第一章 立てる者は骨でも使え その7

 ミラに実地で魔術を教えるため、テリオスは村の外れに向かう。

 村を取り囲む森を切り開き、農地を増やす途中だったらしく、丸太や切り株が残った空き地に辿たどくと、呪文を唱えて虚空から小さな木のつえを取り出した。

「これは魔力を込めて呪文を唱えると、火の玉が放てる魔術の杖です。見ていてください」

「はい」

 元気よく頷くミラの前で、テリオスは杖を構えて呪文を唱える。

「『火炎球フアイア・ボール』」

 すると、杖の先からこぶしだいの火球が放たれて、少し先の切り株に当たって小さな爆発を起こした。

「うわ~、やっぱり魔術って凄いですね」

「では、貴方もやってみてください」

 感動して目を輝かせるミラの手に、テリオスは木の杖をにぎらせる。

「えっ、私もやるというか、できるんですか?」

「はい、簡単な魔術ですから、今の貴方でもできるはずです」

 戸惑うミラに対して、テリオスは強く頷き返す。

「難しい事はありません。私が先程放った火の玉を頭に思い描きながら、杖に意識を集中して呪文を唱えるだけです」

「は、はい!」

 ミラは緊張した様子で頷き、数回深呼吸を繰り返してから、杖を両手で構えて叫んだ。

「『火炎球』ッ!」

 すると、杖の先からテリオスが生み出したのとよく似た火の玉が放たれて、切り株に当たってこれまた同じように小さな爆発を起こした。

「……で、できましたっ!」

「えぇ、おめでとうございます」

 信じられぬ様子でほうけてから、大喜びして跳び上がるミラに、テリオスは骨の両手を合わせてカチカチと拍手を送る。

「ところで、一つ謝らせてください」

「何ですか?」

「その杖はただの棒きれです。火の玉を放つ魔術などかかっていません」

「えっ?」

 言っている意味が分からなかったのだろう。ミラはにぎめた杖と、あとが残る切り株を何度も見返してから首をひねった。

「でも、呪文を唱えたら火の玉が出ましたよ?」

「それはミラさんの実力です。杖には何の仕掛けもありません」

「えっ、でも……」

「これほど簡単に魔術が使えるのならば、どうして今まではできなかったのか、と考えていますね」

「は、はい」

 内心を言い当てられて、ミラは驚いた様子で何度も頷く。

 その可愛らしい仕草に微笑みつつ、テリオスは答えを告げた。

「貴方が魔術を使えたのは、私が先にやったのを見て、『杖を構えて呪文を唱えれば火の玉が出る』としたからなのです」

「認識、ですか?」

 ミラはまた首を傾げるが、テリオスが強調して告げたそれこそが、魔術の基礎でありしんずいであった。

「魔術の発動に必要なものは二つあります。一つは魂が生み出す力=魔力です。人間ならば誰もが魂を宿していますが、そこから魔力を生み出せる素質の持ち主となると、二百人に一人程度しかいません」

「二百人?」

 百人にも満たない小さな村で育ったミラには、多すぎて実感が湧かないのだろう。

 しきりに首を傾げる彼女を見て、テリオスは微笑みながら話を続ける。

「そして、もう一つが認識です。『強い思い込み』と言い換えてもよいでしょう」

「思い込んだら魔術が使えるんですか?」

「簡単に言うとそういう事になります」

 正確に言えば、この世界はそもそも人間や魔物など、あらゆる存在の認識によって創られたあいまいな──という難解な説明は、ミラが混乱するだけなので黙っておいた。

「貴方は今まで、魔術を目にした事がありませんでしたね?」

「はい。お話で聞いた事はありましたけど……」

「でしょうね。魔術師は貴重ですから、王侯貴族や軍人でもなければ、目にする機会はめつにありません」

 大きめの町にある神殿へおもむけば、魔術を扱える神官に出会えるが、庶民には厳しい大金を積まなければ、その魔術を受ける事はできない。

 だから、別に恥じる事ではないと、テリオスはミラの頭を優しく撫でる。

「貴方は魔術を見た事がなかったために、自分とは関係ない世界の話だと、自分には使えないのだと思い込み、自ら魔術を封じ込めていたのです」

 何も珍しい話ではない。高い魔力を秘めていても、それを扱えるほど心身が成長した頃には、周囲に溢れた普通の人々に影響されて、自分も魔術なんて使えないと思い込んでしまうのだ。

