第二章 森の病魔 その4

 心臓がうるさいほど鳴りだし、震える手でミスリルの杖を強くにぎめながら、ミラは自分に言い聞かせる。

 彼女だって家畜のにわとりめた事くらいはある。畑を荒らす害虫の駆除もしてきたし、今までだって何度も命を奪ってきたのだ。

 それと何も変わりはしない。ただ、人に似た形をしていて、相手も自分を殺す力と意思を持っている。ただそれだけの事でしかない。

「はぁ、はぁ……」

 落ち着こうと頑張っているのに、どうしても呼吸が荒くなってしまう。

 そんなミラの脳内に、ふとテリオスの声が響いてきた。

(もしかすると、あのゴブリンが緑腐病を運んできたのかもしれませんね)

(……えっ?)

 一拍の間をおいて意味を理解し、ひようちゆうのようにこおりつくミラをに、テリオスは淡々と説明を続けた。

(緑腐病は人間にしか感染せず、動植物にはうつりません。ただ例外がありまして、それが魔物なのです)

(魔物が、緑腐病を?)

(はい。ゴブリンはあの通り緑色の肌をしていますからね。昔は緑腐病の事を『ゴブリン病』と呼んで、根絶するために大軍を動かした事もあったそうです)

(…………)

 押し黙るミラの心に、テリオスの声は半分も届いていなかった。

(あのゴブリンが、緑腐病を運んできた?)

 自分やトリオ達があんなに苦しい目に遭ったのも、村の皆が緑色の死体に変わってしまったのも、彼女の母親が助けを呼びに行き、そして二度と帰ってこなかったのも。

(このゴブリンのせい)

 そう認識した瞬間、頭の奥でカチッと何かがはまる音が響いた。

 命を奪う事へのけんが消え失せて、全身が燃え上がるように熱くなる。

 それはおだやかな彼女が滅多に抱かない感情──怒りだった。

「うわぁぁぁ───っ!」

 ミラは気がつけばたけびを上げて、木の陰から飛び出していた。

 そして、驚いて立ち上がるゴブリンに向かって、杖を突きつけて叫ぶ。

「『火炎球フアイア・ボール』ッ!」

 切り株を相手に何度も練習を重ねてきた魔術は、本番でも間違わずに発動した。

 だが、勢い良く放たれた火の玉は、必死に身をよじったゴブリンの横をすり抜けて、洞窟の端に当たって火花を上げただけで終わってしまった。

けられたっ!?)

 切り株と違って生きている相手は動く。そんな当然の事さえ忘れていた自分のおろかさに、思わずみをするミラの頭に、ふと狩人の老人の言葉がよみがえる。

 ──お嬢ちゃん、上手い狩人ってのは、遠くの獲物をられる奴の事じゃない。絶対に外さない距離まで獲物に近づける奴の事を言うんだ。

(そうだ、もっと近づかないと)

 幸い、ミラの方から近づいていく必要はなかった。

 攻撃を受けて怒り狂ったゴブリンが、まついしやりを構えて突撃してきたのだ。

(もっと、もっと近づけて)

 今すぐに呪文を唱えてしまいたいとあせる自分を、妙に冷静な自分がしかりつける。

 そして、あと二歩で石槍が届くほど距離がちぢまったところで、ミラは素早く叫んだ。

「『火炎球』ッ!」

 二度目に放った火の玉は、避けようと反応する暇すら与えず、ゴブリンの胸に吸い込まれて爆発した。

「ギャッ!」

 胸の肉がぜて血をらし、ゴブリンは悲鳴を上げて地面に倒れる。

 助かりそうもない重傷である。だが、すぐに絶命する致命傷ではない。

 もがき苦しむゴブリンをあわれに思ったのか、最後の力を振り絞って反撃されるのを恐れたのか、ミラ自身にも分からない。

 ただ気がつけば、ゴブリンのそばに歩み寄って、頭に杖を突きつけて呟いていた。

「『火炎球』」

 至近距離で放たれた火の玉が、ゴブリンのがいこつを砕いてのうを焼き焦がす。

 そして、数秒の間ピクピクとけいれんした後で、緑色の生物は二度と動かなくなった。

「……倒した」

 ミラが安堵の溜息と共に肩の力を抜いたその瞬間。

「ギャギッ!」

 怒りのこもったうなごえと共に、彼女は背後から衝撃を受けて、地面に倒れ込んでしまった。

(まだいたっ!?)

