第一章 立てる者は骨でも使え その6

 村長や役人のようなえらい人しか知らない、文字の読み方を覚える。

 それは一足早く大人になれるようで、ミラにはとても楽しい時間だった。

 ただ、普段は使わない頭をこく使したからだろう。しばらくすると年少の子供達が不満を漏らし始めた。

「ねぇ、これいつまでやるの?」

「お外で遊びたい」

 それを耳にした瞬間、テリオスは読み上げていた本を素早く閉じて、虚空から革製の丸いボールを取り出した。

「今日はここまでにして、これで遊ぶとしましょう」

「やった、ボールりだ!」

「その次は鬼ごっこね!」

 子供達はテリオスの手からボールを受け取ると、勢い良く村長宅から飛び出していった。

「まったく、あいつらは」

 トリオが苦笑しながらも、年長者らしく子供達の面倒を見るため後を追う。

 そうして皆がいなくなった居間で、ミラはテリオスに向かって頭を下げた。

「すみません、勝手な子達ばかりで……」

「別に急ぐ事でもありませんから、お気になさらず」

 ゆっくり学んでいきましょうと告げるテリオスに、ミラはもう一度頭を下げてから、気になっていた事を尋ねる。

「あの、どうして私達に勉強を教えてくれたんですか?」

 テリオスが授業に使った絵本がとても高額な事は、世間知らずなミラでもさつしがついた。

 そんな大金をかけてまで、自分達に読み書きや算数を教えて、彼にいったい何の得があるというのか。

(そもそも、何で私達を助けてくれたんだろう?)

 今になって考えると、緑腐病を治してくれたあの薬も、とんでもなく高価なしろものだったのだろう。

 そこまでして、ただの村人にすぎない自分達を助けてくれた理由が分からない。

 だから、こんなにも親切なテリオスの事を、心の片隅で信じ切れずにいる。

(そうか、『分からない』って怖いんだ)

 目からうろこが落ちたように、ミラはとうとつに理解した。

 理解できないものは恐ろしい。何故なら、自分に危害を加えるかも分からないから。

(だから、理解したい)

 テリオスの事をもっと知って、恐れを捨てて心の底から感謝したい。

 そんなミラの決意が届いたのか、テリオスは目を細めて微笑み、彼女の頭を優しく撫でた。

「分からないから理解したい。それが『学ぶ』という事の本質です。今の熱意を忘れなければ、貴方はとても賢くなれるでしょう」

「はい」

 深く頷くミラの頭から手を放し、テリオスは先程の問いに答える。

「さて、貴方達に勉強を教えた理由ですが、それは私の目的である、平和な世界を築くために必要な事だからです」

「えっ?」

 意外な答えにミラが驚いていると、今まで姿の見えなかった黒猫が急に現れて、とびきり意地悪な笑みを浮かべた。

「ふふっ、おろかな民衆に知恵なんて与えたら、支配階級に反乱を起こして、大陸中が戦火で燃え上がるのにね」

「悲観的な想像を断定口調で語るのはめてください」

 見てきたように語る黒猫の言葉を、テリオスは不機嫌そうに否定する。

 そんな二人を見て、ミラは改めて疑問を覚えた。

(おじさんと黒猫さんってどういう関係なんだろう?)

 見た目は飼い主とペットなのだが、可愛かわいがっている様子はないし、主従の敬意が全く窺えない。

 いて言えば喧嘩友達のように見えるが、動く骸骨としやべる黒猫が、いったいどんな経緯で今の関係になったのか、謎は深まるばかりである。

 そして、ミラが二人の関係を尋ねる前に、テリオスは話を元に戻した。

「私は平和な世界を築くために長い時を費やし、無数の魔物を倒して魔力をみがき、いにしえの迷宮を探索して財宝を蓄えてきました。けれども、どれだけの力を手に入れたところで、たった一人で争いをなくす事などできません」

「そんな事ができるとしたら、神々すら超えた存在よね」

 黒猫は楽しそうに笑うが、それを聞いたミラは強い疑問を抱く。

(神様でも世界を平和にはできないのかな?)

