第五話:魔力増強実験
あれから更に一年と半年経って十三歳になった。
書斎で研究資料を並べている。
面白いものが見つかった……これはいい。
こんなものがこの世界にはあるのか。
これを手に入れれば、世界を渡る魔術の完成にぐっと近づく。姉さんの顔が見えてきた。
「やあやあやあ、息子よ。来るのが遅いから迎えに来ちゃったよ!」
レオニール伯爵がノックもなしに入ってくる。
もう三十代半ばだというのに、子供っぽさが抜けない。
「ちょっと気になるものがあってね。今、いくよ……父さん」
「ふふふっ。父さん、父さんね。未だに慣れないねぇ。それ」
「もう一年以上そう呼んでいるんだ。いい加減慣れてくれ」
俺たち親子は良好な関係を築いており、俺は彼の助手という肩書も与えられた。
この肩書はとても便利だ。
たいていの欲しいものは手に入るし、権力があるから人を使える。
なにより、この世界の最先端を走る魔術に触れられる。
こちらの世界の魔術は、転生前に比べると一段か二段劣るが、系統がまったく違い、毎日新しい発見があり楽しい。また、劣るとは言ってもあくまで総合的な話で、部分的には優れた部分がいくつも存在する。
俺の技と知識はすでに前世のそれを完璧に上回っていた。
「いよいよだねぇ。ようやく完成した理論を使った実験ができる。あはっ、僕らの検証だと成功率九十八パーセントだけど、どうなるだろうね」
「成功するさ。当然のように」
俺が養子になった一年半前から、俺たちは共同研究を続けてきた。
魔物の血を投与することで超人的な魔術士を生み出すことを目標にして。
そして、ようやく研究が完成している。
あとは実証するだけだ。
「一年半前の約束を覚えているな?」
「もちろんだよぉ」
レオニール伯爵と研究を開始する際に、俺は一つの要求をした。もし、俺の協力によって実験が成功したなら、そのときはどんなわがままも聞いてほしいと。
「俺はカルグランデ魔術学園に行きたい」
「へぇ。今更、お勉強? 不思議だね、教師含めて君より有能な子はあそこにいないよ。なにせ、君は僕のライバルだ」
「……息子をライバルっていうのはどうなんだ」
「そんなこと関係ないね。僕についてきて、僕と競い合えるのは世界中でき・み・だ・け。ライバルと言う他ないよ」
子供のような無邪気さでレオニール伯爵は笑う。
「俺があそこに行きたいのは、何かを学びたいからじゃない。神器に興味がある」
さきほど俺が発見した資料には神器について記されていた。
「神器、神器ね、あれは君が研究するに値する素材だね。でも、わかってるよね? カルグランデ魔術学園に入るだけじゃ、神器には触れられないよ」
「父さんならわかるだろう。俺なら、触れられる立場になるのは容易だってことが」
「違いない。うん、いいよ。推薦してあげる。あっ、シスコンのユウマくんのことだから、ファルくんも一緒がいいよね」
「可能なら」
「いいよ、いいよ。でも、全ては実験が成功してからだよ」
「ああ、そうだな」
俺たちは実験室を目指す。
俺たちの研究を完成させるために。
◇
この一年半で研究が大幅に進んだ。
まずは第一に、対象者と魔物の血との適性をチェックするテストを作り上げた。
第二に、テストをクリアした子たちの適性を底上げするための薬物及び、魔術による肉体改造法の改良。
第三に、魔物の血を宿した際の魔力制御法の確立。
魂で魔力を扱う人間と、血で魔力を扱う魔物では魔力の扱い方が根本から違う。それを事前に理解し慣れておくことが必要だった。この感覚を子供たちにつかませるのには苦労した。
それらの集大成がここにある。
「残念だよね。研究を完成させた僕と君が、マッチングテストではじかれちゃうなんてね」
「……そうだな」
実験ができないことはないが、成功したところで大して魔力は上昇しない。
デメリットがメリットを上回る。俺がやるなら別種の魔物の血が必要だ。
「でも、まあ、仕方ないよねぇ。今は目の前の実験に集中しようよ。どうなるかな?」
