第1章 リスタート その2

   ◇翼◇


 私には好きな人がいた。

 物心がついた頃からずっと隣にいた幼馴染の天海七渡という人。

 常に何かしているような落ち着きがない人で、おしゃべりでいつも話しかけてくれて、負けず嫌いでゲームとかでは勝つまで続けてて……

 目を閉じれば、七渡君の姿が浮かんでくる。見ているとこっちが元気になれる笑顔や、優しくしてあげたくなる困り顔に、応援したくなるような真剣な顔。

 私にとっては一番大切な人で、ずっと一緒にいたいと思っていた。

 その気持ちを両親に伝えたところ、お父さんはその日の夜に七渡君を私の許嫁いいなずけにしてくれた。

 ただの口約束だけどうれしかった。七渡君と離れるのが怖かったから、何かしら私と七渡君を結ぶ形が欲しかった。

 でも、七渡君と許嫁となると、私は恥ずかしさが湧き出てきて上手うまく話せなくなった。十歳にもなって異性というものを少し意識してくる年頃であることも重なってしまい、緊張や気恥ずかしさが襲ってきたのだ。

 それは七渡君も同じだったのか、あまり私のそばにいてくれなくなってしまった。

 ずっと一緒にいたいから許嫁になったのに、逆効果になっていた。でも、いつかはちゃんと上手く向き合えるようになるって信じていた。

 でも、その希望も打ち砕かれてしまう。

 私達が小学五年生の時に七渡君は東京に引っ越してしまい、離れ離れになってしまったのだ。

 一番恐れていた事態が起きてしまった。

 そこからはまるで世界に一人取り残された気分だった。中学生になって部活に入って友達ができたりしても、ずっと心は空っぽな感じ。

 忘れようとしても忘れられない。時間がてば解決してくれると思ったけど、何も心境が変わることはなかった。

 私は諦めた。七渡君を諦めることを諦めた。

 中学三年生にもなると、どうやって会いに行くかばかり考えていた。

 そんな私の背中を押してくれるかのようにチャンスが訪れた。

 お姉ちゃんが大学進学と共に東京に行き一人暮らしを始めると聞いたので、私はお姉ちゃんに頼んで同居させてもらい東京の高校に進学することに。

 環境が変わることは想像以上に怖かったけど、その不安よりも七渡君にもう一度会いたいという気持ちの方が強かった。

 そして今、目の前には七渡君がいる。

 夢がかなう瞬間というのは、意外と冷静になれるものだと気づいた。

「知り合いなのか?」

 七渡君は友達の問いかけに黙ってうなずいている。緊張しているのか、私が見つめても目を合わせてくれない。それが、ちょっと寂しい。

「小学校の時に一緒だったとかか?」

「幼馴染」

「えっ!? 前に言ってたあの許嫁だった幼馴染!? 七渡の妄想じゃなかったの!?」

「馬鹿っ、それは言うな!」

 友達の身体からだを大きく揺さぶっている七渡君。私の話は友達にちゃんとしてくれていたみたいで嬉しい。なかったことにされていなかったんだ……

「……ちょっと、どういうことなの七渡」

 何故か怒っている七渡君の友達だと思われる女性。七渡君の机の脚を蹴り、周囲の生徒をビビらせている。

 都会のギャルというか、派手でオシャレな目立つ人。地味な私とは正反対の存在で、見ていてすごく頭がモヤモヤしちゃう。

 あの人は誰なんだろう……七渡君のことを名前で呼んでいるのが気になるな。

「あ、あのだな、まぁなんというか、その、そういうことだ」

「ぜんぜんわかんないんだけど」

 女性に睨まれてあたふたしている七渡君。七渡君の表情や仕草とかは何にも変わってない。七渡君は七渡君のままなんだと気づくと嬉しくなる。

「つまり、あれはあの、これはこれで……端的に言えばそういうことだ」

「あんさー七渡って何か後ろめたいことある時、そうやってそうとしてくるよね。はっきり言ってくれないとわかんないんだけど」

 七渡君が追い込まれ過ぎて顔が青ざめている。可哀かわいそうで見ていられない。七渡君にそんな顔をしてほしくない。

「あ、あの……七渡君が困ってるから」

「は?」

 私は勇気を出して困っている七渡君と女性の間に割って入ったのだが、女性に睨まれてしまう。こわいけど、その恐怖よりも七渡君が大事!

