プロローグ.②

 ──そんなわけで、昼休みの俺はことはしさんの頼み事という憂鬱を抱えて教室へ戻ったのだ。

 席は教壇から見て最後列、窓際から二番目。昨日きのうLHRロングホームルームで席替えしたばかりの新しい場所だ。後ろの人を気にしなくていいしロッカーも近いし、くじ運は良かったと言えるだろう。

 しかし、その俺の席には先客がいた。

 隣の椅子とくっつけられて、俺の左隣の席の女子が寝転んでいる。それだけじゃなく、その女子は俺の右隣の席の女子のふとももに頭を乗せていた。膝枕だ。

 つまり、三つの椅子を寄せてベッド代わりにして、右端の席の主に膝枕をしてもらいながら寝転んでいる女子がいた。

 ──俺の左隣の席の同級生、やまあまだ。

 染めているのではないらしい奇麗な亜麻色の長髪、あいきようをたたえつつ整った顔立ち。体型がスレンダーなせいか、制服がにんぎようの服のようにだぶついて見える。

 そんな山田さんは横寝になって心地よさそうに目を閉じ、安らかな寝息まで立てている。なぜか裸足はだしで、呼吸に合わせて足指が緩やかに閉じたり開いたりしていた。



 はたから見れば微笑ほほえましいのかもしれないが、俺には途方に暮れる状況だった。他人の席を勝手に使っているやまさんが悪いのは間違いないのに、しかし、こう幸せそうに眠っている女の子を起こすのには、なんだかむやみに勇気が要る。

 俺はロッカーのバッグから取り出した弁当箱を持ったまま立ちつくした。

 しかし幸いにして、彼女の枕になっている女子が、俺が困っていることにすぐ気付いてくれた。読んでいた本から顔を上げ、

「あ、ごめんなさい……」

 律儀に俺へ謝ってから、膝に乗せた山田さんの頭を両手でつかんで揺さぶる。ハンドボールでフェイントをかける時のような、乱暴なシェイクだ。

 ちょっと驚いたが、彼女らの関係ならそんな粗雑な扱いもおかしくはない。

「起きてあめむらくん帰ってきたよ」

 むゅ……と唇をゆがめて、ゆめうつつの水面で息継ぎしている山田さん。それを起こしている彼女もまた、山田さんだった。双子の妹の山田ゆきだ。

 顔立ちは当然よく似ている。もっとも、こちらの髪は耳が垂れたタイプの犬を思わせるショートカットで、ちょっとにも見分けが付かないということはない。

 特に今は眼鏡をかけているせいもあって、寝ぼけた顔をふにゃふにゃさせている姉より格段に知的に見えた。

 そうしてふにゃふにゃした顔のまま、ようやく姉が目を覚ます。膝枕に頭を乗せたままと妹の顔を見上げ、それからその妹に目顔で示されて俺に気付いたようだった。

「あぁ……となりの」

 寝起きのけぶったような目付きで見上げられ、不覚にもどきりとする。その直後に小さくよだれをすする音がしなければ、うっかりときめいていたかもしれない。

「そうだよ、隣の席の戸村くんだよ。早くどいてあげて」

 妹は容赦なく姉のおでこをぴしゃりとたたいたが、姉はなかなか腰を上げない。

「いやぁ、ごめんねぇ……昼休みになるなり出てって、なかなか帰ってこないから、他ンで友達と食べてるのかと思って」

 ……自慢ではないが、他の教室どころかクラスにもまだまともな友人はいない。今日はことはしさんたちが教室から出て行くまで──彼女らは、それこそ別のクラスだか学食だかで昼休みを過ごしているようだ──身を隠していたくてトイレへ避難したのだ。