 この世界は多数の神々によって創造されたと、母親が言っていた。

 なのに、創った本人達が世界から争いを無くせないなんて、何かおかしくはないだろうか。

 そんなミラの心を読み取ったのか、黒猫は意味深な笑みを浮かべたが、何も答えずに話を進めた。

「一人じゃ無理。だから、こいつは協力者を育てる事にしたのよ」

「そういう事です。立派に成長した後で、私のお手伝いをして頂きたいという下心があって、皆さんに勉強を教えたのです」

 だから感謝する必要はないとでも言うように、テリオスは軽快に歯を鳴らして笑った。

「もちろん、手伝いを強制するつもりはありません。皆さんが賢く成長し、日々の生活を豊かに改善してくれれば、それもまた平和へと繋がりますからね」

「なるほど」

 納得して頷くミラに対して、テリオスはふと話を切り出してくる。

「それで、ミラさんに一つお願いがあるのですが、よろしいでしょうか」

「何でしょうか」

「魔術を学んでみませんか」

「……えっ?」

 一瞬、何を言われたのか理解できず、ミラはぼうぜんとしてしまう。

 それからゆっくりと言葉の意味をしやくして、驚愕のあまり絶叫を上げた。

「えぇぇぇ───っ!?」

「おい、どうしたっ!?」

 あまりの大声に驚いたのか、外へ遊びに出ていたトリオが、村長宅に駆け戻ってくる。

「大丈夫か? この骸骨オヤジに変な事でもされたのかっ!?」

「ぷっ、骸骨オヤジだって」

「今さら若者ぶるつもりはありませんがね……」

 子供特有の遠慮がない呼び方に、黒猫は吹き出し、テリオスはちょっと傷ついた声を上げる。

 ミラはそれが可笑しくて微笑みながらも、急いで誤解を解いた。

「何でもないよ、ちょっと驚いちゃっただけ」

「本当に何もなかったのか?」

「うん、大丈夫。おじさんは優しいから、私達に変な事なんてしないよ」

 それが未来の協力者を育てるという、打算から生まれた優しさだとしても──いや、打算という理由が分かった今だからこそ、心から彼を信頼できた。

 それを証明するために、ミラはテリオスの白い手を摑んで仲良しをアピールする。

 すると、トリオは何故かより不機嫌そうに顔を歪めてしまった。

「この変態骸骨オヤジめ……っ!」

「あれっ?」

「わざとやっているとしたら、大した小悪魔ね」

 テリオスをより鋭く睨むトリオの姿に、困惑して首を傾げるミラに対して、黒猫が呆れた様子で溜息を吐く。

 それから、トリオの頭に飛び乗って、彼の頰を尻尾しつぽで叩いた。

「そう心配せずとも大丈夫よ、童貞坊や」

「ど、童貞言うなっ!」

「この骸骨オヤジに変態を行う棒がないのは、見れば分かるでしょう?」

 トリオの訴えを無視し、黒猫はテリオスに跳びかかって、器用にローブの前をまくげる。

 そうして現れた何もないこつを見て、トリオは深々と頷いた。

「……確かに」

「嫌な納得の仕方をしないでください」

 不死者となってそこを失ったのは、やはり男として思うところがあるのか。

 少し気落ちしながらローブを直すテリオスを見て、トリオはようやく納得した顔をして、子供達の世話をしに戻っていった。

「ふっ、まだまだ青いわね。棒の一つや二つなくたって、いくらでも変態行為はできるというのに」

「話が面倒になるので黙っていてください」

 また意地悪な笑みを浮かべる黒猫の首根っこを、テリオスは指で摘まんで窓の外に放り投げる。

 それを赤い顔で見守っていたミラは、棒を使わない方法にちょっと興味をかれつつも、話を元に戻した。

「あの、さっきの話ですけど、勉強したら私でも魔術が使えるんですか?」

「はい、貴方には才能があります」

 半信半疑のミラに対して、テリオスは深く頷き返し、指先に淡い青色の光をともす。

「見えますか?」

「はい、とっても綺麗な青い光です」

「これが魔術の源である魔力です。ただし、普通の人には見えません」

「えっ!?」

 驚くミラに手招きをして、テリオスは窓の外を見るようにうながす。