「翼、麗奈は俺の友達だから。地葉麗奈」

「う、うん……」

 七渡君は女性の前に回って、私に関係性の説明をしてくる。

 距離感的に恋人ではなさそうだと思っていたけど、友達だったみたいだ。七渡君に恋人ができていたらショックだったから友達で本当によかった。

「……七渡に近づかないで」

 七渡君に聞こえないように耳打ちしてきた女性。

 その冷たい言葉に背筋がぞわっとする。冗談ではなく警告のようなトーンだった。

 けど、七渡君に近づかないでほしいのはあの人の方だ。

 七渡君を困らせるような人は許せないもん──


   +七渡+


 まるで時間が巻き戻ったかのようにあの頃と変わらず隣に立っている翼。

 変わらない長くてれいな黒い髪と眼鏡姿で、当時の雰囲気を保っている翼。全身を見ると、女性らしく成長はしているようだが大きく変わったところはない。

「翼、どうしてここに?」

「ちょっと前に福岡から引っ越してきたの。七渡君のお母さんから進学先とか聞いて、同じ高校に進学したの」

 何にも聞いてないんですけど! 帰ったら母に問い詰めよう。

「ウチのこと覚えとってくれたんだね……本当に嬉しい」

 こぼれ出ているはかべんが、翼の存在をさらに強調している。本当に引っ越してきたようだな……夢でもなさそう。

「っ」

 露骨な舌打ちをしている麗奈。俺に怒るのはわかるが、翼の方を向いて舌打ちは勘違いされるのでめてほしい。

「誰なの? ちゃんと説明してって」

 麗奈が俺の服の裾をつかみながら問い詰めてくる。

「俺さん、福岡出身って言ったじゃん? 彼女はその時に隣の家に住んでいたおさなじみの女の子である城木翼さんです」

「ふ~ん……そっ」

 麗奈は複雑な表情で俺の話を聞き、その後はか翼のことをにらんでいる。

 こんなことになるとはじんも思っていなかったので、入学初日と相まって大混乱だ。周囲の生徒も、俺達のやり取りをまじまじと見ているし……

「また一緒にいられるね、七渡君」

 翼のおっとりとした声に耳がいやされる。だが、麗奈が座っていた椅子を大きな音を出して戻しながら自分の席に向かっていったため、俺はざわざわとした気持ちになってしまう。

