第二章 森の病魔 その5
「この奥に潜むゴブリン達を、どうやって倒せばいいと思いますか?」
「えっ……中に入って、見つけたら倒すんじゃ駄目なんですか?」
「う~ん、残念ながら二点です」
「えぇっ!?」
赤点を出されて嘆くミラに、テリオスは丁寧に説明する。
「この洞窟内部をゴブリン達は熟知しているでしょう。当然、物陰に隠れて奇襲をしかけてきたり、落とし穴のような
「あっ、そうですね」
自分の
「ではそれを踏まえて、どうやってゴブリン達を倒せばいいと思いますか?」
「え~と、中に入るのが駄目なら、外に出てくるのを待つとか?」
「はい、それも悪くはありませんね」
十分に戦力があるのならば、その手が一番安全であろう。
洞窟の中に水や食料の備蓄がさしてあるとは思えない。飢えて出てきたところを討ち取ればいい。
「ただ、洞窟を交替で見張るために人手がいりますし、ゴブリン達の食料が切れるまで時間がかかってしまいます。少人数で急ぐ場合は不向きですね」
「なるほど。それじゃあ、ゴブリンが早く出てくるような方法を考えれば……」
テリオスの指摘を受け入れて、ミラはすぐさま改善案を考え始める。
(本当に良くできた生徒ですね)
つい本物の教師みたいな
「一番手っ取り早いのは、入り口を崩して洞窟を
「えっ、そんな事していいんですかっ!?」
「はい。別に洞窟の奥を調べたいわけではありませんし、生き埋めにしてしまえば簡単に
こちらは極力危険を冒さず、最小の労力で敵に最大の出血をもたらす。
それを常に心がけて思考を
「ただ、この方法も欠点があります。洞窟に他の出口があったら、そこから逃げられてしまうのです。また、ゴブリンよりもっと強力な魔物ならば、壁を掘って外に抜け出てしまうでしょう」
「じゃあ、どうすればいいんですか?」
他の方法が思いつかない様子のミラに、テリオスは待ってましたとばかりに取って置きを披露する。
「色々とありますが、今回はこれを使いましょう」
そう言ってから魔術を唱え、大きな背負い袋を取り寄せた。
「この中には
煙草はタバコの原料として使われている草である。当然、火を点ければ染み込ませた成分ごと大量の煙を生み出す。
「それを使うって事は……」
「はい、毒の煙で
顔を青ざめさせたミラに、テリオスは満面の笑みで答える。
「そこまで広い洞窟とは思えませんから、
そう言ってから、自らの手で首をへし折ったゴブリンの死体に向かって、静かに呪文を唱えた。
「命を失くした
死んだばかりの新鮮な肉体と、火葬した後の骨という素体の違いはあるが、ボーンゴーレムを作った時と同じ魔術である。
擬似的な魂を与えられたゴブリンの死体は、首があらぬ方向に曲がったまま立ち上がり、毒の煙草が詰まった背負い袋を
そして、テリオスが袋に火を点けると、もうもうと煙を吐き出しながら洞窟の奥へと走っていった。
「これで完了です。事前に毒の煙草を準備しておく手間がありますが、そもそも
実に良い事を言ったと、テリオスは満足げにミラを見る。
しかし、彼女の可愛らしい顔に浮かんでいたのは、賞賛の笑顔ではなく困惑の苦笑だった。
「あの、薄々感じていましたけど、先生って何と言うか……」
「目的のためには手段を選ばない
ミラが
「失礼な。腐る箇所なんて残ってないピチピチの骸骨ですよ!」
「そ、そうですね」
テリオスはお得意の骸骨ギャグで誤魔化そうとしたが、ミラはまた困って苦笑を深めるだけだった。
「いい大人が子供に気を遣わせるなんて、恥ずかしくないの?」
「それ以上は私の魂が死ぬので
肉体的な痛みを覚えない不死者でも、精神には傷を負うのだと、黒猫の
そんな楽しそうな彼らとは裏腹に、洞窟の奥からはゴブリン達の悲鳴が響いてきた。
『ギャギャッ!?』『グギャ、ガッ……』
火と煙を吐きながら走ってきた仲間の死体に、驚き戸惑っているうちに、煙の中に含まれたポイズントードの麻痺毒を吸ってしまい、体が
そんな断末魔の悲鳴を耳にして、ミラの幼い顔が曇った。
「こうする他に、なかったんですよね」
自分に言い聞かせるような彼女に、テリオスは深く頷き返す。
「はい。平和な世界を築くという事は、平和を
ミラに何度も語ったように、彼は二度と人間を殺さないと決めている。
けれども、人間以外の命を救うつもりはない。全ての生物が殺し合わずに生きていける楽園など、効率よくエネルギーを得るために、他の生命を殺して取り込む行為=食事をするように進化してきた時点で、絶対に達成できないのだから。