 そして、少し離れた所でボール遊びをしている子供達に向かって指を振る。

 すると、指先から放たれた青い光が雪のように降り注ぎ、子供達の周囲を舞った。

「うわ~っ!」

 幻想的な美しい光景に、ミラは思わず感動の声を上げる。

 しかし、光に包まれた子供達の方は、まるで気がついた様子もなくボール遊びに熱中していた。

「この通り、魔力は普通の人には感知できないのです」

「それって、私が普通じゃないって事ですか?」

 ミラは悲しげに顔を歪めて、自分の白い髪に触れる。

 他の皆とも、母親とも違うそれのせいで、彼女は特別だと言われても、優越感ではなくがいかんの方を強く感じてしまうのだった。

「ごめんなさい。おじさんがめてくれたのは分かるんですけど……」

「いえ、こちらこそすみません」

 謝るミラに対して、テリオスも頭を下げ返してくる。

 それから、彼女の白い髪を、白い骨の指で触れてきた。

「けれど、私はミラさんの髪が好きですよ。ぎんのようでとても綺麗です」

「銀糸……」

 銀貨すらろくに触れる機会がないミラには、銀色に輝く糸など想像もつかない。

 ただ、そんな風に褒められたのは初めてだったので、つい頰が熱くなってしまった。

「それに、珍しい髪色ではありますが、他にも何人か見た事がありますしね」

「えっ、同じ髪の人がいるんですかっ!?」

「はい、大陸の中央付近ではたまに見かけますよ」

 驚愕するミラに対して、テリオスは事も無げにそう告げる。

 小さな村の事しか知らない彼女と違って、広い世界を見てきた彼にとっては、この白髪も奇妙な物ではなかったらしい。

「そっか、同じ髪の人がいるんだ……」

 同類がいた事の嬉しさと、自分だけが変わっていると思い込んでいた事の恥ずかしさが同時に込み上げてきて、ミラは何とも微妙な笑みを浮かべてしまう。

 そんな彼女に対して、テリオスは優しく告げた。

「あと、ミラさんは嫌っていたようですが、普通ではない、特別だという事は素晴らしい事ですよ」

「そうでしょうか?」

「はい。私も特別だからこそ、皆さんを緑腐病から救えたのですから」

「──っ!?」

 少し自慢が過ぎたかと、照れて顎骨を掻くテリオスの前で、ミラは雷に打たれたように衝撃を受けてしまう。

(そうだ、普通じゃ駄目なんだ)

 普通の村人だった皆は、何も悪い事などしていないのに、緑腐病にかかって死んでしまった。

 普通の子供にすぎなかったミラは、苦しむ彼らに対して何もできず、ベッドの上で死を待つ他になかった。

 そんな彼女を救ってくれたのが、普通ではない不死者で魔術師のテリオス。

(特別にならないと、同じ事が起きた時に、私はまた何もできない)

 帰らぬ母に助けを求めて、なげきながら死んでいくなんて嫌だ。

 せっかく生き残ったトリオや他の子供達を、もう二度と失いたくない。

(皆と違うこの白い髪が嫌いだった。でも、この髪が普通じゃない力を与えてくれたのだとしたら──)

 もちろん、白髪と魔術の才能には何の関係もないのかもしれない。

 けれども、ミラにはこの変わった髪色が、テリオスのように誰かを救える、特別な人になれるあかしに思えたのだ。

「おじさん、私に魔術を教えてくださいっ!」

「はい、喜んで」

 改めて自分から申し出たミラに、テリオスは笑って頷いてくれた。

 それから、指を立てて一つだけ付け加える。

「では、これからは読み書きや算数だけでなく、魔術も教える関係になるのですから、私の事はおじさんではなく『先生』と呼んでください」

「はい、先生っ!」

 元気よく返事をしてから、ミラはふと考える。

(ひょっとして、おじさんって呼ばれるのが嫌だったのかな?)

 トリオの骸骨オヤジという呼び方も嫌がっていたし、意外と年寄り扱いされるのが嫌いなのかもしれない。

 そんなテリオスの人間くさいところを知って、ミラはまた笑みを浮かべるのだった。

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