俺たちがいるのは、俺がここへ来た初日も使ったガラス張りで階下が見渡せる部屋だ。
一階では、助手……なんて立派なものではなく雑用係が俺たちの作り上げたフローに従って少年に血を投与していた。
二ヶ月ほど前から、薄めた血を何度も、少しずつ濃度を上げながら投与しており、今日が最終日。
これまでの経過はいたって順調。
そして、血の投与が終わる。
雑用係たちが話しかけている。
被験体に異変はない、事前に決められた通り体のセルフチェックを行っていく。
その最終段階として、魔力を放出した。
「うん、すごい魔力量だね。測定値なんて見なくても肌で感じちゃうよ。あの子、もともとBランクだよね、今の彼はゆうにAランクの魔力を発している。やったやった、凡人が、天才の域に足を踏み入れた! 天才が作れるようになったよ!」
レオニール伯爵がはしゃいでいる。
彼の夢、長年の研究がかなったのだから、はしゃぐのも無理はない。
しかし、俺はそう無邪気にはしゃぐ気にはなれなかった。
やばい。本能が警鐘を鳴らしている。
「がああああああああああああああああああああああああああああ!」
獣のような叫びを被験体があげ、腕を振り回すと、雑用係が吹き飛ばされ、壁に激突して気を失う。
「ありゃ、暴走しちゃった? おっかしいな。そういうの起こりえないはずだけど」
「暴走じゃないからな。彼の目には理性がある。復讐とか、そういうのだろう」
「あっ、そっちぃ。不思議な子もいるね。凡人が天才になれたのに、感謝するならまだしも怒るなんて」
レオニール伯爵が首をかしげる。緊張感のかけらもないが、かなりやばい状況だ。
被験体がこちらを向いた。
実験動物にされたことを恨んでいるなら、その対象は俺たちだろうな。
彼が跳ぶ。
数メートル以上を軽々と。そして魔力で空気を固めて、それを足場にしてガラス窓に突っ込んでくる。
このガラス窓は結界も兼ねていて、魔物の一撃をも耐える。
しかし、Aランクの魔力を爪というサイズに収束させて、叩きつけられれば耐えられない。魔力の爪が壁を叩き割り、その勢いのままこちらに突っ込んでくる。
「レオニール伯爵、喜んでくれ。実験は完璧に成功した。ただ魔力が増えただけじゃない。ちゃんと制御できている」
「だね、計算通り。今日はお祝いだね。ご馳走にしなきゃ。ファルくんにババロアを用意してもらおう」
俺たちが目指したのは、ただ魔力が増えただけの獣じゃない。
莫大な魔力を理性的に使いこなす超人だ。
そういう意味でも今回の実験は大成功だと言える。
「貴様らあああああああああああああああああ!」
被験体が咆哮し、突っ込んでくる。
そうだろうな。
目の前でこんな話をされれば、火に油を注いだも同然だ。
わかっていて、俺はあえてそうした。
俺の魔力にランクをつけるなら、B−がいいところだろう。
並以下。
Aランクの魔力を持つ彼と対峙するのは、戦車に槍で挑むに等しい。であるなら、さまざまな小技を使って勝率を上げるしかない。
「俺がぁぁぁぁぁ、みんなを助けるんだああああ!」
彼の叫びでおおよそ、彼の目的を理解できた。
俺たちを殺し、実験をやめさせることで仲間を救う。
従順に実験に従ったのは、俺たちを討ち、仲間を救う力を得るため。……俺が研究に参加してからは死亡者がゼロになったとはいえ、彼は死を覚悟して実験を受けていただろう。
悪いやつではないし、殺さないよう配慮する。
レオニール伯爵を庇うように前へ出る。
そして、体を屈めると被験体の剛腕が頭上を通過。その刹那、沈めた体を跳ね上げながら掌底で顎を貫く。
彼の体が宙に浮き、受け身もとれず地面に叩きつけられ、失神した。
「へえ、これだけの魔力差があるのに、どうして攻撃が通ったんだい? 教えてよ」
「挑発して、魔力を脚力と攻撃力に集中させた。魔力の高まりを見れば、どう動くか先読みできるから回避は容易い。力を集めた分、他が手薄になる。そうなれば俺程度の魔力でも一点集中することで衝撃を通せる。そいつで顎を揺らせば、こうなるんだ」
怒らせたのは撒き餌。
