第二章 森の病魔 その1
テリオスがクリオ村に現れてから、早くも五日がすぎようとしていた。
「先生、いくよ!」
「おっ、
幼い少年が
「先生、
「ボールを落とさずに蹴り続けて、その回数で勝負する競技をしていましたから」
昔取った
そんな光景を
「『
彼女の指先から小さな炎が放たれて、釜の
「これでいいかな?」
「おう、ありがとな」
振り返ったミラに、後ろで見守っていたトリオが礼を告げる。
「でも、毎回
「いいよ、気にしないで」
申し訳なさそうに頭を
この村では十五歳となって成人を迎えるまで、
何十年か前に別の村で、子供が遊びで
トリオの父親はパン焼き人で、村人が食べるパンを全て焼く仕事をしていたため、
とはいえ、木くずから火種を作ったりするのが手間なので、魔術で簡単に火を起こせるミラに頼んだというわけだ。
もちろん、そこには好きな女の子と話す口実が欲しいという、年頃の少年らしい下心がある事を、ミラは知る
「しかし、何度見ても魔術ってスゲーな」
「えへへっ、ありがとう」
その
「でも、何でミラしか使えないんだろうな。俺にも使えればなー」
「ご、ごめんなさい」
別に責める口調ではなかったのだが、ズルいと言われたように感じて、ミラはつい頭を下げてしまう。
そんな彼女の頭を、トリオは指で軽く
「ミラは悪くねえよ。ただ、神様って不公平だなってさ」
「……そうだね」
亡くなった人達の
彼女の母親も、トリオの両親も、大人や老人だけでなく、生まれたばかりの赤ん坊さえも死んだというのに、自分達はテリオスに運良く救われて今も生きている。
小さな寒村で生まれた彼女が、
(だから、先生は平和な世界を築こうと思ったのかな?)
自分達と同じように、何か大切なものを奪われたから、人が不幸な死を迎えずにすむ世界を目指したのだろうか。
「あの
「まだ疑ってるの?」
しつこいなと、ミラは
命を救われ、
「先生がいないと私達は生きていけないんだから、疑っても疲れるだけだよ」
「それは分かってるけど……」
ミラの正論に対して、トリオは言い返せずに言葉を
テリオスを受け入れる他にないという現実を理解していても、ただ流されるだけの無力な自分が
(その気持ち、少し分かるな)
ミラは今の生活に不満はないが、テリオスに頼り切りなのは申し訳なく思っている。
とはいえ、勉学も魔術も何もかも未熟な彼女では、独り立ちはおろか彼に恩返しをするのも夢のまた夢である。だから──
「今は頑張って勉強して、未来の事は大人になったら考えよう」
「お、おぅ」
ミラが笑顔で
それから、急に真剣な表情を浮かべて、彼女の両肩を
「ミラ、あのさ、大人になったら──」
「パンが
「うひゃっ!?」
急に女性の声が
それと同時に、ミラの頭に
「黒猫さん?」
「私、黒い色は好きだけれど、パンや肉のお焦げは大嫌いなのよ」
両手で摑み、目の前に持ってきたミラに対して、黒猫は肉球を
「そうかな? 私はお
「あぁ、麦粥やお米のお焦げは悪くないわね」
「お米?」
「南の暑い地方で
「へー、いつか食べてみたいな」
「いや、ちょっと待て!」
「お前、わざと邪魔してんだろ?」
「心外ね。童貞坊やが
「ま、負けると決まったわけじゃねえだろ!」
「声が震えているわよ、童貞坊や」
そんな二人を見て、ミラも微笑みを浮かべた。
「仲良いね」
「でしょう?」
「良くねえよ!」
得意げな顔を浮かべる黒猫を、トリオは乱暴に放り投げる。
しかし、黒猫は空中を蹴るように不思議な軌道を
「ところで、魔術の練習をする時間じゃなかったかしら?」
「あっ、そうだった。じゃあトリオ君、パン楽しみにしてるね」
「おう、任せとけ。クソ猫の方は覚えてろよ!」
手を振って離れて行くミラに、トリオは胸を張って応えてから、黒猫に向かって負け犬の遠吠えを響かせる。
そんな声を背に、一人と一匹は村外れに向かって駆け出した。
「トリオ君が怒りんぼでごめんね」
「いいのよ。どこかの
「だからって、ど、童貞呼ばわりは良くないと思うよ?」
「あら、その様子だと童貞の意味は知っているのね。いったいどこで習ったのかしら?」
「そ、それは、隣のセーピアお姉さんが夜中に変な声を出していたから、具合が悪いのって尋ねたら、色々と教えてくれて……」
だがその瞬間、ミラは違和感を覚えて足を止めた。
「あれ? 何かいつもと違うような……」
昨日とは空気が違うというか、
「はは~ん、これはこれは」
「黒猫さんは何が違うか分かったの?」
「えぇ。でも教えてあげない」
「む~っ」
意地悪な笑みを浮かべる黒猫に、ミラは
「的に使っている切り株はあるし、周りの木も……あっ!?」
空き地を囲む森に目を移して、ミラはようやく変化に気がつく。
まるで何かが通ったように、
「
ミラは周囲に生物の気配がないか警戒しつつ、目をこらして地面を探る。
そして、運良く足跡を発見したのだが、再び首を傾げてしまった。
「何これ?」
猪の
ただ、指が奇妙に長くて、人間のそれともまた違った。
「まさか、これって……」
この大陸にも
「魔物っ!?」
「正解」
恐怖の叫びを上げるミラに、黒猫がクスクスと笑いながら答える。
「せ、先生に
何の魔物かは分からないが、とにかく助けを呼ぼうと、ミラは薄暗い森に背を向けて必死に駆け出すのだった。