山を下りて、生きのこった人たちと合流すべきでしょうね。救助と救命活動、それから当座の避難所を用意する」
戦火にも、戦場のそばで生きることにも、慣れている。
クロエは淡々と答えた。娘のアリヤは制服にベレー帽を合わせている。その帽子から、とがった耳の先端が突き出ていた。まわりの人間より明らかに長い。またクロエ自身の耳は、さらに長かった。
東堂クロエ。二〇年以上も前に亡命を果たしたエルフ族のひとり。
日本人男性と結婚もした。アリヤは種族と世界の境を超えた混血児なのだ。クロエは不安そうな娘を連れたまま、ある士官に声をかけた。
「大佐。そろそろ行きましょう」
「……博士。やはり三号フレームを復活させなくてはいかん。この光景をまた繰りかえさせるわけにはいかない。そう──思わないか?」
国防空軍大佐。その肩書きを持つ初老の人間男性だった。
ここ五老ヶ岳にいる国防官は、ほとんど技官である。国防軍エキソフレーム装備研究所に所属し、研究と技術開発に従事する者たち。クロエはその顧問なのだ。
技官でない軍人は大佐と、その部下だけだった。
「君は言っていたな? 着装者を失った三号……ナノ技術を応用すれば、まだ擬似的に覚醒させられる可能性があると」
たしかにクロエはそう言った。
もはや『第二の着装者』を捜すより、その可能性を探るべきだとも。
だが、自軍が壊滅したばかりの今ここで検討すべき事項ではない。……そう思ったものの、クロエは意見しなかった。
大敗のショックからか、大佐の目はぎらついていた。
平静さを失っている。まともに話のできる状態ではなさそうだ。
「承知しました。その件、私の方で進めましょう」
「是非そうしてくれ! 頼むぞ!」
大佐の目がそれた隙に、クロエはため息をついた。
a型エキソフレーム三号機。簡潔に言えば強化装甲スーツ、エキソスケルトンに分類される決戦兵器は、今もトレーラーの荷台で寝そべったまま。
金色に輝くはずの装甲を黒く曇らせて、ただ虚しく──。
もう何ヶ月も起動できていない。人員・資材ともに不足した状況でどうにかできるとは、とても考えられなかった。
クロエはちらりと後方を見やった。
高さ五〇メートルの展望タワーがそびえ立っている。
この山が国防軍の装備研究所となり、a型──Asura型エキソフレーム三号機の運用拠点となってからは、べつの用途を持つ施設へ改築された。
五老ヶ岳の高みから、三号フレームに“あの力”を送信するために。
「せめて、あの御方が手伝ってくれたらね……」
「? どういう意味ですか、ママ?」
「私たちエルフの国のお姫さまのこと。いずれ機会があったら話してあげる」
不可解そうな娘へ言ってから、亡命エルフの賢人クロエは空を見あげた。
二〇二X年、一二月。冬の舞鶴はどんより曇っている──。