「うん……これから食べるから、席、空けてくれるかな」

 そろそろ食べ始めないと午後の授業が始まってしまう。俺も遠慮なく退去を求めた。

「そっか。ふぁ……ごめんごめん……」

 山田あまはあくび混じりに言って、寝たまま……と伸びをする。ぐ伸ばされた素足の先で、びっくりするほど小さな爪が真珠に似たをしていた。

ゆきのふとももがあんまり気持ちよかったもんでね……」

 その雪音いもうとの膝に手を当ててうっそりと体を起こす。思わずゆきの脚に目をやりそうになって、なんとか自制する。姉の言葉通り、妹は痩せ形の姉とは対照的にふわふわと柔らかそうに発育している。

 ──このように、ギャルというほどではないが言動がチャラくていい加減な姉と、真面目で読書家でついでにスタイルのいい妹。顔は似ているが性格は真逆。それが1年B組のやま姉妹だ。

 髪の長さで判別が容易だとはいえ、同じクラスにいるだけでもややこしいのに、男子一人をはさんで直近の席になってしまっている。

 そして、この仲が良いのか悪いのかよくわからない姉妹に挟まれているのが俺、むらなぎだった。姉が妹に今日の弁当の中身を尋ねたり、妹が姉のだらしない授業態度をしかったり、俺を頭越しにした会話が一日中続いて非常に据わりが悪い。


 ──昨日きのうの授業中にあった一幕を例に挙げよう。

 地理の先生は中年の男性なのだが、頭頂部のあたりの毛が少しばかりしている。そして、板書に熱が入ったりするといささか不自然に揺れた。

 もう子供じゃないのでクラスのほとんどは見て見ぬ振りをしたのだが、ごく一部のはしゃぎがちな女子が笑いをこらえきれていないのが目に入った。最後列なので無駄に視界がいいのだ。

 なんとなく不安になって、俺は左隣の山田あまを見やった。いつも軽薄そうに微笑ほほえんでいる彼女も、先生の髪を笑っているのではないかと思ったのだ。

 ところが、案に反して山田さんはむしろ真面目な顔をしていた。初めて見る真剣なまなしで先生と黒板を見つめていた。

 ひょっとして、遊んでそうな見た目と違って授業はちゃんと受けるタイプなのだろうか。だとしたら失礼な誤解をしたと反省しかけた、その時。

「ハゲワシってさ」

 一応、小声だったが、はっきりと聞こえる声で彼女はつぶやいた。

「ハゲワシって、ハゲてるけどさ。なんでみんなハゲてるんだろう?」

「ぇっ……?」

 と、意味がわからずあつにとられていると、彼女もこちらを振り向いた。目が合う。山田さんはきょとんとまばたきしてから、にっこり笑って、それから顔を前に倒した。視線を俺から、俺の向こうにいる妹へと飛ばしたのだ。

「ねー、ゆき。ハゲワシってなんでみんなハゲなのかな? 人間はハゲてる人とハゲてない人がいるのにさ。不思議だよね」

 これも小声だった。席が後ろの方だということもあって、先生には聞こえた風もない。

 しかし、彼女の双子の妹には聞き取れたようだった。

「……授業中に変なことかないでよ」

 やまゆきは、眼鏡の位置を据え直しながら押し殺した声で姉に応えた。じぶんがしかられているようでなんだか居心地が悪かった。

 だが、それで終わりかと思いきや、山田妹の小声は長々と続いたのだ。

「……ハゲワシは、動物の死体にくちばしを突っ込んで腐った肉を食べるから、頭に毛があると雑菌がまとわりついて病気になりやすい。だから薄毛の遺伝子ばかりが生き残って、みんなハゲてる……って説は聞いたことある」

「へー、そうか。なるほどねっ」

 妹の解説に対する姉の感嘆はちょっと大きな声になり、さすがに先生のとした視線が飛んできた。山田さんは後頭部に手を当てて、へへへ、と笑ってごまかした。

 それで先生の目は黒板に戻ったのだが、こっちとしては生きた心地がしない。私語の相手が俺だと思われる可能性が高かったし、実際、声こそ出さなかったが俺も同様にハゲワシの合理性に感心していたからだ。