「幻滅しましたか?」
平和な世界という綺麗な目標に反して、そこへ至る道程は真っ赤な血で
もしも、テリオスに協力しようと思うのなら、今日よりもさらに
だから、深く関わるのを止めてもいいのだと、そういう意味も込めた問いに、ミラは首を横に振って答えた。
「いいえ。先生が創る平和な世界を、私も見てみたいですから」
「ありがとうございます」
そして、悲鳴が
「ミラさん、後ろに下がっていてください」
「は、はい」
張り詰めた空気を感じたのだろう。ミラは黒猫と共に大きく後退した。
「ゴブリンが偵察に来たという事は、それを命じたボスがいるのだろうとは思っていましたがね」
そう呟くテリオスの前に、洞窟の奥からゆっくりとそれは姿を現した。
背中を丸めているため小柄に見えるが、実際には大きめのクマほどもあるだろうか。
全身を
太い
「
「キシシッ」
テリオスの呟きを褒め言葉とでも受け取ったのか、呪いや病気によって半獣と化した元人間の魔物──ワーラットは、長い前歯を鳴らして笑う。
その全身から漂う腐臭があまりにも
「うぐっ……」
「ドブネズミの方がまだ
黒猫も不快そうに顔をしかめ、腐臭を吹き飛ばそうと前足を振る。
そんな背後の様子を窺いながら、テリオスは内心で溜息を吐いた。
(噓から出たまこと、とはこの事ですね)
ゴブリンが緑腐病の感染源かもしれないという話は、ミラに
肌の色から感染源だと疑われて、過去に大規模な
ただ、ミラに伝えたもう一つの話、人間にしか感染しないはずの緑腐病が、例外として魔物にはうつるという話は本当である。
ゴブリンを始め大半の魔物には感染しないのだが、極一部の例外──目の前にいるワーラットのような獣人だけは、元人間であるため緑腐病を宿せるのだ。
そして、毒も効かないほど
「貴方がクリオ村に緑腐病をばらまいた張本人ですね?」
毛皮に生えた緑色のまだら模様を見れば、わざわざ聞くまでもない事なのだが、テリオスはあえて確認を取る。
すると、ワーラットはまた前歯を鳴らして笑いながら頷いた。
「キシシッ」
「この人が、お母さんを、皆を……っ!」
腐臭に苦しんでいたミラの顔が、怒りで真っ赤に染まっていくのが、後ろを振り返らずとも分かった。
そんな彼女が爆発する前に、テリオスは最後の確認をする。
「理由をお聞かせ願えますか?」
だが、その問いに答えが返ってくる事はなかった。
「キシャァァァ───ッ!」
無駄話は飽きたとばかりに、ワーラットは奇声を上げて跳躍し、テリオスに襲いかかってくる。
「先生っ!?」
悲鳴を上げるミラは知る由もないが、ワーラットは数ある魔物の中でも、人間を殺す事に異常なほど特化している。
身体能力はそこまで高くない。歴戦の戦士ならば互角に戦えるだろう。
ただ、鋭い爪による
治療手段を持たない相手ならば、半神の英雄だろうと殺しかねない病魔の
「申し訳ありませんが、私は骸骨ですので」
とっくの昔に死んでおり、病気と無縁の不死者であるテリオスは、跳びかかってきたワーラットの腕を平然と摑み止める。
そして、人間に不幸しかもたらさない、この病魔の塊を世界から消滅させるため、静かに呪文を唱えた。
「『
燃えさかる赤い
「──ッ!」
そうして、炎が消えた後に残ったのは、地面の黒い
「ふー……」
生前の
「ミラさん、貴方の
「えっ、いや、先生が謝る事じゃないですよ!」
まさか謝罪されるとは思っていなかったようで、ミラは取り乱してブンブンと勢い良く両手を振る。
それからテリオスの前まで歩いてきて、まだ少し熱の残った骨の手を握り締め、花が開くように微笑んだ。
「みんなの仇を取ってくれて、ありがとうございます」
「ミラさん、私は──」
平和な世界を築くという、自分の目的のためにした事であり、仇討ちのつもりなどなかった──というテリオスの言葉を、ミラは首を左右に振って言わせなかった。
「どんな理由だろうと、先生は私達を救ってくれて、お母さん達の仇を取ってくれました。だから、本当にありがとうございます」
「……はい、どう致しまして」
久しく忘れていたむず
そんな二人を茶化すように、黒猫が
「やっぱり、偽善も復讐もしっかりやるべきね。
「最低の理由ですね」
「黒猫さんの噓を吐かないところは好きだよ」
どこまでも身勝手な傍観者に、テリオスは
それから、生き残りの魔物がいないか、念のため洞窟の奥まで調べてから、彼らは皆が待つクリオ村へと帰っていくのだった。