行動をシンプルにして、魔力を一点集中したカウンターを食らわす。
戦車と鉄槍の戦いでも、視察窓を開くように誘導し、そこに渾身の槍を突き出せばガラス窓ごと目を貫いて操縦者を殺すことができる。
魔力量は戦いにおいて重要ではあるが、絶対ではない。
「すごいすごいすごい、君ってすごいね。……不思議だねえ、なんで君、そんなに実戦慣れしてるの? おかしいよね、だって五歳のときにここへ来たんだよね? 訓練は受けているけど、実戦は知らないはずなのにね。あいつの子供だからってのもあるだろうけど、それだけじゃ説明はつかないよね」
「あいつの子供?」
「ああ、ごめん、間違えた、気にしないで。それより理由を教えてよ」
拍手をしながら、好奇心満々の目で俺を見る。
「なぜだろうな? 才能じゃないかな」
「うふふ、そういうことにしといてあげるよ。それより、その危ないの、縛っちゃってよ。殺す気ないんでしょ」
「ああ、あとで説得する」
仲間を救うために命を賭けた彼には好感を持っている。
そして、話せば納得してもらえるだけの材料があった。
そこをアピールすれば、仲間だと思ってもらえるだろう。
ノックの音が聞こえて、扉が開く。
「あれっ、いったい、これ、何があったんですか!?」
お茶を運んできたファルが驚いた声を上げた。
「ちょっとトラブルがあったんだよ。でも優秀な息子が片付けてくれた。お茶もらうよ。デザートは……ババロア! うわぁい、僕、ババロア大好きなんだよねぇ」
レオニール伯爵はお盆の上からひったくるように、カップとババロアを持ち去ると、そのまま椅子に座りおやつタイムに入ってしまう。
「ああ、美味しかったぁ。ファルくんのお菓子はすごいよね」
「ありがとうございます」
「それと、ちょうどいいから、あのことを話しちゃおう。君たち来年から、カルグランデ魔術学園に通ってね。息子のお願いを聞いてあげる」
「ありがとう。父さん」
「感謝してよね。君を手放すの、僕の研究的にはすっごいマイナスなんだから」
これで、神器に触れられる可能性が出てきた。
あの神器の能力を考えれば、世界渡りが大幅に近づく。
「あの、その、どうして、学園に通うことになったんですか?」
「それについては、あとで俺が話すよ」
「わかりました。お待ちしていますね」
おおむね順調に事が進んでいる。
ただ、もったいないのはこうして完成させた研究の恩恵を受けられなかったこと。
俺に適合する、魔物の血があればいいのだが。
「あとっ、お二人に伝言です。クライムリード男爵からで、魔族の血が手に入ったから、こちらに送るってことらしいです」
「まぞくぅう!? 魔物じゃなくて!? それ、すごい、すごいよ。いついついついつ!?」
凄まじい勢いでファルに詰め寄る。
「あの、父さん、近いです」
ファルがレオニール伯爵を父さんと呼ぶのは、彼が『ユウマくんの妹なら僕の娘だよね』と軽いノリでファルのことも養子にしたからだ。
「ああ、ごめん。僕としたことがつい取り乱しちゃって。それで、いつ?」
「二日後です」
「そっか。じゃあ、マッチングテストの準備をしないと。魔族、魔族か、うふふふっ」
レオニール伯爵のテンションがアレになっている。
魔族というのは魔物の上位種。その力、魔力は圧倒的。
そんなものの血を取り入れれば、いったいどれだけ凄まじい魔術士ができるのか、想像するだけで身震いがする。
「問題があるとすれば、魔物の血で培った方法が魔族の血を対象にして通用するのかがわからないってことだな」
「それを調べるのが僕らの仕事でしょ? 駄目なら新しい方法を考えるだけだよ。ああ、楽しみだな」
違いない、万全の体制で調査をしよう。
「あの、兄さん、笑ってます」
「俺が?」
俺はレオニール伯爵ほどマッドじゃない。でも、顔を触るとたしかに口の端が吊り上がっている。
そうか、俺は期待しているのか。
なんとなく、勘にしか過ぎないが、その魔族の血は俺にこそふさわしい。適性があるという予感がある。
一度は諦めた、魔力の増強をかなえられるかもしれない。
冷静でいられるものか。