 ふと見ると、雪音の方もあんの息をいているようだった。

 そんな中で黙らなかったのは山田あまだ。

 一応、先生に目を付けられた自覚はあるのかさらに声を潜めて、俺の耳へこうささやいてきた──

「ハゲも悪いことじゃないんだねぇ」

 そこにはからかいも軽蔑もなく、ただ単純に禿とくとうという性質について感心したらしい声だった。疑問が解けたからか、いつものへらへらした微笑が顔に戻っていた。

 その屈託のない、柔らかな声音に耳をでられる感触は……まぁ、正直、悪くはなかった。先生の身体的特徴を笑うような、陰湿なやつかもしれないというのも誤解だった。

 ……だが、それはそれとして。

(地理の授業なのに、ハゲワシのハゲてる理由しか記憶に残ってない……!)


 ──それ以外の時間も、万事がそんな調子だ。

 授業中でも気になったことがあれば平気で妹に話しかける落ち着きのない姉と、それをたしなめながらも、なんだかんだ答えられることなら答えてしまう博識な妹。そんな二人にはさまれた俺は、目の前を飛び交う言葉のキャッチボールに、すっかり翻弄されてしまっていた。こんな環境じゃ、一学期の成績は絶望的かもしれない。

 ことはしさんの依頼と並んで、目下の頭痛の種だった。

 クラスの人数が奇数、かつ女子の方が一人多いせいで、山田妹より右にはそもそも机が存在しない。それもまた教室最後列における双子の一体感を大きくして、俺に自身の異物感を覚えさせるのかもしれない。

 そんな席でも、やっと座れる……と息をいて自席の背もたれに手をかけると、視線を感じた。すぐ隣に座る、寝起きのやまあまからだ。椅子の背にかけていた靴下を履き直しながら、なにかものいたげにこちらを見ている。

 椅子に腰を下ろしながら、「なにか……?」という意を込めて見返す。彼女はいつも制服のリボンタイを緩めていて、昼寝中だったからかシャツも第二ボタンまで外していた──白い首元が目に入ってきて、逃げるように視線をそらした。

 彼女は、俺の動揺には気付かずいてきた。

「なぁんか、しんどそうな顔してるね。体調悪い?」

 ……はたにもわかるくらいに暗い顔をしてるのか。一層落ち込んだが、まずは、

「いや、平気。ありがとう」

 心配してくれたことに礼を言う。ちょっとした親切が心に染みて、朝からこわっていた頬が緩んだ気がする。

 山田さんはそんな俺の顔を「ふ~ん……」とぼんやりと眺めていたが、三度ほどまばたきした後、言ってきた。

「悩み事なら言ってごらんよ。あたしでよければ聞くからさ」

「またそんな、無責任な……」

 という、言い切らない声は背後から聞こえた。つまり、姉の逆側に座る妹だ。ちらりと見ると、山田ゆきは外した眼鏡をケースにしまって水筒を用意していた。

 俺が答えられないでいる内に、姉は気にせず続けてくる。

「もしかして、朝、マリーたちに捕まってたのと関係ある?」

 ……昇降口での一件を見られていたらしい。マリーというのはことはしまりの愛称だろう。雨恵は琴ノ橋さんのグループへは属していないと思うが、見ての通り人懐っこくてものじしない性格だ。琴ノ橋さんたちともよく話している。

 俺が黙っていても、琴ノ橋さんたちから聞き出してしまうかもしれない。だったら、素直に話してしまった方が気楽というものだろう。

 俺としても、自分の胸にめ込んでいるより誰かに相談したいところだった。どうせ、ハゲワシのハゲと同程度の興味本位なんだろうし、それなら逆に遠慮なく巻き込めるというものだ。

 俺は、弁当箱の蓋といっしょに口を開いた──


「実は、琴ノ橋さんの彼氏が浮気してるらしいって話なんだけど……」


 思えばそれが、この双子との奇妙な関係の始まりだった。

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