 洞窟の奥に潜んでいた他のゴブリンが、騒ぎを聞いて駆けつけてきたのだろう。

 初弾を外した事といい、想像力もなければ警戒心も足りない、おのれの愚かしさをやんでいるゆうはなかった。

 新たに現れたゴブリンは、倒れたミラの上に馬乗りとなり、粗末ないしおのを振り上げてきたのだ。

(殺される)

 そうせんりつした瞬間、生存本能が体を突き動かしていた。

「うわぁぁぁ───っ!」

 雄叫びを上げながら、全力でゴブリンの顔面にミスリルの杖を叩き込む。

 少女の腕力で、しかも馬乗りになられた不利な体勢のため、威力はないに等しい。

 だが、運良く顎に当たったため、ゴブリンは軽いのうしんとうを起こしてけ、振り下ろそうとしていた石斧の動きが止まった。

 そうして生まれた一瞬のすきを見逃さず、ミラは全力で叫ぶ。

「『火炎球』ッ!」

 再び至近距離で放った火の玉が、ゴブリンの顔面を吹き飛ばす。

 飛び散った鮮血と肉片が、倒れ込んだミラの上に降り注ぎ、その白い顔を汚そうとした瞬間、見えない力によってはじかれた。

(あっ、先生が防御の魔術をかけてくれてたんだった)

 興奮のあまりすっかり忘れていたが、最初から命の心配はなかったのである。

(でも、先生の魔術がなかったら、きっと背後から襲われた時に……)

 倒れ込む程度ではすまず、自分の命はとっくに奪われていただろう。

 そう考えて背筋に冷たいものを感じながらも、ミラは頭部のつぶれたゴブリンをどうにか退かして立ち上がる。

 洞窟の奥に目をこらせば、さらに何体ものゴブリンが走り寄ってくる姿が見えた。

(どれだけいるんだろう……火炎球、あと何回使えたっけ?)

 色々と考えようとするのだが、魔術を使いすぎたのか、全身が妙にだるくて上手く頭が回らない。

 それでも懸命に杖を構えたミラに、ゴブリンが二体同時に跳びかかってきて──

「よく頑張りましたね」

 温かい褒め言葉と同時に、背後から伸びてきた骨の両手が、襲いかかってきたゴブリン達の首を握ってげた。

「先生っ!」

ういじんで二体も倒せれば十分です。今日の実戦訓練はここまでにしておきましょう」

「死ぬ気でいけばあと三体はいけるでしょうに、あんたも甘いわね」

 黒猫の溜息を受けながら、テリオスは両手に力を込める。

 それだけでにぶい音が響き渡り、首を摑まれていた二体のゴブリンは、力を失ってダラリと垂れ下がった。

「ギャッ!?」

 後から現れた三体のゴブリンは、このローブをまとった骸骨にはかなわないと察したのだろう。

 背中を向けて逃げ出そうとしたが、その判断はあまりにも遅かった。

「『石の棘ストーン・スパイク』」

 テリオスが呪文を呟いた瞬間、真下から勢い良く生えてきた石の槍によって、三体のゴブリンは尻から頭までくししにされ、何が起きたのか理解する間もなく絶命した。

「人型の生物は視点が高い分、足下の警戒をおろそかにしがちです。動く相手に当てるのは少し大変ですが、奇襲には重宝しますので覚えておくとよいでしょう」

「はい、先生」

 グロテスクな串刺し死体を前にして、淡々と授業を行うテリオスに、ミラは素直に返事をしてからふと思う。

(私、こんなに残酷な子だったんだ)

 怒りで頭がふつとうしていたとはいえ、自らの手でゴブリンを二体も殺したというのに、思ったほど罪の意識がいてこない。

 それに、テリオスが殺したものも含めて、無残な死体が転がり、むせ返るような血のにおいが漂っているというのに、吐き気も湧いてこなかった。

「先生、私は──」

 やっぱり、普通の子じゃないんですね──と、あきらめるように吐き出そうとしたミラの頭を、テリオスはまた撫でてくれた。

「ミラさんの活躍で、村をおびやかす危険が一つ消えました。皆の平和を守るためにもう一働きしましょう」

 その言葉に噓はない。ただ、根本的な問題から目を逸らさせるための優しい噓だと、直感的に分かってしまった。それでも──

「はい、頑張りましょう」

 ミラは元気よく頷いて、残るゴブリンを倒すために、テリオスと共に洞窟の入り口へと向かうのだった。

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