 下手に魔術なんて使える特別な存在になってしまえば、周囲からひどい迫害を受けるか、ていよく利用されるだろうという、無意識の防衛本能も働いているのだろう。

「ですが、私が魔術を使ったのを見て、貴方は魔術が実在するのだと認識しました。それに加えて、魔力の光を目にした事で才能を自覚し、『この杖があれば自分にもできるかもしれない』と思い込めたからこそ、あぁして火の玉を生み出せたのです」

 とはいえ、魔力がとぼしかったり、としを取って頭が固くなっていたら、何度も練習を繰り返して認識を改めないと、魔術を発動される事はできない。

 高い魔力を秘めており、若く素直なミラだからこそ、たった一回で成功できたのだ。

「ミラさん、貴方は特別な才能を持っています。自信を持ってください」

「……はい」

 テリオスが改めて褒めると、ミラは照れて頰を染めた。

 そして、お返しとばかりにしようさんを告げる。

「先生は本当に頭が良いんですね。文字の読み方も凄く分かりやすかったけれど、魔術を教えるのもこんなに上手いなんて」

「頭は空っぽですけどね」

 テリオスはのうがない軽いがいこつを小突き、歯を鳴らして笑う。

 そんな彼の影から、疲れた顔の黒猫がてきた。

「おや、どうなさいました?」

「ガキ共がうるさいから、こっちの様子を見に来ただけよ」

 そう告げる黒猫の体毛は、子供達に撫で回されたらしくみくちゃになっていた。

「くくくっ、流石の貴方も子供には勝てませんか」

「将来、何か面白い事をしでかすかもしれないから、見逃してやっているだけよ」

 テリオスが思わず笑みを漏らすと、黒猫は心底嫌そうに顔をしかめる。

 かと思うと、いつもの性悪なニヤニヤ笑いを浮かべた。

「ところで、その子の姿が見えないのに気がついた童貞坊やが、変態骸骨が悪さをしているんじゃないかって騒ぎ始めてたわよ?」

「彼も随分と疑り深いですね」

 そんなにも自分は信用がないのか。いや、恋する思春期少年の反応が過剰なだけかと、テリオスは軽く溜息を吐く。

 それから、心配そうにこちらを見上げるミラに手を差し出した。

「もう少し教えたい事があったのですが、そろそろ日が真上に昇りますし、一度戻ってお昼ご飯にしましょう」

「はいっ!」

「私には肉を用意なさい。ウサギかリスの丸焼きならなお良し」

 ミラは元気よく頷いて、テリオスの骨しかない手を握り締め、そんな彼女の頭に黒猫が軽々と飛び乗る。

 そうして、二人と一匹で村に向かう途中で、ミラがふと遠慮がちに尋ねてきた。

「あの、先生ってひょっとして……子供が好きな変態さんなんですか?」

「何故、急にそんな事をっ!?」

 驚きのあまり顎の骨が外れそうになったテリオスに、ミラは慌てて説明してくる。

「先生はこうして手を繋いだり、私の頭をよく撫でてくれるから、子供が好きなのかなって」

「誤解です」

 テリオスは真顔でハッキリと断言する。

「子供は好きですが、変態的な意味合いは全くありません」

 本音を言うと下心はある。ただそれは、母親を亡くした傷心の少女を慰めて、将来有望な人材と信頼を築いておこうという意味でしかない。

「だいたい、私は棒がないからそういう感情もないと、先程説明したでしょう?」

 テリオスは再びローブの前を開いて、何もない尾骨を見せつける。

 すると、ミラは何故か頰を染めて目を逸らした。

「……先生、ハレンチです」

「だから何故っ!?」

「ふふふっ、この子、思った以上の逸材だわ」

 ミラに振り回されるテリオスを見て、黒猫が髭を揺らして愉快そうに笑う。

 そうして、あらぬ誤解を受けたりしつつも、彼は魔術師として始めて弟子を得たのであった。

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