 教室も静まり返って、何だか申し訳ない感じになる。

「これは……波乱が起きそうな感じだな」

 ニヤニヤしながら話す一樹。他人ひとごとなので気楽でいるようだが、俺は俺でどうしていいのかわからない。

「席つけ~」

 この雰囲気をぶち壊すように担任の先生が教室に入ってきた。それを見た生徒達はぞろぞろと自分の席に戻っていく。

 担任の先生が自己紹介を始めたのでなんとなく後ろを振り返ると、何故か俺を見つめていた翼と目が合ってしまった。

 そして、さらにその奥に座っている麗奈にも見られていた。どうりで背後が気になったわけだ。無意識ではなく、どこか視線を感じていたようだ。

 先生の説明を聞き終え、生徒は入学式が行われる体育館へと向かうことに。

 一樹と麗奈は廊下側に座っている俺の元にやってきた。

 翼が俺のことを見ていたのでそちらに向かおうとしたが、麗奈に腕を掴まれ用事があるんだけどと呼び止められる。

 翼は前に座っていた陽気な女の子に声をかけられたため、俺への視線を外した。

「三人で行こっ」

 麗奈に足を軽く蹴られ、廊下へ出ることに。

「何で麗奈は怒ってんだよ」

 自分の髪をちりちりといじりながら不機嫌そうに歩く麗奈。ギャルという容姿も相まって恐い雰囲気になっている。

「別に怒ってないし」

 怒ってないとは口にしているが、中三になってから毎日顔を合わせている普段の麗奈とは異なっていることは明白だ。

「一樹、麗奈は怒ってるよな?」

「俺にはわからん。地葉は七渡以外には常にあんな感じだし」

 一樹の言葉を聞いて麗奈と出会った頃の記憶がよみがえった。あの頃は確かに俺にも無愛想だったし、教室でも周囲を寄せ付けないような恐さがあった。

 麗奈に勉強を教えてと頼まれ九ヶ月ほど一緒に受験勉強した結果もあり、今では麗奈とは仲の良い友達となった。だが、相変わらず周囲には冷たいみたいだ。

「何なの、あの城木翼って女は? 何も聞いてないんだけど」

 前を歩いていた麗奈が振り返ってきて、一歩詰め寄ってくる。

「幼馴染だよ」

「それは聞いた。でも廣瀬は許嫁いいなずけとか言ってた。まじで意味わかんないんだけど……そもそも、この時代に許嫁とかある?」

「小四の時に互いの父親が冗談半分で言っただけだよ。俺の両親は離婚して父親はどっか行ったからさ、もうその話は無かったことになってる」

 特に許嫁は解消です、と宣言されたわけではないが、きっとあの話は消滅したはずだ……してるよね?

「も~何なのよ」

 麗奈は顔を下に向けて再び前を歩き始める。

「前にもこんなことなかったか? ほら、なかはらが俺達の前で七渡の元カノのの話をした時」

「あー……あったな」

 俺が中二の時に三日間だけ付き合っていた須々木さん。速攻で振られてしまったため、俺の黒歴史となっている。お察しください。

 あの話を聞いた時の麗奈も、今のように不機嫌になっていた。怒っていないとは言っていたが、明らかに怒っていた。

 そっか……俺はうそをついたことになったのか。あの時に麗奈から他には誰とも付き合ってなかったかと聞かれて、もういないと答えた。でも、今は許嫁がいたことを知られた。

 俺の中では翼は元カノというよりも、幼馴染という感覚が強かっただけに自分の中では付き合っていたという扱いをしていなかった。

 翼は妹みたいな存在であり、兄妹きようだいのような関係だったしな……

「ごめん麗奈、小学校の時の話は勝手に自分の中でノーカウントにしてた」

「……許す。かもしれない」

 やはり俺が嘘をついていたことに怒っていたみたいだ。嘘ついてたじゃんと素直に言ってくれればいいのにと思うのだが、麗奈は自分の気持ちを言わない傾向がある。

「今度さ、飲み物でもおごってね」

「今日は授業も無くて早く終わるみたいだから放課後は?」

「行く行く、も~七渡めっちゃだいす……め、めっちゃ良いやつ、すげーやつ」

 誠意を示すために今すぐにでもという姿勢を見せた結果、麗奈はパッと表情を明るくさせて俺との距離を詰めてきた。

「あれれ~この前、七渡が無くしたスマホを探すの手伝った時に今度飲み物奢れよって僕も言ったぞ~」

「ぎくっ」

 コ○ン君のをして過去を掘り返してくる一樹。気づいてほしくないところに気づかれてしまった。

「じゃあじゃあみんなで行こう、みんなでいると楽しいし」

 前を歩く麗奈は振り返って、俺と一樹を見ながら笑顔で提案した。

 その陽気な笑顔には癒されるし、みんなでいると楽しいという言葉が、今この瞬間を生きることができていて良かったという充実感を味わわせてくれる。

「おい、麗奈後ろっ!」

 俺の注意は間に合わず、後ろ向きで歩いていた麗奈は前で立ち止まっていた別の生徒にぶつかってしまった。

「あっ」

 バランスを崩した麗奈が俺の胸に飛び込んできたので、慌てて両腕を掴んで支えてあげることに。

 その際に、麗奈の身体からだを支えた俺の腕が大きな胸に軽く当たってしまった。他では味わえないムニっとした感覚だったので、少し胸が高鳴った。

「あ、ありがと」

 麗奈はほおを赤く染めたまま離れていく。転びそうになって恥ずかしい気持ちになってしまったのだろう。

 麗奈は俺にとって気の合う信頼できる友達だ。だが、唯一困る点と言えば、女性として魅力的過ぎることだろう。友達として見ていたいのに、麗奈の姿を見てはたまにエッチで失礼なことを考えてしまう。

 女性として意識しないというのは無理がある。去年は受験に集中するため、お互いに見えない心の壁を作っていた。

 だが、高校生となった今では、その壁はもう無い。

 実際に形となっているわけではないが、はっきりとその壁は無くなったのだと明確に意識が変わっている……少なくとも俺の中では。

 やはり異性の親友は成立しないのだろうか、それとも単に俺に女性への免疫が無いからなのだろうか……

 麗奈は親友。その親友よりも関係が昇華した先には何が待っているのだろうか──

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